猿と犬のサルサ
「天香桂香」「ストロベリークリームソーダ」の犬猿カップル、はじめてのクリスマスデートは波乱含み!
「……今日は犬養とデートか?」
黒は仕方なく猿田に尋ねた。猿田は顔を輝かせた。
昼休みの学校の屋上で、黒、猿田、そして同じ二年生で美術部の佐渡美奈子は、日向に向かい合って座り、ランチを食べている所だ。
「よくぞ聞いてくれました」
「どうでもいいけどな」
「野田、本音漏れてる」
すかさず佐渡が突っ込む。猿田はそのやり取りをスルーした。
「加齢度すこうぷの期間限定グッズをさぁ、今日買いに行く事になってんだよ〜! しかもさ、場所が六本木! 初クリスマスデートでけやき坂イルミネーション! めちゃエモくね?! 」
「うっわ、有りがちすぎて引くわ。クリスマスイブのけやき坂なんて激混みだよ?! ぜってーヤダ」
「ほっとけ。佐渡はデートしないのかよ、彼氏居るくせに」
「するけど、そんなイカニモな所には行かないし。映画観て、駅前のイルミちょっと見て帰る、とかかな。レストランどこも激混みだしねえ」
黒は二人のやり取りを聞きながら無言でパンを頬張っている。佐渡は黒に話を振った。
「野田はどうせ暇でしょ。ウチらに混ざって映画見に行かない?『化け猫の腹わた』ってホラーだけど」
「どんな罰ゲームだ……」
三人は和やかにランチを食べ終えた。黒は一足先に教室に戻っていった。黒の姿が屋上から見えなくなると猿田は佐渡に向かってボソっと呟いた。
「どうせ暇、とか言うなよ」
「ラブラブデート自慢してたヤツに言われたくないね。変に気を使うのも却って酷じゃん? フツーにしてりゃいーの」
野田黒と河地橙子が文化祭の後に別れた事は、美術部の人間以外はまだ知らない。元々、学校でイチャつくような付き合い方ではなかったので、周りは気付いていなかった。
「そうだけどさ……」
猿田が下を向いて溜息をつくと、出し抜けに佐渡は猿田との距離をつめ、至近距離に近づいた。猿田は驚いて身を仰け反らす。佐渡は逃さじと腕を掴み、猿田の耳に顔を寄せて声をひそめた。
「ごめん! 正直、今、野田の事はどーでもいーわ。サルっち、あんたさ、もうシた?」
「は?もうしたって、何……」
猿田はそこまで言うと思い当たり、顔を真っ赤に染めた。
「ば、ッカじゃねーの?! んな訳ないじゃん」
「だって付き合い出して二ヶ月位経つでしょ? 」
「フィクションとリアルは違うんだっつの。……佐渡さ、もしかしてアレか? 男同士のラブドラマにハマってるって前に言ってたっけ? 面白がるなよなー」
「えーダメ? 面白がりた〜い!」
「キャラ変わってるけど」
佐渡はクールな和風美人、という見た目とは対照的に、サバサバした男っぽい性格の持ち主だったが、最近、BLドラマにハマったらしく、犬養と猿田の事を知ってからは異様に突っ込んで聞いてくる。
猿田は、とある事情により美術部の人間にはカミングアウトしていたが、その時に佐渡の態度は変わらなかった。目の色が変わったのはドラマにハマってからだ。
予鈴が鳴った。猿田と佐渡はゴミをまとめて立ち上がる。
「サルっち、進展あったら教えてねえ」
「教えねぇよ! バーカバーカ、バーカ! 」
「コドモか! ……あと二年生の間に最低一枚は仕上げなよね。あんたの作品、どれも途中のまま放ってあるでしょ」
「はぁーい」
「……ねえ、野田の好きなパンとか、あんた知ってる? 」
「ん?……焼きそばパンかな。何、今度、買っといてあげようかなーとか考えてる? へええ佐渡、やっさしー」
佐渡は肩をすくめた。
「野田はウチの部のエースだもん。早く元気になって貰わないと」
二人は屋上から出るドアを開けると、賑やかに喋りながら階段を降りていった。
放課後になると猿田は一人で電車に乗り、六本木に向かった。犬養は委員会があったので、事前に相談して、猿田だけ先に現地に向かい、二人分を購入しておく事になっていた。
冬至を過ぎたばかりで日が暮れるのは早い。
刻一刻と暗くなっていく空に建物の灯りが煌めきを増すのが車窓から見える。地下鉄に乗り換えると、車内は心なしかいつもより賑やかだ。
六本木で降りる乗客は多かった。駅から地上に出ると、すでに周囲は暗くなり、交差点には大勢の人びとが行き交っている。
猿田は逸る気持ちを抑えた。グッズの購入はマストとしても、もう一つ大事な用事がある。猿田は荷物の中の包みを確かめて、そっと手を触れる。
六本木ヒルズとけやき坂の間の広場の一角に加齢度すこうぷの物販特設会場が設けられ、受け付けの列が既に長く伸びていた。猿田は慌てて列の最後尾を探し、行列に加わった。
広場に立ち並ぶクリスマスマーケットには人が溢れ、賑やかだ。並んだ列から遠目にけやき坂並木の電飾の青白い輝きが見える。
予想以上の人出で、猿田は心配になってきた。無事に犬養と合流できるだろうか?
