自己犠牲の先行投資、辰上に対抗するために
2036年6月7日 午後12時19分
英莉の指摘に、その場にいた全員が瞠目する。
一瞬の沈黙がありながらも、最初に口火を切ったのは、天空であった。
「――それは、今、この場において、重要なことなのでしょうか?」
「無論じゃとも」
英莉はそう即答し、天空に語り掛ける。人形のように精緻なその顔は、どれほど言葉に熱がこもろうとも、ぴくりとも動くことはない。
「幸いにも、今のわっちは、主殿の使い魔という立場じゃからな。主殿以外の他人の立場を尊重して差し上げる必要は一切ない身の上というわけじゃ。故に、空気を読まずに主殿の利益のみを追求できるわけじゃが。――その意味で、この話題は避けられん。何しろ、対象の位置情報を取得し続ける魔術に介入して、その対象の位置情報を偽装したわけじゃろ? わっちには心当たりがあるのぉ。そのようなことができる者に」
したり顔で笑みを浮かべようとした英莉であったが、表情筋を動かすことのできない彼女の試みは失敗に終わる。無機質な美貌を保ったまま、彼女は言葉を続ける。
「まぁ、話を聞いていた限り、それはうぬも同じであろうし、――そこな小娘も同様じゃろう?」
そういって英莉は天空を見やり、続いて遊上を指さす。
天空と遊上は何も言わなかったが、その表情から、心当たりがあるだろうという英莉の指摘は的を射ていたようである。
「つまり、この場において事情を知らぬは当人のみということになる」
英莉の言葉とともに、天乃を除く全員の視線が天乃の方を向く。
「当人? ってオレ……か?」
「そのとおりじゃとも、主殿。他人の術式に介入してその条件や対象を書き換えるなどという離れ業は、主殿の固有魔導術式――《認識変換》の他に候補はない。じゃからこそ、うぬは位置情報を偽装したのが主殿であると断定して行動しておったのじゃろ?」
「お恥ずかしながら、ご指摘とおりでございます。かようなことができる者の候補は、天乃様を置いて他におりませんでしたので。天乃様にしかできないことだったので、天乃様が行ったと考えておりました」
天空はそういいながら英莉に向き直る。
「ということは、貴女の主張を推測するに――天乃様は記憶喪失であったことから、自身の扱う術式の記憶もなかった。だからこそ、これを使用することはできなかった――ということですか?」
「然り」
「ですが、結局貴女の証言が真実であることの証拠は提示不可能なのでありますよね?」
「それもまた然りじゃ。既に述べたとおり、わっちは主殿の使い魔じゃからな。主殿に利する嘘であれば平然と吐き通すであろうよ」
ここで英莉は言葉を切り、天乃の方を一瞥してから、目線を天空に戻し、重々しく切り出す。
「故に、わっちは『担保』を積もうと思う」
「『担保』ですか?」
「そうじゃとも。この『担保』をもって、わっちの言が真実であるとわっち自身が保証する。どうやら、うぬに信用して貰わんと話が先に進みそうもないのでな」
そういう英莉の手には、いつの間にか魔力で構成された紙の束のようなものが出現していた。
「これは、まあ、狗飼の眷属であるうぬには改めて説明する必要もあるまい。わっちと主殿の間にある《契約》――その条項が記された『契約書』じゃ。ま、本来は口頭で結んだものじゃから、このような形すらないものじゃが、今回はわかり易さ重視ということで可視化してみた。それで、『担保』としてわっちが差し出すのは、ずばり、わっちと主殿の間にあるこの《契約》じゃ。条件付きの地位の譲渡についての条項を足そう。召喚体であるうぬには《契約》の重要性と追加する条項の意味はわかってもらえると思うが、どうじゃろうか?」
「正気ですか!? それは、万が一の場合には貴女の存在と引き換えなのではないですか?」
「だからこそ、『担保』となり得るわけじゃろ? 正直に言おう。わっちの危惧は割と重大なものでな。共通の認識も目的も持たぬ状態では支障を来す可能性が高いのじゃよ。最悪、うぬの助けも必要かもしれん。故に、この『担保』は、必要な先行投資というわけじゃな」
