第2幕 仕事終わりからのホラー映画鑑賞
朝返事を返すのを忘れていたので電車内で吊革を握って立ちながら、片手でスマホを操作する。一目惚れした猫のスタンプでおはようと挨拶を返すとすぐに既読の文字が出たと思ったら最近新たに納緒が旦那と呼んでいるアニメのキャラクターのスタンプでおはようと返ってくる。
「あはは、今期のアニメキャラだな」
私は笑いながら、納緒とラインである程度雑談を始めた。
ドラマや小説、アニメというジャンルに浸かったオタク生活を送っている私はある日、仕事帰りの飲み会の時に偶然その酒場で働いていた古賀美緒という同年代くらいの女子と出会った。
彼女もかなりのオタクだ。私の仕事場をブラック企業だと言ったのは彼女である。
どんな感じで彼女と仲良くなったのかと言うと私が酒で酔いつぶれて愚痴をこぼしていたのがきっかけで最初の頃は厄介なお客様と言っていたが、後からいろいろ面白い人だと思ったらしい。
彼女はどんな愚痴もちゃんと聞いてくれる良い人だ……腐女子だけど。
ポロン。
「お……」
美緒から仕事終わりに今期のアニメのカップリングについて語ろうと返事が返って来た。
駅の中だから、あまり多くの独り言をつぶやくのは変人扱いされかねないので、最小限に心がけながら無言で美緒に返信した。
『今期のアニメ、美緒はどれ見てるの?』
『カーストスクール! ダークファンタジー物ね! 志保は?』
『うーん、こころカラット、愛称でここカラってアニメも結構面白いからおすすめだね。乙女ゲーソシャゲアニメの栄養は美味しいよ。支部の方で数多の二次創作BLが多少あったかと思われます』
『りょ、すぐ見るわ』
お、やっぱり食いついた。私はマナーを守ってくれるなら腐女子の人々でもなかろうとファンだと思っているので特に咎めたり言ったりするつもりはない。私とかは、どちらかと言うとライトオタクになるからヘビーオタクである彼女の話は結構聞いていて面白いから、勉強になる。
『今季の志保のNL推しカップリングは?』
うーん、アニメだけしか見てないからまだなんともとしか言えないなぁ。
ふふ、と思わず笑いながらスマホをタップして美緒に返信する。
『うーん、そうだなぁ……まだ全部のアニメは把握はまだできてなくて』
『そっか、じゃあ夜予定空いてたら議論しよ!』
『わかった』
そこで一旦、彼女からの返信は来なくなった。
私もこれから仕事だし、気を使ってくれたのだろう。アナウンスが鳴り、大渋滞の人の波の中を乗り越えて電車の扉の向こう側へとなんとか辿り着いて溜息を吐く。
駅のホームの涼しい風が、春の暖かさを感じさせた。
「ああ、結構はやめに来たつもりだったのにこの大渋滞……都会だからだよねえ、ああ昔に住んでた田舎が恋しいわぁ」
故郷へ思いを馳せても今の現状もしかしたらそろそろ急がなくてはならない時間になるかもしれないため、数秒で済ませる。スマホでかざして改札を出て、東京駅を降りる。
少し速足気味を意識しながら歩道を歩く。たくさんのビル群に囲まれているここ東京は、いつも都会と言われるにふさわしい場所だなとしみじみ思う。また、たくさんの県から来ている社会人が多いのもきっとここなのだろう……まあ、それも私の憶測だが。
これから向かう先は、今働いている株式会社、縁理だ。
東京駅から数キロ離れているとはいえ新人だった時からずっと働いている場所でもあるからすぐにわかる。最初の頃はどういう意味の会社なのだろうと不安になったが、今ではもう慣れためあまり気にしていない。そんな会社へと向かう途中にあからさまに怪しい人物が歩道の上に構えている。
怪しげなローブを身に纏って少し華奢のように見えるあからさまにえせ占い師みたいな感じの雰囲気を醸し出している。
「ちょっと、そこの貴方。貴方」
「はい? なんでしょう」
「渡部とかくけれど、読みはわたりべ、そして名前は志保さん……当たっているかしら?」
「え? なんでわかったんですか!?」
「あら、そう。私の占いは今日も冴えているようね」
