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Replica  作者: 根岸重玄
競技大会編
142/286

観客席のない舞台

 2036年7月6日 午後3時20分


 重く、湿った空気の中を駆ける。

 天乃(あまの)英莉えりを引き連れ、まっすぐ時計塔を目指していた。

 塔が視界に入ると同時に、何かが決着を迎える空気がした。


水無月(みなづき)……?」


 声をかけると、そこには《祝福者(ベネディクタ)》ドミニカを背に立つ、水無月(みなづき)の姿があった。

 その瞳は凛として、しかしどこか疲れて見えた。


「あら、天乃(あまの)じゃない」

「こいつが……聖魔教の?」

「ええ、司祭らしいわ」


 ――そのときだった。


「あぁあぁあぁありぃえないぃぃぃぃ!」


 地に伏していたはずのドミニカが突如として叫び、立ち上がる。

 髪は乱れ、目は狂気に濁り、叫びは呪詛のように空気を震わせた。


「この私が神以外に膝をつくなど……あってはならないぃぃぃぃ!!」

「しつこいわね」


 水無月(みなづき)が静かに手を掲げた。


我、汝に喪神を命ずもっかいねとけ


 その言葉に続けて、ドミニカが反撃に出る。


「神はかく語りき――天罰あれ!」


 空が咆哮した。

 黒雲が引き裂かれ、雷鳴が轟き、稲妻が水無月(みなづき)を貫かんと放たれる。

 ――間に合わない!

 完全に油断していた水無月(みなづき)は、身をこわばらせるしかなかった。

 だが――その瞬間。


「……《境界書換》」


 天乃(あまの)が指先をかざす。

 雷と大気の“境界”が揺らぎ、世界の構造が書き換えられた。

 放たれた雷は空中で拡散し、大気中に逃げるように消えていく。


「っ……!」


 水無月(みなづき)が肩を震わせた。

 息を呑み、無傷で立っている自分を確認し、そして隣に立つ天乃(あまの)を見る。


「……ありがと」


 短い一言。だが、その中に多くの感情が詰まっていた。

 天乃(あまの)は返そうとしたが、そのとき――

 ……ゴゴォォン!!

 時計塔の奥から響いたのは、巨人が鉄を叩き潰すような轟音だった。

 視線の先では、今まさに時計塔を破壊せんとする《潰滅(ついめつ)》と、それを止めようとする《行き止まり(デッドエンド)》がぶつかり合っている。


「……気にすんな。まずは、あっちだ」

「……うん」


 天乃(あまの)水無月(みなづき)、そして英莉えりは視線を交わし、言葉を交わすこともなく、駆け出す。

 次の戦場へ――止めるべきものが、そこにあるから。


 2036年7月6日午後3時25分


「あれ……?」


 狗飼(いぬかい)は、両手を日除けのようにかざして、時計塔の方向を見つめた。


「今、何か……あった?」


 風が吹き、木の葉が揺れた。

 ふぅちゃん――水無月(みなづき)風華(ふうか)が《祝福者(ベネディクタ)》と対峙していた場面。

 魔本とのとっておきの詠唱契約、魂に響く“王命”。

 それに応じて暴れ出した《祝福者(ベネディクタ)》、そして――天乃(あまの)の登場。


(あれぇ……? 一番いいとこ、見逃した……)


 うなだれ、ぺたんと地面に座り込む狗飼(いぬかい)

 膝を抱え、静かに嘆く。


「おのれ……おのれ『虚空の旋律(コクウノシラベ)』ぇぇ……!」


 唇をかみしめ、草をむしる。

 彼女の怒りの矛先は、水無月(みなづき)に詠唱を授けたあの魔導書へ向いていた。


(でも、まぁ……いいか)


 狗飼(いぬかい)は顔を上げる。瞳がきらきらと輝いていた。


(ふぅちゃん、あーくんに「ありがと」って言った。あれは本心。絶対に意識してる)

「ぐふふ……計画とは違うけど、これはこれで“有り”だよねぇ」


 草を編みながらほくそ笑む。


(とはいえ――)


 狗飼(いぬかい)の思考はすでに次のステージへと進んでいた。


(《潰滅(ついめつ)》さんにはもうひと暴れしてもらいたいなぁ。できれば、もっと強烈なやつ)


 視線をもう一度時計塔に向ける。

 そこでは、《潰滅(ついめつ)》と《行き止まり(デッドエンド)》が激突を続けていた。

 気絶した祝福者(ベネディクタ)

 壊れ始めた時計塔。

 遠巻きに見る信徒たち。

 漂う不穏な空気――


(何かないかなぁ。もっと良いイベント……起きないかなぁ。いや、起こせないかなぁ?)


 狗飼(いぬかい)は考える。魔術は使えない。天空は二分されていて使えない。

 でも――


(できれば、あの魔本にギャフンと言わせられるような……そんなグッドなアイデア)


 願うように天を見上げ、両手を広げる。


「こいこいこい……いいイベント……落ちてこい」


 彼女は“観客”ではない。

 舞台の裏で糸を引く“仕掛け人”なのだ。

 そして、狗飼(いぬかい)の思考は、すでに次の“試練”を探しに走り始めていた。

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