始まりの地
立て付けの悪い扉を、ギイギイと音を立てながら開けると、そこからはいつものように赤ら顔の男達があげる下品な笑い声が聞こえてきた。
「ははっ。ほんと、変わんねぇな、ここは。おっ、マスター!久しぶり」
「…………おいおい。なんで、お前さんがここにいるんだよ」
「なんだ?客が来ちゃまずいってのか?」
「そうじゃねぇ。だって、お前さん……確か、お城の方で厄介になってるはずだろ」
「あー、それね。ぜんぜん、居心地よくねぇからさ。抜け出してきたんだ」
「抜け出してきたって……お前」
勲章だの、爵位だのとなんやかんや連日開かれるパーティは、最初の方はそれなりに楽しかった。
それこそ、宝石の如く光輝くシャンデリア、靴が沈み込むように柔らかい絨毯に、見渡す限りの料理と酒。
幼い頃、出来る限りの贅沢を想像したのよりもずっと、贅沢な空間が目の前に広がっていたから。
「あそこはさ、俺の居場所じゃないみたいだ」
でも、値踏みするような目、化粧塗れの作り笑いと、鳥肌の立ちそうなお世辞のせいで、そんなのどうでもよくなってしまった。
ここにいたくないと、そう思ってしまうほどに。
「やっぱ、こういうところの方が、俺は好きだよ」
どれだけ引き止められても、それこそ、この国の選りすぐりの権力者たちに睨まれてもそれは変わることはない。
むしろ、自分の居場所さえ、決められなくなるのだとしたら、そんなのいらない。
俺を縛り付けられるのは、夢と、約束だけ。昔からそうだと、決まっているのだ。
「……………………はぁ、わかったよ。世界を救った英雄様に、とっておきの酒を出してやる」
「おっ!さすがはマスター。相変わらず粋だねぇ」
「まぁ、俺……いや、みんな感謝してるんだお前さんには。本当に、ありがとう」
「なんだよ、水臭い。前にも言っただろ?自分でやりたくてやってることだって」
長きにわたる魔族との戦争。
それに終止符を打つため戦ったのは、あくまで自分の理由だ。
昔――遠い昔に、今は亡きキョウダイ達と抱いた夢を果たすためのついで。
本当に、それだけなのだ。
「…………変わらないな。お前さんも」
「変わる理由が無いだろ?」
「ちょっと変えれば、この世の全部が手に入るかもしれないのにか?」
「これ以上は、いらないよ。もう、俺は満足してるんだ」
「欲がなくて、羨ましいよ」
「そうか?美味い飯と酒を片手に、バカ騒ぎして、笑顔で眠る。これほど、贅沢なもんもないと思うがね」
そこら辺の虫を捕まえて吐き気を抑え込みながら詰め込まなくても。
水たまりを啜って腹を下すのがわかりながら飲み込まなくても。
生きていける。
ただでさえこれは、俺以外が触れることすらできなかった、至高の幸せなのだから、この上を望むほど強欲にはなれなかった。
「くっくく、ほんと、変なやつだよお前さんは」
「マスターも大概さ。魔王を倒すとかとち狂ったことぬかすクソガキに、色々世話焼いちまうんだから」
「そうか……ああ。そういえば、そうだったな」
「なんだ?ボケ始めたか?」
「いや、そうじゃないが…………まぁ、いい。今日は奢りだ。腹から溢れ出て、噴水みたいになるまで飲ましてやる」
「ははっ。そりゃ、魔王より恐ろしいよ」
「とりあえず、待ってな。すぐ、何か持ってきてやるから」
「おう。ありがと」
そう言って、厨房の方に入っていくマスターの背中を見送った後、なんとなく周りを見渡す。
「ほんと、愉快なところだ」
顔なじみの傭兵が裸のまま床で寝息を立て、田舎から出てきたらしい少年に冒険者風の男達がちょっかいをかける。
加えて、酒の飲み合いに、喧嘩、そんなものもそこら中に溢れていた。
「…………これも、マスターの人徳ってやつかね」
昔から笑顔の集まるここが好きだった。
当然、外で苦しんでいる人や、泣いている人がまだいることは知っている。
魔王を倒したからといって、それですべてが救われるわけはないのだから。
でも、それでも多少は変えられたはずだ。
皆が皆、辛気臭い顔で下を見続けるようなクソッタレな世界からは。
「まっ、しばらくはゆっくりさせて貰おうかね」
派閥に取り込もうとする貴族達から離れるため、旅をするのもいいのかもしれない。
ただでさえ、国王ですら娘を宛がおうとしてくるくらいだ。
ほとぼりが冷めるまでは、身を隠すのも悪くない。
「善は急げ。早速、明日――」
≪…………見つけた≫
「――なっ!?」
不意に響く、脳に直接伝わってくるような声に驚く。
そして、そのまま無意識に体が反射し、飛びのこうとした瞬間。
視界は暗転し、体が浮遊感に包まれた。
◆◆◆◆◆
「酒はこれでって……あれ?アイツどこいった?」
そして俺は、また物騒な戦いに身を投じることになった。
わけもわからぬまま、唐突に。
怪異と呼ばれる化け物が闊歩するその世界の中で。




