第七幕
【44】
さて、エルと志が、散々追いかけっこを繰返した次の日の放課後である。
その日の第三トレーニングルームでは、ピアンネのダンス・ダンス・ダンス部がダンスの練習をしていた。エアロバイク、その他のトレーニング機具が並べて置かれている背面には一面バレー教室のような鏡張りになっていた。その前に十人ほどのダンス・ダンス・ダンス部の部員は等間隔に並んで、くるくるとバレリーナのように踊っている、と思えばカラフルなダボダボのトレーナーを振り回したり、バク転やバク中を危なっかしく披露していた。それがダンスか? と問われると即答しかねるが、彼女たちがダンスを踊っていると言えるのは、壁からコードを伸ばしたステレオの音楽によってであろう。彼女たちは、手が自然と拍子を刻むような軽快で、かつ、どこか歪んで狂ったリズムに合わせて、爽快に汗を振り撒いていた。
『ヘイ!』少女たちの甲高い声が上がった。
ステレオから流れ出る曲をBGMに、ダンサーたちを背景に置いて、体操着にヘッドバンドといういでたちの志とエルは、肩で空気を裂いて第三トレーニングルームに現われた。二人はドンピシャリのタイミングで、両端の別々の扉から入ってきた。そして昨日、アレだけママチャリで走り回ったというのに飽きもせず、揃いも揃って、上半身の筋肉をストレッチしながら、まあ、ココに二人が来たらやることは決まっている、愛用のエアロバイクの場所までやって来て、互いを鋭く一瞥してから、サドルに跨り、ウィーンと重低音を鳴らし始めた。
ゆっくりと足を回転させながら、最初にエルが口にした。
「明日のゲームは、互いに近世ヨーロッパの哲学書を賭けようじゃないか」
志は弥恵の日記帳を持っているはずだ。
「奇遇ね、私もそう言おうと思っていた」
エルはアリーナの詩集を持っているはず。
「ルールを決めよう。哲学書はクランの誰かが持っておく。もちろん、持っていると分からないように」
「哲学書を持っているやつを倒した方が勝ち。そういうことね」
「そういうことだな」
「分かった」志は淡々と頷いた。そして、前傾姿勢のまま、下を向きながら呟いた。「もう、エアロバイクはこれにて最後にしましょ」
「そうだな」エルは目蓋をそっと閉じて、ゆっくり開けた。「もう、決着をつけてもいい頃合だよな。お前とのエアロバイクは生産性がなくて、ムカついてくるばかりだし」
「今日勝てば、一兆分の勝ちってことでいいよね」
「はあ、喧嘩売ってるのか、なんだそれ、バカか?」
「あんたの方が一勝多いじゃんか。それって不公平じゃない? 今日、私が勝ってもドローじゃない、簡単な足し算も出来ないの、バカっ」
「別に、ドローになるとは思わないけどな、でも、一勝は一勝だろ。そんな、深夜のバラエティみたいな甘えをお前に献上してどうする? バカっ」
「バカみたいに狭量ね」
「お前もな、バカみたいに器が小さいな」
志は足に力をぐっと込めた。「エセハンガリー娘は、フランツの柔らかい音楽を聴いて、脳みそがふやけるまで温泉に浸かっていればいいのよ」
志の悪態で、二人の最後のエアロバイクの幕が切られた。
トレーニングルームの入り口で二人の様子を眺めていた、ゴールド&シルバーの賭けを取り仕切るトーテムポールの彼女は気が付いた。
今日は、何かが違うぞ。何かが違う。起承転結の転の字をすっぽりと抜いて結ばれようとしているような最終回なムードが漂っているではないか。彼女たちの間で、何が交わされたのかは、彼女には到底分かるはずもなかった。彼女の職業は、トレーニングルームの外から、二人のエアロバイクを覗き見るだけである。彼女の賭け事に興じているちょいと将来が心配なピアンネ娘の群れも同様だ。