スマホのLIMEに犬養からの通信が来た。もうすぐ駅に着くらしい。
——LIME—————————————
猿『めちゃ混みだわ。犬養の分も買っとくから、駅に着いたら、けやき坂下のスタバに席確保して待っててよ』
犬 (了解のスタンプ)
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スマホから顔を上げ、首を伸ばして列の先をすかし見る。前に居るのはあと二十人位か。もう売り場の様子が見える。加齢度すこうぷのイメージカラー、メタリックブルーのサンタコスを着た店員と、楽しそうに品定めをするファンで賑わっている。
猿田は顔がニヤけそうになり、下を向くと下唇を軽く噛みしめた。去年もこの時期、原宿でグッズ売り場に並んだ。ライブへの期待感でそれなりに楽しかったけど、一人が少しだけ寂しくもあった。
でも今年は……恋人と。しかもクリスマスデート、とか! でもって年末のライブも一緒とか! 最高過ぎる、幸せすぎるやろ俺!!
幸せを噛み締めながらゆっくりと売り場の前まで進むと、事前に打ち合わせた通りタオルと缶バッチを二つずつ購入した。
タオルとバッチをひと組にした2つの包みをレジで受け取り、足早に売り場を離れる。
毎年どことなく寂しい気持ちで見上げていた電飾の樹々が、今年は高揚した気分に眩さを増しているように見える。
青と白の冷たい輝きに照らされた人混みの流れをかき分けながら、スタバに向かった。スマホを確認すると、犬養は既に六本木のスタバに到着し、席の空きを待っている状態らしい。猿田は急いだ。
六本木スターバックスは大型書店内の店で、平日でもそれなりに賑わっている。ましてやクリスマスイブ、しかも金曜日の夜だ。出入り口近くの交差点前のスペースは、店内に入ろうと待っている人や待ち合わせらしき人々でごった返していた。
猿田は焦って犬養の姿を探した。外の席をざっと見てから、人波を掻き分けるようにして店内へ入った。テーブル席の近くにある雑誌コーナーで、雑誌の立ち読みをしている犬養の姿を発見し、嬉しさと安堵で胸が一杯になった。歩み寄る猿田に気がついて犬養はホッとした表情になり、雑誌を元の位置に戻した。
「お疲れー、人凄えな。目当てのもの買えた? 」
「うん、バッチリ! ……けど晩飯どうしようか?この分だと店は厳しそうだよね」
「六本木の人混み甘く見すぎてたな、俺ら」
猿田は思い描いていた『六本木デート』の理想と現実の違いに少し落胆しながらも、努めて顔に出さず楽しげに振る舞った。
「一旦、地元まで戻ってどっか入ろっか?」
「うーん…」
犬養が思案げにテーブル席の方を見、猿田も釣られて視線をフロアに向けると、四人掛けテーブルに座ったお洒落な二人連れの女の子と目が合った。二人共、目を惹く顔立ちで、身体の線を強調する煌びやかな服を着ている。女の子の片方が目を丸くし、猿田はアレ?どっかで見た顔だ、と思った。
その女の子は立ち上がり、猿田達の方に近づいて来た。
「猿田君?」
猿田は焦った。頭の中で名前と顔を検索する。下北沢の情景が浮かんだ。夏ごろ、いや秋?
