嵐の足止め
2036年6月7日午後5時6分
間森は、その“嵐”の中心に向かって自動拳銃による銃弾を正確に打ち込んだ。
銃弾は獣が群がる暴虐の嵐の中心にいる男の側頭部に命中し、男の命脈を確実に絶ったはずだった。しかし、次の瞬間には男に群がる獣は錐揉み回転しながら宙を舞い、壁や床や天井に叩きつけられ、あるいは窓ガラスを突き破って階下に落下することでいずれも原形を失い、霧散していく。
「くそッ、“不滅の英雄”、ここにありってか」
「くッ、あっはっはっはっは。いやぁ久々の銃弾の味は最高だったぜェ。こう、なんだか生きてるって感じがするよんだなァ。
なァ、おい、聞ィィてるかよォ、間ァァ森ィィィ!!」
「ありゃ、バレてらぁ」
銃弾を受けた本人である伏見は、血で染まる視界の端に遮蔽へと逃れる間森の影を確実にとらえていた。もっとも、伏見には既にその血は流れておらず、およそ無傷と言って差し支えない姿であったのだが。
《正常稼動》――これこそが伏見を“不滅の英雄”に仕立て上げた固有魔導の名である。身体に異常が生じた瞬間、かつて正常だった状態に回帰するというとんでもない魔術である。この魔術の更にとんでもないところは空腹や尿意、はたまた老化といった本来避けえぬ生理作用すら異常と認識されている点である。つまり伏見は理論上、体内に魔力の存在する限り、飲まず食わず、はたまた無呼吸でも活動できてしまうのである。おそらく、核の炎や放射線による汚染すら身体を正常に戻すことで乗り切ってしまうのだろう。
それは敵陣ど真ん中に投下して放置するのが最適解などと称されるほどの性能をしている。
ちなみに、例の通称『人間辞めましたランキング』では堂々の殿堂入りである。緋澄が浅木市内では実質1位と言われている要因は主にこの伏見の存在があるからに他ならない。
それほどまでに伏見の存在は固有魔導の名とは裏腹に異常なのである。
(さぁて、どうする。獣はあと10体ほど、つまり一回の攻勢で全滅する。
拳銃の弾数は30発もないくらいだが、ほぼ無意味。
発煙弾と魔弾は効くと信じたい。
これで、5分もたすには……)
間森が思考を巡らしている間にも事態は進行する。伏見が群れる獣を無視して間森の方向に直進を始め、排除にかかる。
それに気づいた間森は反射的に伏見の膝を狙って左右3発ずつ打ち込む。
伏見の脚部に命中した弾丸は狙い通り、伏見を転倒させかける。しかし、伏見は非常に奇妙な挙動で前進を敢行する。
「んなもんが、効くかよォォォ」
なんと吹き飛びかけた脚を再生しながらそのまま器用に姿勢を維持しつつ走っているのである。
「なんつう体幹、マジモンのバケモンかよ」
伏見の挙動は流石に予想外であったが、伏見は結局何かに激突して転倒する羽目になる。
「あァあああ!? んだよ、この見えねェ壁みてェなもんは」
(これは、教授の《俯瞰地図》か!? 助かったぜ)
間森は早速、発煙弾の煙を用いて見えない壁の形状や位置を把握する。
窓ガラスが割れていることから、煙はすぐに霧散するが、煙の効かない獣の群れがそのまま一群となって再び伏見に特攻を仕掛ける。
「ウザッてェ」
と思ったのも束の間、伏見は先頭の獣の口に両手を突っ込むと力任せに左右に引き裂く。そのまま霧散して消えゆきつつある獣の体を振り回し、2体を撃破する。間森は慌てて、発煙弾で援護するが、後は殴る蹴る踏む投げる締める潰す極める頭突くといった暴力の応酬で獣はすべて霧散する。
「いい運動になった」
伏見の体に纏わりついていた血がすべて消えていく。
どうにも、伏見は肉体の限界を超えた暴力を振るうため、筋繊維が千切れたり、内出血が発生するのは序の口、内部から破裂する勢いで拳を振り抜くことすらあるのだ。
つまり、この血はすべて伏見のものだったというわけである。
「《正常稼働》ってどこがだよ」
「俺は、きちっと正常に稼働してるぜェ」
