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Replica  作者: 根岸重玄
加速停止編
95/286

認識されざる侵入者

 2033年3月某日 深夜1時18分


 国立浅木大学附属図書館・地下禁書保管区画


 空間は無機質そのものだった。

 外装コンクリートの壁面は灰色のまま光を反射せず、夜の静けさを吸い込むように沈黙を保っている。

 照明は全て魔力式。感情のない光が、定格通りの明度で床面を照らしていた。


 その中央を、ひとりの少年が歩いていた。

 足音はない。靴音も、衣擦れも、抑制されていた。


 天乃あまの(しん)――十二歳。

 体格に合わぬ黒の外套を纏い、無表情のまま前方を見据える。

 目には恐怖も葛藤もなく、使命感すら見えなかった。

 そこにあるのは、任務の遂行――それだけだ。


 床面に展開された術式を視認すると、即座に構造を解析。

 詠唱も使用せず、触れることなく無力化。

 封印陣すら、数本の指の操作だけで停止させていく。


「……問題なし。警戒式、全て解体済み。予定通り」


 報告のように口を開くが、誰かに聞かせる意図はない。

 天乃あまのにとって、信頼できるのは他者の確認ではなく、自己計算による正答だけだった。


 室内中央、封印台に五冊の魔導書が収められている。

 それが今回の目的物であり、いずれも禁書指定を受けた高危険性媒体だった。


 天乃あまのは一冊ずつ、それを回収していく。


 『闇の眷属』

 『漆黒の翼』

 『魔人の枷』

 『虚空の旋律』

 『姿なき放浪者』


 どの書にも一切の反応を見せない。

 一般の術者なら魔力圧に触れた瞬間、精神を侵される可能性すらある代物。

 だが彼にとって、それらはただの“部品”だった。


「……これで五つ」


 バッグに収めると同時に、すでに背を向けている。

 出口までのルートも解析済み。

 敵性存在の可能性は除外。警戒術式の再起動時間も把握済み。


 計画は完全だった。

 しかし――


 空気が止まる。


「……誰か来たか」


 感覚で把握するよりも早く、気配が到達する。

 背後に現れたのは、黒のコートを着た白髪の男。無表情のまま立ち、術式反応を纏っていた。


 《行き止まり(デッドエンド)》。


 その出現と同時に、空間が変質する。

 抵抗を孕んだ空気。音が死に、光が滞留し始める。

 術式による即時干渉。《停止領域》の発動予兆。


「侵入者発見。排除対象――確認」


 形式に従い、《行き止まり(デッドエンド)》が報告する。

 眼前の少年が目に映っても、特別な感情は浮かばない。


「……随分と若いな。まさか、本当に一人でやったのか?」


 言葉に揶揄はない。事実確認のみ。

 だが空間の圧は、わずかに増した。


 天乃あまのは沈黙を保ち、視線を外さない。

 一歩だけ、静かに後退する。敵意も警戒も示さない。

 ただ、“必要ない”と判断した態度をとるだけだった。


「名を名乗れ。処理記録に残す」


 《行き止まり(デッドエンド)》が淡々と告げる。

 天乃あまのの口元が、わずかに動く。


 それは笑みではなかった。

 感情を拒絶する、無音の拒否。冷笑に近い歪み。


「名乗る必要があるか? お前は、ただの“障害”にすぎない」


 空気が沈む。術式光が強く脈動する。

 その一言で十分だった。


 《行き止まり(デッドエンド)》は動く。

 一歩、踏み出すと同時に――空間が崩れる。


 《停止領域》――発動。


 空気の分子運動が制限され、熱の伝導が停止する。

 光は減衰し、音は反響を失う。

 風の動きすら消える。


 この内部では、ただ一人。

 《行き止まり(デッドエンド)》だけが自由を保っている。


「……悪く思うなよ。ガキ一人、ここで処理されるなんて、よくある話だ」


 だが――


「……ああ、これは面白い構造だ」


 声が返った。

 《行き止まり(デッドエンド)》の領域内で、“対象”が発声した。


 天乃あまの慎――動いていた。


 歩みを進め、術式の構造を観察するように語る。


「光と音、空気。すべては“フィルター”を通じて選別されている。……ならば、そこに自分を組み込めば、遮断されることはない」


 《行き止まり(デッドエンド)》の目が初めてわずかに揺れる。


「……何?」


「《認識変換》」


 少年は、淡々と宣言する。


「対象:自己。挿入先:フィルター階層全域。定義:環境通過因子」


 空気の層が一瞬揺れた。

 術式に挿入された“例外”が、フィルターの網目を通過した証。


「お前の領域、よくできている。だが、完璧じゃない」


 その言葉を聞きながら、《行き止まり(デッドエンド)》は理解する。

 “登録された”。

 自分の術式の構造内に、この少年が――入り込んだ。


 反応が追いつくより早く、拳が動く。


 天乃あまのの拳が、空間を裂いた。


 打撃音が密閉された空間を揺らし、鈍い音が跳ね返る。


 ――ドンッ。


 《行き止まり(デッドエンド)》の身体が宙に浮き、壁面に衝突。

 抑圧されていた空間が、構造単位で瓦解し始める。


「……っ、ぐ……!」


 壁に崩れかかりながら、彼は膝をつく。

 術式は解除され、《停止領域》は破られた。


 天乃あまのは振り返らない。

 目的は達成され、戦闘も片付いた。

 追撃の必要性もない。


 《行き止まり(デッドエンド)》が、血の混じった息の中で呻く。


 だが少年は、立ち止まらなかった。

 視線を戻すことすらせず、出口へ向けて歩き去る。


 その背を、《行き止まり(デッドエンド)》は視線に焼きつけていた。

 静かで、冷たく、戦闘そのものを“成立させていない”ような歩き方だった。


 姿が完全に消えたあと、静まり返った空間に、術式端末の記録だけが残る。


【記録:対象名称不明。術式干渉確認。フィルター通過例外として登録済】

【注記:排除失敗】


 構造の内部に刻まれた、唯一の例外。


 それは、《行き止まり(デッドエンド)》の術式における“事実”として、永続する。


 この事件が報告されることはなかった。

 名前も記録されず、口頭でも共有されなかった。


 だが、《行き止まり(デッドエンド)》の中には刻まれていた。

 記憶ではなく、感情でもなく――


 術式構造における、ただ一人の“例外”として。


 少年との再会は、三年後。


 そのとき、少年は“名前”を持ちながら、“記憶”を失っていた。


 それでも。


 あの日と同じように、彼は肩に触れた。


 何も知らずに、何も覚えずに。

 けれど確かに――


 “例外”は、生きていた。

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