【コミカライズ】麗しの婚約者殿が笑顔を振りまくので、のぼせた令嬢から婚約破棄を要求されて大変です
聞き覚えのある笑い声に、レンハイム侯爵家の令嬢オーレリアは開け放たれた窓の外へと目を向けた。
二階の教室の窓からは中庭の様子がよく見える。朝陽が差し込む緑豊かな中庭の片隅。木陰のベンチに二つの人影があった。その一人はオーレリアにとって最も身近な異性であり、よく知る生徒――シエル・アーガイル。
王国の筆頭公爵家にあたるアーガイル家の令息は、学園中の令嬢を魅了してしまいそうなくらい際立った容姿の持ち主だ。眩い金髪、優しげな青紫色の瞳、柔和かつ気品にあふれた物腰。どこを取っても魅力的で、おとぎ話に出てくる素敵な王子様もかくやなその顔にきらきらした微笑みが浮かべば、年頃の令嬢は簡単にのぼせてしまう。彼の隣ではにかむ令嬢――エレン・ウォーカーもその一人だった。
先週編入してきたばかりの彼女について、オーレリアは詳しくない。知っていることといえば、ウォーカー侯爵家の令嬢で身体が弱く、幼少の頃から十六歳になるまで田舎で過ごしていた、という事情くらい。貴族の子息令嬢ならば十二歳で入学する中高一貫の王立学園に高等部二年の途中から編入してきたのはそのためで、今でも稀に喘息の発作を起こすから気遣ってあげて欲しい、と編入初日に教師が言っていた。
頬を上気させ、シエルに一生懸命話しかけるエレンは花のように可憐な少女だった。ふわふわと波打つハニーブロンドの髪。庇護欲を誘うペリドットの瞳。いかにも紳士が好みそうな、砂糖菓子みたいに可愛いらしい女の子。
美貌という点では、オーレリアも決して劣ってはいない。
真っ直ぐに伸びた豊かな銀髪、きめ細やかな白磁の肌、キツさと理知的な印象が混在したアクアマリンの瞳。オーレリアが湛える美貌は完成されているけれど、美しくはあっても可愛らしさに欠ける。それは、外見に限った話ではなく。
肩が触れ合いそうなくらいの距離で語り合う、美男美女。膝の上にはノートが置かれているから、編入してきたばかりで授業に苦戦するエレンが、学年首席の頭脳を誇るシエルを頼っているのだろう。勘繰るような光景じゃないのは一目瞭然。だが、甘えるようにシエルに身を寄せ、一途な眼差しで見つめるエレンの想いもまた、明らかで。
憂鬱な吐息をこぼして、オーレリアは窓から視線を逸らした。
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「随分と険しい表情だけど。学園きっての才女をそんな顔にさせる難問がどんなものか、気になるな」
オーレリアに麗しい声がかかったのは、昼休みを東屋で過ごしていた時のこと。教本から顔を上げると、シエルが木製のテーブルを挟んだ向かいに立っていた。背表紙に視線を向けた彼が、わずかに目を瞠る。
オーレリアが読んでいたのは、西の友好国であるサンチェストン王国の公用語――サーレント語の教本。慣れない異国語の文法に躓いていたのは事実だけれど、授業の内容からは外れた分野だ。
「……シエルとの婚約を穏便に解消する方法を検討中なの。紛うことなき難問でしょう?」
不機嫌たっぷりの表情と声音で、オーレリアはそう答えた。うら若き乙女たちの憧れの的であるシエルは、オーレリアにとって幼馴染であり、親同士が定めた婚約者でもあった。
「……どうかな。確かに家の格だけで考えればレンハイム家からの婚約解消は難しく思えるけど。アーガイルとレンハイムは家族ぐるみの仲だからね。友人の愛娘である君が本気で解消を望むなら、父上は円満に進める気がするな。俺との婚約に何か不満があるのかな?」
「心当たりはあるでしょう? 胸に手を当てて考える必要すらないはずよ」
「そう言われても……」
柔らかな金髪に指をうずめるシエルは、弱ったように眉根を寄せる。予想通り婚約者殿は無自覚なようで、オーレリアの声音は自然と冷ややかなものになった。
「最近、エレン様と特別親しいみたいじゃない?」
「特別、は語弊があるな。でも、そうだね。話す機会が多いのは事実かな。君も知っての通りエレン嬢の母君は弟の家庭教師だったから。侯爵夫人にはお世話になったし、編入してきたばかりで学園生活に慣れていない彼女に頼られたら無下にするのは心苦しいよ」
