――だから、問題ない
2033年5月20日午後6時18分
「……ちょっと意地悪だったかな? “真の黒幕が僕でした”なんていうオチはさ」
鵲の声音はどこか楽しげだった。
「出題者が真の黒幕ってのは、反則だろう」
天乃は皮肉めいて返す。
「……でも、よかったのかい? 別れの挨拶もなしなんて」
鵲の声が、隣で軽やかに響く。
「いいも悪いもない。……結局、オレにはこの任務はよくわからなかったしな」
天乃は窓の外、遠く霞む町並みを見つめながらそう答える。
「はっはっは。言ったろう? 君は、彼女から“大切なもの”を受け取っている。
それに気づけるかは、君次第だ」
「……」
天乃は答えず、ただ手を静かに握り締める。
「さて、次の目的地は北欧方面だよ。『殺し屋』が活動している。
彼は今のうちに叩いておきたい存在だからね」
「……随分、遠いな」
「……なんだい? やっぱり、風華ちゃんが心配かい?」
「……いや、専らの懸念事項だった雹霞との和解は成立した。
護衛はもう必要ないだろう。
――だから、問題ない」
「問題ない、ね。――じゃあ、行こうか」
鵲が肩をすくめるようにして歩き出す。天乃はその背に、ほんの一瞬だけ視線を向けたあと、無言でそのあとに続いた。
2033年5月20日午後6時20分
「――百目鬼っ!」
風華は烈火の病室の扉を勢いよく開けて飛び込んだ。息を切らしながら、部屋の中を見渡す。
けれど、探している“彼”の姿はなかった。
「……彼なら、風華を追いかけて行ったよ?」
ベッドに横たわる烈火が、ふと目を開けてそう呟く。
「――ッ」
風華は言葉を返すこともなく、そのまま踵を返して駆け出した。
院内の廊下、裏口、研究棟の外れ――あらゆる場所を走り回った。
けれど、どこにも彼の姿はなかった。
胸の奥に残るのは、あの時、確かに感じたあたたかな背中の記憶。
風華は、しばらくの間、その場から動けなかった。
2036年7月7日午前9時58分
「あの後は大変だったよねぇ。ふぅちゃん、わかりやすいくらい塞ぎ込んじゃってさ。魔本にどっぷり傾倒するし」
「一時期は本当に深刻でしたね」
狗飼の傍らに控える天空が、控えめにうなずく。
「元気が戻ったかと思ったら、今度はぜんっぜん成長しなくなるし」
「この天空としては、雹霞様の変わり様も意外でしたが」
「でしょでしょ!? あれはねぇ……完全に手のひらくるっくるだったもん」
狗飼はどこか楽しげに笑う。
「思うんだけどさ、雹霞さんって――絶対、烈火さんに恋してるよね?」
「……またお得意の“恋愛センサー”ですか」
天空は無表情のまま、ぴしゃりと返す。
「もぉ~、真面目に聞いてよぉ。それくらいしか、あの態度の変わり方は説明できないってば。絶対に、ただの家族愛じゃないもん!」
「この天空には……難しいお話です」
「また~! 逃げた! でも、絶対そうなんだからね!」
言った瞬間、狗飼の顔がひくっと歪む。「うっ、いたぁい……」
「だから、動くからですよ」
天空が落ち着いた声で応じる。
「むぅ……明日までに治るかなぁ、コレ」
「大丈夫でしょう。お嬢様ですし」
「ぞんざいっ! 扱いがぞんざいだよ、天空!」
「これに懲りたら、無茶はしないことです」
「うぅ……冷たいなぁ」
「この天空も、怒るときはしっかり怒りますから」
「お小言は朱雀とお父様だけで十分だよぉ……」
狗飼は頬を膨らませ、ふてくされたように寝返りを打つ。
天空がため息を一つ。
「はぁ……」
「……ちょ、今めんどくさそうな顔したでしょ!? してたよねっ!?」
「気のせいです」