「この天空は、お嬢様の益となる行動しかしません。つまり、貴方方とは可能な限り相互不可侵――という方針に変わりはありません」
「今はそれで構わん。重要なのは、うぬに現状を知ってもらうことじゃ」
「……ですが、条項の追加や削除には契約者双方の合意が必要のはずでは?」
「なに、わっちには《契約》により一定の範囲について主殿の代理権が付与されておる。わっちの身を『担保』にする程度であれば、わっちの一存で可能じゃ」
そういって英莉は手元の紙束をひらひらと振る。
「使い魔側に重要な条項を自由に変更できる代理権を付与しているとは、まともな《契約》とは思えませんね。一応確認しておきますが、天乃様はそれでよろしいので?」
「えっと。正直、状況を完全に把握できているとは言い難いんだけど」
天空から急に話を振られた天乃は、困惑気味に返答する。しかし、その答えは既に決まっていた。
「いいんじゃないかな。オレは、英莉の判断を尊重するよ」
「さすがは、主殿じゃ。その状況に流されながらも的確に欲しい言葉をくれるところは、なんというか、さすがとしかいいようがない」
英莉はうむうむと、満足げに深く頷いている。
「はぁ、まぁ、わかりました。『担保』の件は承諾させていただきます。条項案は……こちらでよろしいですか?」
そう言って天空は手持ちの携帯端末に文章を入力して英莉に提示する。英莉がそこにいくつか修正を要請したところで、条項案がまとまった。
「うむ, なんだかなぁ。わっちが言えた義理ではないが、うぬも独断専行気質よな。主人に報告とかせんでよいのか?」
英莉はそう言いながら何もない空間をなぞるように指を這わせる。そうすると、英莉の指がなぞった跡が空間に残り、文字列が形成されていく。
「何を今更。天乃様との相互不干渉協定につきましても、この天空がお嬢様に内緒で勝手に締結しておりました。要は気付かれなければよいのです」
「うむ、こいつも実はやべぇ奴じゃろ」
天空の言い分に密かにドン引きする英莉を尻目に、天空は空中に現れた文字列を確認している。そして、その文字列が英莉の手元の『契約書』に追加されたことを確認すると、話を先に進めようとする。
「とりあえず、この天空はエリザベート様の言が真であることを前提とすることにします」
「ぬ。契約の条項を足したときに『契約書』のわっちの名を盗み見たか。じゃが、エリザベート様はやめい。この姿のときは英莉と呼ぶがよいぞ」
「では、改めまして、英莉様。先程おっしゃられていた重大な危惧とはいったい何なのでしょうか?」
「うむ。わっちは、《認識変換》以外に位置情報の偽装を行える魔術に心当たりはないが、主殿以外の者で《認識変換》を扱える者には心当たりがある」
「天乃様のあれは固有魔導だったと記憶しておりますが」
「《認識変換》が固有魔導術式ってのは、さっきも英莉が言ってたな。なんなんだ固有魔導って?」
天乃がそのように口をはさんだところ、天空は驚いたように目を見開き、遊上も当惑した様子を隠せないようであった。
「まさか、本当に? この程度の固有名詞が記憶から欠如していると?」
「言い忘れておったが、主殿の頭の中からは記憶だけではなく、魔術に関する知識全般も失われておる。むしろ、こっちの方が深刻なほどじゃ」
「一応、オレなりに本を読んで一夜漬けしてみたんだけどな。固有魔導ってのは詳細が見当たらなかったんだが」
「あーあ、それで『現代魔術重点講義』を読んだわけね。そういうこと」
遊上が納得したように頷く。
「慎ちゃんの持ってた本には確かに書いてなくても不思議ではないわね。あれって何度か改訂されてるんだけど、途中からは上下巻構成になってるはずだから、あれは相当古いものだと思うの。んで、多分だけど、上下巻構成になる前には分類が進んでなくて、そういう概念はまだ存在しなかったのよ。固有魔導って比較的新しめの概念だからね」