シエルの言い分は真っ当なもの。オーレリアだって理性では理解している。
シエルはただ愛想良く応対しているだけで、下心は微塵もない。誠実な彼が浮気なんてするはずなかった。だが、彼に他意はなくとも相手の女の子は違うのだ。想いを受け入れることがないと理解していても、想いを向けられること自体が面白くないだなんて、オーレリアのわがままだ。せめて、シエルがもう少し距離を置いてくれたらここまでやきもきさせられることはないのだろうけど。それだって、シエルとエレンの仲を勘繰る声が上がっていない以上、オーレリアが狭量なだけなのかもしれない。
眉目秀麗で頭脳明晰な、オーレリアの自慢の婚約者。その類稀なる美貌で異性を魅了する彼に惹かれてしまうのは、オーレリアだって例外じゃない。彼は物心付いた頃からオーレリアにとって世界でただ一人の男の子だった。
キツイ物言いばかりのオーレリアに嫌な顔一つせず、笑顔で向き合って大切にしてくれる彼は、できた婚約者に違いないのだ。
「リアは俺が嫌い?」
「……嫌いじゃないわ」
「俺との婚約を解消して将来一緒になりたい人がいる?」
「いるはずないじゃない。わたし、シエル以外の男性とまともに話した経験すら無いに等しいのよ?」
宰相の息子で王太子の親友であるシエルの婚約者に近づこうとする男子生徒なんて居はしないから、オーレリアが学園で異性と話す機会は限られていた。
「それなら、さっきの発言は本気じゃないって解釈でいいのかな?」
オーレリアだって、本気で婚約を白紙にしたいわけじゃない。ただ、それでこの先シエルの意識が少しでも変わるなら、なんてことを期待しただけ。姑息な手段だ。他の女の子と必要以上に親しくしないで、と素直に訴えれば済む話なのだから。オーレリアを婚約者として気遣ってくれるシエルだから、きちんと伝えれば必ず聞き入れてくれる。
甘えられないばかりか眉間に皺を寄せて可愛くない態度を取ってしまう自分に、辟易としてしまう。彼の隣で無邪気に笑っているエレンの可愛らしさが、羨ましい。子供の頃からの気質を変えるのは、どうしてこんなに難しいのだろうか。
「……サーレント語が難しくて、苛々していたの」
本音はやっぱり伝えられず、出てきた言葉はそれだった。自分でも何を言っているのかしら、と呆れてしまったがシエルはクスリと微笑む。八つ当たりしました、と婚約者から告げられても機嫌を損ねた様子なく優しい笑みを湛えて、
「それなら役に立てそうかな。俺の得意分野だ。よかったら教えるよ?」
そう言って、隣に座る。肩が触れ合い、覗き込んでくる顔の近さに条件反射で頰が熱を持ってしまう。エレンに対するものとは違う、婚約者としての遠慮のない距離感。こんなことで優越感を覚えてしまう余裕のなさに、オーレリアは内心でため息を吐いてしまうのだった。
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「オーレリア様。シエル様との婚約を破棄して彼を解放してください!」
「ええ、と?」
ある日の放課後、オーレリアはエレンによって庭園に呼び出された。池にかかった石橋の上で向かい合ったエレンが発した言葉に、オーレリアはパチパチとまぶたを瞬かせる。
「オーレリア様はシエル様のことなんてどうでもいいのでしょう? 一緒に過ごすお姿なんて滅多に見かけませんし、偶に二人でいらっしゃる時だって冷たい態度じゃないですか! それなのにシエル様に私と過ごす時間を減らすよう求めるだなんて、あんまりです! シエル様は誠実ですから、オーレリア様の束縛に悩みながらも婚約を破棄したくてもできず、困っているんです。オーレリア様からきっぱりと破棄してくださいませ!」
捲し立てられた言葉はオーレリアにとって心外なものだったが、意外な台詞もあった。シエルにエレンとの時間を削って欲しいだなんて、頼んでいない。言いたくても恥ずかしさが勝って言えなかったのだから。
――シエルが、エレン様に何か告げたのかしら?
