ランダムダンジョンの迷子センターのお姉さん
「おかあさーん! おかあさーん!」
その立方体の空間は石でできており、子供の泣き声がよく響いた。
特に大きな声で泣いているのは声からすれば女の子なのだが、一見しても性別はわかりにくい。
あたりには様々な形状の子供たちがいて、彼らは種族の違う子供たちと、用意された安全性に配慮された遊具で遊んでいる。
ここはランダムダンジョンの迷子センター。
ダンジョンの構造がリアルタイムで変化するために、迷ってしまって持ち場につけないモンスターたちが集う場所だ。
ここの主は、女性だった。
二本の脚で立ち、その脚は腰に接続され、腰の上に胴体があり、胴体上部には左右に肩に見える部分があって、そこからは腕のようなものが生え、胴体中心丈夫には首に見えるパーツがあり、首から上に存在する顔には、金色の目が二つ、とがった耳が二つ、高い鼻が一つ、微笑むようなかたちに歪められた口が一つあり、目の上には眉があって、さらに上には金色の長い髪の毛が存在する。
一見して『野蛮なる種族』――
――このランダムダンジョンにおとずれ、狂ったように下層を目指し、凶器を手にしてモンスターたちを殺しまくる『人間』にも見える形状であった。
シャツにエプロン、動きやすいパンツルックのその女性は、泣いているモンスターに駆け寄ると、体高を合わせるようにしゃがみこんだ。
慈愛を感じさせる笑みを浮かべ、目の前の、泣きじゃくる女の子――なにぶん青い半透明の体であり目も口もないので性別があるかどうかさえわからないが、スライムの女の子の頭(?)をなでる。
「スラちゃん、あなた、また迷子になっちゃったんですか?」
「ううん……今日は違うの……」
スラちゃんはゲル状の体を動かして、腕(?)で目元(?)をぬぐうような動作をした。
そして視線(?)を女性に向け、鼻(?)をすすり――
「あのね、おねえさん」
「なあに?」
「おかあさん、他のスライムさんとまざっちゃって、わかんなくなっちゃったの……」
「あら、そうなんですか」
「うん……融合して、おかあさんの部分がどこかよくわかんなくって、こわくって、逃げてきちゃったの……」
「まあまあ、大変ですね。でも、大丈夫。あなたがお母さんをわからなくっても、お母さんはあなたのこと、わかりますよ」
「そうなの?」
「ええ。それに、お母さんが他のスライムさんたちと融合したなら、それはあなたのお母さんではないかもしれないけれど、あなたのお母さんでしょう?」
「えっと……」
「お母さん以外の素材でできたスライムさんでも、お母さんがまざってるんですから、お母さんには違いないですよ」
「そうなの?」
「ええ。だから大丈夫。あなたのお母さんは、たとえ他のスライムさんと融合しても、あなたをかわいがってくれますよ」
「……」
「それとも、お母さんがちょっと他とまざったぐらいで、あなたはお母さんのことを嫌いになるんですか?」
「……ううん」
「だったら、大丈夫。ほら、上層に戻って、お母さんに『逃げてごめんなさい』ってしましょうね?」
「うん……で、でも、帰り道、わかんない……お、おかあさん……!」
「大丈夫。帰りののぼり階段までは、送っていきますから」
「うん! ……ね、おねえさんは、なんでランダムダンジョンの道がわかるの?」
「ランダムダンジョンと言っても変化パターンは百二十万ぐらいしかないですからね。全部覚えちゃえばだいたいわかるんですよ」
「へー。すごいや!」
「さ、帰りましょう?」
「うん! おねえさん、ありがとう!」
スラちゃんが両腕(?)を伸ばして女性に抱きつく。
女性はふくよかな胸でスラちゃんの顔(?)を包みこみ、片手をスラちゃんの背中(?)に回しながら、スラちゃんの頭(?)をなでた。
しばししてスラちゃんが離れると、女性はスラちゃんの手(?)を握って、四方にある部屋の出口の一つを目指す。
迷いのない足取りは、本当にダンジョンの構造がすべて頭に入っているようだった。
「みんなー! スラちゃんを送ってくるので、いい子にしていてくださいねー!」
部屋にいるゴブリンやらオークやらゴーレムやら吸血コウモリやらの子供たちが「はーい」と返事をする。
