『4』
「~~~ッ!!ぬぁにぃが、『卑劣な手段を用いて、アイツの身も心も堕としつくす』なんだ、この馬鹿が!!……そんな事をすれば、爺さんの代から公務員を輩出し続けてきた我が一族の恥さらしとして、世間の物笑いの種になってしまうだろう!!いい加減にしなさい!……そんなやり方で、凌辱に見せかけた純愛関係を結ぼうとするなど、お前は薄汚い"山賊”にでもなるつもりか!?」
凄まじい親父の剣幕。
だが、それを前にしているにも関わらず――すでに覚悟が決まっているのか、俺はこの場に不釣り合いな澄み渡るような気持ちでその言葉に答えていた。
「“山賊”、か。案外それも良いかもな。……薄汚かろうがなんだろうが、このまま誰かにむざむざ奪われるくらいなら、俺がどんな手段を使ってでもアイツの何もかも全てを奪ってみせるさ……!!」
「な、なんだと~~~……!!」
俺の発言を受けて、ワナワナと震えていた親父だったが、すぐに壁に立てかけてあったご自慢の木刀を手に取る。
この木刀は親父が、『修学旅行で京都に行ったときに、友達と一緒に記念に購入したもの』という何の面白みもないエピソードに満ちた代物なのだが、本人にとっては学生時代の数少ないはっちゃけた楽しい思い出だったのか、その時の事を嬉しそうに話しながらコレを眺めるのが日課だった。
そのこれまでずっと飾られているだけの木刀を両手で握りしめながら――実の息子である俺を睨みつけた状態で、親父が構える。
「……我が公務員の一族から、恥さらしを出すわけにはいかん!!厳格さに満ちたこの公明正大な公序良俗の一撃を受けて改心しろ!!――哲也ァッ!!」
そう叫ぶや否や、親父が俺から見て左側へと勢いよく踏み込んでくる――!!
放たれた木刀の一撃。
親父が運動不足の中年とはいえ、モノがモノである以上、当たれば強烈な痛みがあるのは確実。
今ならまだ、パルクールで鍛えた俺の身体能力と条件反射なら如何様にでも回避は出来る。
だが、俺は一切避ける素振りも見せずに、木刀が迫ってくる場所を左手でガードしていた。
痛烈な音が、室内に響き渡る。
よほど実力行使をすることに慣れていなかったのか、親父が呆気に取られた表情をしながらも、木刀から手を放してその場にへたれ込む。
そんな親父に対して、俺は何を言うでもするでもなくジッ……と眼下の親父を見つめる。
ことあるごとに、公務員である事を強調して俺へと過度な期待やら重圧を押しつけてきた親父。
そういうものから少しでも自由になりたくて、反抗心とともに始めたのが自在に街中を駆け巡るパルクールという競技だった。
現実からの逃避のために始めたパルクールと、幼馴染みを完堕ちさせるために必要と判断した卑劣さ。
それらを身に着けたはずの俺が、回避でも小細工をするでもなく、親父からの一撃を馬鹿正直に受けたのは自分でも意外というほかなかった。
やはりどれだけ煩わしく思っていても、俺が根底ではこの堅物で不器用な親父の血を引いているという証なのかもしれない。
その事実を前に、何故かおかしくなって思わず吹き出しそうになるが、それと同時に今の段階からこんな正々堂々とした有様で、いざ凛音を前にした時に卑劣な手段に走る事が出来るのか?という不安が湧き上がってくる。
……だが、どれほど思案したところで、ここまで両親を巻き込んだ以上、今さらやめるわけにはいかない。
そんな自身の行為の重みを刻みつけるかの如く、左手がズキリ、と痛み始める。
空いた右手でそこを抑えてると、それを見た親父が虚ろな表情をしながら力なくうなされたような口ぶりで何かを呟く。
「……俺は悪くない。息子の愚行を止めるため、家庭を守るため、世間様にご迷惑をおかけしないためにやむなくこうするしかなかったんだ……だから、俺は悪くないんだ……!!」
俺の姿を見て、ようやく自身が何をしたのかを理解したのか、言葉とは裏腹に憔悴しきった表情をアリアリと浮かべていた。
そんな状況を前にこれ以上何をしたら良いのかも分からず、痛む左手を押さえていた――そのときだった。
「哲也……どんな事があったとしても、アンタは私達の大切な息子よ。――それだけは、何があっても忘れないでちょうだい……!!」
泣きはらした顔で、母さんが俺へと語り掛けてくる。
……それは暗に、これから俺がする事を黙認するという悲壮な覚悟の表明。
俺一人を悪人扱いするのではなく、家族としてともに罪を背負おうとする母さんの想いを受けて、一瞬だがズキリ、と胸が痛んだ。
――引き返すなら、今しかないのかもしれない。
だがそれでも俺は、自身の内から湧き上がる猛々しい衝動を、これ以上抑えつける事など出来そうになかった。
呆然自失としている親父と泣き続ける母さん。
ここまで育ててきてくれた二人に背を向けながら、俺は一度だけ二人へと振り返る。
「心配しなくても俺が帰る場所は、二人が待つこの家だけだ。――だけど、もしも今日俺が凛音を連れてこの家に戻ってきたときは、作り置きのカレーだけ残してから、月曜日まで二人でどこか適当な安ホテルにでも泊ってくれると助かる」
「掃除とかはキチンと済ませておくから」と告げてから、今度こそ部屋を出ていく俺。
背後からは「哲也……!!」という母さんの悲痛な叫びと、「……いい加減にしろ!!この親不孝者!」という覇気を取り戻した様子の親父の怒鳴り声が聞こえてくる。
――これで僅かなりとも母さんを安堵させ、親父を失意の底から立ち直らせる事が出来たに違いない。
……だがそのために、当初の予定だった
『なし崩し的に突然凛音を家に連れてきて、両親が事態を把握しきれてないうちに言いくるめて、二人に月曜日までどこかで宿泊してもらう』
という作戦が使えなくなってしまった。
実の両親とはいえ、凛音を完堕ちさせる事を馬鹿正直に打ち明けてしまうとは……己の甘さ加減を自覚して思わず、口の端から苦笑が漏れる。
だが、自嘲してばかりもいられない。
なぜならこのままだと、自宅を使用する事で浮くはずだったホテル代を、自腹で捻出する必要が出てくるからだ。
一抹の感傷から一転、当初の計画を軌道修正する必要を感じながら俺は、これから出かけるための準備と凛音を完堕ちさせるための卑劣な策を張り巡らせていく――。