もしかすると、この間のやり取りでやきもきするオーレリアに気づいたシエルが、慕ってくるエレンを窘めたのかもしれない。何だかんだでオーレリアの心の機微に聡いのがシエルだ。それを、エレンがオーレリアの束縛と勘違いしてしまった、とか。
困惑しながらも、オーレリアは冷静だった。侯爵家の令嬢に相応しい優雅な笑みを浮かべて対応する。
「いくつか誤解があるようだけれど、まず一つ確認しておくわ。シエルがわたしとの婚約破棄を望んでいるというのは、何か根拠があってのことなのかしら?」
「シエル様が私に相談してくださったのです。冷たい婚約者との婚約なんてうんざりだとこぼしておりましたわ」
「あなたはさっきシエルを誠実だと評していたけれど、その話が事実なら婚約者の陰口を叩く残念な紳士になってしまうわ。どちらが正しいシエルの人物像か、学園の誰もが知っているはずよ」
「……っ」
頰に手を当て小首を傾げると、エレンは言葉に詰まって顔を赤くする。彼女の言を、オーレリアはまったく信じていなかった。
婚約者として至らない点が多々あるオーレリアだけれど、シエルからの愛情を疑ったことはない。オーレリアがシエル以外との将来を考えていないように、彼もまた、オーレリアとの未来を見てくれている。積み重ねてきた時間の中で、その自信だけはあった。
エレンのことは可愛らしい令嬢だと羨んでいただけに、心外な言葉の数々は残念だ。ただ、こんな風にシエルを想う令嬢から敵意を向けられるのは、初めてではない。入学したばかりの頃、幾度か経験した。だから冷静に対応できた。
「シエルは学園での生活に慣れないあなたに親切に振る舞ったはずよ。彼の誠意を無駄にして侮辱するような振る舞い、するべきじゃないと思うわ」
「ご自分の非を棚に上げないでください! シエル様のことなんてなんとも思っていないくせに、婚約者の地位だけ欲しいままにするだなんてシエル様に失礼です!」
「その誤解も解いておく必要がありそうね。わたしがシエルを想っていないだなんて、決めつけないでちょうだい」
婚約が決まった時よりもずっと前から、オーレリアはシエルだけを見つめてきたのだ。もちろん、外野から見て仲睦まじい婚約者に映らないのはオーレリアが素直に甘えられないからで。そこはオーレリアの非だけれど、シエル本人以外から文句を言われる筋合いはないはずだった。
「でしたら、オーレリア様はシエル様の好きなところを挙げられますか?」
「え」
会話の流れが予想外の方向に向いて、オーレリアは旗色を悪くした。
「本当にオーレリア様がシエル様を想っていらっしゃるなら、そのくらい思いつくはずです。速やかに三つ、シエル様のどこを愛しているのか、述べてくださいませ」
シエルの好きなところなんていくらでも思いつく。際立った容貌はもちろん、可愛げのない発言を許してくれるおおらかさ、素直じゃないオーレリアの心中を彼なりに推し量り、歩み寄ろうとしてくれる気遣い。簡単に思い浮かぶけれど、そのどれもが言葉にするのは恥ずかし過ぎた。
真っ赤になったオーレリアがあ、とかうぅ、とか吃っていると、エレンはやっぱり、という顔になる。勝ち誇った顔で彼女が一歩を踏み出すと、小柄な体躯がふらりとよろけた。石造りの橋にできた小さな溝に、ヒールが嵌まってしまったのだ。
きゃ、と小さな悲鳴を上げたエレンの身体が傾いた先には、何もない。陽射しを反射してきらきらと輝く水面があるだけ。咄嗟に、オーレリアは彼女の泳いだ腕を掴んで力いっぱい引っ張った。その甲斐あってエレンは橋の上に転んだだけで済んだ――が、オーレリアは踏み留まれなかった。
身体が浮遊感に包まれたと思った時には、悲鳴を上げる暇さえなく澄み切った水の中に落ちていた。冷たい水が身体にまとわりつく。さほど深い池ではない。だが、足が付かない恐怖に襲われて、頭の中は一瞬でパニックになった。反射的にもがいてしまったのが最悪で、身体が一気に沈む。水の中で身体に力を入れれば簡単に沈むことなんて、知識としてあるのに。いざその状況になれば冷静な対処なんてできなかった。口と鼻から水が流れ込んできて、苦しさが押し寄せてくる。息ができない。
