春、陽だまりの中で
冬から春になる時期と若干の百合を書きたくて書きました
がさもそと何かをあさっている音でまどろみから覚醒状態へ移行した。
気づけば隣にあったぬくもりがなくなっていた。
目覚まし時計を見れば、短針が5を長針が6をさしていた。軽くあくびをしながら物音をするほうに視線を移すと、居候の詩織がクローゼットの中を半身を突っ込んであさっている姿があった。
「おはよう詩織。……朝っぱら何やってんの?」
「あ、おっはよー那帆ちゃん。何ってそりゃ、春物を出してるんだよ」
ほらほらと洋服を広げて見せてくる。
「……あのな、詩織。昨日言ってたことを実行するのはとってもいいことだ。ただ、早朝からすることじゃない」
「だって目が覚めちゃったんだもん。しょうがないじゃん。それに、善は急げっていうじゃん」
「物事には限度というか線引きしなければならないこともある」
「はい? 那帆ちゃんってときどき難しいこと言うよね。それってあんまりよくないよ」
頬を膨らませてふてくされる詩織。もう何を言っても無駄な合図でもある。
「……はいはい。朝食は私が作るから」
「はーい、お願いしまーす♪」
*
「那帆ちゃん那帆ちゃん!」
「どうした?」
「いいものを見つけたよっ、ほら!」
私の目の前に2着の制服が現れた。2着ともクリーニングに出してそのまましまったから、透明な袋がかぶされたままでしかもタグも付きっぱなしだ。
「懐かしいな。中学校のころのと高校のころのものだ」
「ねぇねぇ、あたしが着てもいい!?」
「別にかまわないけど……高校の制服は着れないと思うぞ」
「やだなー、そんなのわかってるよっ。じゃ、着てくるね! ……あっ」
「ん?」
「の、覗いちゃ絶交なんだからねっ」
「みそ汁作りで忙しいからどうでもいい」
「なっ……ふ、ふーんだ!」
バタンッ! 台所と部屋に通じるドアが乱暴に閉じられる。
私は内心、訳がわからんと思いながらも、乾燥ワカメを鍋に振り入れた。
出汁の鰹節を取り出してみそを入れようとしたとき、勢いよくドアが開かれた。
「じゃじゃーん! どうどう? かわいい!?」
残り少なくなった乾燥ワカメの入った袋が風圧で吹っ飛びそうなところを寸前で捕まえた私は、何気なく詩織を流し見た。
紺セーラーで白線が3本襟にある。胸元のスカーフは赤で、ちょうちょ結びにされている。スカートももちろん紺色だ。
「ねえねぇ、どうなのどうなの!?」
目の前でうさぎのように跳ねる中学生詩織。私は素直に感想を言うことにした。
「かわいいぞ、とても」
「ホント!? やった―――っ!」
「飛び跳ねるのを辞めれば、もっとかわいいけどな」
ぴたりとうさぎが去って人間が戻ってきた。
「さすがに袖とスカートは捲くったか」
「そのままだとぶかぶかだからね。那帆ちゃんが大きすぎるんだよ」
「詩織が小さすぎるんだ」
「むぅーっ、そんなことないもん!」
「そうか? しかし、スカーフが結べるとは意外だった」
「えへへー、すごいでしょー? 頭なでてなでて♪」
「みそ汁を作り終わったらな」
「えー、いまいまっ」
「仕方ないな……」
詩織の頭をなでてやる。もう片方の手はおたまで鍋をゆっくりかき回す。左目は詩織、右目はコンロの火。頭が混乱しそうだ。
「那帆ちゃんのなでなでも板についてきたね。すごく気持ちよくって、このまま寝ちゃいそうだよ〜」
「え、そうか?」
そりゃ、毎日ねだられちゃ嫌でも慣れるし、コツもなでる加減もわかってくる。
「このまま立って寝ててもいいんだぞ」
「もー、那帆ちゃんのいじわるっ」
「お、そろそろみそ汁ができあがるぞ。それに、ホッケも焼きあがるから持って行ってくれ」
「ふーんだ!」
ああ、すねた。ときどき真剣に15歳をすぎているのか疑問に思う。いくらなんでも子どもっぽいで片づけられない。
「あー、その顔! 子どもっぽいって思ってるでしょ!?」
「……バレたか。いいから持って行って。冷めたものは食べたくないでしょ?」
「……」
思いっきりへそを曲げてしまった。仕方ないな……。
「私も悪いところがあった、ごめん。だから、持って行って?」
「いいよー、素直に謝ってくれたから」
「ありがとう」
ここは素直に謝っておくしかない。ほかに方法はあるけど、一番簡単なのは謝ることだ。ほとんど平だけど。
*
「ねぇ、那帆ちゃん」
「ん?」
「朝ごはん食べ終わったらさ、那帆ちゃんも制服を着て公園に行かない?」
みそ汁が気管に入りそうになり、詩織から顔をそむけてせきをする。
「大丈夫?」
ひとしきり落ち着いたところで疑問をぶつける。
「なんで?」
「『なんで?』じゃないよ。せっかく、制服が出てきたんだから、着て出かけるのが流れなんじゃないの」
