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Replica  作者: 根岸重玄
登校騒乱編
81/286

理と情の狭間

 2036年6月7日 午後9時30分


「お嬢様、そういえば、天乃(あまの)様と緋澄(ひずみ)様に関して蛇足だそくというかご報告が」

「ん? なになに」


 2036年6月7日午後2時24分


英莉(えり)間違(まちが)った誘導(ゆうどう)をしていることを疑問(ぎもん)に思ってないし、俺もこれに気付きつつ無視(むし)してるんだから」

「へえ。てっきり似合(にあ)わない御人好(おひとよ)しに目覚(めざ)めたのかと。

 それか、英雄(えいゆう)願望(がんぼう)ね。自分に()うタイプの」


 緋澄(ひずみ)はそういうと少し笑みを浮かべ、天乃(あまの)見遣(みや)る。


「でも、そう、本当によかったわ。あなたがちゃんと打算(ださん)(まみ)れてくれていて」

「え? 緋澄(ひずみ)は、何かに気付いてて指摘(してき)したんじゃないの?」

「いえ、全然。まったく。これっぽちも。

 ただ、天乃(あまの)しんの行動が純粋(じゅんすい)に気持ち悪かったから指摘(してき)したまでよ。

 そういうのを目の前で見せられて、無性(むしょう)にイライラしたの」

「えぇ……」


 緋澄(ひずみ)の八つ当たりとも言える開き直りに、無駄(むだ)にリスクを負うことになっていまった天乃(あまの)困惑(こんわく)(しめ)す。


「だって、しょうがないじゃない。

 やっぱり、私にとっての天乃(あまの)しんは、誰もが()がれる人情(にんじょう)(あつ)英雄(えいゆう)(さま)なんかじゃ決してないのだもの。

 血の(かよ)っていない冷酷(れいこく)無比(むひ)機械(きかい)みたいな(やから)であるべきなのよ。

 『無償(むしょう)奉仕(ほうし)価値(かち)などない』

 『理由がなければ動かない』

 『()が身を(かえり)みぬ人助(ひとだす)けなど、唾棄(だき)すべき愚行(ぐこう)でしかない』

 そう公言(こうげん)して(はばか)らないのが、天乃(あまの)しんなのよ。実際、他人に何かする時には契約(けいやく)対価(たいか)(こだわ)ってたし」

(まわ)りの顰蹙(ひんしゅく)買いそう」

「それについては、あなた自身が大バーゲンセールをしていたのだから、仕方ないんじゃないの?」

「おっしゃる通りです。」


 ぐうの()も出ない正論に、天乃(あまの)項垂(うなだ)れる。


「でも、それを聞いた当時の私は、なるほどと思ったのよ。

 言葉は悪いけど、こいつは善人のことを(おもんぱか)ってもいるんだなって」

「――……」

「だって、これは善行(ぜんこう)であってもちゃんと対価(たいか)を取れって話よね。

 善意(ぜんい)無償(むしょう)提供(ていきょう)されて(しか)るべきなんて考えが蔓延(はびこ)っちゃったら、無償(むしょう)でなければ善意(ぜんい)でないことになってしまう。それでは、究極的(きゅうきょくてき)には金銭的(きんせんてき)物理的(ぶつりてき)余裕(よゆう)のある者しか善行(ぜんこう)()めなくなってしまう。

 別に、善行によって金銭的(きんせんてき)裕福(ゆうふく)になれる社会である必要はないんだけど。でも、善意は何らかの形でちゃんと(むく)われるように事前(じぜん)手配(てはい)しておけって言いたかったんじゃないの?

 そして、(ほどこ)しを受ける側も無償(むしょう)の愛に(あま)えるなってことなんじゃない?」

「……どうだろう、深読みしすぎじゃないか? そう考えている人間の口から出る言葉じゃないでしょ。もしそうなら、情報の受け取り手に対する配慮(はいりょ)()け過ぎている。これじゃあ、拝金(はいきん)主義との(そし)りを受けても仕方ないんじゃないかな。

 あと、自然に“いいこと”ができる人ってのは、そんな打算(ださん)なんてないからこそ、そんなことができてるんだし。(むく)われてほしいとは思うけど、(むく)われるための準備をしておけと強要するのもなんだかなあ、って感じだ」

「それは否定しないわよ。だからこそ『善人のことを(おもんぱか)って“も”いる』って言ったのよ。

 人間って(あさ)ましい生き物だから、度し難い聖人(せいじん)が先に無償で救いを与えてしまうと、それに救われ慣れた人間は、後に続く者にも同じ(しつ)奉仕(ほうし)を期待するのよ。救われることが当り前だとすら考え始める。既得(きとく)権益(けんえき)を手放せない。それが勝ち取ったものではなく、ただ与えられただけのものなのに。

