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Replica  作者: 根岸重玄
競技大会編
146/286

希望狂いの果てに

 2036年7月6日 午後4時5分


「……まって、まって……」


 狗飼(いぬかい)は蚊帳の外の片隅で、唇を噛んでいた。

 闘いは終息に向かいつつある。

 《潰滅(ついめつ)》は止まりつつある――だが、彼女の中ではまだ何かが終わっていなかった。


「……まだ終わっちゃダメ……わたくし……まだ……何もしてない……!」


 拳を握る。

 心が熱い。焦りじゃない、苛立ちじゃない。

 これは――渇望(かつぼう)だ。


「うーん、うーん……何か、ないの……? まだ何かできること……!」


 自問する。

 追い詰められた子どものように、しかし心は確かに――覚悟の(ふち)に立っていた。


「……あれ? 待って……わたくし、なにバカなこと言ってるの?」


 はっと息を呑んだ。


「魔術……使えるじゃん……! “できるようになれば”いいじゃん!!」


 そう散々見てきたではないか――詠唱という名の、心象の開示。

 魔術とは、心が形を持つこと。


「……わたくしは、ふぅちゃんのために……(ひとえ)に、ふぅちゃんのためだけに……」


 自分に問いかける。

 何がしたいのか。

 なぜ、ここにいるのか。


「――幸せになってほしい。輝く彼女が見たい」


 願いは、それだけだった。

 どうすればいいかわからない?

 なら、わかるようになればいい。

 どうしてもできない?

 なら、できるようになるまで続ければいい。


「わたくしは、諦められないんだから!!」


 叫びが、魂の奥から溢れ出した。

 奇しくもそれは――天乃(あまの)が至った領域と、同じ場所だった。

 曰く、「勇者の素質」。

 曰く、「不屈の亡者(もうじゃ)」。

 曰く、「希望狂ヒカリぐるい」。

 諦めるという選択肢が存在しない者だけが至れる領域。

 彼女の“空っぽ”は、まさにこの時を待っていたのだ。

 天に向かって、詠唱が口をついて出る。

 それは、意志の奔流(ほんりゅう)。魂の宣誓。


 「“百の獣を従えど、我が空白は埋まらない”」

 「“私は従えるために生まれてきたのではないのだから”」

 「“奉仕する喜びを知る者が何を以て支配者となれようか”」

 「“我が願いはただただ(ひとえ)にあの光のために”」

 「“故に、天に祈ろう、我が幻想の健在なることを”」

 「“完全没入(フル・ダイブ)――《百獣覇群ひゃくじゅうはぐん》”」


「そうだよ。誰もが“障害”として足りないなら――

 わたくしが、なるしかないじゃない」


 狗飼(いぬかい)は、笑っていた。

 それは無垢な笑みではない。

 かといって、狂気に染まったものでもない。

 ただ、どこまでも純粋に――歪んでいた。


「完全没入――《百獣覇群ひゃくじゅうはぐん》」


 その瞬間、空間が裂ける。

 狗飼(いぬかい)の身体から、黒い(もや)のような“獣影”が溢れ出す。

 咆哮。踏み鳴らされる大地。

 異形の霊獣たち――過去に狗飼(いぬかい)家が契約してきた百を超える霊獣たちが、狗飼(いぬかい)朱音(あかね)の内なる世界から外へと流れ出す。

 それこそが、狗飼(いぬかい)の真なる魔術。

 歴代狗飼(いぬかい)家が代々継承し、秘匿してきた秘術。

 あらゆる“主従”の霊的記憶を血脈に刻み込み、一代でそれら全てを支配下に置くという呪術的契約体系――


「そう、ようやくわかったの。わたくしってば……光に恋をしてたのよ」


 狗飼(いぬかい)の目が、どこまでも透き通っている。

 そこに映るのはただ一人――水無月(みなづき)風華(ふうか)


「わたくしは、ふぅちゃんの“幸せ”が見たいの。……でも、ただ幸せになるだけじゃ足りないのよ。

 だって、ふぅちゃんが一番光っていたのは――苦しんでいたときだったから」


 哀しい理屈だった。

 けれど、それが狗飼(いぬかい)朱音(あかね)の“真実”だった。


「だからお願い。獣たち――穿って。彼女を。ボロボロにしてあげて。

 きっと“あーくん”が助けてくれるから。

 彼はヒーロー。ふぅちゃんの王子様。

 なら、障害が必要でしょ?

 ――ドラマがなきゃ、恋にはならないのよ」


 天は(にご)り、霊獣たちが咆哮(ほうこう)する。

 一頭、また一頭。

 形なき霊が姿を取り、この世界を侵食していく。


「有象無象なんて蹴散らして。

 ふたりきりの世界を、作ってあげて。

 それが、わたくしの祈り」


 狗飼(いぬかい)はその場に座り込む。

 満足そうに、目を閉じて――

 夢に、(おぼ)れた。


「……ごめんね、天空てんくう

 約束、守れそうにないや……」


 その背に、主を守るべきメイドの影が浮かぶ。

 けれど、狗飼(いぬかい)の意識はもう――あの幸福な幻想にしか向いていなかった。

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