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Replica  作者: 根岸重玄
登校騒乱編
75/286

辰上との闘い

 

 2036年6月7日午後5時33分


 土壇場(どたんば)起死回生(きしかいせい)奇策(きさく)を見事に成功させた辰上(たつかみ)は両手を掲げる。

 すると、暗闇を()くように三つの術式が同時に再現される。


「術式再現――《影縫(かげぬい)》《裂空槍(れっくうそう)》《呪縛環(じゅばくかん)》」


 影の糸が天乃(あまの)を縫い付けんと(うごめ)き、風の槍が凄まじい勢いで(おそ)いかかり、呪縛(じゅばく)()が地面に展開して天乃(あまの)を捕えようとする。


(これは、英莉えりの言っていた術式再現かッ!

 《王の法》がなくても奴には攻撃手段が存在している。

 オレにあるのはお世辞にも戦闘向きとは言えない能力だけだ。

 どうする?)


「“我、汝に回避を命じる(いいからよけなさいよ)”」

水無月(みなづき)ッ!?」


 水無月(みなづき)の言葉に反応し、天乃(あまの)は強化された跳躍(ちょうやく)で影の糸をかわし、瞬時に身を(ひるがえ)すことで紙一重で風の槍を避ける。

 そして、踏み切り一閃(いっせん)――着地地点に仕掛けられていた呪縛じゅばくの外へと飛び出す。


「“我、汝に殴打を命じる(そのままぶん殴れ)”」


 水無月(みなづき)の言葉を受け、天乃(あまの)はそのまま突進し、徒手(としゅ)空拳(くうけん)辰上(たつかみ)の胸元を打ち(くだ)かんと(こぶし)を振り抜く。

 しかし――拳はまるで鋼のように変質した皮膚(ひふ)に弾かれた。


「術式再現――《鉄壁(てっぺき)》」

(いっつ、物理も通じないのかよっ)

「くははははは、どうした、それで終わりか、『覚醒者(かくせいしゃ)』ッ!」

「な、わけあるかよ!!」


 絶望的(ぜつぼうてき)な状況にもかかわらず、天乃(あまの)に諦めるという文字はない。

 それこそが『覚醒者』に至る条件(じょうけん)なのだから。

 辰上(たつかみ)(はじ)かれた勢いそのままに天乃(あまの)(きびす)を返し、水無月(みなづき)のもとに引き返す。

 そして、天乃(あまの)の瞳が辰上(たつかみ)の内奥にいる“臣民”――相庭(あいば)一臣(かずおみ)へと向く。


水無月(みなづき)相庭(あいば)に《王宮(おうきゅう)勅令(ちょくれい)》を使えるか?」


 それに対し水無月(みなづき)は首を振る。


「無理よ。アタシの命令は声が届かない相手には通じない。

 《王の法》の内部にいる意識(いしき)のない人間に届くはずがないわ」

(く、だめか……いや、待てよ。

 音ってのは結局のところ空気の振動(しんどう)なんだから――)


 天乃(あまの)咄嗟(とっさ)に目を見開き、指先(ゆびさき)を何もない空間へと伸ばす。


「なら、《境界(きょうかい)書換(かきかえ)》で音の境界(きょうかい)を書き換える」

「どういうこと、アンタ魔術師じゃなかったんじゃないの?」

「さっきなったんだよ、『覚醒者』とやらにな」

「超越者への対抗機構だっけ?」

「そうだよ。

 とにかく、詳しく話している時間はない。

 やっちまえ、水無月ッ!!」


 魔力が指先に宿り、目には見えない音の障壁(しょうへき)波紋(はもん)を描いて変質する。

 本来音がさえぎられるはずの“壁”は、命令を通す“まく”へと書き換えられる。

 その光景を目撃した水無月(みなづき)は声を発する。


「“――我、汝に覚醒を命ず(めざめなさい)”」


 水無月(みなづき)の言葉が、確かに相庭(あいば)の奥底へと届いた。

 内部で(ふる)える声が響く。


「――俺は……?」

一臣(かずおみ)!? そのまま眠っておればよいものを」

「そうか、『辰上(たつかみ)の亡霊』に(とら)われて」

「ええい、邪魔をするな!」

「――断る。俺は王政(おうせい)反旗(はんき)(ひるがえ)す。

 もはや俺は貴様の臣民ではないぞ、辰上(たつかみ)!!」


 相庭(あいば)の声が地下室に(とどろ)いた瞬間、辰上(たつかみ)を包んでいた《王の法》が音を立ててひび割れ、せきを切ったように崩壊し始める。そして、地面を抉るように走った亀裂きれつが、一瞬にして術式の枠組みを粉砕ふんさいした。