彼らは返事だけすると、迷子であることも忘れてしまっているかのように、遊ぶことを再開した。
女性は子供たちを見て優しく微笑む。
スラちゃんはその女性を見上げ(?)――
「おねえさん、おねえさん」
「なんでしょう?」
「わたしね、このダンジョンの道は全然わかんないけど、いつも迷子センターにはたどりつけるの。ふしぎ!」
「不思議じゃないんですよ。迷子センターは、あなたが望めば、そこにあるんです」
「そうなの? どういう仕掛け?」
「大丈夫。怖くないですよ」
女性が微笑む。
スラちゃんも笑った。
二人が迷子センターを出ようとすると――
不意に、二人が目指していた出口から、部屋へ飛びこんでくる人影があった。
「ヒッ!?」
という声は、スラちゃんのものだ。
スラちゃんは飛びこんで来た者を見ると、顔(?)を歪め(?)、口の端(?)を恐怖に引きつらせ(?)ズリズリと動いて、女性の背中に隠れた。
入って来たのは、人間の男だったのだ。
全身を鎧で覆っていて、手には剣を持ち、目を血走らせ、息を荒げている。
なんていう怖ろしい存在だろう。
スラちゃんだけではない。迷子センターで遊んでいた子供たちもみな人間に気付くと怯え、動けなくなったり、あるいは部屋の隅にくっついたり、混乱のあまりせわしなく飛び回ったりした。
だけれど、女性は微笑んだままだった。
優しい声で、言う。
「ようこそランダムダンジョンの迷子センターへ。あなたも迷った子ですか?」
だけれど――
人間は応えない。
血走った目で、ギョロギョロとあたりを見回して、
「く、食い物……! それか、脱出用の巻物をよこせえええええ!」
剣を振りかぶり、めちゃくちゃに振り回す。
子供たちはものすごく怖がった。中には緑色のオシッコを漏らしてしまうオークまでいた。
みんな動けない。
でも、女性は微笑んだままだった。
「大丈夫、怖くないですよ。あなたも迷子なんですね。まずは落ち着いて、お父さんお母さんの名前と、どこから来たかを用紙に記入しましょうね?」
女性がエプロンのポケットから用紙を取り出す。
そして、その紙を差し出すようにしながら、人間へ近付いた。
しかし――
スパッ。
女性の差し出した迷子シートは、人間の剣に斬られてしまう。
「おねえさん!」
子供たちから、悲鳴のような声があがる。
女性は振り返ってモンスターの子供たちに微笑みかけてから――
人間の方へ向き直った。
「あの、ここでの乱暴は、いけませんよ。たくさん怖い思いをしたのかもしれませんけど、落ち着いて? ね?」
「う、うるさいうるさい! モンスターめ! 俺を帰せ! 地上に帰せよ! お前らを殺してドロップしたアイテムで俺は地上に帰るんだ! うわああああ!」
人間が叫びながら、女性に斬りかかる。
女性は微笑み――
「――みんな、目を閉じててくださいね?」
モンスターの子供たちに言った。
全員が視覚を閉ざした。
○
人間は還った。
迷子センターには平和で優しい空気が戻っている。
「ごめんなさいねスラちゃん、遅くなってしまって」
赤くなったエプロンを着て、女性は微笑む。
スラちゃんは首(?)を横に振って(?)――
「ううん。ね、お姉さん、ここって人間も来るんだね……」
「ええ。迷子センターは、すべての迷子に平等に開かれていますからね」
「人間って怖いね……」
「そうですね。でも、話せばわかる人もたまにはいますよ。迷って、不安で、お腹が空いて、なにがなんだかわからなくなっちゃうこともあるかもしれませんけど――迷子センターは、いい子にしている限り、すべての迷子を帰りたい場所に送り届けますからね」
「うん」
「あ、そうだ。――みんな、私が戻ってくるまで迷子センターが『閉じます』からね。そのあいだに外に出ないように気をつけてくださいね」
遊んでいるモンスターたちから、はーい、という返事があった。
お姉さんは微笑み、スラちゃんへ向き直って――
「では、帰りましょう。お母さんたちが一人で寂しく、あなたの帰りを待っていますよ」
「うん!」
女性とスラちゃんは、手(?)をつないで部屋を出て行く。
――教訓。
迷子センターで暴れてはいけない。
あと。
お姉さんはとっても強い。