「……高月さん?」
女の子の顔がパッと明るくなった。
「良かった! 覚えて貰ってた! ……下北沢で一緒に仕事したよね。こんなとこで会うなんて凄いぐうぜ〜ん、でも嬉しー」
高月という少女は犬養の方に視線を移した。猿田はすかさず
「こいつは犬養って言って……友達」
「ちは」
犬養は軽く頷いた。
「ねえ、良かったらウチらの席に混ざらない? もーちょっとしたらウチら出るしさ。せっかく会えたんだし、ちょっと話したーい」
高月は犬養と猿田を交互に見て微笑んだ。自分の魅力を発信する事に長けた者の微笑みだ。猿田は犬養と顔を見合わせた。腹も減っているし、とりあえずその提案に乗る事にする。
三人はテーブルまで移動し、改めてお互いに自己紹介し合った。高月は猿田、犬養と同じ歳だった。もうひとりの女の子は、大学生のモデル仲間で新城と名乗った。
猿田と犬養は飲み物とサンドイッチを注文し、トレーを持って席に座った。高月は新城に向かって猿田の話をする。
「猿田君はモデル歴すごく長くて業界の先輩だから、前に仕事で一緒になった時、色々教えて貰ったんだぁ」
「へえーいつからやってるの? 」
「三歳くらい……かな」
「凄ーい!!」
「いや……長い割にはいつまでもマイナーっていうか」
「猿田君の事務所って『ホトケさん』のトコでしょ?社長凄く良い人って聞いてるよ」
「強引な営業やんないからマイペースで仕事したいコは向いてるって言うよねー」
会話しつつも猿田は犬養の様子が気になった。犬養は食事をしながら、三人の会話を興味深そうに聞いている。新城が犬養に話しかけた。
「犬養君も同業? 背ー高いし、爽やかな感じだしアウトドア系の仕事多そう〜」
「いや、俺はフツーの学生です」
女子二人は笑った。場が華やぎ、周囲の注目が集まる。
「そうなの? モデルできるよ! やってみたら? 」
「猿田君、社長に紹介してあげなよ」
「いや……はは。……良かったじゃん犬養、プロのお墨付き貰ったな」
「俺はもう進路決まってるから」
犬養は穏やかに、だがキッパリと言った。
「そうなんだあ、残念」
「仲良く出来そうって思ったのになぁ」
二人の犬養に向ける視線と言葉を聞くにつれ、猿田の胸の中でジリジリ焦がされるような焦燥が広がった。にこやかな表情が上手く作れない。
「……ごめ、俺、ちょっと、トイレ」
猿田は席を離れるとトイレに向かい、途中で何度か深呼吸した。
……二人共軽い気持ちで。冗談で言ってるに決まってる。何でもない。冷静になれ……
トイレから出た所で、高月に呼び止められた。
「猿田君、これから予定ある? この後ウチら営業飲みなんだけど。六本木の億ションで。来てみない?」
「飲み…って高月さん未成年だろ」
「ふふ、マジで言ってんの? 猿田君、ホント可愛い」
高月は数歩踏み出し、猿田との距離を一気に縮めた。猿田は思わず後ずさり、テーブル席に戻ろうとした。
「待って!」
高月は軽く猿田の手首に触れた。
「今、新城さんが取り込み中だと思うから」
その言葉に猿田のうなじの毛がゾワっと逆立った。
「どういう事?」
高月は嫣然と微笑んだ。同い歳の筈だが、ずっと歳上に見えた。
「新城さん歳下好きだから。犬養君が雑誌のとこにいるの見て、声かけようとしてたんだよね。猿田君来てくれてラッキー。ナイスタイミング」
猿田は目を見開き、手を振り払うとテーブル席に向かった。犬養と新城が話をしている。背の高い犬養は、新城と並んでも見劣りせず、歳上のモデル相手でも臆する事なく自然体で、似合いのカップルに見える。猿田の歩みは止まった。後ろに追いついて来た高月が小声で猿田に話しかける。
「いー感じじゃん。ね、そう思わない? ……でも歳下可愛いって言い始めたらオバさんだよねぇ。あたしは男の人は歳上の方が良いな。お金持ってるし」
猿田は手で口元を押さえた。何だか気分が悪い。吐き気がする。
犬養が猿田の方を見て、何か気づいたように立ち上がり、猿田に歩み寄った。
