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「結局、青春なんてものは幻想ですよね、幻想。いわゆるファンタジー」

 長々とした愚痴の締め、鹿山(かやま)志穂(しほ)の下した結論に、その場に居合わせた三人は苦笑する。彼らにとって志穂は可愛い生徒であり後輩であったし、突拍子も無いことを言い出すのは今にはじまったことでもなかった。

 昼休みをわざわざ利用し、集っているのはあわせて四人。美術室で、昼食を終えたそれぞれが絵筆を片手にキャンバスに向かっていた。

 美術室の主たる美術教師は、面白そうに志穂に話しかける。

「まてまてまて、何がどうなってそういう結論になった。何の前触れもなかったぞ。数学の愚痴から何がおきてそうなった」

 志穂は美術教師の問いに答えない。教師のほうを見もしない。筆の柄の先だけ持って、前後に軽く振る。ゆれる毛先を見つめている。

 不自然な一瞬の沈黙の後、まるで間などなかったかのように鈴を転がすような声が響いた。

「カヤマさんが言いたいのは、つまり高校では勉強が忙しすぎるっていうこと?」

 美術教師の言葉を受けたのは、志穂ではなく三年の女生徒。水無瀬(みなせ)(さく)だった。苦笑交じりに訊ねながらも、手は止めない。朔の問いかけに、志穂は大きくうなずき、筆を朔のほうに突きつけた。

「そうです。そうですよサク先輩! こーんな田舎の学校のクセになんですか、授業のレベルの高さは! かといってほとんどが地元の人間で実家? 家業? 継ぐとかいう人ばかりだから、進学率が良いわけでも無いしっ! 受けたら合格率八三%っていう塾でもあるまいし何をどう統計取ったかわからない確立は事実であればものすごいですけど! ですが、なぜ文型で? 何を理由に? 数ⅢCをやらせるんですか! おかしいですよ絶対っ!」

「しかも二年の春に手を出すってあたり、数学科教師陣の神経を疑ったなぁ、俺は」

 笑い混じりにぼやくのは朔と同じく三年の男子生徒、小波(さざなみ)(みず)()だ。やはり言いながら慣れた手付きで筆を動かしていく。

「どうせ俺らのときと変わんないんだろ? 〇点二十人とか、最高点一五点とか。数ⅢCはとりあえず〇点を取らないために、テスト前だけ勉強するっていう。むしろテストは何点満点だっつーの! てヤツ。去年、理系の奴らは偉大だとつくづく思ったね、俺は」

「あぁ……先輩たちもそうだったんですか」

「うちの学校における二年の数学は、半年間ほぼ謎だ。諦めろ。がんばるヤツは理系の大学を目指すヤツぐらいだ。そしてそんなヤツはうちの学校じゃ五年に一人いるかいないかだな」

「うーん、うちの学校で大学行くのは一割か二割ぐらいだしなぁ。それもほとんど地元に住んでないやつらだし」

「先生、そんなの言い訳にはなりませんよ」

「そうですよ! 進学するのが二割程度だからって文型で数ⅢCをやる理由にはなりません! なんですか、微分積分って!」

「カヤマさん、微分積分の基礎は一年の三学期やったはず……? って、今思えば一年にだいぶ詰め込んでますよね。気のせい? 物量的に不可能なスケジュールじゃないですか?」

「ゆとりのぬるま湯につかりきった世代が何を言おうが多分無駄だ。あと、数学に関する文句なら数学の教員に言え。ここでぼやかれる暴言を聞き流す代わりに、オレはどういう形でも干渉はせんからな」

 裏切りものーとノリに任せたわけのわからない言葉を志穂が呟いた瞬間、昼休憩終了のチャイムが鳴り響く。

「さー、とっとと散れ。あぁ、カヤマ。オレ午後から出張だから、美術室の鍵任せた」

「教師が生徒に向かって『散れー』はないと思います」

 鍵を受け取りつつ、志穂がじと目で睨むが美術教師は気にしない。教室に戻ろうと歩きかけていた朔が、足を止めて志穂を振り返った。

「カヤマさん、三年は今日、放課後に希望補習という名の強勢参加補習が―――」

「うわぉ、今日、先輩方も先生もいないんですか? ……画材ぶちまけても助けてくれる人がいないってことですね」

「俺らを何だと思ってる」

 瑞希の苦笑に志穂は悪びれることなく笑って、歩き出す。

 美術室の戸を閉める直前、振り返って布のかかったキャンバスを四枚、視界にいれた。




 授業が終わり、志穂は足早に美術室へと向かう。鍵を使って中に入り、すぐに内側から鍵を閉める。戸のガラスがはめ込んである部分には目隠しがされており、廊下から美術室内をうかがい見ることはできない。