と、そこへパタパタパタという足音がして、その群れに新たに一人加わった。
「今日はゴールド」声はファイヤーボールみたいに熱っぽかった。「ゴールドに三百」
トーテムポールの彼女は時計を見やる。「ギリギリだったな」
結果を言えば、今日はゴールドに賭けた少女が勝った。つまり、エルは保健室に運ばれた。
【45】
さて、場面はだいたい二十四時間後の神代峠。だいたい一週間ぶりの神代峠の紅葉は鋭さを増していた。新鮮なペンキを塗ったような発情的な紅から、血液が濃縮されたような肉欲的な臙脂に移行していたハゲワシの足形のような葉っぱは、鋭く先細り、刺々しく、ヒステリックな雰囲気を、神代峠に作り出していた。
めがね橋の下で白と黒と灰色で構成された迷彩服に身を包んだ、志、京子、綾の三人はそんな異様な景色の中で異様に見える。迷彩服はその景色に同化することを拒むように目立っているし、全員銃器を肩から提げているし、何より志の胸が不自然極まりなく膨らんでいたからだ。
もちろん本物ではない。一晩寝て、授業を熱心に受けたからといって、むくむくと膨らんでくる、というものではないだろう。
志はソコに哲学書を隠していたのだ。試行錯誤した結果、胸に隠すのが一番しっくりときた。志の一向に膨らみ始めない胸も、やっと役に立ったわけである。だが、なんとなくだが、哀愁を感じてしまうのはなぜだろう。
京子は自分の巨乳を棚に上げ、綾は程よく膨らんだ形のいい胸を棚に上げ、『志様は貧乳のままがいいのに……』と思った。
本人がまんざらでもなさそうなので、口には出さないけれど。
首に下げたストップウォッチは、丁度、デジタル表示で十七時半を知らせた。
【46】
緑色と黄緑色と黒色で構成された迷彩柄は、紅葉の中では黒髪の中の一本の白い毛のように目立っていた。さらに目を引くのはエルの異様に膨らんだ胸だった。似たもの同士、考えることは一緒だった。
弥恵は自分の最近膨らみ始めた胸を棚に上げながら、「エルさんの貧しいおっぱいが好きなのに……」と思った。
本人がまんざらでもなさそうなので、口には出さないけれど。そんなプライベートなことはともかく、
パンッ!
弥恵は慣れた手つきでリバルバーの試し撃ちをしていた。十歳の脳みそはすでにリボルバーの弾道を、微細な部分まで飲み込んでいた。この前、比呂巳にやられたようにはいかない。志の体中をペイント弾で染める自信は不自然なほどにあった。弥恵は静かに勇を鼓舞した。
お膳立てはエルさんが保健室に運ばれるほどの働きで整えてくれた。
後は、志姉ちゃんをやるだけだ。
「今日は勝手が違う」三国がマガジンをセットしながら言った。「どうする、エル?」
問われ、「決まっているだろ?」という好戦的な表情をエルは見せた。昨日のエアロバイクでの敗北で、エルの神経は限界まで高ぶっていた。
「電撃戦でいく」
エルの短い回答に、三国は楽しげに軽い声音で言った。「作戦もなにもなしってことね」
「電撃戦って、なんですか?」
「要するに、」と、そこでストップウォッチがゲームの開始を知らせた。「突撃だ」
イーグルスと反対側のめがね橋の下を、バルチャーズはエルを先頭に走り抜けた。
【47】
藤原と森川はイーグルスに遅れること十分弱、よもやピアンネ娘のサバゲーの舞台とは知らずに黒ブタのピエールを連れて、めがね橋の下を潜った。
どうして二人、そしてピエールがココに?
