280 匂いを嗅がれた……
テルアイラさん達が泊りにきた日から数日後、朝の支度をしていると部屋のドアがノックされた。
ドアを開けてみると、ベルゲル先生が緊張した面持ちで立っている。
「リョウヤ、ちょっといいか?」
何やら真面目な顔なので、大事な話なのだろうか。
ピアリが気を利かしてくれて部屋から出て行こうとする。
どうでもいいけど、すぐに俺を一人にしないでくれないかな。
大抵、俺一人に面倒ごとを押し付けられるパターンになりつつある。
「ボクは先に食堂に行ってるからね」
「ああ、後でな」
ピアリを見送ると、先生が周囲を気にしながら部屋に入ってくる。
しかし、今度は鏡子さんの姿見が気になって仕方ないみたいだ。
仕方ないので、姿見に布を掛けて見えなくしてあげる。
だけど、鏡子さんに対してこんな事は無意味だろう。
「これでいいですかね?」
「あ、ああ。……単刀直入に聞くぞ。お前って、異世界の人間なのか?」
とうとうベルゲル先生の耳に入ってしまったか。
あの時は校長室にいなかったし、わざわざ言う必要も無いだろうと思ってたけど、メディア校長かサイラントさんから聞いたのだろうか。
「だとしたら、どうするんですか?」
「お前、一体何が目的なのだ? この国を支配でもするのか? 俺達をどうするつもりだ!?」
何を言ってるんだろう。しかも無意味に身構えてるし。
どうせ、変な事でも吹き込まれたのだろう。
面白いから、そのままからかってみようかと思ったけど、余計にややこしくなりそう。
時間も勿体ないし、簡潔に校長達に説明した事を先生にも説明してあげた。
「……それは、本当なのだろうな?」
「本当ですってば。俺に特別な力も無いですし。魔力量は沢山あるみたいですけど」
「本当に本当だろうな? 俺を騙してないよな?」
「先生を騙して、俺になんのメリットがあるんですかね?」
「それはそうだが……」
随分と疑り深いなぁ。
「どうせ、サイラントさんに変な話を吹き込まれたんじゃないですか?」
「何故それを!?」
先生、分かりやす過ぎですってば。
「いいですか? 俺は今までと何も変わりません。だから、先生も今まで通りに接してください」
「あ、ああ……」
「まだ納得してないみたいですけど、くれぐれも他の人には言わないでくださいよ? 無用なトラブルは起こしたくないですし」
「それは分かっている。サイラントにも口止めされてるからな」
「分かったなら出て行ってください。俺はこれから朝食を食べに行くんですから」
「お、おい! 分かったから、押すなってば!」
朝から面倒くさいベルゲル先生を部屋から追い出し、姿見に掛けた布を取り払う。
案の定、そこで鏡子さんが聞き耳を立てていた。
「今の話、聞いてたよね?」
「すみません。悪いとは思ったのですが……」
これ絶対に悪いと思ってないよな。
この前もピアリを撮影してるのをこっそり覗き見してたし。
あれをみんなにバラされた後は、本当に大変だったんだからなー。
それはそうと、鏡子さんって噂話とか好きみたいだし、普段からどこぞの家政婦みたいに盗み聞きや覗き見でもしているのだろうか。
「それにしても、リョウヤさんは本当に異世界の人だったのですね」
「厳密に言うと、前世が異世界だったんだよ」
以前、鏡子さんに俺が異世界生まれだという事を明かした事があった。
あれはシーラの家探しの旅の帰り道だっただろうか。
その時は、興味深く話を聞いてくれていたが、全てを信じていた訳じゃないだろう。
「一応、みんなには秘密にしておいて」
「何故ですか? 秘密にしておくと、またロワリンダさんが拗ねますよ」
「どうせ、話しても素直に信じてくれないだろうし、俺も心の準備とかあるから」
「そうですか……分かりました」
「今回は本当に頼むよ。これは俺と鏡子さんだけの秘密だから」
「リョウヤさんとの秘密ですか……。なんだかいけない響きですね」
鏡子さんがクスリと笑う。