 それでは、聖人以外は息が詰まってしまうわ」


 曖昧(あいまい)な表情になる天乃(あまの)に対し、緋澄(ひずみ)は最後に少しだけ情報を付け足す。


「でも、さっきのには、そういった意味合いのほかにもポジショントークが含まれているのも間違いないわよ。あなたは、そういった行為が嫌いだったの。あなたが唾棄(だき)すべきと愚行(ぐこう)()()てた合理性のない感情に任せた行為こそ、あなたを殺す刃だったのだから」


「え?」


 天乃(あまの)が気付いた時には(すで)に手遅れであった。

 緋澄(ひずみ)はいつのまにか再び天乃(あまの)のすぐ(そば)まで接近しており、正面から天乃(あまの)に抱き着いたのである。緋澄(ひずみ)は、そのまま腕を天乃(あまの)の背後に回し、天乃(あまの)を強く抱きしめる。

 その緋澄(ひずみ)の行動は、いままでの行動からは予見できるものではなく、そうすべき合理性も一切ない。

 だからこそ、天乃(あまの)には緋澄(ひずみ)抱擁(ほうよう)()けるべきという“直観”が働かなかったのである。


「ほらね、予測できなかったし、(かわ)せなかった、でしょ。

 これが刃物(はもの)じゃなくてよかったわね」


 そういって、両手の指を天乃(あまの)の背中に一瞬だけ強く食い込ませながら天乃(あまの)の耳元で(ささや)緋澄(ひずみ)の声には、してやったりという勝ち(ほこ)った(ひび)きがあった。

 一応、緋澄(ひずみ)名誉(めいよ)のために補足(ほそく)しておくと、彼女が正常な精神状態であり、羞恥(しゅうち)(しん)がわずかなりともまともに機能していれば、ここまでの行動に出ることはなかったであろう。

 ただ、彼女は彼女なりの事情により、精神的(せいしんてき)均衡(きんこう)(たも)つのが難しい状態だったのであり、かつ天乃(あまの)に対する子供っぽい対抗(たいこう)意識(いしき)と、周囲に他人の目線がなかったという複合的(ふくごうてき)要因(よういん)(かさ)なったことにより、衝動的(しょうどうてき)にこうした行動に出てしまったのである。

 ただ、そのような事情を知る(よし)もない天乃(あまの)はというと、このような異性との触れ合い(物理)イベントに心の一つでもときめかせていたのであれば、まだ可愛気(かわいげ)があるというものだが、緋澄(ひずみ)の感触を実感する前に発生したもう1つの問題の方に気を取られており、正直(しょうじき)それどころではなかったというのが実情(じつじょう)である。


「――え……あ、あぁ、そっすね」


 と、実に予想外な微妙(びみょう)な反応を返す天乃(あまの)に対し、ある意味正常な判断(はんだん)能力(のうりょく)(うしな)われていた緋澄(ひずみ)もようやく周囲の目を気にし始める程度には羞恥(しゅうち)(しん)が戻りかけ、それと同時に天乃(あまの)の態度に小さな疑問を持つことに成功する。


「なによ、冷めたこと言っちゃって。少し恥ずかしくなってきたじゃない」

「えっと、これは、言っちゃってもいいものなのか?」

「どうぞ?」

天空てんくうさん――見なかったことにしません?」

「…………え?」


 その後、天乃(あまの)視線(しせん)を追って後ろを振りむいた緋澄(ひずみ)が声にならない悲鳴(ひめい)を上げながら天乃(あまの)を突き飛ばし、ばっちり目が合ってしまった天空てんくうにあらゆる手段を(こう)じて念入りな口止(くちど)めを行ったのだが、本人の名誉(めいよ)のためにその詳細(しょうさい)()せさせていただく。


 2036年6月7日 午後9時33分


「ということがございまして。

 緋澄(ひずみ)様は当初は天乃(あまの)様のことを敵と呼んでいたのですが……なにか、事情がありそうです」

「なにそれ!? まこちゃん大胆! そして怪しぃ。

 これは調査の必要があるね。

 あの双子の事件は去年のGW辺りだったからね。

 やるよう、天空てんくうぅ。

 レッツ、推し活!!」


 こうして口止めの甲斐もなくあっさりと一番厄介な相手に事情をばらされたわけだが、それはご愛敬ということで。

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