幽霊アイスラブ
熱が篭るグラスを置いて、職員室から抜け出した。
緑茶のボトルが陰湿的に見栄えするので、キャップだけ開けて書類の横に置いて置いた。
書類といっても夏季中間テストの答案用紙の束だ。
夏は暑い。
毎年例年を超える量の袖を切る、切った後に縫うという改造制服が流行するうちの学校の生徒会長たる私は、かっこつけで右側のシャツの袖だけ切っている。
例年の生徒数は数人から10人程度だが、そのうちに私が加わっていることで2年になってからは改めろと言われないようシリアルキラーに狙われた被害者の顔ぶれのように、私たちは大半が生徒会に入ろうとし私だけが生徒会長になった。
廊下を歩いて行くと、足音は甲高く響いて、そちらを眺めた。
「あ。」
目が合ったので、その瞬間に声を発するなと思いながら、背が高いその人を見ていると、立ちくらみがした。
「俺霊感あるんです。」
え、と言う暇もなく、ただ風の通り過ぎるのに任せていた普通な私は、その言葉の内容に気力で意識を取り保った。
「…?」
あなたに不思議に思われたいわけない。
明日で夏休み。
同級生が同じ仕事を共にする同僚なら、と思わないでもないがここで生徒会長だというパラドックスが存在し無意味な思考となる。
「来賓の方ですか。」
「あ、はい。生徒の兄です。」
名前を聞いた方がいいだろうか。
生徒会長としての仕事なんかは適当に見つけ出してくれば先生が評価として仕事を更にくれるので、プリント配りなど、学校の管理されたゴシック体のようなきちんと理路整然とした内容をただ配っていくようにクラスに指示すればいいので、放送室の放送部員に雑事を押し付けなければ私の仕事は動き回る上に割と多い。
こんなことで尊厳と心の穴を埋めている私の利己的活動は、学生時代に受ける恩恵の少なさから見て妥当だろう。
「名前聞いたら取り移るかも。」
「…悪霊が?」
ちょっと変わったことを校内で喋ると学校と家の中間地点にいるようで新鮮な心持ちになることが社会に負けているだろうと思わないでもない。
テストでは競わないので、私は大方負けの方だが、圧迫したイメージが私をそうはさせないので、気軽に静観している。
「なにしてるの? 白帆。」
「あー。」
この生徒は私を意味もなく憎んで来る。
嫉妬でも怨嗟でもなく、私にはそういうものが多い。
カッティングされた制服をまともだと思ってちらりと見て、去原 凛奈は記憶を辿ろうかとする私を楽しみそうに見た。
「さっきお茶買ってたよね。」
「うん。」
私も私を苦手な人は苦手なので、少しさっきの来賓の人に寄った。
「来るな。」
「あ、はい。」
こういう変わったことは心を和ませるのか、去原さんは少し初めて笑った。
笑い顔を初めて見るというのは、褒めなければならないような気もするが、この方長びた期間では、特に評価のしようもない。
「お茶買った。」
今度は去原さんの方に近づいて見る。
「あ、そう。」
つまらなさそうに右足の爪先を廊下に押し当ててとんとんとするので、靴、と思って来賓の人を見た。
「窓から入ったら止められないと思って。」
「何してるのお兄ちゃん。」
「花芽夜、俺霊感あるって言ったの初めてだろ、驚いた?」
「ううん。」
「え、じゃあ佐古さん?体育祭も来てましたよね、一年の時。」
「佐古 遥貴です。上手くいけば夏のうちに就職なんで、母校の幽霊とっちめに来たんです。」
「春の就活落としてるし。」
「前向きなんですね。」
舗装道路しか歩かない遥貴は、汚れていない靴で、無駄な私服で、平然と嘘をついた。
「母校の幽霊?」
「うん。」
それはそうとして、この佐古 遥貴も私に対しては毒のような感情も持っている。
私は生徒会長になった。
私はやはり私を苦手な人は苦手なので、いつも大体職員室の側にいる。
エアコンの効いた廊下はひんやりとするか温もりで揺れていて、幽霊のような心境の私を少しばかりは包む。
「嘘つき。幽霊なんか…いないよ。」
少しばかり時間が経ち、私は屋上に向かって歩いていた。階段を。
生徒の兄です。
佐古 花芽夜。
屋上の扉の鍵を施錠しているか確認した後、無駄な作業に溜め息をついた。
とん、と扉をノックして、人がいないかを確認する。学校に閉じ込められる、夏休み前になんてとんでもないし、部活動の生徒に発見されるよりは生徒会に見つかった方がいいだろう。
いないけど。
生徒会室に入ると、扇風機が着けたままになっていたので切った。
あとはここの鍵だけだ。
大丈夫だと思う。
鍵を閉めたところで部屋が消えるわけではないが、擬似的にそんな気分を味わう。
冷たい風が来るわけもなく。
夏休みのうちに登校日があって、その日にテストを返却する。
予定。
登校日まで10日もないけど、全員集まらないと家に届ける必要があるので、テストを直したり勉強の手伝いにしたりさせるために、家の地図は網羅した。
肩まで髪を手櫛でといて、残りの髪を一つ結びにする。
私は、手に絡まった髪を指先まで確かめて、なんとなくくるくる指に絡めて離した。
少し笑ったら落ち着いて、制服の普遍さを確かめたら瞬きをした。