彼女もすっかり普通の女の子らしい表情をするようになったなー。
中身はアレだけど。
◆◆◆
そんなこんなで、食堂でみんなと合流したのだが、そこでまた面倒な話を聞かされてしまった。
「え? まだしばらく駄目なのか?」
朝食を食べながら、今度挑戦する地下ダンジョン攻略のクエストについて話し合っていたのだが、どうやら延期になるみたいだ。
「うん。レイズが思ったより重症みたいでね。ホント困っちゃうよねぇ」
ロワりんが頬杖をつきながら溜息を吐いた。
食事中にお行儀が悪いですよ。
「しかし重傷って、あいつメグさんにそこまでボコボコにされたのか?」
先日、テルアイラさん達が予備校見学に来た際に、レイズがメグさんと手合わせしたみたいなのだが、そこまで長引く怪我だったのか。
「傷自体は、わたくしの回復薬で全快しましたの。ですが、心の傷までは……」
メルさまが片手を頬に当てて困った表情を浮かべている。
重傷じゃなくて重症か。紛らわしい。
「あの男の場合は、自業自得だろう。相手の力量を見誤った結果だ」
「シーぽん、それは言い過ぎですよ。レイズ君も善戦していたじゃないですか」
「どこがだ。手も足も出なかったではないか」
アンこ先輩とシーラの話し振りからすると、一方的に負けたっぽいな。
でも、あいつってそんなにメンタル弱かったか?
「あのね、リョウヤ君。彼はノノじに格好いいところを見せられなかったのがショックだったらしいんだって」
ピアリがこっそり教えてくれた。
ちょっと意外だ。あいつも見栄っ張りなところがあるんだな。
それよりも、理由が単純すぎて肩透かしだよ。
ピアリがレイズも焦ってるとかなんとか言ってたけど、単純にカッコつけたいだけじゃないか。
それはさておき。
俺達外野がここでどうのこうの言うより、これはノノミリアに任せた方が良さそうだな。
「私としては、しばらくユズリに会わなくて助かる」
ずっと黙ってたミっちゃんが、吐き捨てるように言った。
ユズリさんと、また何かトラブルがあったのだろうか?
「別にひどい事されたんじゃないんだし、怒りすぎだよミっちゃん☆」
「うるさいぞ、ロワりん! あんな事をされたら、こっちの精神が参ってしまう!」
ミっちゃんがプンスカである。
余程、腹に据えかねた事があったのだろうか。
「なあ、ミっちゃん。ユズリさんと何かあったのか?」
俺が尋ねると、ミっちゃんが渋面になった。
本当に何があったんだよ。
「匂いを嗅がれた……」
「嗅がれた? 話が全然見えてこないんだけど」
「あいつが私の巫女服姿が見たいと言うので、着てやったんだ」
「うん。それで?」
「興奮した顔でいきなり抱きついてきてさ、よりにもよって私の胸に顔を埋めて深呼吸しやがったんだ! 一体なんなんだよ、あいつは!!」
思わずコケそうになった。
ユズリさんて、巫女萌えだったのか。
そういえば、神楽舞の巫女に憧れてたとか言ってた気がする。
「ま、まあ、それは災難だったね……」
俺が慰めの言葉を掛けるが、他のみんなは興味が無さそうな顔をしていた。
気にする程でもないって事なのだろう。
しかし、レイズの様子が少し気になるな。一応顔を出してみるか。
朝食を済ませて男子寮にお邪魔すると、レイズの悪友ラスが前方から歩いてきた。
「やあ、兵士登用試験の勉強は捗ってるか?」
「リョウヤか。まあボチボチって感じかな。ところでどうした? 男子寮に来るなんて珍しいな」
「レイズの様子を見てみようと思ってね。確か同室なんだよな?」
「ああ……。あいつ結構ヤバいぜ。俺も模擬戦を見てたんだけどさ、相手が格上過ぎた。王都にあんな凄い冒険者がいたんだな。それはそうと、リョウヤの知り合いだそうじゃないか。お前、顔が広過ぎないか?」
「えっと、旅の冒険者らしいよ。たまたま冒険者ギルドで知り合っただけだ。それよりも、レイズはどうだったんだよ?」
結局、レイズとメグさんの模擬戦の話は、一方的にレイズがやられたとしか俺は聞いていない。
