250 変な声を出さないでください
「ここが、わたくしの部屋ですの」
ミスティラさんの店舗兼住宅の二階にある一室が、メルさまに用意された部屋らしい。
こじんまりとしているが、机と椅子に本棚とクローゼットが一式備えられており、シンプルながらも実用的である。
「おお、ロフトまであるじゃん……って、もう荷物だらけだ」
「本格的に先生の弟子になったら、こちらに移る予定ですので、先に私物をいくつか運んでいますの」
「移るって、もうメンバールームで寝泊まりしないのか?」
「それはまだ先の話ですよ。ただ、時々はこちらで寝泊まりする事になると思いますけど」
それを聞いて少し安心した。
あの部屋からいきなり出て行ってしまったら、寂しくなる。
「その話はもうみんなにしたの?」
俺が尋ねると、メルさまの表情が曇った。
「まだ……ですの。冒険者を諦めて薬師を目指す話も、セッキーさん以外にはまだしていません」
「それはマズいんじゃないかな? ちゃんと話せば、みんなも分かってくれるはずだから、今度みんなに話すべきだよ」
「分かりました……。その時はセッキーさんも一緒に説明していただけませんか?」
「お安いご用だ」
「ありがとうございます」
そう言って、メルさまは微笑んだ。
「それでさ、俺は今夜どこで寝ればいいの?」
この部屋にはソファーも無い。
床で寝るのは構わないが、布団も無い。
「何をおっしゃいますの。ここですよ」
ベッドに腰掛けたメルさまが、そのベッドの上をポンポンと叩く。
本当に一緒に寝るつもりなのか!?
「それは……ちょっとマズくない?」
「今まで他の方と一緒に寝ていたじゃないですか。わたくしと一緒に寝るのは不満なのですか?」
ジト目でにらまれてしまった。
確かにピアリやロワりんにアンこ先輩とも、一緒のベッドで寝た事がある。
セキこの姿でなら、シーラやリリナさんとも一緒に寝ている。
しかし、メルさまとそこまで距離が近くなかったから、心の準備がまだできていない。
かと言って、ここで断るのも男らしくない。
「分かったよ。ベッドにお邪魔させてもらいますよ」
「さあ、早く早くですの!」
ベッドに潜り込んだメルさまが、俺の寝るスペースを空けて手招きする。
「なんでそんなにテンションが高いの?」
「それは、セッキーさんを一人占めできるからですの!」
恥ずかしそうにそんな事を言われてしまったら、胸キュンしない訳がない。
普段は恋愛事に興味が無さそうな振りをしているけど、メルさまもやっぱり普通の女の子なんだな。
「それじゃ、お邪魔します……」
俺がベッドに入ると、彼女は部屋の魔力ランプの明かりを弱めた。
部屋が薄暗くなり、時折光る雷が室内を照らす。
雨音もうるさいし、中々寝つけそうに無いなと思っていると、突然俺の足に冷たい物が触れた。
「うひゃあ!!」
「変な声を出さないでください」
「いきなり俺の足に冷たい足をからめてこないでよ!」
「仕方ないじゃないですか。冷え性なんですから」
そう言いながら、彼女は冷たい足先を俺のふくらはぎにくっつけてくる。
俺は湯たんぽ代わりかよ。
「うひょお!!」
「また変な声を出さないでください」
「なんで、わざわざ俺の服をめくって冷たい手を脇の下に入れてくるんだよ!」
「仕方ないじゃないですか。指先も冷えるのですから」
「だったら、普通に手を握ったりとかでいいじゃん!!」
「まったくわがままですね。セッキーさんは」
「どっちがわがままなんだよ!」
俺の文句を聞き流しながら、メルさまが俺の手を握って指を絡めてくる。
確かにメルさまの手が冷たい。本当に冷え性みたいだ。
「セッキーさんの手は、何故こんなに温かいのですか? うらやましいので体温を奪ってさしあげますの」
そう言って、彼女が俺に覆いかぶさるようにして抱きついてきた。
これが寝苦しい夜だったら、最高の抱き枕だろうなぁとか考えていると、突然メルさまの方から唇を重ねてくる。
え!? いきなりなの!?
一瞬頭がパ二くってしまったが、後はもう雰囲気に飲まれて、お互いを求め合うようにキスを続ける。
……これはマズいぞ。生理現象が起きてしまう。
というか、もう起きてしまった。
それを感じ取ったのか、メルさまが若干困惑している様子だ。
少しの間の後、意を決したかのようにメルさまが言った。
「……わたくしの初めてをもらってくれませんか?」
抱きつきながら、そんな事を言うのは反則じゃないか!?