 荷物を邪魔にならない隅に置き、志穂は窓を開けた。初夏のむっとした山の空気が流れ込んできて、思わず目をつぶる。

 迷路のように入り組んだ校舎のこちら側は、すぐ山だ。側溝があるためわずかに歩く隙間はあれど、誰もこんな場所を好き好んで歩く人はいない。


 志穂たちの活動は、誰にも秘密だった。


 なぜなら、この学校には美術部なるものは存在しない。

 生徒会規約で言えば、『放課後は部活動及び委員会その他許可を得た活動以外禁止』とどのつまりが、帰宅部はさっさと帰れ。美術部が存在しない以上、志穂たちも生徒会規約に違反していることになる。美術の補習というのも、なかなか苦しい言い訳だろう。とくに美大進学を希望しているわけでもないのだ。

 教室の位置的にいえば、迷路のような校舎の最奥とも言うべき、場所。用がなければ誰も通らないような位置にあるため、幸い誰にも見つかることはないのだけれど。先生にとって都合よすぎません? と訊ねると、なんでも校舎が建つ際関係者と懇意だった当時の美術教師が人嫌いだったらしい。だったらなんで教師になったのかとその場にいない誰かに突っ込みたかったが、美大専攻した者には色々あるとのことだった。

(美大か……)

 キャンバスにかけた布を取り去りながら、志穂は思う。

 いくら『受ければ合格率八三%』なるこの高校といえども、美大ばかりはそうも行かないだろう。調べたことも無いためよく知らないが、当然実技が関わってくるに違いない。

 こうして昼と放課後絵を描いてはいるものの、志穂に画力というものは存在しない。昔から趣味で書いていたという瑞希や、前の学校で美術部に所属していたという朔と比べれば、天と地の差だ。美術教師の取り仕切るこの活動は、『とりあえず絵が描きたい人のための』がうたい文句であり、その辺り普段は気にしないのだけれど、一人こうして自分の絵と先輩の絵、さらには美術教師の絵を見比べると、ため息はオート、さらに一定の間隔で律儀に口から漏れる。

(ちょっと、自虐的かも。気分が)

 沈んだ頭で苦笑し、瑞希の絵、朔の絵、美術教師の絵、と順に目隠しをしていく。

 改めて自分の絵と向き合い、筆を取る。が、すぐに声をあげて立ち上がった。パレットナイフがない。

 美術教官室と美術室を行き来し、必要なものはすべて揃ってるかどうか確認してから改めて腰を下ろす。ふと、窓の外を見た。

 固まる。

「……」

「……」

「えー……と」

 明らかに志穂の声ではない、低い声。

「……」

「この学校、美術室あったんだ?」

 美術部どころか美術室ときた。

 ではなくて。

 窓の外にいた男子生徒、規約違反、誰にも秘密、様々な単語が志穂の脳内を駆け巡り、思考回路がショートした果てに、体がのけぞり、マヌケな悲鳴が口から漏れた。

「ほあぁー――――――――っ!」

「うぉ」

 志穂の奇声に、男子生徒は心持ち一歩下がる。けれど、そのまま後ろに椅子ごと引っ繰り返った志穂には、それをかまう余裕などなかった。無様に床に転がり、背中をしたたかに打ち付け、取りわけ派手にぶつけた肩を抑えつつ身を起こしながら、志穂は声量を下げないままにまくし立てる。

「な、んで、こんなとこ。そんなとこに!」

 男子生徒が立っているのは、『側溝があるだけの、校舎と山に挟まれた、誰も好き好んで歩いたりはしない狭い道』だ。問いかけておいて男子生徒の返事も聞かず、志穂は何かのスイッチが入ったかのように続ける。

「だってここは奥の奥で美術室で授業なんて週に一回しかなくて先生はいつも暇を持て余してサク先輩とサザナミ先輩にわざわざ声かけて! 違反と生徒会規約に活動で活動なっ?」

「カーヤマー。落ち着けー」

 名前を呼ばれ、ハッと我に返る。

 男子生徒は知らない人、だ。けれど、確かに名前を呼ばれた。

「……知り合い?」

 ではないとわかっていながら、問いかける。

「っていうか。酒屋のカヤマだろ? この町に住んでて知らない人いないって。カヤマの酒屋は、みんな重宝してるから」

 そっか、と志穂は頬をかく。休日の店番は志穂の担当であるため、よく考えれば一方的な顔見知りというのは多いのだろう。客から志穂に対して、だが。

「あとハヤマさんちと名前似てるしなー。字面も」

「あー」

 (ハヤマ)、というのは、この田舎町の町長の家名だ。代々続く由緒正しき大変な有力者がいる家で、この町の近辺を通るはずだった高速道路の建設予定ルートを変えさせるほどの力があるらしい。その代わりというのかついでというのか、この町から三〇分ほど山に入ったところにダムを作ったとか。昔の話だけれど、それにしたってどんだけだ。