どんな戦いだったのだろうか。
「あー、レイズの奴さ、カウンター狙いなのか逃げの攻撃ばかりで、もう見てられなかったぜ」
「そうだったのか……。少しだけ顔を出してみるよ。ありがとな」
「おう」
ラスと別れてレイズの部屋の近くまで行くと、今度はノノミリアに出会った。
何やら浮かない顔している。
「レイズのお見舞いか?」
「うん、そんなところかな……」
無理して笑顔を作ってるのが、ありありと見て取れる。
やはり、何かあったのだろうか。
「あいつ、どうしてた?」
「追い出されちゃった。今は顔を見たくないって……」
「それはひどいな」
「ううん。あたしがレイズに期待を掛け過ぎちゃったから、彼も無理したんだと思う。だから、あたしの事は気にしないで」
それだけ言うと、ノノミリアは逃げるように走って行ってしまった。
去り際の彼女の瞳には涙が浮かんでいた気がした。
「レイズ、いるか? 入るぞ」
ドアをノックして返事を待たずに彼の部屋にお邪魔する。
散らかり具合が、いかにも男子の部屋って感じだな。
ちなみに俺の部屋はピアリもいるので、それなりに気を使って綺麗にしてるつもりだ。
むしろ俺の部屋より、ロワりん達の部屋の方が汚かったりする。
「調子はどうだ?」
「なんだよ、俺を笑いに来たのか?」
ベッドに寝転がるレイズが俺に背を向けながら答える。
こりゃ確かに重症だな。
「聞いたよ。メグさんに手ひどくやられたんだってな」
「笑いに来たのなら帰れよ」
「まあ、そう言うなって。相手が強過ぎたんだから、負けて当然だっての」
以前、ピアリとメグさんの模擬戦での攻防を目にしたが、あんなのを相手にするのは俺は御免こうむりたい。
しばらく沈黙が続いたが、レイズがとつとつと話し始めた。
「あの人さ、ずっと手加減してたんだ。それなのに、結局俺は手も足も出なかった……」
「手加減されてたのがムカついたのか?」
「……いや、そうじゃない。むしろ、自分自身の不甲斐無さに腹が立っている。手加減してくれてる相手に一撃も当てられなかったんだ。大口叩いておいて、情けないよな」
ようやくレイズが俺の方を向いてくれた。
意外と元気そうな顔してるな。
「それで、カウンター狙いの攻撃になったと?」
彼は黙って悔しそうに頷いた。
「俺、思うんだけどさ。レイズって、そういう小細工は似合わない気がする」
「何が言いたいんだよ?」
「あのさ、初めての校外実習の日の事を覚えてるか?」
「そりゃ覚えてるよ。危険な目にも遭ったしな……」
「俺、あの時のレイズとノノミリアのコンビネーション攻撃は、今でも印象に残ってる。正面から敵を薙ぎ払ってさ、正直かっこいいなと思ったんだぞ?」
厨二っぽい技だったけど、と心の中で付け加えておく。
「だから何が言いたいんだよ……」
「俺の中では、レイズは小細工に頼らないで正面切って戦う方が似合ってるって言いたいだけだよ」
「だけどさ、今回は正面から戦っても全く歯が立たなかったんだよ。どうしろって言うんだ」
「そりゃあ、単にレイズの実力不足だろ? もっと修行しろよ」
「お前なぁ。他人事だと思って簡単に言ってくれるな。……でも、リョウヤの言う通りだ。もっと俺も強くならないと駄目だな」
ようやく彼が笑みを見せた。
少しは吹っ切れてくれたのだろうか。
「しかし、リョウヤに慰められるとは思わなかったな。セキこの姿だったら、このまま抱きしめてやったのに」
「そういうのは、ノノミリアにしてやれよ」
「冗談言うなっての。アイツとは物心ついた時から一緒だったんだから、そんな対象にならないよ」
こいつ、この期に及んでそんな事を言うのか?
彼女にいい所を見せたくて、こんな事になったんだろうに。
それに、先程のノノミリアの泣き顔を思い出したら、流石に俺も少しイラっとした。
「本当か? だったら、俺がノノミリアを狙ってもいいんだな?」
途端にレイズの表情が固まった。
本当に分かりやすい奴だなー。




