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Replica  作者: 根岸重玄
登校騒乱編
74/286

完全体

 

 2036年6月7日午後5時29分


 その詠唱(えいしょう)とともに、相庭(あいば)の足元にある《王の法》の領域(りょういき)拡大(かくだい)をしようとする。それは、天乃(あまの)の引いた《境界(きょうかい)》に(はば)まれるはずだった。

 だが、次の瞬間(しゅんかん)、《王の法》の領域(りょういき)相庭(あいば)の身体に沿()って(のぼ)り始める。

 そして、まるで王座(おうざ)へと(いた)戴冠(たいかん)儀式(ぎしき)のように、相庭(あいば)の全身をその《王の法》による領域(りょういき)が包み込んでいく。


「くはは、くはははははははッ――

 良い。実に良いぞ。あぁ、初めからこうすべきであった。

 一臣かずおみ(ごと)きにに主導権(しゅどうけん)を渡すなど、王たる俺にあるまじき失態(しったい)だ」

「お前が、『亡霊』かッ!」

「ふん、不敬(ふけい)な――だが、許そう。気分が良い(ゆえ)な。

 貴様のおかげで一臣かずおみ制御(せいぎょ)が弱り、こうして俺が顕現(けんげん)するに(いた)ったのだからな」

「『亡霊』?」


 話について行けない水無月(みなづき)だけが首を(かし)げている。


「ふん、そう言うな、翡翠(・・)。よもや俺のことを忘れたわけではあるまい?」

「知らないし、翡翠(ひすい)じゃないけど」


 水無月(みなづき)のにべもない返事にも『亡霊』は()るがない。


「いや、待て。そうか。今は一臣かずおみ身体(からだ)であったな。

 では、改めて名乗(なの)ろう。我が名は辰上(たつかみ)――辰上(たつかみ)理皇(りおう)だ」


 その名を告げられても、水無月(みなづき)の反応は淡白(たんぱく)だった。

 ただ首を軽く(ひね)り、心当たりがないことを示すだけである。


「……おい、なんか言ってるけど、心当たりは?」

「ないってば。

 なんか自信満々で言ってるけど、アタシはほんとに知らないから」


 辰上(たつかみ)は無言のまま、水無月(みなづき)に向かって一歩――静かに、だが確実に距離を詰める。


我、汝に停止を命ず(とまりなさい)


 水無月(みなづき)の口から、即座に《王宮(おうきゅう)勅令(ちょくれい)》による命令が(はな)たれた。

 だが、辰上(たつかみ)嘲笑(ちょうしょう)を浮かべて返す。


「……ふん。王たるこの俺に命令とは、翡翠(ひすい)

 どういうつもりだ?」

「どうもこうもない。アタシは水無月(みなづき)風華(ふうか)

 “翡翠(ひすい)”なんて名前、身に覚えはないわ」

「くはははは……なるほど、そういう“遊び”か。

 付き合ってやらんでもないが――俺は、冗談(じょうだん)が苦手だ」


 そう言って、辰上(たつかみ)はさらに一歩、水無月みなづきに近づく。


「……嘘っ!? なんで!?」

「“何故”とは異なことを。

 王たる俺に命令できる者など、この世に存在(そんざい)するわけなかろう」


 その瞬間、割って入ったのは――魔導書『虚空の旋律(コクウノシラベ)』の声だった。


「――アホ抜かせ。ボケとんのか?」

「……なんだ、貴様は?」

「相変わらずやな。辰上(たつかみ)ってのは、どいつもこいつも頭が()いとる。

 現実が見えてへんやろ?」

「ほぉ、……続けてみろ」

「ええか? ここはアンさんの生きとった時代とちゃう。

 つまりな――アンさんの知り合いやった奴なんて、もう存在せえへんのや」

「……では、そこの女は、本当に翡翠(ひすい)ではないと?」

「そういうこっちゃ。

 アンさんはただの先祖(せんぞ)(がえ)りやあらへん。――転生体(てんせいたい)や。

 実在した、過去の人物のな」

「ふん……(にわ)かには信じがたいな。

 だが、仮にそうだとしても、俺のやることは変わらんわけだが」

「やろうな。

 転生した理由も残っとらん転生体なんぞ、消すに限るわ」

「よかろう。俺は『超越者』として、世界を支配する。

 止めて見せるがいい」


 そう言うと、辰上(たつかみ)は右腕をゆっくりと持ち上げた。

 魔力が震えるように空間をきしませ、《王の法》を再び起動させようとする――


「無駄だ。それでも臣民(しんみん)がいないことには変わりない。

 基本となる《王の法》が起動しない以上、何をすることもできないはずだ」


 天乃(あまの)の声は冷静だった。

 《王の法》が成立するためには、“国”としての構成要素――主権・領土・国民が必要だ。

 だが今、その“臣民”は――誰一人存在していない。

 しかし、その指摘を受けてなお、辰上(たつかみ)は笑った。


「くははははは、異なことを。“臣民”なら居るではないか」


 ――一瞬の沈黙。

 そして、天乃(あまの)の脳裏に、恐るべき可能性が(ひらめ)く。


「――そうか、相庭一臣(・・・・)ッ!!」


 天乃(あまの)の声に混じるのは、焦りではない。

 理解してしまった者の確信である。

 辰上(たつかみ)理皇(りおう)相庭(あいば)一臣かずおみ、その二者が別人格であるならば――辰上(たつかみ)が“王”として君臨し、その身体に残された相庭(あいば)一臣かずおみの精神は、“臣民”として計上されてしまう。

 これは、《王の法》が要求する三要素――主権・領域・臣民――のすべてを、ただ一つの身体によって満たしてしまうという魔術的(まじゅつてき)詭弁(トリック)である。

 そして、さらに深刻なのは――《境界書換きょうかいかきかえ》による干渉が、届かないという事実だった。

 《王の法》の領域は、もはや空間に広がるものではない。

 それは、相庭(あいば)の身体そのものをよろいのように包み込み、まるで皮膚そのものが“法”に変じたかのように、完全に内側へと収束している。

 ――つまり、分けるべき『境界』が存在しない。

 書き換えるべき『空白』が、どこにもない。

 これは、《境界書換きょうかいかきかえ》の射程しゃていおよばない“内在化された支配”――「王」が「臣民」を自らの肉体に取り込んだ状態である。

 そして、辰上(たつかみ)は高らかに笑う。


「――これこそが、《王の法》の完全体だ」

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