「どうした。顔が青いけど。人に酔った?」
「……なんでもない……」
犬養は猿田の右手を掴むと引き寄せ、顔を近づけて覗き込んだ。
「なんでもなくないだろ」
「別にどうも……」
猿田はまた深呼吸し、顔を上げて犬養と目を合わせた。
「俺にばっか構うと変に思われるってば。新城さんこっち見てるし」
「だから何」
犬養に見つめられて猿田は唇を震わせた。目を伏せると、じっと立ち尽くす。
犬養は手を離すと、猿田をその場に残してテーブル席に戻り、自分と猿田のトレーをさっさと片付けて、女子二人と何か言葉を交わした後、二人分の荷物を持って猿田の所に戻ってきた。
猿田は自分の上着と荷物を受け取ると、のろのろと上着を着た。
猿田はチラッとテーブルの二人を見た。二人共驚いた顔をしている。犬養も上着を着ると、猿田の手を取って建物の出口に向かった。
外の人混みはますます増えて、スマホで景色を撮影をする人々と、移動する人々とに自然と列が分かれている。
犬養と猿田は移動の列の中に入り、言葉を交わす事なく手を繋いでゆっくり歩いた。猿田は手を引かれながら電飾を見上げた。さっきはあんなに眩く宝石のように輝いて見えたのに、今は青と白にボンヤリ光るただの電球に見える。
広場から森ビルの出入り口に登る広い階段の片隅で犬養は立ち止まった。荷物を地面に下ろし、壁にもたれかかると猿田の顔を見る。
「それで。何がキッカケでネガティブモード発動したの」
猿田は階段から地上を見下ろした。眼下に広場のクリスマスマーケットの灯りとテレビ朝日の建物の灯りが見え、人々が間を縫うように歩いている。
「……せっかくのクリスマスデート、俺のせいで台無しだな。ごめん」
「謝って欲しいわけじゃない。分かってるだろ」
猿田は何度も唾を飲み込んだ。口を開けかけ、閉じる事を数回繰り返して、ようやっと言葉が口から出てきた。
「さっき、スタバで新城さんと話してただろ。……あれさ、何話してたの」
「え、っと? ……雑談?新城さんの事務所が六本木にあるとか、ここにはモデル事務所が多いとか、そういう話だったかな……。聞き流してたからよく覚えてないけど」
「聞き流してたのかよ」
「女の子二人が消えたら、この後、猿田とどう過ごそうかって事ばっか考えてた」
犬養はニヤリと笑った。
「……メアドの交換しなかった? 」
「ああ、断った。まず猿田に確認するって言ったわ……え? もしかして、それ? 」
猿田は犬養を見て言った。
「お前、狙われてたらしいよ」
「そうなの? ……けど、俺もうフリーじゃないし。すぐ側に好きな奴居るのに、他のコの連絡先聞くようなマネするわけないだろ」
猿田はそれを聞いて堪らず下を向いた。涙が溢れて地面に落ちた。
「何で泣いてんの?」
猿田は肩を震わせてその場に立ち尽くしている。犬養はゆっくりと近付き、緩く抱きしめた。
「何だよ、俺って信用ねえなー」
猿田は涙を流しながらかぶりを振った。そうじゃない。犬養を疑ってる訳じゃない。そうじゃなくて……
……もし俺たちが普通の男女のカップルだったら、こんな事は起こらなかった筈だ。出先で友達2人に出会っても、カップルの片方をナンパしようなんて話にはならないだろう。
あの二人の女の子に悪意があった訳じゃない。ただ俺たちが恋人同士なんて発想が最初からなかったってだけで。
魅力的な女の子に全力出されたら、俺なんか敵うわけがない。新城と並ぶ犬養の姿にそれを正面から突きつけられた気がした。いつかそれが現実になる未来が来る。犬養の隣には俺じゃなくて、彼に似合いの綺麗で優しい女の子が居るべきなんだよな……。
……と、いったことを、つっかえたり口籠ったりしながら猿田は話した。犬養はハンドタオルで猿田の顔を拭いながら
「そもそも最初に俺のこと『友達』って紹介したのお前じゃん」
「いきなり恋人だなんて言える筈ないだろ」
「だから問題はそこなんじゃねぇの」
そうなのだ。猿田にも分かっている。はみ出すのが怖い、という気持ち。自分で自分の事が受け入れられない気持ち。分かっていてもどうにもできない。