簡単な話だ。藤原はトリュフを求めてココにやってきた。『媚薬の研究』には《神代峠のトリュフ》と書いてあったが、森川の膨大な化学的なデータベースに、この国、トリュフ、峠、と検索をかけたところ、この場所しかヒットしなかった。トリュフには麻薬作用が大なり小なりある。別段、生産地にこだわる必要もないだろう、まあ、ドンピシャで《神代峠》は特定されてしまったわけなのだが、そんな按配で二人は臙脂色に染まった葉っぱをクシャリと踏んだ。
ピエールは「ぶひっ」とつまらなそうに鼻を鳴らす。
「こんな豚が本当に仕事をするのだろうか?」
森川が何気なく言うと、
「ぶひ、ぶひひひ、ぶひ、ぶひぶひ!」まるで人間の言葉が分かったようにピエールはぷんすかぷんと森川の足元に柔らかいタックルを始めた。「ぶぶぶぶぶひっ」
「まるで人間の言葉が分かっているようだなぁ」
藤原は少しざらつくあごひげを擦りながら少し感嘆していた。「そういえば、ブタは哺乳類の中でも抜群に頭がいいと聞いたことがある」
その一声に、ピエールは「その通りだ」と言わんばかりに鼻をツンと上に反らした。
このピエールは養豚場から借りてきた。檻から連れ出そうとするとき、まるでミンチにされるのを恐れるように必死の抵抗を見せていたが、まあ、実際は男どもに抱かれるのを嫌がったのだが、ともかくトリュフを見つけるためには豚がいる、ということで藤原と森川は無理やり、腕に傷を作りながらも連れてきた。一応、養豚場で献身的に世話をしているアリーナの了解もきちんととってあるし、そのアリーナによれば、このピエールはトリュフ探しの名人、いや名豚ということだから、きっと《媚薬》の材料を揃え、完成させることが出来るはずだ。
藤原は意気込んだ。
「さあ、ピエール。極上のトリュフを見つけてくれ!」
重低音のいい声が響く。
その響きを煩わしげに耳を垂らし、ピエールは「ぷひ」としぶしぶ歩き始めた。
どうして男のために……、なんていうやる気のなさがその豚足から窺える。
ま、早くトリュフを見つけて、アリーナの元へ帰ろう、そんな風にピエールは鼻を地面にそっとつけた。と、そこでピエールの嗅覚は捕らえた。
ピクッと耳が立った。
藤原と森川は『早いな』と顔を見合わせた。
そして、急に、まるで女の子の匂いを嗅ぎ付けたようにピエールは走り出した。手綱がピンと伸びて、引きちぎれそうなほどに張り詰めてから藤原もつんのめる姿勢で走り出した。その後を森川は追った。
【48】
コードネーム、ペンギュンこと片吟綾はスナイパーである。フィールドの高台にライフルを構えて陣取り、高感度の赤外線スコープを覗き、獲物が姿を現すのを待っていた。南極圏のペンギンが流氷漂う水面近くに現れる獲物を待ち伏せるように、じっくりと。
『エルは電撃戦を仕掛けてくるはずよ、昨日、私に負けて保健室だったからね、だから、あーや、今日の勝利はあなたのスナイパーライフルに掛かっているわ、チャンスは一度、あーやのスコープにバルチャーが固まってやってきたところを照射する、そして京子のガトリングガンでエルに動きを封じる、そして私のマグナムで終わらせてやる、絶対に完璧な勝利を手に入れてやろうじゃない!』
志様に必ず勝利を献上いたします。綾は鼻の下の汗を舐めた。と、そこへ、
………………きたっ! いや、違う?
綾はスコープから一度目を離し、再度覗いた。
この季節、日が沈むのが早くなり、すでにスコープの明度はフィルターがかかったようになっていた。そのスコープから見えたのは、限りなく見間違いだとは思うのだが、二人の男の姿と一匹のブタ、だった。
「?」綾の頭は二人の男と一匹のブタがすんなりと飲み込めなかった。一体どういう状況で、こんな雑木林の中、こんな時間、二人の男が一匹のブタを連れて走っているのだろうか? 考えられるのは、モテナイ男が結託して、媚薬を作るためにブタを連れてトリュフを探しにきた、とそんなことくらいだけれど……。
咄嗟の推測、近からず、遠からずといったところで感服したいところだが、まさか藤原と森川とピエールとは露程も知らないし、思いもよらない綾は、そんな推測はポンと放り捨てて、自分のスナイパーとして申し分ない裸眼を疑った。