いきなり自分へ名指しされて、驚きを隠せない。
こんな路地のところに居座られたら他の店も迷惑だろうに、ふてぶてしくエセ占い師がおほほと高笑いする。どうして私の名前が『わたなべ』じゃなくて、『わたりべ』って一発で見抜いたんだろう。もしかして私の知り合いの誰かなのだろうか、そうじゃなきゃ私の名字は普通はわたなべって呼ぶのに。
しかもこの占い師顔は深くローブを被っているせいでわからないが声からして女性のようだ。
「貴方、きっと素敵な出会いがありますよ」
「出会い、ですか?」
志保は僅かに見える占い師の口元を見て、信じていいんだろうかと疑った。
「なんか漫画とかアニメとかで使い古されたようなセリフを吐く占い師だな、もしかして占い師を装った偽者か?」と疑った。間違いなく本職でやってる人って雰囲気じゃないし、もしやるなら雑居ビルなどや本当の占い師専用の店にいるはずだ。
出会いを求めているのは美緒の方だけれどどうして私を呼び止めたのだろう、そこがむしろ気になる。
「そう、それも普通ならあり得ないような出会い、逢瀬が貴方にもたらされることでしょう」
「逢瀬、ねぇ……それ、本心で言ってます?」
「ええ、もちろん。わたしの占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦だけれどきっといい人よ……今まで出会った人の誰よりも、ね」
今まで出会った誰よりもとは……この人は、いったいどういう意味で言っているんだろう。私の周りでいい人は限られているけれど、決して少ないわけでも多いわけでもない。
怪しさ満載だが……心読めるっていうか読心術でも持ってるのだろうか、この人は。
さりげなく自分の思ったことを読まれているような感覚を抱きながらも志保は占い師の言葉を聞きたくなった。ただ、テレビの占いコーナーを見て今日一日の運勢を聞く時の気持ちのようなそんな気まぐれでしかない。会社に向かう時間を割いてまでというつもりではない、結局はそうなっているような気がするが気になるものは気になるのだ。
「まあ、それが男なのか女なのかは出会ってからわかると思うわ、薔薇でも百合でも貴方の友人なら大喜びでしょうね」
「あの、どうして私の交友関係を知ってるんですか。貴方、それ以上言うと訴えますよ」
「あら、当たっていたのね? 冗談だったのに」
「じょうだ、あー……っ!」
「あら、本当に当たっていたようね? 騙される方が悪いとはこのことを言うのかしら」
頬に手を当てて、にやにやと笑う占い師の顔が非常に憎たらしかった。
「そうですね、乗せられる方が悪いですよね!! わかってます!!」
「貴方の過去には暗いなにかでもあったのかしら?」
「ストップ! ザ・ストップ! それ以上は本当に訴えますからね!?」
「ふふふ、面白い子ね? 小さい頃からよく騙されることが多かったんじゃないかしら?」
「いえ、そんなことはありません」
「あら、面白くない子」
「面白くない子で結構です、こっちはそんなの気にしてる場合じゃないんで」
首を傾げる占い師に自分の内部事情を探り当てられてしまいそうになったので待ったをかける。
不思議そうに視線をこちらに向けた後ニヤリと笑った占い師は最後にこう続けた。
「わかったわ、でも今まで一度も出会ったことのないような人物なのは間違いないはずよ」
「それ私の友人が聞いたら絶対喜ぶと思うんですけど、なんで私なんですか?」
「貴方が掴み取ったものだからよ、ちなみに今日のラッキーアイテムはピンクのタオルケットね」
「へぇー……それはどうも、ありがとうございます」
頭を下げずお礼を言いすぐにその場から立ち去った。
気まぐれ程度に聞いたけれど、特に役立つことはないだろう。
最後に言った占い師の言葉を聞かず、志保は会社へと向かった。何度目の春だろう、そう思いながら涼しい風の息吹を感じながら進めば進むほど髪が靡く。今は4月、新入社員が入ってくる頃合いだろう。新しい出会いもあれば別れもある季節、そんな季節にあんな出会い方をするだなんて私でさえ予想していなかった。いや、予想できるはずもなかった。