ゲイである事は今の世の中では、当たり前じゃない。それが辛い。犬養もゲイならまだ良かった。でもそうじゃないから……。
「俺の方から告って付き合ってんのに、まだ足りねぇの。てゆかどうすりゃ、猿田は安心すんの」
「……恋愛に100%の安心なんてないだろ……何が起こるか誰にもわかんねぇし」
「そりゃ男女の恋愛だってそうじゃん」
「そうだよな。だから、俺が犬養を好き過ぎるのが悪いんじゃないか……何、笑ってんだよ」
猿田は至近距離でニヤつく犬養の顔を睨みつける。
「だってお前から、んな事言われたら、そら嬉しいっしょ」
猿田はもがいて犬養から離れようとするが、犬養はいつの間にか両腕をがっちりホールドして離さない。ふと、ここが広いとはいえ階段で、二人の脇を普通に通行人が通っている事実に思い至って、猿田は顔が真っ赤になる。
「犬養、ちょっと、離せよ」
「ヤダ」
犬養は寧ろ、ますます腕に力を込めて猿田を抱きしめた。猿田の耳の下辺りに唇を付けると首筋に沿って唇を這わせる。
「……ふ…っ」
弱い電流が背筋に走ったような感覚に猿田はギュッと目を閉じ、これ以上声が出ないように唇を噛み締めた。
「あー可愛すぎる……キスしてい?」
「ばっ、ダメ! 馬鹿か、どこだと思ってん」
犬養は構わず、唇が触れ合う寸前まで顔を寄せたが、猿田は手を犬養の顔に叩きつけ向こうに押しやった。犬養の腕が緩み、猿田は腕を引き剥がすと数歩離れた。
「お前ホントそういうトコ……最近分かってきたけど、エロモード発動すっと強引になるよな!」
犬養は気を悪くするでもなくヘラヘラ笑って、猿田に手を差し出した。
「まだ食いたりねぇしさ、なんか旨いもん食お。屋台で食べ歩き出来るようなモン売ってねぇかな」
猿田は怒っているような、困っているような微妙な顔をしながら、その手を取った。
階段を上がりきった所にもクリスマスマーケットが立ち並び、飲食できるフリースペースが設けられていた。
熱気に溢れる人並みを掻き分けて、2人はブラートブルスト(ドイツのホットドッグ)やチーズがかかったポテトフライを食べ、長い串に刺さったチョコがけフルーツを頬張りながら、森ビルの玄関前まで歩き、巨大な蜘蛛のオブジェの足元で写真を撮った。
暖かい飲み物を持ってベンチに座ると、猿田は買っておいたグッズを犬養に渡して、建て替えた分の料金を受け取った。財布をバッグから出す時に、持っていた包みの事を思い出す。
「犬養、これ。……改めてクリスマス、オメデトウ」
猿田はリボンがかかった包みを取り出して、犬養に恭しく差し出した。犬養は嬉しそうに受け取った。
「んじゃ俺も」
犬養は荷物から包みを引っ張り出すと猿田に渡した。事前に申し合わせたかのように、同じ行動をとっていた事実に笑った二人だったが、お互いの手にある包みを見て、はた、と顔を見合わせる。
大きさも包装紙も同じプレゼントの包み。違うのはリボンの色だけだ。犬養の手にあるものは青いリボンで、猿田のものは銀色のリボンだった。猿田は恐る恐る尋ねる。
「……もしかして『ロシアンブルー』で買った?」
『ロシアンブルー』は隣駅の駅ビル内にある衣料品店の名前だ。犬養は頷いた。
猿田は嫌な予感がした。が、何か言うよりも先に、犬養はリボンを外し包装紙を開いた。
透明なビニールに包まれているのは、落ち着いた深みのある赤色のマフラーだ。マフラーの両端は濃い焦茶色のグラデーションカラーになっていて、金色の糸で凝った模様の大きな星が刺繍してある。
犬養はそれを見て、最初は驚き、次に微妙な顔になった。猿田は確信した。自分の手元にある包みを開いてみると……
全く同じ品が現れた。
猿田は地面の底に落ちていくような失望を感じていた。駅ビルの中に衣料品店は幾つかあるし、同じ店の中にも数種類のマフラーがあったのに、何でまた、よりによって……
『お揃い』かよ。……これじゃ使えねーじゃん。
ベンチが沈黙に包まれた。
