均衡を崩す言霊
2036年7月6日 午後2時52分
――空間が裂けた。
《潰滅》が握る巨大な戦鎚が、停止領域の縁をかすめるように振るわれる。
その一撃に、空間そのものが砕けた。
「ぐっ……!」
《行き止まり》の足が浮く。いや、正確には――引き寄せられたのだ。
歪んだ重力。戦鎚の軌道に沿って、空間が斜めに“傾いて”いた。
(チィ……! このままじゃ――)
「止まれぇッ!!」
怒声とともに、再び《停止領域》が展開される。
空気が“凍る”ように止まり、歪んだ重力すらもその場に縫いとめられた。
かろうじて間合いを取り直す《行き止まり》。
だが、その眉間には確かな焦燥が浮かんでいた。
(……畜生、どうなってやがる)
停止領域は、あらゆる運動を“止める”術式だ。
そして実際、《潰滅》が空間に刻んだ歪みは止められる。
だが――
「……あの戦鎚だけは、止まらねェ」
実感として理解する。《潰滅》が纏うその武具。
振るわれた瞬間、それは物理の枷を外され、止まらない力そのものと化す。
(だったら――)
《行き止まり》は停止領域を再構築する。
その形は、尖った槍のように変形していた。
「喰らえッ!」
放たれた“槍”は、空間を刺し貫くように一直線に《潰滅》を襲う。
それは物理攻撃ではない。空間ごと止めて突き刺す、異常な一撃だ。
だが――
「甘いな、少年」
《潰滅》は、戦鎚を大きく振りかぶると、
――振り下ろす。
ゴウン!
空気が震え、重力が再びゆがむ。
槍型の停止領域が、崩壊した。
「……っ!」
《行き止まり》は舌打ちする。
(やっぱりだ……アイツ、停止領域の範囲が見えてやがる!)
普通の術者には視認できないはずの“止まった空間”――
しかし、《潰滅》はそれを見ていた。
気流の変化、光の歪み、空気の沈黙――戦士の勘が、領域の形を“察して”いる。
「これで終わりか、少年?」
肩に戦鎚を担いだまま、《潰滅》は一歩、また一歩と迫ってくる。
その圧力だけで、空間が押し潰されそうになる。
「……うるせェよ」
《行き止まり》は笑った。
乾いた唇の端が、少しだけ持ち上がる。
「こっからだろうがよォ――」
《行き止まり》の咆哮とともに、無数の“針”のような形をした《停止領域》が四方へと飛び散った。
(先の“槍”は読まれた……だが、数で押せばどうだ!?)
その狙い通り、迫りくる針の数に対応を強いられた《潰滅》は、戦鎚をS字に薙ぎ払う。
重力の渦を伴ったその軌道は鋭く、触れる針を次々に砕いていく。
だが――
「今だ……!」
既に次の一手は放たれていた。
《行き止まり》は、足元を爆ぜさせるように魔力を解放――飛翔。
空気を裂き、音速すら置き去りにする加速で《潰滅》との距離を一瞬でゼロに詰める。
(術式による介入じゃ止められねェ。だったら……直接、触って止めるまでだ!)
狙いはただ一つ。《潰滅》の体に直接触れること。
一度でも触れれば、そこから内部を止めることができる――!
「止まれやァアアアッ!!」
放たれる掌底――しかし、その瞬間。
「……っ!」
《潰滅》の巨体が、風を裂くように僅かに動いた。
(避けやがった!? この体で、この反応速度――!)
「今のは驚いたぞ、少年」
「だったら……大人しく止まりやがれ!!」
その瞬間――
「我、汝に伏臥を命ず」
空間に響いた、少女の声。
次の瞬間、《潰滅》の巨躯がガクンと膝をついた。
「……なに?」
「誰だ!?」
思わず警戒する《行き止まり》と《潰滅》。
彼らの視線の先にいたのは、小さな影。
小柄な少女――年の頃は十歳前後か、体操服姿で、淡々と立っていた。
だが、その幼さとは裏腹に、彼女の瞳には一切の動揺がなかった。
「名乗る必要あるかしら? アンタたち、ここで何をしているの」
「ガキが何の用だ。関係ないならすっこんでろ!」
《行き止まり》が苛立たしげに言い放つ。
「……あら、関係なくないわよ」
少女は静かに言った。
その声は、どこか冷たく、張り詰めていた。
「不穏な集団が街中で武力行使していれば、誰でも関係者になる。――私はそう習ったわ」
儀式を準備していた《祝福者》ドミニカが舌打ちする。
「神はかく語りき――炎よ、あれ」
地面が割れ、炎が噴き上がる。
だが、少女はその場で軽く跳ね、魔力噴出による跳躍――飛翔によって難なく回避する。
空中で翻りながら、手を翳す。
「我、汝に沈黙を命ず」
ドミニカの口元が、バッと引きつり、動かなくなる。
「っ!? ……っ……!」
声が出ない。聖句が封じられた。
《潰滅》がようやく膝を押し上げる。
「小娘……なぜ我の動きを止められた?」
「なぜって――教えないわよ、そんなの」
少女は軽く髪を撫で、言った。
「……でもね、これだけは言えるわ」
「この場所に来たのは偶然じゃない。
――あなたたちが“悪いこと”をしてるって、誰かが教えてくれたの」
《行き止まり》は、歯を嚙合わせる。
(なんだコイツ……魔術精度も、術式も、全くの未知……)
だが、内心では理解していた。
この少女――ただ者ではない。
《潰滅》もまた、沈黙したまま構えを取り直す。
戦況が変わる。
思わぬ第三者の登場が、均衡を崩し始めていた。




