01
タカハマ屋のオジサンは、今朝も駅の方をそれとなく気にしながら、ケースにおむすびを並べている。
「今日は、来ないか……」
脇によけた二つの包みに、ちらっと眼をやった。
今日でこの店をたたむという実感が、どうしても湧かなかった。
いつものように惣菜を作り、おむすびを握り、ケースに並べて客を待つ。この生活がもう四十年以上続いていたのだ。彼は狭い店の中を見回してみた。
昨夜までに大きな荷物はほとんど片付けてあったせいで、あたりはずっと、がらんとしていた。
学生さん、会社員、近所の人たち……常連さんはほどほどに多かったが、あの人はなぜか、特に気になった。
名前もちゃんと聞いたことがない。連れの人はカスガ、と名乗っていたがなぜか本人には聞いていなかった。
通りすがりの間柄、それだけのことなのだが。
あの小僧たちはあれから、全く姿を見せなかった。シャッターの落書きについても警察に連絡して、しばらくは夜間パトロールを強化する、と言ってもらっているのでそれ程心配はしていない。
それでも、やはりもう一度会っておかないと、と気ばかり焦ったが、会社名すら知らないし。
襲われた夜、彼の闘いっぷりを高みから見学していたあの時、春日から聞いていたことも気にはなっていた。
「ヤツをよろしくお願いします」
春日という男はまずそう言ったのだ。
「アイツ、色々と迷っているようだけど、アナタみたいな人がついていてくれるから、どうにかやって行ってるんだと思います」
見た目の割に、丁寧な口調だった。煙草の勧め方も丁寧だった。
「残念だけど、もうすぐ俺もここを畳むんですよ」
そう言うと、春日はさも残念そうに首を振りながらこう言った。
「ヤツには、俺みたいな目に遭わせたくないんですよ」
ふと見えた手首の傷に、オジサンは目を見はった。
「その傷」
ああ、と彼は隠さずに、オジサンに傷をさらけ出した。
「俺も昔、ヤツみたいにリーダーをやってたんですわ。俺らがやっている仕事……ミッションと言ってますけど、ミッション完了直前に敵の罠に見事ハマっちまって、全員で捕まったんです。その時拷問を受けてね、俺ともうひとり以外は殺されました。目の前でね」
彼からその話を聞いていたオジサンは、淡々と相槌を打つしかなかった。
そんな態度が逆に話しやすく感じたのか、春日は更に続けた。
「とにかく、タフでないと生き残れない。しかし、それだけでは無理なんです、自分も生き残って、部下も無傷で過ごさせるのは」
春日の吐く煙ごしに、彼が少年たちと向き合っているのが見えた。
彼は腰を落とし気味に構え、完全に目の前の敵に集中している。
「アンタだって、春日さん」
オジサンは春日の方を見る。
「生き残れたんだろう? とにかく生き続けることができれば後はなんとか」
「俺、病気になっちまってね」
ははっと春日が短く笑う。
「何だか色々やられちまいましてね、悪いヤツらにとっ捕まって。そん時に注射針だか何だかが原因でつまらん病気をもらっちまったんですよ、今は騙しだまし暮らしてますがね」
「……そうなんだ。すまないね、軽い気持ちでよかっただなんて言って」
「いいんですよ、やっぱり助かってナンボって気もありますしね」
遠くに見える彼を指す。
「あんな面白いヤツにも会えたし。人生捨てたもんじゃない」
春日とともに、オジサンはしばらくその姿を見守っていた。春日がまたつぶやく。
「ヤツには『力』がある。自分だけでなく、他人をも生かす力が」
どういう意味かはよく分からなかったが、オジサンには何となく感じることができた。
「解るような気がするよ」
初めて出逢った日のことを、なぜか思い出していた。
この人は、なぜかすごい、そう感じた日でもあった。
それから立ち寄ってくれるたびに、自分の中で何かが育まれて行くようだった。
自分もこの人のために何ができるだろうか、それからずっと考えて過ごしていた気がする。
もし今日彼が寄ってくれるのならば、必ず話したいことがあった。