……数秒後、犬養はブハッと吹き出し、腹を抱えて盛大に笑い出した。猿田は呆気に取られて犬養の顔を見る。
「ふっははは…ヤベー……俺らどんだけ気が合うんだよ! ……ククッ、ふ、あっはははは!! ヤバ過ぎっはははは!!」
犬養は涙まで受かべ、心底愉快そうに笑っている。周囲の通行人が驚いてチラチラ見ている。猿田は恥ずかしいのと意味が分からないのとで混乱し、無言で笑う犬養を見守った。
笑いが徐々に収まると、犬養は肩で息をしながらマフラーからビニールを外して、自分の首に巻き付けた。猿田の顔を見る。
「あったけー。……どうよ? 似合う?」
想像通りのカッコよさに、猿田はコクコクと頷いた。犬養は満面の笑みを浮かべた。あまりにも犬養が嬉しそうに笑うので、猿田の胸の中につかえた重苦しいモヤモヤが、次第に緩んで溶けてゆく。
「嫌じゃないの?……男同士でおそろ、とか」
「俺は全然気にならないけどね。猿田が嫌なら、何か違う奴プレゼントしようか?」
猿田は首を振った。包みのビニールを剥がして、マフラーを自分の首に巻き付けた。
そうだ。周りの目を気にし過ぎて一番大事なものを見失うところだった。これを犬養は俺の為に選んでくれた。その事実が大事なんだ。
犬養はしげしげと猿田のマフラー姿を眺めた。
「やっぱ顔がいい奴はなに着ても似合うな」
「帰りの電車では外すから、流石に。ペアとか恥ずいし」
「ペア。ペアって……くくっ、うはははは」
犬養はまた笑い出した。猿田も周りを気にせず大きな声で笑った。
学校は冬休みに入り、三十日に年内最後の撮影があった。早朝の原宿で、同じ事務所のモデル仲間二人と撮影した。
数時間後に撮影を終えてスタッフが後片付けしている中、車内で着替えを済ませて仲間と話していると、スタッフの1人が猿田に声をかけてきた。
「猿田君、君に会いたいってお客さん来てるよ。けど、ここもうすぐ撤収だから早めに切り上げてね」
猿田は事務所の車から出た。
高月が立っていた。
猿田は内心身構えた。犬養を紹介しろとか? または年末の営業飲みに付き合え、とかかな……。苦手意識があったが、なるべくニュートラルな表情を心がける。
予想はどれも外れた。高月は真面目な表情から、いきなり勢いよく頭を下げた。
「猿田君、ごめんなさい!」
猿田は驚いた。
「何で?何、謝ってるの」
「こないだのクリスマスイブの事。嫌な思いさせちゃたから」
高月は薄い化粧に伊達メガネを掛け、茶色いボアジャケットに鮮やかな青のプリーツスカートでしょんぼりと立っている。そういう格好をしていると、歳相応に見えた。
「私、勘違いしてて。でも、間違ったって気が付いたから、謝ろう、謝るべきだって思って……。せっかくの大事な日に嫌な気持ちにさせちゃったよね。ホントにごめんね」
「勘違い? えっとそれは……?」
「あの時、猿田君達が店を出る直前に、犬養君が……」
クリスマスイブの日。
犬養が猿田を置いて席に戻り、凄い勢いで自分と猿田のトレーを片付け始めたので、新城は驚いた。
「何? 猿田君どうしたの?体調悪くなっちゃった?」
犬養は答えず、片付けを終えると上着と荷物を取りにテーブル席に戻ってきた。高月は猿田が固まってしまったので、どうしたものかと席に戻って来た所で、犬養が二人分の荷物を抱えたのを見て声をかけた。
「帰っちゃうの?」
犬養は正面から高月の顔を見つめた。その射抜くような鋭さに、高月はたじろいだ。
「あいつに何した? 」
「え? 」
「……猿田は友達じゃない。俺の彼氏。次からそゆことで宜しく。んじゃ」
驚いた二人を残して、犬養は足早に猿田の元へ歩き去り、二人で店を出た。それを見送ると新城は顔を曇らせ、片手を額に当てた。
「あぁー…やっちゃった感じ。怒らせたかもね、犬養君」
「え、何? どういう事? 」
「だから付き合ってるんでしょ、あの二人」
「……嘘。……え、ちょい、マ。BL案件? ウチら、めっちゃ余計な事した?やだぁどーしよ……」
「謝るしかないでしょ。……あー凹む〜」
