04
空が青く澄んできた頃、ようやく彼は現れた。
「おはよう」
いつもと同じ口調に、オジサンはつい「おお」と声を上げ、前掛けで手を拭いてわざわざ前の方に出て来た。
「あんまり近頃見なかったんで、会社辞めたかと思ったよ。研修行ったんだろ?」
「ああ」
思い出したらしく、顔をしかめる。
彼はかなり日に焼けたようだ。四月の頃より、目つきが鋭く見える。
春には、どこかの総務か経理のような事務系にみえたのだが、何となく、無駄な動きが削られて精悍な印象が強くなった。逆に若くなったようだ。
セールスで外に出る仕事なのだろうか? とその顔をちらりと見ながらケースからいつものセットを取り出す。
「かなり、キツかったなあ」
オカカとコンブのおむすびを受け取って、彼は爽やかに笑った。笑ったとたんに目の険が取れて、以前の穏やかな表情に戻った。
「研修ってどんなことやってたんだい? まさか外でテント張って炊き出しとかしてたのか?」
冗談まじりで言ったはずのことばに、彼がぴくりと背筋をのばして、目を丸くした。
「まさか、知ってたの? そうなんだ、最後なんて二週間自炊しながら外で訓練した、ヘビだって捕まえて……ってごめん、カイシャの話を外であんまりしちゃいけないんだった」
「いいって」
蛇も食糧に? とんだ会社のようだ。
しかし、『訓練』ということばが気になってオジサンはもう一歩踏み込んで訊ねた。
「もしかして、自衛隊とかか?」
「ああ、違うよ」
笑いながらそう言う彼に、だろうね、とオジサンも新横浜三丁目界隈を頭に浮かべながらうなずく。
あのあたりは普通のオフィス街だ。どうも、彼が入ったのは社員教育に人一倍熱心な会社なのだろう。
「……それでもやっていることは似てるかな」
そうさらりと付け足した彼に、今度はオジサンが目をむいた。
「自衛隊に似た会社? 何だいそりゃ。警備会社とかか?」
彼が困ったようなあやふやな笑いを浮かべる。オジサンはようやく気づいたという風にさらに畳みかける。
「警備の会社か、それで訓練があるんだな? だよな。強盗やら襲撃やら凶悪な事件も増えてるしな。ま、まさか銃とか持たされるとか? まあ、そんな会社この日本にあるワケないか。でも護身術とかは習うんだろ?」
「まあ……まあそんな感じかな」
ケイビのカイシャ、と口に出して、「そうか、あれは警備会社の一種だよな」と一人で何か納得している。オジサンもうんうんとうなずく。
「なら、訓練も厳しいだろうに」
「まあね。結局、補習になったし。オレかなりの落ちこぼれなんだ。何度も『辞めちまえ』って言われたし」
それでも、さっぱりという口調からも以前の弱気な感じが消えていた。
「秋からまた補習研修なんだけどね」
いくつになるんだろう、といぶかしんでいるところに偶然彼がつぶやく。
「まったく……三十にもなるのに何してんだろう、ってよく思うよ」
「不惑まではまだまださね」
そう言いながらオジサンはそっと味噌汁を滑らせた。
「また、辞めたくなんないように、これはオレから差し入れだよ」
「え?」
彼はいったん遠慮したものの、オジサンが強く勧めるとうれしそうに袋に入れた。
「ありがとう、多分今度もイヤにはなるだろうけどね」
にっこりと笑ってこう付け足す。
「でも、オレももう働ける所もないし、やれるだけやってみるわ」
じゃあ、と彼は大股で駅へと去っていった。
オジサンは何となく、彼が姿を消すまでずっとその姿を見送っていた。