『1』
タッ、タッ、タッ、と地を踏み鳴らしながら、軽やかに疾走する。
昼休みの体育館裏。
皆が思い思いのスタイルで昼食時間を過ごしているが、この俺、荒木 哲也には、それよりも先にこなさなければならない事があった。
走っている俺が見据える先には、広げた弁当に手をつけずにこちらを見つ返す二人の男子生徒の姿があった。
彼等に向かって一瞬だけ頷くと、俺は勢いよく校舎の壁に向かって右足から跳躍していく。
足元で踏みしめる壁の硬質な感触とは対照的に、跳躍によって俺の身体は確かな浮遊感と高揚感に包まれる。
無論それも一瞬のことであり、このままではすぐさま重力に引き寄せられる事になるが、俺はそんな事お構いなしにすぐさま左足だけを地面に着地させる。
こうして無様に落下する事態を避ける事に成功した俺は、地を踏みしめた反動を利用して、先程と同様に右足から校舎の壁へと跳躍する。
右足での跳躍と左足での着地。
壁と地面を交互に移動するこの進行方法によって、俺は躍動感あふれる動きの演出と、それを支える確かな安定性の獲得を両立する事が可能となっていた。
現に、そんな俺の疾走を前にして、友人である五十谷狸吉と狐塚 紺染はただひたすらに圧倒されていた。
「こ、これが、本格的なパルクール……!!毎度のことながら、攻守ともに優れた疾走と跳躍を前に、隙というものが一切見当たらないぜ~~~~~~~~~~~~ッ!?」
「マジかよ!?校舎裏なんていう限られたスペースと昼休みという僅かな制限時間にも関わらず、天地を我がものとするかの如き蹂躙劇を繰り広げやがって……!!――今の俺達には、この光景をただ黙って傍観するしかないってのか!?」
驚愕の声を上げ続ける二人だが、そうしている間にも着実に俺とコイツ等の距離は近づいていく。
――悪いが、俺は例え友人であっても一切容赦はしない。
そんな決意とともに、俺はここまで全く使用してこなかった両腕を大きく掲げる――!!
俺の両手の中にそれぞれ握られた存在。
それは、二つの"温泉玉子”だった。
奴等の眼前まで肉薄した俺は、すぐさま右手と左手を自身の胸の前で交差させると、そのまま勢い良く二つの玉子同士をぶつけ合わせる――!!
「「うわーーーっ!!」」
殻の破片やこぼれた白身の一部が自分達に降りかかってきた事に、絶叫を上げる狸吉と紺染。
……そのような状況下でも、白飯が入った弁当箱を落としたりしなかったのは、『まだ俺に対する友情や信頼とやらが残っているから』と考えてしまうのは、我ながら自惚れが過ぎるだろうか。
一瞬自身の内から湧き出た迷いを打ち消すかのように――あるいは、コイツ等の想いに応えたいという僅かな良心が残っていたのか、俺の手の中で弾けた二つの温泉玉子は、それぞれ二人の白米弁当の上に寸分たがえることなくプルン、と落ちていく。
「あ、あぁ……」
「嘘だろ……」
うわごとのように呟き続ける狸吉と紺染にさらなる追い打ちをかけるかの如く、俺はポケットから取り出した温泉玉子用のつゆを二つ取り出し、素早く切り口を開いて二人の温泉玉子弁当へと注いでいく――。
「や、やめてくれ~~~~~~~~~~ッ!!こんなプルプル♡絶品温泉玉子を乗っけられたりなんかしたら、母ちゃんが朝早くから作ってくれた他のおかずを食う暇もなく、白飯が全部なくなっちまうよ!!」
「あれだけの激しい疾走!跳躍!着地!に曝されながらも、途中で玉子を割ることなく俺達のもとまで運びきる確かな体捌きと、それによって織りなされる絶妙な調和のハーモニー!!お、御見それ致した!――御見それ、致した~~~~~~~~~~ッッ!!!!」
そのように叫びながら、涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、盛大に温泉玉子と白米をかき込むようにして喰らい尽くしていく――。
……知り合ったきっかけは、些細なものだったかもしれない。
だがそれでも俺は、毎日こういう目に遭わされるのが分かっていながら、俺のパルクールの修行に付き合ってくれるコイツ等の事が嫌いじゃなかった。
そのような感傷にふけっていた――まさに、そのときだった。
「コラッ!哲也!!――アンタ、また昼食も食べずにパルクールの特訓ばっかしてたでしょ!?」
背後から聞きなれた騒がしい声が聞こえてくる。
振り返った先にいたのは、クラスメイトの女子であり――それ以上に長年の腐れ縁のいわゆる"幼馴染み”である左部間 凛音だった。