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某高校化学室(1)

 ルカが現れたのは、17時45分を過ぎた時だった。

 場所は、僕の母校である高校。よく入り浸ってた、懐かしい化学室だ。ドアをぶち開けて飛び込んできたところを見ると、廊下を歩いていた誰かと入れ替わってワープしてきたっぽい。

 ルカは僕の姿を認めると、髪が逆立つんじゃないかってくらいの怒気を放った。が、その口が開くより早く、

「おっと。それ以上動くなよ」

 僕は持っていたハンマーを向けて制した。

 ルカは驚愕の体でその場に固まり、僕の隣に立つロロへと疑惑の目を向ける。

 状況は、こうだ。

 僕は、化学室の一番奥、窓を背にして立っている。傍らにはロロ。僕らの前には、生徒8人用の大きな机。

 そして、僕らからちょっと離れた場所、机の角向こうに2人の化学部部員。そして化学部顧問である、僕の恩師。このうちの誰かがルカと入れ替わるだろうと思ってたが、そうはならなかった。彼らはルカの登場に、ポカンとしている。説明するヒマがなかったので、仕方がない。今は放っておこう。

 化学室には、大きな机が4つある。入り口に立つルカと僕の間を、2つの机が阻んでくれているという状態だ。いかに勇者といえど、これを一瞬で乗り越えることはできまい。気分は大魔王。フハハハハ。

 舞台はそんなふうに、おもしろいくらいうまく整ってくれていた。

「何を……」

 ルカの表情に、焦りがにじむ。

 そうさ、下手に動けないはずだ。

 僕の手にはハンマー。

 そして僕のすぐ手元、無造作に机上に置かれているのは、クリスタル。

 さらにその脇には、バーナー、るつぼ、三脚に乗ったビデオカメラ……きっとルカからすれば、未知の器具ばかりだ。

 僕らからすれば、いわゆる健全な部活動の真っ最中、まったく問題なし、ですけどね。

「ルカ。キミたちの勝負について、おさらいしてみようか」

 僕の声は、静かな化学室で、妙に響いた。

「ルカがクリスタルを破壊できたら、ルカの勝ち。クリスタルをルカに破壊されず、守りきればロロの勝ち。

 制約上、ルカはロロに危害を加えたら、負け。ロロは、クリスタルを長く遠くへ手放したら、負け。

 じゃあ……

 もし、ロロのすぐそばで。しかも、リミットまで残りわずかって時に。

 キミでもロロでもない誰かが、クリスタルを破壊したら?

 勝負は、どうなる?」

 ルカは答えなかった。

 答えられないのだ。ロロも、答えを知らない。もちろん、僕もだ。

 引き分け。

 僕はそれを望む。

「おまえ……」

 息をするのも許されないような沈黙の後、やがてルカが腹立たしげに、ロロをなじった。

「本当に、バカな女だ」

 何を言いたいのか、僕にはわかる。

 単純に「クリスタルの破壊または無事」自体が問題であるならば、誰が手を下そうとも破壊は破壊。つまり、これはロロにとって分が悪い、賭けのようなものだ。

 けれど。

「僕はそう思わない」

 ロロには策がなかった。できたことと言えば、何かしらの幸運を願って逃げ回り続けること、くらいだ。

 彼女はそれよりも、ルールの穴をついたイレギュラーな結末に、賭けた。大事なクリスタルを、僕へ渡して。

 決して愚かではないし、勇気ある決断だと思う。

 もっとも、ルカからしてみれば、迷惑極まりない選択だろう。負けはなくとも、「勝ち」の可能性が、ひどく脅かされるのだから。

「サイド……」

 異世界の勇者は、僕を憤怒の形相で睨みつける。

 僕はその迫力に気圧されそうになりながらも、じっと受け止める。この子だって、背負うものがあるからこそ必死なんだ。それを忘れて対峙しちゃあいけない。

「あんたがそこまでする理由は、一体なんだ。あんたには関係ないことなのに…!」

 ルカのこの言葉は、何度目だろうか。僕を巻き込み、すがるロロとは、どこまでも正反対だ。

「まぁ……確かに、僕には関係ない。

 けど、関係あるんだよ」

 僕のおかしな返事と同時に、チャイムが鳴り始めた。

 17時50分だ。

 僕は引き続きハンマーでルカを制しつつ、恩師へ笑いかけた。

「じゃ、始めますか」

「……あの子、めちゃ怒ってるみたいだけどいいの? ていうか誰?」

「気にせずどうぞ」

 先生のごもっともな疑問をバッサリ斬り、僕は遂行を促した。次に、視線をルカへ戻しつつ、ロロへ問いかける。

「ロロ、本当に……」

「早くして」

 いいんだな?と聞く前に、ロロは毅然と言った。

「サイドが本気じゃないって思ったら、あいつ、とたんに飛びかかってくるよ」

「そりゃコワいね」

 チャイムが鳴り終わり、「準備オッケーでーす」と、部員の1人がカメラのそばで言った。先生がバーナーを持ち、生徒たちに一歩下がって観察するよう警告した。

 僕はるつぼの中へ、クリスタルを入れる。そして、いざとなればるつぼごとハンマーで破壊するつもりで、見守る。

「何する気だ、サイド!」

 いよいよ追い詰められた様子で、ルカが叫んだ。同時に、先生の手にあるバーナーが炎を吐き出し始める。

「燃焼実験さ」

 激しい炎の音に負けないよう、僕は声を張ってルカに教えてやった。

「これはクリスタル……いわゆる水晶じゃない。ダイヤモンドだ」

 職業柄、ちゃんと見ればすぐにわかった。ダイヤに似た未知の鉱物という可能性もあったが、それならそれで叩き割ればいいだけのこと。

「ダイヤモンドの特徴を簡単に言うと、モース硬度は高いが、靭性は水晶と同レベル。

 だから、固くて割れないっていうのは間違い。こすっても傷がつかないっていうだけで、実は衝撃にはそんなに強くないんだ。

 固い床にたたきつけたり、こういうハンマーで叩けば、案外簡単に欠けたり砕けたりする」

 これは、仕事で得た知識。そしてここからは、高校時代から知ってたこと。

「今、そのダイヤモンドにバーナーで1000℃以上の炎を当てて、燃焼させてる」

 説明している間にも、クリスタル、もといダイヤモンドは、時々思い出したかのように光を放ち、燃え上がった。生徒たちから歓声が上がる。

「ダイヤモンドは炭素の同素体だから、化学式は当然C。

 これを燃やすと、酸素と結合して、CO2……二酸化炭素になる」

 先生がバーナーを切るのを待ってから、僕はルカとロロに向けて、分かりやすく結論を告げた。

「つまり、空気になって。

 跡形もなく、消える」


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