「着るまではいいけど、出かけるのは余計だ。20歳にもなって恥ずかしい」
「大丈夫大丈夫。那帆ちゃんは大人っぽい高校生にしか見えないから」
「褒めてるんだか、けなしてるんだか……」
「まあまあ。天気もいいんだし、春の陽気に誘われたと思って、ね」
どこで覚えたのか詩織はウインクをして見せる。かわいこぶってるなぁ。
「なるほどな」
「?」
「いや、こんな感じで変質者は出てくるんだなって思っただけ」
「……ホッケを没収します」
「ごめん」
朝食を食べ終えて、徒歩5分ほどの公園へ出かけた。
真ん中に砂場があり、ジャングルジムや昇り棒や滑り台などの遊具が点在している。
それにしても天気がいい。快晴とは言えないけど、空にはこまごまとした雲が散らばっているぐらいだ。
暑くもなく寒くもない、ほどよい気候。柔らかな光が公園内に降り注がれている。
一陣の風が吹き抜けていく。春の風は暖かく、木々や花々の匂いも薫風と言っても過言ではない。
冬の間に縮こまっていた体が自然と伸びてくる。やっぱり、春は目覚めの時期であり、動植物に活力を与える時期でもあることを改めて実感した。
さらに一陣の風が吹き抜ける。視線を先に行く詩織に向けると、ターンをしている最中だった。スカートが花びらのように広がり、細い太ももがあらわになっている。
前よりか少しは肉付きがよくなったかな。でも、まだ細いかな――
「ねえ、那帆ちゃん」
「っと、何?」
「何しよっか?」
「私もそう思った」
とりあえず公園に来ただけで、何をするかまでは考えていなかった。
「那帆ちゃんって登り棒で遊んだことある?」
「まあ、少しはね」
「ほんと!? じゃあ、登って見せて」
「いいよ」
「おお!」
「なんて言うと思ったか。下心丸見えだぞ」
「くぅ、バレたか」
「まったく……とりあえず、ベンチに座ってひなたぼっこでもしてるか」
「そうだね」
そろってベンチに座る。陽が当たっていたおかげで温かい。目をつむったら、すぐにでも寝れそうだ。
「突然だけど、ちょっと目をつぶって」
「なんだ、いたずらでもする気か?」
「いいから、いいから♪」
「わかったよ」
目をつむる。1秒2秒3秒……何も起こらない。10秒経っても何も起こらないから目を開けようしたとたん、そろえた両膝に負荷がかかった。
詩織の重さではないことは確か。詩織も軽いほうだけど、膝の上のもの……いや、おそらく人物は遥かに軽い。
心の準備を整え、おそるおそる開けていく。詩織がそのまま幼くなったような3、4歳ぐらいの少女がいた。
「おねーちゃん、おはよーござい、まぁす!」
小学校低学年の子が先生に朝礼でするようなあいさつをされた。
天使のような屈託のない笑みに、私も釣られて笑う。
「おはよう。私の隣にいたお姉ちゃんはどこに行ったか、わかる?」
「あそこー」
少女の指差す先を見れば、砂場で4、5人の男女児と遊ぶ15歳児の姿があった。
「えーっと、連れてってもらえますか?」
たどたどしい敬語を使われた。詩織に吹き込まれたのか、それとも親御さんがしっかりした方なのか。かわいくて仕方ないのでその子の頭をなでる。
「うん。肩車してあげるね」
「ほんとー? やったー!」
なんか、反応がそのまんまちっちゃい詩織だ。まあ、あいつがこの子並みに幼いのかもしれないが。
女の子を肩車して砂場へ向かう。
「あっ、なーちゃんいいなー! ねぇ、那帆ちゃん。あたしもあとで肩車してねっ」
なーちゃんとやらを降ろしつつ答える。
「さすがに詩織は無理」
「えぇー……じゃ、ほかの子たちにはしてくれる?」
「別にいいけど。というか、この子たちの親御さんは?」
「あそこのベンチにいるよ」
こちらを見ながら談笑しているお母さんたちがいた。
「先にちょっとあいさつしてくる」
「はいはーい」
*
「おはようございます。そして、初めまして雀部那帆と言います。いつも詩織がお世話になっています」
一礼をして反応をうかがう。「いえいえ」「そんな」との声。みなさんの目や表情は幸い友好的だ。よかった、悪い印象じゃないみたい。
と、ひとりの若奥様が一歩前に進み出てきた。
「あなたが那帆さんね。さっきは私の娘を肩車してもらってありがとう」
「いえいえ。あ、もしかして危なくて駄目でした?」
「ううん、違う違う。そんな面倒くさい親じゃないから安心して。それに、遊び盛りだから大体のことをしてもらっても平気だと思うわ」
「それならよかったです」
「紹介が遅れたわね。私は大西美恵。よろしくね」
「大西さんですね。よろ」
しくお願いします。と、言おうとしたところで遮られた。
「美恵でいいわよ」
