赤き影、再び
2036年7月7日午後12時52分
緋澄は妹の遊上と共に、街のカフェで遅めの昼食を取っていた。今日は特に急ぐ用事もなく、食後に映画でも見ようかと軽く相談していたところだった。
だが、ふと通りに目をやった瞬間、彼女の表情が凍りついた。
雑踏の中に、場違いなほどの存在感を放つ女の姿があった。
赤のチャイナドレス。高く結い上げた黒髪のシニョン。
明らかにこの街の空気から浮いている。
《懐古主義者》の幹部として暗躍していた魔術師――《禁絶》。
緋澄が天乃、間森とともに交戦した相手であり、その実力は並の魔術師の比ではない。あのとき勝てたのは、ほとんど天乃の働きによるものだ。《禁絶の世界》という致死級の魔術を封じ込められなければ、今ここにいる人間すべてが塵となるかもしれない。
緋澄は瞬時に判断し、目の前にいる妹の腕を強く引いた。
「真理、行くわよ。急いで」
「えっ? どうしたの、お姉ちゃん?」
「あとで説明するわ。とにかく、あっちに」
《禁絶》の進行方向とは逆の路地に入る。人気は少なく、安全な場所ではないが、今は見つからないことが最優先だった。
「お姉ちゃん……何があったの?」
「《懐古主義者》の幹部がいたの。《禁絶》よ。強力な魔術師、最悪の部類」
「……どうしてそんなのが、街中に?」
「わからない。でも、あれが動いてるってことは、何か目的があるのよ」
遊上の表情が引き締まった。彼女は緋澄と違い、直接《禁絶》と対峙したことはないが、《懐古主義者》の幹部たちについてはよく知っていた。
かつて自分が所属していた組織――《懐古主義者》。そこに《禁絶》がいたことも。
「《禁絶》……あの人がここに現れるなんて。まさか、何か再始動してるの……?」
「知ってるの?」
「面識はないよ。でも、組織にいた頃、その名前はよく聞いた。誰も近寄らなかった、文字通りの“禁忌”だった」
遊上はバッグから携帯端末を取り出し、指をすばやく動かす。
幾つかのセキュリティを破り、浅木の監視ネットワークに不正アクセスする。数秒後、映像が手元の画面に映し出される。
「いた……この交差点を東へ。……迷いがない。何か明確な目的があるんだ」
「真理、それ、追跡できる?」
「もちろん。カメラを切り替えながら、移動ルートは把握できる。私はこのまま後方支援に回る。でも……お姉ちゃん、本当に行くの?」
「行くわ。見過ごせる相手じゃないし、私が気づいた以上、何かが起きる前に動くしかない。あなたは近づかないで。サポートだけ、いい?」
「了解。でも、無茶はしないで。できるだけ安全に、冷静に」
「わかってる。真理もね」
二人はそれ以上多くを語らず、すぐに行動に移った。
緋澄眞琴は再び雑踏へと戻っていく。
だが、ただの一般人としてではなく――この街を守る魔術師として。
そして、再び《禁絶》に対峙する者として。