リア、と。自分を呼ぶ声が遠くで聞こえた気がした時、強い力で身体を引き上げられた。浮上したオーレリアは盛大にむせる。何度も咳き込み、次第に呼吸が落ち着いていくと、沈まないように抱きかかえてくれている誰かの存在に気づく。涙でぼやける視界が焦点を結ぶと、想像通りの人――シエルが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
目が合うと、彼はほっとしたように息を吐き出し、慎重に手足を動かして岸辺へと寄った。騒ぎを聞きつけて集まってきた生徒たちが二人を引き上げてくれる。
「もう大丈夫だよ。怪我は?」
オーレリアが力なく首を横に振ると、シエルは一瞬だけ表情を緩めたが、すぐに厳しい面持ちで、
「エレン嬢」
立ち尽くしているエレンを振り仰いだ。その声の冷たさは、混乱していたオーレリアを一気に落ち着かせ――一部始終に息を呑んでいたエレンの顔を、青褪めさせた。
「これは一体どういう状況なのか、説明してくれるかい? 内容次第では今後学園で君の居場所がなくなると思ってくれていいよ」
王子様然とした微笑みはどこにもなく、秀麗な顔に滲むのは強い憤りだ。
「編入してから二週間足らずで退学にでもなったら、侯爵家の名誉にさぞ傷がつくことだろうね」
物騒なことをさらっと言ってのけるシエルの冷たい眼差しは、エレンにとって想像もしていなかった彼の一面だろう。愛らしい顔からはすっかり血の気が引いている。好奇心丸出しで遠巻きに眺めている生徒たちの中で、エレンを庇う者はいない。誰だって、筆頭公爵家の長男から不興を買いたくはないのだ。
可憐な唇をぱくぱくとさせ、声を発せずにいるエレンを見兼ねて、オーレリアは口を挟む。
「誤解よ、シエル。わたしが一人で足を滑らせたの。エレン様に非はないわ」
「……彼女の顔色を見るに、そういうわけでもなさそうだけど?」
言葉を失くして震えるエレンをちらりと窺うシエル。彼女の様子は後ろ暗いところがあります、と告げているようなもの。だが、池に落ちたこと自体は事故に近く、本当にエレンが悪いわけではない。
「無言は肯定の証なの! それが淑女の嗜みなんだから」
「……そんな嗜み、聞いたことないけど」
ぼそりと呟くシエルは疑わしげな眼差しをエレンに注いでいたが、大事にしないで欲しいというオーレリアの視線に折れたのか、それ以上追及することはしなかった。
◆◆◆◇◆◇◆◆◆
「お人好し」
男女共有の談話室で待ち合わせる約束を交わしてから、互いに寮でシャワーを浴びてぐっしょりと濡れた制服を着替え――オーレリアが長椅子に腰掛けて待っていると、後から来たシエルが開口一番にそう言った。広い部屋には、二人以外に生徒の姿はない。
不満げな顔のシエルの手には、マグカップが二つ。その内の一つを受け取ると、湯気を立てているのはホットチョコレートだった。長袖では汗ばむ季節とはいえ、池に落ちて冷えた身体には心地よい温かさ。
「……真っ青になったエレン様のお顔を見れば、誰だって庇いたくなるはずよ。可愛らしい方だもの」
「君以外に誰も庇わなかったけど」
「シエルの容赦のなさをみんな知っているからよ」
シエルの愛想の良さはあくまで対象が無害な人物であれば、だ。
入学して間もない頃、シエルとの仲を妬んでオーレリアに嫌がらせをしてきた令嬢が三人いた。オーレリアが窘めてもシエルが注意しても態度を改めなかった彼女たちは、例外なく学園を去ることになった。シエルがあの手この手で根回しした結果だ。それ以来、オーレリアに表立って敵意を剥き出しにする女子生徒はいない。シエルの容赦のなさを知っているからだ。エレンは編入してきたばかりだったから、例に漏れず、とはいかなかったみたいだけれど。