バルチャーズのどなたか二人が髪をベリーショートにしたのかもしれないし、別に迷彩服を着なくてはならないというルールもないから、敵の目を誤魔化すためにスーツ、それと白衣を身に纏っているのかもしれないし、きっとブタに見えるのは犬で、別に警察犬を使用してはいけないなんていう理由もないから、私たちの匂いを犬に辿らせているのかもしれない。
一旦、そう思い込んでしまったら、綾の正確な裸眼は藤原と森川とピエールを、エルと三国と警察犬だと誤認してしまった。志様のために、と異常に気負っていたことも要因の一つだ。
綾の瞳は絞られた。標的に照準がピタリと合う。綾は引き金を引いた。火薬が炸裂して鼓膜を刺すシャープな音が弾け、匂いが鼻腔をついた。当たったか、当たらなかったか、綾は確かめなかった。今は狩りの快感を味わう必要ない。目的は陽動だ。綾は即座にリローデッド。弾が尽きるまで、綾は一心不乱に撃ち続けた。
【49】
コードネーム、レオパルドこと豹然京子はガトリングガンを一面紅い景色に向って構えながら数を数えていた。
二十五秒、それが、京子が割り出した、今、このときに必要な秒数だった。
「十、十一、十二……」陽動が成功して想定通りにことが進めば、綾のライフルの初弾の銃声から二十五秒でバルチャーはガトリングガンの銃口の前に現れる。だから、京子は数を数えていた。まるで御経を唱えているように、神妙に目を瞑りながら。「……二十、二十一、」
人の息遣いが耳に聞えてきた。さて、と京子は引き金を引く準備をした。と、そこで、
「?」と京子の頭が不自然な事象に反応した。人の荒い息遣いの中に、混じるブタの鼻息。そして人の息遣いは確かに人の息遣いだが、バルチャーズのものにしては呼吸が鈍重だ。普段、あまり運動していない人、それも男のものではないだろうか? 二十代後半と二十代前半の息遣い、それプラスブタ。限りなくバルチャーズではないと、京子の耳は言っていた。
でも、どうして? 疑問が過ぎらないはずはない。
だって、一体どういう状況で、こんな雑木林の中、こんな時間、二人の男が一匹のブタを連れて走っているのだろうか? 考えられるのは、モテナイ男が結託して、媚薬を作るためにブタを連れてトリュフを探しにきた、とそんなことくらいね。
咄嗟の推測、近からず、遠からずといったところで感服したいところだが、まさか藤原と森川とピエールとは露程も知らないし、そんなこと思いもよらない京子は、そんな推測はポンと放り捨てて、自分の解釈を疑った。
それに、綾の銃声も何度も聞えている。きっと、何度も綾の鼓膜をつんざく銃声を聞きすぎて正確な音を聞き取れなくなったんだ、綾ちゃんの裸眼が獲物を見間違うはずないもの。京子は綾の腕を信頼していた。
だから、
「二十四、二十五」で京子はガトリングガンの引き金をガチャリと引いた。けたたましい金属の炸裂音。目を瞑っていても弾は次から次へと掃射された。ものの十秒でカタカタカタという耳障りな空回りの音がして、京子は「ふぅ」と目を開け、バイザーを持上げた。もちろん、そこには敵の姿はなく、無残にも蛍光色に彩られた前衛芸術の風景が広がっていた。
「なかなか趣があるんじゃない?」
京子は景色を黄緑色に染め上げたことにご満悦のようだった。
【50】
藤原は狂い死にしそうだった。綾のスナイパーライフルの連射をくらい、京子のガトリングガンを立て続けに浴びれば狂ってしまうのも頷ける。常日頃の公務員生活で、平和ボケに片足を突っ込んでいるような藤原が銃に慣れているはずもない。普通に殺傷能力抜群の本物の銃弾を浴びたと勘違いしていたし、毒々しいペイント弾の色合いを細菌兵器か、何か強力で物騒な類のものであると咄嗟に思い込んでしまっていた。
どこの世界に狙い撃ちされる社会の教師がいるんだ!
藤原は走りながらそう叫びたかったが、喉が引きつって駄目だった。ともかく藤原は草葉の陰に飛び込み、ヘタリ込んだ。恐怖もそうだが、走り続けて足の方にもガタが来ていた。二十代後半を思い知らされる。全身の細胞が酸素に飢えていた。けれど、肺はすべての細胞の渇きを満たすことは出来ないとばかりに、藤原に息を詰まらせる。
ピエールも同様に、今からトンカツ屋にカリッと揚げられる寸前の、現世に疲れきった顔をしていた。「ぶひひっ」
「大丈夫か、正史」
唯一、涼しげで平然としているのは森川だった。森川はすべてを分かっている風に落ち着いていた。まあ、ココでサバゲーが行われていて標的と間違えられた、とまでは分かってはいないだろうが、森川は藤原には信じられないほどの平静さで背中を擦ってくれた。