「そ、そうですか? それじゃ……美恵さん、よろしくお願いします」
「こちらこそ。今日は休み?」
「ええ、そうですけど……」
「変わった高校に通っているのねぇ」
美恵さんは首をかしげて不思議そうな顔をしている。どうやら格好を見て高校生だと思っているらしい。そりゃ、平日休みの高校なんてそうないからな。
「あ、紛らわしい格好している私が悪いんですけど、高校生じゃないんですよ」
「あら、そうなの。どうしてまた?」
「詩織の提案でこうなりました」
「なるほどね。本当、よく似合ってるわ。背が高くて背筋がピンと伸びていて姿勢がいいし、私がもう10年若かったら……」
「?」
「嫌だわ、私ったら。ごめんなさいね、変なおばさんで」
「いえいえ、そんなことは……」
「詩織ちゃんは従妹なんでしょ? 家の事情でいっしょに住んでるって聞いたわ」
いきなり話がガラリと変わって面食らい、何も言えなくなる。しかし、美恵さんはお構いなしに続けた。
「何かあったら、私やほかのお母さん方に言ってね。みんな、あなたたちの味方だから」
笑みを満面にたたえ、美恵さんは柔らかに言い切った。周囲のお母さんたちの表情も最初と変わらず柔らかい。
「はい、ありがとうございます」
*
その後私はお母さんたちといろいろな話をし、詩織はずーっと子どもたちと遊んでいた。
ひとりのお母さんが作ってきたお弁当をごちそうになり、13時にはそれぞれ用事があるからと帰っていった。
早朝以来の静寂が戻ってきた。
私と詩織もそれぞれクタクタで、まっすぐ帰宅する気にもなれず、とりあえず朝座っていたベンチに腰かけた。
「ふうー、つっかれたねー」
「本当にな」
「あーらら、少し制服が汚れちゃった……ごめんね、那帆ちゃん」
「子どもたちと遊んでたから仕方ないさ。洗濯すればどうにでもなる」
「そっか、ならよかったー。ふぁぁぁ……安心したら少し眠くなってきちゃった」
「肩なら貸すぞ」
「うぅん、それより」
私のそろえられた両膝に、詩織は後頭部を置いた。
「あぁー、那帆ちゃんの太ももは柔らかくていい気持ち。一生このままでいいや」
「私の太もものことも考えろよ」
「くぅー……」
「あ」
もう寝てしまったのか。寝つきのいい奴だ。
昼になって少し陽射しが強くなった。だけど、暑いほどのものではない。
木漏れ日が枝葉の間から差し込んでくる。それだけでなぜだか幸せな気分になれる。
春の平穏の日を過ごす喜びって、こうなのかな。
「ふぁ……」
無意識にあくびが出てきた。広い公園内は耳を澄ませば小鳥のさえずりと、詩織の寝息だけしか聞こえない。
緩い風が私の頬を撫でつける。花や木の匂いが鼻腔をくすぐる。心身ともに穏やかで、起伏の波などが無縁の状態。
春のひだまりが公園全体を優しく抱擁しているよう。
目をつむる。雑念もなく、私と詩織しかいない世界を瞬時に脳が作り出す。
そこで私の意識は途切れた。
*
自分の体が揺れている。意識の底で地震かな? と思っていると、声が聞こえてきた。
「……ちゃん、ほちゃん」
詩織の声? 声が遠くてよくわからな――
「那帆ちゃん!」
「わああっ!?」
思わず声をあげて驚いてしまった。詩織を見れば、目を見開いて驚いてた。
「びっくりしたな……」
「それはこっちのセリフだよ〜。あー、心臓に悪かった。あ、よだれが出てるよ」
「え? あっ」
ハッとしてハンカチを取り出してぬぐう。私としたことがだらしない。
「那帆ちゃん顔まっかっかだよ」
いたずらっ子のような笑みを浮かべている詩織に、私は小さく
「うるさい」
と言って、抵抗するしかなかった。
「えへへ、ごめんごめん。それよりね、もう夕方だよ。カラスも鳴き始めたし、帰ろ?」
周りを見渡せば、青い空は夕暮れの赤に移りつつあった。詩織の言うとおり、カラスも鳴き始めている。
「そんなに寝てたのか……私たち」
「お互い大爆睡だったみたい」
ふわっと風が吹いた。眠る前とは違い、冬の余韻を残した少し冷たい風だった。これは帰宅を促しているのか。自然と身が震えた。
「帰ろう」
スカートだし、なおさら寒さを感じた。
「ねー、那帆ちゃん」
「なんだ?」
「その、ちょっと寒いし、手をつないで帰ろ?」
笑みの中に少し恥じらいがあって、より一層詩織がかわいく見えた。
「いいよ」
「やった!」
腕に抱きついてくる詩織。
「おいおい、手をつなぐんじゃないのか?」
「いっしょだよ。いーっしょ! それに、那帆ちゃんもこのほうがあったかいでしょ?」
「……まあな」
詩織には適わないなと思う。こういった面では。
「なら、いーじゃん。さあ、晩ご飯の材料を買いに行こー!」
「この格好でか?」
「気にしない、気にしない♪」
「……はあ、まあいいか」