だってその出会いは、あまりにも非現実的な出会いだったのだから。
◇ ◇ ◇
そして、仕事の定時が着て帰る時のこと。ここの仕事を務めて数年、やっと仕事に慣れてきたと思う。
縁理、ここで働く人々は優しい人もいれば厳しい人もいる。口下手な上司も、気配り上手な先輩も、トラブルメーカーの後輩がいるこの会社は止めたくなった時期はあった。
だがそれでもここで働こうと努力するのは笑ってくれるお客様がいてくれたからこうしていられる。
「お疲れ様、渡部さん」
「はい、お疲れ様です。坂口先輩」
自分より三つ年上である坂口涼太郎先輩は、基本は普段優しい先輩だ。いつも彼のイケメンボイスは仕事場の女性陣は皆心を撃ち抜かれている。私も撃ち抜かれてしまった一人で、先輩がこういう仕事場よりもアイドルとか声優に向いてるんじゃないかと常日頃思う。
だが、困ったことに彼は部下や同僚に対して困った癖がある。
「今日早いんだね、そろそろ僕も終わるんだけど……どう? 飲みに行く?」
「それは、止めておきます。今日はやく家に帰って寝たいので」
「そっか、残念だ。またの機会に期待するよ」
「すみません……」
「気にしないで。暇な時でいいし、もし愚痴が言いたくなったらいつでも言っていいよ、相談に乗るから」
「は、はい」
頑張ったご褒美としてハヤシライスの予定だから、わざと坂口先輩の誘いを素直に断る。
ははは、っと優しい笑みで笑う坂口先輩の恐ろしい所はさりげなく人の好感度を上げてこようとするところだ。お誘いは嬉しい、二十歳は過ぎたし上司から勧められた時など飲めるように自分なりに工夫した結果、酒は缶ビール二杯ぐらい飲めるようになったが、嬉しい経験ではないのも事実だ。
だがカレーとお酒は相性いいのだろうか、ふと思ってしまった考えを首を何度も横に振って捨てる。
「どうかしたの?」
自分の行動に疑問を感じた先輩は、瞬きするだけでもかわいい小動物のように見える。
こてんと首を少しかしげるなんて、二次元じゃなかろうが美人じゃなきゃ絶対に許されない仕草だ。
「いいえ、なにも! これはちょっと考え事と言いますか……」
ギロ、と痛い女性陣の視線が私の体に突き刺さっているのを感じたので、なんとかごまかす理由を脳内で探したが、咄嗟にはうまく出てこなかった。
「ああ、今日は渡部さんの見損ねた映画の再放送がやるんだったよね」
「え、えっと……そんな感じです」
「じゃあ、家に帰ったらすぐにしないとね」
「あ、あははー……」
坂口先輩、他の女子の視線を感じ取ってくれたのか、やんわりと私がオタクだと公言せずに言ってくれた、優しー! ドラマなら、他の女性陣にもオタクだとかって言われたりすることは少ないだろうし。
ありがとう、坂口先輩……!! 心の中で、軍服を着た私は彼に敬礼するのであった。
「あ、ワタナベ先輩、もう帰るんですかー?」
ふふふ、と二人で穏やかな―一人、冷や汗だらだらだが―会話をしている中に一人の青年が会話に混ざる。
「あ、東条くん。私もう定時だから、上がるねー?」
大量の書類を運んでいる茶髪の青年は先輩デスクの近くで立っていている。
彼は東条皐くん、目付きが悪いが私の可愛い後輩で去年から入った社員である。昨日の徹夜になった原因の一人でもあり、最初は許さないつもりだったが仕事が終わった後にシップをくれたのでその場で許したのは秘密だ。
「そんなぁ、先輩にやってほしいことがこんなにあるのにぃー!」
「故に断る、自分でやりなさーい? 先輩命令よ」
「もう、先輩のいじわるぅ!! ちょっとくらいいいじゃないっすかぁ!」
「だって昨日お手伝いしたでしょー? 困ったときは頼っていいけどそうじゃない時はできる限り自分でこなさなきゃね」
「うわー手厳しいっす! ワタナベ先輩……!」
「東上くん、昨日で渡部さんも疲れてるだろうし、あんまり頼りすぎるのもいけないよ?」
「あ、坂口先輩……すんません!」
お、これはいい流れか?