二人は同時に溜息をついた。
「高月さん」
呼ばれて高月は顔を上げ、猿田と目を合わせた。
「……そもそも、最初に俺が友達って紹介したのが悪いんだから謝らないで。むしろ、俺の方こそゴメン。……あいつの事になると、俺ちょっと、気持ちのコントロールが難しくて」
「恋、してるんだねえぇ……」
しみじみした口調で言われて猿田はたじろいだ。高月の目付きに見覚えがある。そうだ、佐渡と同じ。俺らってドラマみたいなカップルに見えてんのかなぁ。微妙に居心地が悪い。
「あの、これ」
高月が持っていた紙袋を猿田に差し出した。
「お菓子。差し入れ。みんなで食べて」
「え! ありがとう。そーいえば、ここで撮影してるってなんで分かったの?」
「事務所に朝イチで電話して。佛さんに直接説明して、場所教えて貰ったの。間に合って良かった。……えっと、あの、この流れで言うのもなんだけど……連絡先教えてって言ったら、怒る? 友達になれないかな?」
猿田は高月を見つめた。高月は緊張し青ざめているが、しっかりと目線を合わせてくる。手が少し震えているのが見えた。素直で強い子だな、と思う。
「いいよ」
「いいの?! ……あぁ良かったぁー」
二人はスマホを取り出すと、連絡先を交換した。ホッとしたように笑った高月の顔は、クリスマスの時より百倍可愛い、と猿田は思った。
大晦日の『加齢度すこうぷ』年越しライブは今までにない盛り上がりだった。
爆発しそうな熱気と声援の中、舞台上で躍動するアーティストはひたすら神々しく、夢中で声援を送るうちに気がつけば十二時になっていた。
猿田と犬養は叫びすぎ、歌いすぎて、声がガラガラになったが、まだカウントダウンと、最後の曲が残っている。
ヴォーカルの堀北希々花が、舞台上で声を張り上げる。
「みんなぁ〜いっくよぉ〜! ……ラスト十秒! 九、八、七、六、五、四、三、ニィ、イーチ! ハッピーニューイヤーー!!」
舞台上でアーティストがギターを掻き鳴らすと同時に轟音が響き、金色の紙吹雪が盛大に客席に降り注いだ。ライブハウス内の熱気が最高潮に達した時、最後の曲が始まった。
『神様はいるんでしょうか なんて
聞かれてもね 俺の方こそ聞きたい
目に見えない物は信じない なんて
言われてもね 俺だって見たことない
いてもいなくても 関係ないじゃん
やるかやらないか 決めるのは自分
結局のところ そう 最後には
ツケを払うことになる そういうシステムなら
やったほうがお得! 言ったもん勝ち!
踊るアホウに見るアホウ
同じアホなら踊らにゃソンソン!!
言った方がお得! やったもん勝ち!
どうせなら勝ち馬に乗れ
勝てる馬なら乗らなきゃソンソン!!
踊れ!踊れ!踊れ!踊れ!
踊り続けて 歌い続けて 死ぬまで
踊り続けて 歌い続けて 死ぬまで』
舞い飛ぶ金色の紙吹雪の中で、ステージはますます眩しく輝き、観客の歌声はアーティストの歌を掻き消す程に熱く響き渡る。
多幸感と騒乱の中で、猿田の意識は浮遊し始めた。目の前の景色がスローモーションのように見える。
……ああ、終わっちゃうな……
終わってほしくないけど終わっちゃう。
隣で踊っている犬養がこちらを見て何か言っている。
聞こえねえよ
もっと大声で
「……だ……」
犬養、顔が真っ赤だな。
夢中で遊んでる子供みたい。
「……きだ……」
「なに?!聞こえねえよーー」
犬養が猿田の右手をギュッと握り、耳元に口を寄せて叫んだ。
「だーーからぁーー!大好きだって言ったーー!!」
猿田も犬養の耳に口を近づけて叫んだ。
「俺ーーもーー大好きだーー!!」
観客の歓声と拍手が轟音となって会場を揺るがす。犬養が真っ赤な顔で叫んだ。
「らいねんもーーぜってーいっしょに来るぞおーー!!わかったかァーー!」
「バカヤローーのぞむところダァーー!!」
猿田は犬養に思い切り抱きつき、両手で犬養の顔を挟むと口付けた。
犬養は驚いた顔をしている。
その顔が愛おしくて、猿田は涙が出てきた。