「怪我なく済んでよかったけど……原因はたぶん、俺にあるよね。ごめん、反省してる」
「そういえば、エレン様はわたしがシエルを束縛していると思っていたみたいだけれど、心当たりはある?」
「んー。婚約者に誤解されたくないから、俺以外の生徒も頼れるよう交友関係を広げて欲しい、みたいなことは言ったかな」
「それであの発言が出てくるエレン様の思考回路に問題があるわ……」
苦笑いしながら、ホットチョコレートに口をつける。どろりとした甘みで先程の苦い出来事はとろけていき、大したことではない気がしてくる。
シエルは自分に落ち度があると考えているみたいだが、本を正せばオーレリアが素直に好意を示せていないことが悪いのだ。エレンがオーレリアに愛がない、なんて誤解をしたことが事の発端なのだから。
済んだことはもういいわ、と思うオーレリアに対して隣に座るシエルの顔色はまだ晴れない様子。珍しく気落ちしている幼馴染に、ふと悪戯心が芽生えてきた。
「ねぇシエル。シエルはわたしのいいところを三つ、思いつくかしら? 答えてくれるなら池に落ちて溺れかけたことなんて忘れられそうだわ」
好きなところ、とは流石に言えずに言い回しを変えて尋ねてみた。揶揄うだけではなく、考えている間に気分も切り替わるのではないかという、きちんとした思惑もあったのだけれど――青みがかった紫の瞳をきょとん、と瞬かせたシエルは、
「え? そうだな……。一途なところ、情が深いところ、努力家なところ、芯が強いところ――」
「待って、もういいわ! 充分よ!」
間を置かずにぽんぽん飛び出してくるので、オーレリアは慌ててシエルの口を塞ごうとする。しかし、左手を素早く掴まれ、試みは叶わなかった。シエルが双眸を細めて悪戯っぽく微笑んだ。
「あぁ、それから一番肝心なトコ。リアはいつも毅然としていて綺麗だけど、妬いてる時の、どうしていいかわからなくなってる困り顔は特に可愛い」
「……っ、もう! 面と向かって可愛いなんて言わないでって昔から言ってるじゃない!」
「だからいつもは控えてるだろ?」
揶揄うつもりがやり返されて、オーレリアは真っ赤になった。
「でも妬いてくれるリアが可愛いからってエレン嬢に親身になったのは間違いだったな。リアへの悪意で返されるとは思ってもいなかった」
「……今、なんて?」
「エレン嬢に親切に振る舞ったのは妬くリアが見たくて――」
とんでもない自白だった。
「あなた、故意だったのね!? 家庭教師の件は嘘だったのっ? ……あ、だからいつになく気にしているのね!?」
「弟の件もあったけど一番の動機はリア、かな。本当にごめん。反省してます」
「……やっぱり婚約は考え直すべきかもしれないわ……」
婚約者の厄介さを改めて思い知ったオーレリアが頭を抱えると。不穏な単語にもシエルの余裕は崩れることなく、自信たっぷりな不敵な笑みが返ってきた。
「よく言うよ。婚約解消なんてまったく考えていないくせに。この前のサーレント語の自習だって、将来俺が外交を任された時に社交場で困らないための事前準備だろう?」
「……っ」
何から何まで看破されていて、オーレリアはぷるぷると震えることしかできない。
「リアのそういう真面目なところ、昔から好きだよ」
向けられる微笑みは、令嬢たちがのぼせるきらきらしたものとは異なる――屈託がなくて、意地悪な男の子の笑顔だった。
「……シエルの何もかも見透かしているのに気づいていない振りをして楽しんでいるところ、昔から好きじゃないわ」
精いっぱいの悪態を吐いても、シエルは可笑そうに笑みをこぼすだけ。いつだって振り回されるしかないのが悔しくて、オーレリアはそっぽを向いた。
「今度他の令嬢にいい顔をしたら、解消は前向きに検討するんだから」
「……肝に銘じておくよ」