6.
(※ローマン視点)
「ただいま」
僕は、家に帰ってきた。
「おかえりなさい」
クリスタが、僕を笑顔で出迎えてくれた。
彼女には、特に変わった様子はない。
宿屋のロゴがあるマッチの箱を、既に持っているとは思えなかった。
……いや、しかし、わざといつも通りに接して、僕が自発的に打ち明けるのを、待っているのかもしれない。
だめだ、どうも、疑心暗鬼になってしまっているようだ。
マッチの箱は、僕が外にいる時に、どこかで落とした。
そう結論づけたではないか。
だから、堂々としていればいいんだ。
秘密を打ち明けるタイムリミットが今日でも、そんなことは、気にする必要はない。
バレていないのに、わざわざ打ち明けるなんて馬鹿げている。
墓穴を掘って後悔するのなんて、御免だった。
僕は、このまま浮気のことを黙ったまま、明日を迎えるつもりだ。
しかし、本当にそれでいいのか?
黙っていると結論付けても、どうしても、考えてしまう。
昨日の新聞記事では、浮気のいざこざが原因で、殺傷事件にまで発展したと書かれていた。
もし、彼女がマッチの箱を既に持っていて、浮気のことに気付いているとしたら……。
もしそうなら、このまま黙っていたら、どうなる?
日付が変わった瞬間に、今まで我慢して待っていた彼女の怒りが、爆発するのではないか?
そうなれば、僕もあの新聞記事に載っていた被害者のように、刃物で刺されるのではないか?
お、落ち着くんだ……、とりあえず、煙草でも吸おう。
僕はソファに座って、煙草を吸い始めた。
とりあえず、しばらく様子を見よう。
日付が変わるまで、あと一時間だ。
まだ、猶予はある。
「はい、ココア入れたわよ」
クリスタが机の上にカップを二つ置いて、僕のすぐ横に座った。
「ありがとう……」
そう言った僕の声は少しだけ、震えていたかもしれない。
僕たちが寝室に入るのが、だいたい十二時を少し過ぎてからだ。
そして、その一時間前くらいに、こうしてココアを飲むのがいつもの習慣だった。
僕は、ココアが入っているカップを手にした。
液体の表面には、小さな波が立っている。
机から取った際に揺れたのか、あるいは、カップを持っている僕の手が震えているせいなのか……、それはわからない。
ココアの香り、そして、口に入れた時のほのかな甘さで、少しはリラックスできた。
いつもなら、眠気に襲われる時間帯だが、時計を見ていると、眠気など消し飛んでいた。
時間が経つたびに、緊張が高まる。
心は、不安に支配されていた。
ココアを飲みながら、くりすたとは他愛のない会話をした。
段々と、タイムリミットが迫ってくる。
僕は正直に、浮気をしていたことを打ち明けるべきか?
いや、だめだ!
黙っている方が得策だと、そう結論づけたではないか。
そうだ、彼女が気付いているはずがない。
僕は、普段通りにしていればいいんだ。
「ローマン、どうしたの? さっきから、ずっと時計を気にしているわね」
クリスタが、僕の顔を覗き込むようにしながら言った。
「あ……、いや、なんでもない……。ただ、そろそろ日付が変わるころだな、と思っただけだよ」
僕は、動揺を表に出さないように注意しながら答えた。
たぶん、普段通りにできているはずだ。
あと三分で、日付が変わる。
「ええ、そうね。もう少しで、日付が変わるわ」
彼女はそう言うと、ココアを一口飲んだ。
何か、彼女からただならぬ圧を感じる気がする。
まるで、浮気のことを打ち明けるなら、今のうちだぞ、とでも言われているみたいだ。
いや、それはきっと、僕の気のせいだ。
クリスタはいつも通りなのに、疑心暗鬼になっているせいで、そう感じてしまうだけだ。
そうに、決まっている……。
気付けば僕は、秒針の動きをじっと追っていた。
あの針が重なれば、日付が変わってしまう。
僕は、結論づけたんだ。
自ら墓穴を掘るような真似はしない。
彼女は絶対に、気付いていないはずだ。
僕は、つばを飲み込んだ。
時計の針が、重なった。
日付が、変わったのだ。
僕は、気持ちを落ち着かせるため、ココアを一口飲んだ。
「日付が、変わったわね」
クリスタはそう言うと、机の上に、何かを置いた。