「悪いな、もう、俺も、歳だな」
「そうだ、三十間近が無茶をするもんじゃない。でも、男は三十からだよ」
「そんなことより、何だったんだ、さっきの銃は?」
「さあ、慌てて逃げてきたからな、」全く慌てていなかった風に森川は少し考えて口にした。「きっと熊にでも間違えられたんじゃないか」
「ココに熊が出るのか? 確かにそういう雰囲気はあるが、でも、熊相手にガトリングガンはないだろう、知っているか? ハンターは猟銃を使うんだ。あんな代物、使ったりはしないよ」
「でも、それは日本やアラスカの話だろ?」
「この国は違うっていうのか? 利洋、お前はこの国のことを何も分かってないな、この国は確かに何もかもが新しいさ、でも、全てが新しく生まれ変わったわけでもないし、新しさの程度もタカが知れている、俺はお前より五年早く生まれたから分かるんだが、この国は、本当の意味では、なんら新しくないんだよ、人は何も変わっていない、変っているのは、新しいのはな、うちの生徒ぐらいなもんさ」
藤原は地面に叩きつけるように呼吸と一緒に言葉を吐いた。
「正史が熱弁するくらいなんだから本当なんだろうな」
「きっと、アレはトリュフ泥棒を退治するためのものだ。この場所はお前が知ってるくらいに有名なんだろ?」
「俺がかろうじて知ってるくらいにはマイナーなんだけれどね」
「ガトリングガンをぶっ放す秘密結社に知られるくらいにはメジャーってことだよ」
「だったら、俺はトリュフを秘密裏に売買している秘密結社の存在を肯定するより、さっき正史が言った、この国で唯一の新しいもの仕業だと考えるべきだと思うな」
「はあ? うちの生徒の仕業だって言うのか?」
「うちの新しい生徒だったら、スナイパーライフルで狙い撃ちしたり、ガトリングガンをぶっ放したり、トリュフを非合法に売買していたりしても頷けるだろ?」
「ありえない」藤原は首を横に振った。でも……、彼女たちは新しい。それは藤原が一番良く知っていることだった。「それはありえないって」
「いいや、ありえると思うね」
森川の反論に、藤原は頷きかけた。そのとき、「ぶひぶひぶひ」とピエールが鼻を鳴らした。その鼻先はジャガイモでも放り込まれていそうな皮袋を突っついている。それは木の根元の落ち葉の影に、まるで人の道徳を試すように、ひっそりと隠れていたのだった。
…………まさか?
藤原と森川は顔を見合わせた。藤原は体中の脱力感を振り払って皮袋を開いた。トリュフっぽいものが入っている。森川に確認させた。頷くのを確認して、その皮袋を背負った。と、その拍子に藤原の手元から『媚薬の研究』がストンと地面に落ちた。
いけない。
比呂巳の大事な手帳だ。
藤原は一仕事終えた顔で拾おうと手を伸ばした。しかし、誰かの別の手がその手帳に伸びた。森川の手ではない。もちろんブタのピエールの前足でもない。その手は綺麗だった。指はほっそりと長く、ささくれの跡もない。まるで毎日、お付の人にクリームを塗ってもらっているようにすべすべとしている。爪も艶々と光沢を放っていた。
藤原の手とは対照的だった。つまり、男の手ではなく女の手で、十四歳くらいの若々しい手。
藤原はその手の持ち主を、例えば担任の教師程度に知っていた。
【51】
バルチャーズは志の、いやコードネーム《ルシファー》の後ろ姿を確認した。
どういうわけだか、隙だらけだった。
エルは三国と弥恵に指示をした。
ルシファーを三方から包囲し、抹殺する。
圧倒的な勝利は必ず手に入れる。エルは溢れてくる唾をゴクリと飲み込んで、
「辛抱だ」と自分の右手の筋肉を諌めた。「エルヴィーン・クイード・コンベルハイアー、あともう少しの辛抱だからな」
【52】
志はマグナムリボルバーの銃口をスチャっと向けた。綾のスナイパーライフルと京子のガトリングガンに煽られてやって来たターゲットに対してだ。しかし、ガチャリと撃鉄を起こしたところで、志のカラーコンタクト越しの瞳からでも、それが本来のターゲットではない、ということがすんなりと脳みそに入ってきた。雑木林の中はうすらぼんやりと明度が下がってきたとは言え、ざっと三十メートルほどの距離、見間違えるはずがない。
藤原と森川とピエール、よね?
なんだって、こんな時間に、こんな場所に?