「えーと」

 明らかに話がそれている。この侵入者に何をどう言えばこのことを誰にも言われずにすむのか、志穂にはわからない。ただ、この活動は志穂にとって大切で、なくしたくないという想いばかりが強かった。よりによって自分が一人のときに、と毒づく。

「っていうか何してんの? 入ってい?」

 志穂が返事をする前に、男子生徒は窓から美術室内に入ってくる。志穂は何も言えず、その様子をただ目で追っていた。

「へー、絵描いてる。美術室にいるんだから当然か。っつっても、もー日ぃ暮れるくね? あ、文化祭近いから?」

 立て続けに問われ、志穂はむっと顔をしかめた。多少肩に入っていた力が抜ける。

「誰ですか」

 硬い口調に気付いたのか、ん? と男子生徒は片眉を上げる。

 じっと見上げてくる志穂を見つつ、手身近な椅子を引き寄せて腰掛けた。

「俺は、フジオカチヒロ。二年二組」

 藤岡(ふじおか)千尋(ちひろ)、二組。ということは、彼は理系か。

 ぼんやりと志穂が思っていると、千尋が何ごとか突然顔をむっとさせた。そのしぐさがよく知っている先輩に似ていたため、すぐに察して先手を打つ。

「別に女みたいな名前だなんて思ってないよ。いい名前じゃない」

 すると、千尋は肩を強ばらせて固まった。それも一瞬、徐々に肩の力を抜いていき、がっくりとうなだれる。

「それ、口に出して言うと、もっと説得力ねーって」

「先輩の名前が、ミズキ、なんだよね」

 うなだれる千尋に、志穂は言う。

「先輩いつも、気にしてるから」

 そういう反応は見慣れてるよ、といって志穂は口を閉ざす。じっと千尋を見ていた。

「何しにこんなとこまで来たの」

 問い詰める口調になるのは仕方がない。志穂にとって、千尋は侵入者だ。

「あぁ、ちょっとかくまってもらえる場所探しててさー」

 言葉尻を濁した千尋に、志穂は首をかしげる。

「せんせーに追われてるんだなー。俺」

 笑いながら千尋は言う。情報開示の仕方のまどろっこしさに、志穂は眉を寄せた。志穂の言いたいことがわかったのか、千尋は一層深く笑う。

「補習から逃げてきたんだって。でもまぁ、そろそろ限界かなー。単位足りなくて進級できないのもやだし。高校くらいは卒業したいし」

 言いながら志穂のキャンバスを覗き込む。うお、とわざとらしくのけぞった。

「見かけによらず、豪快な絵描くな」

 む、と志穂は口元を引き結ぶ。『見かけによらず、豪快な絵』―――それは、志穂の絵を見た誰もが口にする感想だった。

 美術教師も、瑞希も、朔も。

 志穂に言わせれば、せっかく与えられた自由地帯。下手は下手なりに、やりたいことを思うままにやるだけだ。

「ていうかこれ、花?」

 それが? と志穂は肩をすくめる。

 千尋の聞き方はいくらなんでも失礼だ。いくら志穂が下手と言っても、

(もう少しオブラートに包むとか……)

 わかりやすく落ち込んでいる志穂を見て、千尋は首を傾げる。けれど、すぐに視線をキャンバスに戻した。


 志穂の描いた花は、一見花ではないかのような、けれど完璧に花をかたどった形。そこに描かれたそれらは、今にもキャンバスから零れ落ちそうだった。零れ落ちるだけではない。あとからあとから溢れてくるような錯覚を受ける。

 花がこんこんと。まるで湧き水のように。

 現実ではありえない。けれど志穂の描いた世界では、完璧に存在しているもの。


 興味を引かれ、千尋は目隠しをされている三枚のキャンバスも除き見た。志穂が止めなかったため、二枚目からは遠慮なく。

 志穂は千尋を放置しておくことに決めたのか、黙々と絵筆を自分の世界の上に置いていた。


「……はぁ」

 倒していた身体を伸ばし、息を吐いて、初めて気がつく。絵を見ている間、千尋は前かがみになり、息を止めていた。目にした三つの世界は、それほどのものだった。

 そして同時に理解する。ここには、そういう人種が集まっていることに。

 それぞれの絵を見て、鳥肌が立った。絵など全く興味のない、千尋でさえ。

 志穂の絵は花だった。

 一枚目は和服の少女のものだった。

 二枚目は、学校の風景。

 鳥肌にくわえて背筋に寒気が走ったのは、三枚目。何気ない現実の中に非現実を織り交ぜられた、不思議な絵。

「カヤマ」

 千尋が小さく問いかける。志穂はすぐに振り返った。

「他に絵、ない?」

「教官室のほうに所狭しと並べてあるけど」

 聴くなり千尋は踵を返した。背中を、志穂の声が追いかける。

「触るの厳禁だからー」




2009/5/30 執筆

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