第13話「世の中には何かを考える事が苦手な人が居るが、何かを考えないでいる事が苦手な人も居る」
とはいえ、仮にも現役で使用しているパソコンという事もあり、俺の貧弱な忍耐力が限界を迎える様な事も無くパスワードの入力画面が表示され、それを軽快に入力するとまた暫しの時間を掛けて馴染みのデスクトップ画面が表示される。なお、本当にその動作が軽快であるかは諸説あるが、自他共に認めるあまりにも不器用な人間である俺としては、長年の執筆活動で身に着いたキーボードの入力は数少ない特技の一つだと思っている。
尤も、殆どのキーを親指から中指までの三本の指で押すという時点で、真にキーボードの操作に長けている人間からは鼻で笑われる様な操作なのかもしれないが、本当に不器用で折り鶴すらまともに折る事が出来ない俺としては、これでも自らを誇りたくなる位には良い動きを出来ている方なのだ。まあ、未だに同じ単語を何度も打ち間違えたり、操作を速めようとした結果変換が上手く行かなかったりという事も多々あるのだが、正直に言ってこれでも自身の限界地点に辿り着いてしまっている気はしている。
とはいえ、専用の訓練を積んだりした訳ではなく、実際に執筆をするという以外ではその技術を磨いた覚えも無いのだから、未だ伸びしろが十分にあるという可能性も同じく十分にあるのだが、今更その様な事には時間を費やす気にもならなかった。というよりも、既に我流での動きが身に着いてしまっている以上、新たに正しい方法を身に着けようとするのは最早逆効果になる可能性が高いだろう。
などという事を考えながら、暫しの間どういうつもりでパソコンを起動したのかを思い出そうとしていたのだが、良く考えれば今起動したパソコンですべき事は特に存在しなかった。というよりも、セッティングが成功した事を確かめる為に起動した事自体が目的であり、完全に昼夜逆転してしまっている俺の生活リズムの上では未だ執筆を始める様な時間ではなかった。
いや、更に正確に述べるのであれば、既に普段ならばアイデアを出す事等も含めてであれば創作の作業に入っていてもおかしくはない程度の時間ではあるのだが、転居という一大事により実質的には休日であり、毎日の投稿分のみの執筆をするという今日に関しては、未だそれを始める様な時間にはなっていなかった。
尤も、そもそも今日は朝早くから起きているという時点で、昨日の就寝の時から既にそのリズムは崩れ始めている為、その時間の判断が本当に現状に即しているかは怪しい所ではあるのだが、何れにせよ現時点でその作業を始める様な気力は持ち合わせてはいなかった。
ともあれ、本来の目的である起動の確認を済ませた今、仕事をする気が無い以上は特にやる事も無くなってしまった訳であり、俺はその時間を何に費やすべきかを考え始める。無論、折角パソコンを起動したのだからそれを用いて動画鑑賞等に興じるというのも手ではあるが、その様な受動的な事のみに時間を費やす事をあまり好まない俺としては、同時に何らかのゲームのプレイ等もこなしたい所である。
だが、生憎な事に据え置きのゲーム機は未だ車内の段ボールの中で甘美な眠りの中におり、スマートフォンの方も朝から充電をしていなかった為に電池残量が心許なかった。無論、簡単なデイリークエストの様な作業をする程度の余裕は十分にあるのだが、執筆を始める気になるまでの長い時間を耐えうるだけの残量があるかと言えばその自信は持てなかった。
故に、一先ずは何を置いてもその充電をしようと思い立ち、先程の段ボール箱に偶然にも入っていた充電器を電源に繋ぐと、それをスマートフォンにも繋いで一つ息を吐く。しかし、これでその内に電池容量の問題は解消されるだろうが、充電中にはなるべく操作をしない方が良いという情報を信じるのであれば、暫くはそれによる暇潰しも不可能になったという事になる。
仕方無く他に時間を潰す手段を考えようとした時、俺はそこで漸く自らの肉体の状況を思い出す。則ち、朝からそれなりの高温の中でそれなりの運動を続けていた俺の身体は当然ながらそれなりの汗を掻いており、生まれながらの体質の事もありそれなりの臭いを放っていた。
思えば、その状態で色々な方々と敢えてぼかす面々と会っていたという事であり、思い返すとまた全身が熱くなり更なる汗が湧き出て来るが、そこは人体の仕組み上仕方が無い事であるし、今日の内には誰と会うつもりでもなかったのだから、それを抑える類の準備をしていなかった事もまた仕方が無いと思い気にしない事にする。
尤も、こうして考えている時点で既に気にしてしまっているという事なのだが、これ以上その事を考えてしまうとただでさえ脆弱な俺の精神が完全に崩壊してしまいかねない為に、漫画やアニメの様にわざわざ頭を横に振る事でその思考も振り切る事を試みる。
その結果、見事にその思考は殆どが虚空へと消え去ったが、無論その動作が直接的に俺の思考に作用したという訳ではなかった。ただ単に、その動作により三半規管が弱い事に定評がある俺が気分の悪さを催した為にその様な事を考えている余裕が無くなっただけだったが、それでもその動作をした事に後悔を抱く事は無かった。