「な、何……だと……!?」


 完全体と化した《王の法》の鎧は、内部からの決別の声を受け止めきれず、鋼鉄のように硬かった皮膚もろとも砕けて剥がれ落ちる。


「うおおぉぉぉおおお。

 砕けるッ!? この俺が? 王たるこの俺がぁあああ!!」


 《王の法》が砕けた。

 辰上(たつかみ)の支配が剥がれ落ちるように、その魔力は空中で細かく砕け散り、支配していた空間すらも形を保てず、崩れた。

 中央に倒れたのは、相庭(あいば)一臣(かずおみ)

 目を閉じたまま、静かに呼吸をしている。

 だが――


「……なんだ?」


 天乃(あまの)の魔眼は、それを見逃さなかった。

 砕けた魔力の残響が空間を満たす中、ただ一人、天乃(あまの)慎は目を細めた。

 空間にはもう敵意も圧もない。それでも彼の魔眼には見えていた。

 ――空中を漂う、一本の“線”。


(魔力の流れ……違う、これは……抜け道……?)


 まるで蜘蛛くもの糸のように繊細せんさいなそれは、相庭(あいば)一臣(かずおみ)の肉体から離れ、なおも別の場所へと伸びていた。


(……逃げようとしている?)


 その先にいるのは――相庭(あいば)宗次郎そうじろうである。

 そのことを天乃(あまの)は知る由もないが、“直観”が告げていた。あの“線”は、別の器へと辰上(たつかみ)の意識を移すための逃走路である。


(……今なら、消せる)


 指先に魔力が集まり、天乃(あまの)は“線”へと手を伸ばそうとした。

 その瞬間、脳裏に響いたのは、かつて三俣みつまたが言った言葉だった。


『――助けるべき人間を、間違わないでくれ』


 天乃(あまの)の手が止まる。


(……誰を、助ける?)


 “線”を焼き切れば、辰上たつかみ一臣(かずおみ)の体内に取り残される。

 ――それは一臣(かずおみ)の望み通り。彼は自らを犠牲にし、辰上たつかみと共に消える覚悟だった。

 今回の計画も、それに基づいていた。ある意味で、自業自得だ。

 しかし、“線”を残せば、辰上たつかみ宗次郎(どこか)へと逃れる。

 ――宗次郎はただの子供だった。辰上たつかみに選ばれ、器とされ、討伐令の対象にされた“だけ”の存在、いわば被害者である。

 彼は何も悪くない。けれど、そこに辰上たつかみが乗り移れば――彼は再び化け物とされ、命を奪われるだろう。


(……どうする。相庭(あいば)か、見知らぬ誰かか。

 どっちを、助ける? これはそういう問題だ)


 崩壊した《王の法》の残滓ざんしの中、天乃(あまの)はただ、自分に問い続けた。


相庭(あいば)を、見殺しにするのか?

 それとも――誰かに、理不尽を押しつけるのか?)


 ……選べ。

 ……どちらが、本当に“救われるべき人間”なのか。

 目を閉じる。

 手を伸ばす。

 指先が、“線”に触れる。


「んなもん、決まってる。どっちも救えずに、何が『覚醒者』だ。」


 彼の中で燃えるように揺らいでいた二択は、もう選択肢ではなかった。

 彼は“どちらか”ではなく、“どちらも”を選んだ。

 だから叫ぶ。自身の能力に、自身の存在に。


「やってくれんだろ? 《境界書換(オレのふじょうり)》!」


 全身から放たれる蒼光が、空間の理そのものを揺るがす。

 天乃(あまの)の視界に、“二本に分かれた境界線”が浮かび上がる。

 一方は相庭(あいば)一臣(かずおみ)に、もう一方は相庭(あいば)宗次郎そうじろうに繋がる――

 辰上(たつかみ)の“意識の糸”である。


(切れば、相庭(あいば)に残る。残せば、誰かが喰われる。

 なら――境界を、分ける!)


 天乃(あまの)の魔眼が発光し、彼の指先が境界に触れる。


「《境界書換》――認識の統合を拒絶せよ。

 魂と魂の狭間に、隔絶の隔たりを設けろ。

 繋がるな。重なるな。混じり合うな。

 ――辰上(たつかみ)、お前はどこにも逃げられないッ!!」


 “線”が二本に裂かれる。

 伸びていた糸は引き裂かれ、分断された“中間”に、新たな空間が挿入される。

 “誰の器にもなれない空白”――魂の臨界点に生まれた、ただの“無”。

 そこに封じられたのは、辰上(たつかみ)の“意識の残響”。


「ぐっ……あ、ああああああああああああ!!!」


 空間が悲鳴を上げる。

 逃げ場を失った意識が、存在の境界そのものに食い破られ、押し潰される。

 この世界のどこにも帰属できなくなった“理皇りおう”は、次第に――崩れ、消え去った。

 静けさが戻る。

 天乃(あまの)の肩が、ふっと落ちた。


「……やった、のか?」


 疲労で崩れかけていた身体を支えながら、彼は振り返る。

 部屋の中央には、静かに眠る一臣(かずおみ)の姿。

 水無月(みなづき)が、ゆっくりと笑った。


「おつかれ、天乃(あまの)


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