「なんで、そんな事を言うの?」
努めて冷静を装って聞き返す。
「父の借金の事もですが、セッキーさんには、今まで沢山の事で助けられてきました。せめてものお礼としてです」
冗談かと思ったけど、彼女は本気みたいだ。
ここまで言われてしまったら、手を出さない訳にはいかないが……。
だけど、義務感みたいに言う彼女の態度が少し気になった。
「ごめん。それは無理」
メルさまが大きく目を見開いて息を飲んだ。
まさか、この状況で断られるとは思ってもみなかったのだろう。
「何故……ですか? わたくしに魅力が無いからですか?」
「違うよ。俺はまだ誰ともそういう事はしない」
「そんな善人ぶった事を言って、わたくしに恥をかかせるのですか!?」
「違う、そうじゃないんだ」
「じゃあ、何故ですの!!」
苛立ったように、彼女が俺を睨みつける。
メルさまからすれば、こんな男は最低だろうな。
「ごめん。怖いんだ。誰かと男女の関係になったら、今の俺達みんなの関係が壊れそうで怖い。多分、もう本当の意味で友達でいられなくなると思う。俺はみんなと一緒にいたいんだ。勿論、都合のいい事を言っているのは自覚している」
ここまでしておいて、何を今更と我ながら思う。
だが、この先に踏み出すのが正直怖い。
何がハーレムだ。
屁理屈こねて彼女達の好意をなあなあにしている俺は、ただのヘタレだ。
そんな俺に呆れたのか、メルさまが黙り込んでしまった。
これはもう嫌われちゃったかな……。
「わたくしの方こそ、すみません。セッキーさんの気持ちを考えずに、焦って自分の気持ちばかり押しつけてしまいました」
俺の予想に反し、メルさまが体を起こして俺に頭を下げる。
「メルさまは気にしなくていいんだよ。これは俺の問題だからさ」
俺も体勢を直し、メルさまと向き合って彼女に頭を下げるのをやめさせる。
「お恥ずかしながら、セッキーさんがそこまで考えていたなんて、これっぽっちも想像していませんでした。……もし、わたくしの事を好きでなかったら、断ってください」
「もういいんだよ。気にしないで。それに俺はメルさまの事は好きだから」
そう言ながら、彼女を抱き寄せる。
「ずるいですの。そう言われてしまったら、これ以上何もできませんの。でも、このくらいはよろしいでしょう?」
再びメルさまが唇を重ねてきた。
結局、そのまま押し倒されてしまったのだった。
◆◆◆
「雨が弱くなりましたね……」
「うん」
俺達はベッドの中で手を繋いだまま、静かに暗い天井を見つめている。
お互い、なんとなく気まずくなったけど、今はまだこの距離感でいいのだ。
「そういえばさ、ユーの秘密は教えてもらった?」
「ユユフィアナさんの秘密とおっしゃりますと、魔族の血が濃いお話でしょうか?」
「うん。聞いた時は怖くなかった?」
「驚きはしましたけど、怖くはありませんでしたよ」
「そっか。それは良かった」
「セッキーさんは、血を吸われても全然動じなかったそうじゃないですか。ユユフィアナさんが嬉しそうにお話していましたよ」
「あれは普通に驚いたけどなぁ。ところで、この話はロワりん達も知ってるの?」
「いいえ。まだお話する決心はついていらっしゃらないみたいです。拒絶されたらと思うと、怖いのでしょう」
あれからユーのところへ、ロワりん達もお茶に呼ばれて行ったりしているが、まだ彼女達に正体を明かす勇気は無いみたいだ。
「こればかりは、見守ることしかできないね」
「ええ。でもきっと、みなさんとも本当の意味で仲良くなれるはずですの」
ユーだって、メルさまに秘密を明かしたんだ。
他のみんなとも仲良くなれるに違いない。
そうして、メルさまと取り留めのない話を続けていると、どこからか咳き込む声が聞こえてきた。
「……これはミスティラさん?」
「ええ。先生もお年だから、お体の調子もあまり良くない日もありまして……」
「それが心配で、ここに住むという事か」
俺の言葉にメルさまが頷いた。
確かに高齢のミスティラさんを一人にしておくのも心配だよな。
「実を言いますと、単なる体調不良や簡単な病気程度なら、先生ご自身の調合した薬ですぐに治るのですよ」
「……それって、もしかしてあまり良くない病気だとか?」
再びメルさまが頷いた。
「病気というより、呪いの類かもしれません。わたくし、先生を助ける薬を作りたいのです。その為には、一日も早く一人前の薬師にならなければいけません」
そんな事を考えていたのか。
もしかしたら、メルさまだけでなく、既にみんなも今後の進路を見据えて行動しているのかな。
急に置いてかれた気分になった。
翌朝、ミスティラさんは体調が良くない事をおくびにも出さないで、俺とメルさまの関係を冷やかしてきた。
「メルがもう大人の階段を上ってしまうなんてね……。私もすっかり年を取りましたね」
「先生、先程から言ってますよね。セッキーさんとは、まだしておりませんの」
「まだ、という事は、いずれはするのですね?」
「はい! もちろん!」
朝からなんて話をしてるのか……。
頭が痛くなってくるよ。
こめかみを押さえていると、ミスティラさんが俺の方へ顔を向ける。
「少しよろしいでしょうか。リョウヤさん」
「あ、はい」
「この度は、身内が起こした問題で大変なご助力をいただき、ありがとうございました」
「いえ、俺は大した事してませんから……」
「いいえ。あなたはこの子の未来を救ってくださったのです。メルは私にとって孫みたいな存在です。色々と手のかかる子ですが、どうか今後ともメルの事をよろしくお願いしますね」
ミスティラさんが俺に頭を下げた。
実の子のように本気でメルさまの事を心配している姿にしか見えない。
これは俺も覚悟を決めて答えなければならないな。
「はい。彼女の事は安心して任せてください」
「セッキーさん。これからも、わたくしの事をお願いしますね」
俺達のやり取りを見て、ミスティラさんは安心したように微笑むのだった。