「そうなのか」
「固有魔導術式というのは、そうじゃな。一代限りの再現性のない術式のことじゃと覚えておけばよいじゃろ。これの使い手は、生まれつき通常の魔術体系とはかけ離れた魔術を常用できるように魔術回路が組みあがっておることから、逆に普及している通常の魔術が扱えない者が多い」
「固有魔導の使い手が特化者といわれる所以ですね。ちなみに、ここ、第三高は特化者が集められる傾向にありますが、固有魔導持ちはさらに優先的に配属される傾向にあると聞きます」
遊上の説明に英莉と天空が補足する。
「ん? 再現性がないってんなら、オレ以外にその《認識変換》を使える奴はいないってことじゃないの?」
「ええ。ですから、この天空は天乃様以外に実行したものを想起できませんでした」
「うむ。まぁ、普通はそうじゃろう。固有魔導術式はその再現性のなさから稀少性が認められておるんじゃしな。ただ、わっちは知っておるんじゃよ。ニンゲンが使用することのできるあらゆる魔術を再現できる固有魔導術式が存在すること、そして、その固有魔導術式の保有者をな」
「少なくとも、浅木のデータベースには載ってなかったわね。そんなチートみたいな固有魔導。っていうか、わかってはいたけど、固有魔導って常識の埒外なのね」
英莉の言葉に、遊上と天空は信じられないという思いを抱く。実際、それほど荒唐無稽な話である。
この世には、使い方次第によっては、それ単体でこの世界全体を崩壊の危機に陥れる術式すら存在しており、それらは、全て固有魔導術式である。再現性がないからこそ、その術者を厳重に管理することで何とかやってきているのだ。
具体的には、そのような固有魔導術式の保有者の個人情報はある程度公開されており、常に複数の国家から行動を監視されている状態にある。そして、場合によっては、これ以上に著しく人権を無視した措置もとられることもある。
しかし、英莉の話は、あらゆる術式を再現できる者が全くのノーマークで放置されているというのだから、その前提を覆しかねないほどのものである。これは、各国に設置された核爆弾のスイッチを持った個人が野放しになっていることにも等しい。そして、そのスイッチは、気に食わないという理由で押されかねないのである。
「むろん, どんな術式でも再現できるとはいえ、特定の条件下かつ回数制限もあるので、字面から受ける印象ほど万能でもない。そもそも、術式の再現は副次的な機能なのじゃよ。彼奴の固有魔導術式の本来の効能は別にある。じゃから、仮に彼奴が真っ当な生活を送っておったとしても、術式再現は露見せんかったじゃろうな」
「真っ当な生活を送っていたとしたらとは、どういう意味でしょうか?」
「彼奴は公式の記録では行方不明でな。既に死人という扱いなのじゃよ。偽造の戸籍も持っておらんようじゃし、死人じゃからマイナンバーももう使えん。つまり、真っ当な現代社会のインフラの恩恵は一切受けておらんのじゃ」
「それでは、買い物すら困難なのではないですか?」
この時代、買い物は硬貨や紙幣ではなく、電子決済で行われるのが基本である。もちろん、硬貨や紙幣が使えないという意味ではない。
もっとも、少なくとも、この浅木では防犯上の理由から完全に電子決済のみに移行しており、硬貨や紙幣を用いることはできないようになっている。
電子決済を行うためのツールとしては、当時一般的に普及していた携帯端末が使用されており、この携帯端末を使用するためには、携帯電話会社と契約する必要がある。
この際、携帯端末で電子決済を行うようにするためには、公的な身分証明書と銀行口座の情報が必要となる。そして、銀行口座を開設するためにも身分証明書は必須である。とすれば、公的な身分証明書を持てない立場では、買い物すら困難となるのである。
むろん、公的な身分証明書がないという点では、人間ではない英莉や天空もそのとおりではあるのだが、彼女らは天乃や狗飼を通じて電子決済可能な携帯端末を入手することができるので、買い物程度なら支障はないのである。