「やってることが猟奇的過ぎて異常なんだよッ!」
「さて、と」
伏見は見えない壁に触れ、調べるような素振りを見せる。
(こういうのは、調べたところでわっかんねェんだよなァ)
(伏見が止まった今がチャンスか)
「なぁ、伏見先生さんよ」
「今は教師じゃねぇ、ただの伏見だ」
(だが、照応型の類感魔術ならやることは、一つ)
「狗飼朱音がここにはいないっつたら帰ってくれる?」
「あァ!? それを確認するのが仕事なんでなァ。
代わりに、どこにいるって情報があればいいんだがよ」
「それはわかんねぇけど」
「あっそ、端から期待してねェよ」
「ところで、さっきからなにやってんの?」
「いや、この辺の壁に穴を開けようと、な!!!」
伏見が大きく振りかぶった拳を割れた窓ガラスと別の窓ガラスの間の壁に突き入れる。伏見の拳は砕け、腕も骨が見えるくらい筋繊維がはじけ飛んでいるが、それに見合った威力を叩き出したが如く、鉄筋コンクリートの壁がみしみしと音を立ててひしゃげている。
「それもう、一丁ォォ!!」
伏見は即座に再生した腕を振りかぶり、もう一度同じ箇所に拳を叩き込む。
すると、壁が四散するように弾け飛び、窓ガラスがあった空間同士が繋がる。
その瞬間、《俯瞰地図》による見えない壁も消滅する。
三俣の持っていた見取り図と実際の研究所の間取りが変わったことにより、両者の照応関係が途絶え、類感魔術である《俯瞰地図》が機能しなくなったのである。
「ま、何事も根性ってワケだ、若人よ」
「勘弁してくれ、この腐れジジイが」
間森が言った瞬間、彼我の距離を一瞬で詰めた伏見が拳を突き出す。
間森はそれを予測していたかのように難なく躱しつつ、最後の発煙弾をここで使い、伏見の視線を遮る。
そうして止まった伏見の横を擦り抜けつつ、サバイバルナイフを後方の床に放り投げる。こうしてナイフが床に落ちた音で伏見の注意を惹きつつ、その背後をとる。
(これで止まらなかったら終わりだな)
間森は解呪の魔弾を装填した拳銃を伏見のいた場所に向け、躊躇なく発砲する。上手くいけば、解呪の効果が《正常稼働》の動きを妨げるかもしれないというごく僅かな望みに賭けたわけであるが。
風が吹き込み、煙幕が晴れていく。
果たして伏見は、そこに無傷で立っていた。
「これが切り札か。残念ながら、俺にとってどんな効果だろうが、身体に入り込んだ異物は《正常稼働》の対象だぜ――ってもう居ねェし」
そう、間森は、弾丸の効果を確認することなく一目散に逃走を図っていたのであった。
「……なら、もう一方を直接叩くだけだな」
「それは困ります。主殿の計画に支障が出てしまいますので」
伏見が天乃と《無貌》の男に標的を変更しようとしたところ、どこからともなく表れた赤い着物を身に纏った女性が立ち塞がる。見た目は成長した英莉そのものなのだが、その表情は無表情ではなく、険のある表情を隠そうともしていない。
「俺の前に立つってことは、それなりの目にあっても文句は言わないってことでいいんだなァ」
「構いませんよ。もとよりわっちの身体は再生いたしますので、存分に破壊なさってください。そういう癖の方もいらっしゃいますので。そういうお勤めだと考えれば、えぇ、少しは気が紛れます」
「ほォ、壊しても壊し足りないってのはあまり経験がねェな」
「好きなんですね。壊すのが。実は、わっちもです。特に、自分が上位だと考えている殿方の命を奪うのは最高の快感ですね。尤も、今回はそれを味わえそうにありませんが」
少し頬を紅潮させた成長した英莉の見た目をした女性からは、それでも決死の覚悟が見て取れた。
これは戦場で何度も見たことのある眼だ。そう思った伏見は自然と声を出していた。
「……古ぃ仕来りだが、名乗りは必要かい?」
「どちらでも」
「元日本軍独立魔装大隊所属、大隊長――伏見鋼一ィ」
「魔導書『闇の眷属』自立型搭載人格――識別個体名:小夜。
推して参ります」