「じゃあ、私帰りますね。先輩も仕事がんばってください」
「それはありがとう、本当にお疲れ様。帰りの道中気をつけてね?」
「はい、ありがとうございます」
片手にバックを持って、坂口先輩に頭を下げてから仕事部屋から出る。
階段を下りて階段の窓に見える外はもう暗く、雲に隠れながら銀色の月が眩しい光を放っていた。今日は昨日ほど疲れなかった、まあ昨日の残業手当出て出してもらえたら嬉しいけど……どうなんだろ、まあいっか。スーパーによってちょっとおやつを買って家に帰ろう、うん、そうしよう。
そう思った時ピピピピッと鞄の中にある携帯のアラームが鳴る。美緒からの電話だった。
スマホの画面に出ている通話ボタンをスライドさせて耳に当てる。
「もしもし?」
『ああ~! 志保ぉ? 元気? 今仕事終わったとこぉ! 今日もぉ疲れたよぉ!! もう明日ずっと寝る!』
「私も終わったよ、でさ、確か美緒が言ってたアニメって確かなんだっけ? 最近、推してるって奴」
『えー? カーストスクールだよ? 現代異能力物で少年漫画原作! あ、アニメもう見た? ここカラもアニメ化してるからそっちも見てね! 後、志保が言ってたレイゾイも見てみるからー!』
カーストスクール……予約していたアニメタイトルは確かそんなタイトルだっただろうか。
「そっか……暇があったら見てみるよ」
『了解! じゃあ、朝話してた議論は休みの時にする?』
「そうしよう? あ、そうそう美緒が勧めてくれたエリア・ガーデン仕事の休憩時間に少し読んだよ、面白かった」
『でしょでしょ! そして私の旦那だからそこんとこよろしく』
「はいはい、わかってますわかってます」
『ねえ、志保も二次元の嫁とか旦那作ろうよぉ! そっちの方が断然面白いって!』
「今の私は仕事が旦那と嫁なので」
《じゃあ、その旦那と嫁の縁切りなよ。私のところで一緒に働くとかどう? 店長さんに言っておいておくからさぁ!》
「だからいいって、店長さんに悪いよ」
《志保のいけずぅ~……あ、今日見なきゃいけないアニメあるんだった! じゃあまた明日ね!》
ブツ。
「あ、美緒!? もう、まだ話したいことあったのにー!」
見たいアニメがあるならしかたない、オタクなら誰しも通る道だろう。
今日は深夜でホラー映画やるのでいつも飲んでるインスタントのココアと生クリームを数個購入。雑貨屋さんにも行ってピンクのタオルケットを購入した。それはあの占い師を信用したわけじゃないし、気分でチョイスしただけ。
なんか見苦し言い訳のような気がしながらも、電車に乗って我が家であるマンションへと向かう。
電車に乗られながら、一週間中六回仕事出た疲れが出ているのか眠りが襲ってくる。深夜でも人が密集してる電車はどことなく居心地が悪い。その時は座席に座っていたため、眠りから覚めるため携帯にイヤホンを差し込んで適当に自分の好きな音楽を聴く。
今日は案外スマートに仕事が進んでいたから、今日はそんなに苦じゃなかったし……でも、昨日は本当に辛かったな。
「あぁ、癒しが欲しい」
電車から降りて、自分の住んでるマンションまでたどり着き、私は鍵で扉を開けて中に入る。
スーツを洗濯機に突っ込み、私服に着替える。
晩御飯にはコンビニで買ったお弁当とデザートを食べ終えて、見ようと思っていたホラー映画を見る。
深夜のホラー映画はホットココアを飲みながら見るのが決定事項だ。抱きしめて持つのは普段ならお気に入りのクッションを抱きしめてみるのだが、今回はタオルケットをチョイス。
暗く沈んだ空気を感じさせるリビングは、映画シアター感を楽しむための準備でもある。淡い灰色のソファに思いっきり座ってチャンネルをバラエティー番組からホラー映画に変えるようとする手をいったん止める。
「カーストスクール……やっぱり見ようかな? でもホラー映画の準備しちゃったし……うーん、アニメはまた今度にしよ! 明日でもいいよね、うんうん!」
チャンネルを変え、幽霊と女性の叫び声が飛び交うホラーの世界観に呑まれていく。
志保は、ココアで恐怖で寒く感じる心を温めるために一口ずつ飲む。気品高いカカオの味、奥深く大人っぼい甘さを含んだココアには生クリームも含まれている、普段なら生クリームは入れないがホラー映画を見る時は大事なお友だ。
砂糖を入れるより、コクが深くなるような気がしていつもかき混ぜたものをカップに入れて飲んでいる。女性が後ろから現れた幽霊に叫ぶシーンにどきりと鳴る心臓の鼓動が響いた。
「……あ、そろそろココア無くなりそう。もう時間は、十一時!? 寝るしかないじゃないですか! 明日早く出ないとセールやってるかも、カロメとこんにゃくゼリーは死守せねば!」
コップを台所に置いて、部屋に戻って就寝の体制に入る。すぐに眠れる人は睡眠障害にかかってる可能性があるとか、どこかのテレビの医者が言ってたようなが気がするが本当なのか怪しい。
まあいい、明日に備えて眠りに入ろうじゃないか。
明日、チョコレート味カロメとブドウ味のこんにゃくゼリーを買って一日エンジョイしてやる。
すやすやとベットに横になり眠りに入った時間は、わずか5秒である。
この時、眠りについた志保は知らなかった。
自分の今までの、当たり前だった日々が大きく変わっていくことを。