「まぁ、普通はそうなんじゃが、彼奴の場合は事情が異なる。不特定多数の協力者がおるからの」
「不特定多数とは、どういう意味でしょうか?」
「言葉の通りじゃとも。見知らぬ誰かじゃ。本人すら気付かん間に彼奴の協力者――正確には、『臣民』となり、本人が意図することなく彼奴の益となるように動くこともある」
「待ってください。『臣民』とおっしゃいましたか?」
「やはり、狗飼の眷属ならこれで察するか」
英莉の言葉に、天空の表情が苦悶に満ちたものになる。
「ありえません。かの一族は既にその血脈が絶えたはずです。それに、かの一族の者なら、固有魔導を持つことはないはずです」
「ふむ。確かに、彼奴は傍流も傍流じゃから、正式な後継者というわけではないかもしれんが、れっきとした血縁者じゃよ。わっちは彼奴の血を飲んだこともあるのでな。そこは間違いないと断言しよう。そして、固有魔導術式を持っておる理由じゃが、これはもうわかっておるはずじゃ。近年では、特に稀というわけでもあるまいに。絃留・御堂・新保・芭蕉――ほれ、このとおり、既に三分の一もの先例があるではないか。五つ目があったとしても何の不思議もあるまい?」
「それは、そう、ですね」
「わかったか? わっちの危惧するところが」
「確かに。かの一族が暗躍しているのであれば、狗飼に連なるものとしては放置しておけません」
「一手遅い」
「え?」
天空の言葉に、英莉は少々きつめの口調で苦言を呈する。
「彼奴の行動が露見したということは、既に彼奴にとって都合のよい結果は発生しておるということじゃ。問題は、どんな結果が生じているかということじゃが、こればかりは、調査してみんとわからん。何か変わったことはないかの? 特に主殿は、“魔術師殺し”をフル活用してもらいたいんじゃが。特に、地面を重点的に見てほしい」
「わかった」
英莉の言葉に、天乃はその“魔術師殺し”と呼ばれる魔眼をもって周囲を見渡す。全員が周囲を確認していたところ、突如として、引きつったような呻き声をあげたのは、天空であった。
「なにか見つけたか? 狗飼の眷属よ」
「…………なるほど。――なるほど。ああ、恨みますよ、天乃様、英莉様。やはり、貴方方とは関わらないという選択肢が最善だった。この天空の判断はやはり間違っていなかった!」
「天空さん?」
「何があった? 何を見たのじゃ? わっちには異常が見当たらんのじゃが」
天空は、どこかに駆け出す素振りを見せたものの、結局動き出すことはなかった。その場に留まることにしたようである。
「いえ、もう大丈夫です。この天空は、冷静です」
「なんか、そうは見えないんだけど。どったのさ天空?」
遊上は、地面を睨むように見つめ、手のひらから出血するのにも構わずに握り拳を作り続ける天空に声をかける。
「……皆様には、この天空の監視術式――『天眼』についてはお話ししましたよね?」
「ああ、確か、常時対象の位置情報の取得ができて、任意で対象の目視ができるというものでしたっけ?」
「そのとおりです、天乃様。この天空は、今はこれをお嬢様を対象として使用しておりました。現在のお嬢様の位置情報は、校舎の外周をゆっくりと移動しております。――ですが、その場にいるはずのお嬢様が目視できません」
「え?」
「なるほど、狙いは狗飼の娘の方じゃったか」
「英莉様。あの――」
「皆まで言う必要はないぞ。こうなった以上は一蓮托生じゃ。彼奴の最終的な狙いは主殿じゃろうからな」
「え? オレ?」
「そうじゃとも。彼奴と主殿は旧知の仲なのじゃ。むろん、彼奴が旧交を温めようなどという理由で接触を図ってくるなど、まずあり得ん。狗飼の娘を取り込んだ時点でこれはほぼ確定じゃ。それに、主殿は、現在の自身の状態を忘れたわけではあるまい?」
「存在強度の低下か。つまり――」
「もちろん、取りに来るじゃろうな、その命を。彼奴――『辰上』の御子ならば」