志は何がなんだか、この状況が飲み込めなかった。どうして、綾と京子がこの二人の教師と一匹を追い詰めたのかも分からなかった。追い詰められたのだと分かるのは、藤原はしんどそうに地面に向って何やら怒鳴るようにしゃべっていたからだ。
……一体何用だろう? 一度、担任をしてもらった仲である。もし出来ることがあるのなら、とそんな風に、志は警戒心を若干緩め、つまり、バルチャーズの鋭い眼光からすれば隙だらけ、丸裸の状態で、ゆっくりと藤原たちの方へ近づいていった。
ピエールが「ぶひ」と鳴いた。藤原と森川は顔を見合わせていた。志が「おーい」と呼んだが気付かない様子。藤原は皮袋を手にして子供のような顔をしていた。森川が皮袋を覗き込む。「せんせぇってば、」ピエールは志の存在に気付いて足元に寄ってきた。やっとお目当ての匂いに辿りついたとご満悦だった。そのじゃれ合いを他所に、森川は冷静に頷いていた。藤原は皮袋を担いで立ち上がった。その拍子に、藤原の手元から、
――『媚薬の研究』が落ちた。
藤原の目前に辿り着いていた志の手は『媚薬の研究』にスラリと伸びた。物を落とされたから自然と親切心が働いた、とも考えられる。志は育ちがいいお嬢様だからだ。また、物を落とされたからそれを自分のものにしようとしたとも考えられる。志は育ちがいいお嬢様ゆえに強欲でもあるだからだ。けれど、その二ついずれともこの場合は当てはまらない。なぜ志の手がスラリと伸びたのかと言えば、自分の胸にある『媚薬の研究』が落ちたのだ、とそんな風に思ってしまったからだった。よくよく考えてみればきちんとジッパーが噛んでいる迷彩服の前方が突拍子もなくおおっぴろげになるはずはないし、『媚薬の研究』を固定するために拝借した胸に巻いた腰のサポーターが外れたら真っ先に足の甲にぶち当たることは分かりきっていたことなのだが、このときばかりは自分が『媚薬の研究』を所持している、と勘違いしていて、さらに藤原が『媚薬の研究』を持っているはずはない、という思い込みがあったから、自然に手が伸びてしまっていた。
「あっ」とは、キョトンとなった藤原の声だ。藤原は痛烈に「やべぇ」という表情をしていた。
その幸薄そうな表情を直視してから、志はなにやら一連の現実が不自然なことに気付いた。ものの三秒間思考回路を一本にして、とにもかくにも確認したかったことは、
①私の胸には胸がある。
志は自分の胸をペタペタと触った。
②いや、胸じゃなくて、『媚薬の研究』が長方形ないびつなFカップを作り上げていることがたった今判明した。
志は現実を突きつけられてちょっぴり泣きたくなった。大丈夫、まだ中二だもん。
と、も、か、く、
③そのFカップは今も絶賛大活躍中。
つまり『媚薬の研究』は私の胸の中だ。じゃあ、私が拾ったこの哲学書は?
志は藤原の妨害をのらりくらりと避けながら、ページをペラペラと捲った。
白紙が続き、最後の数枚に、志はしかと確認した。
④藤原が落とし、志がたった今拾ったものが本物の『媚薬の研究』だった。
じゃあ、私のFカップを構成する大事なものは一体、何?
志は藤原とゆったりとした追いかけっこをしながら自分の胸を弄って、胸の元を取り出して、保温され、志のいい匂いの香る、もちろん志には無味無臭だが、今まで『媚薬の研究』と思われていたものの中身を開いた。
……何、コレ?
例えていえば、……自己啓発本の類に括られるのだろうか? 本物の『媚薬の研究』の大多数のページを占める白紙とは対照的に、それのめいめいのページは酒蔵の帳簿のようにびっしりと黒く達者な文字で埋められていた。白紙のページはたった四ページだけだった。その黒く達者な文字が構成する文言は、自分を奮い立たせる、というか、そういう種類のものが多い。それは志がホップステップジャンプをしながらでも分かった。「性別とか関係ない!」とか、「性別とか関係ない!」とか、「性別とか関係ない!」とか。正直、志にはまだ早すぎた。
なんだか見ているだけで呪われそうなので、志はその内容を忘れるようにその偽物をそっと閉じた。
そして太い木の幹をグルグルと追いかけっこするのを志の独断で強制終了させ、振り向き、追ってくる藤原を慄かせる戦闘機のような剣幕で、
「藤原!」と、まるで近世ヨーロッパの哲学書の頑丈な表紙をタンタンと叩きながら、がなった。「どうして藤原せんせーが『媚薬の研究』を持っているの!」
追いかけるんじゃなくて、逃げた方がこれからの出処進退のためだったな、と藤原は「うっ」と情けない顔で後悔していた。咄嗟に口封じのために追いかけっこしてしまったが、相手は志だ。ゆえに平穏無事に済む見込みはほとんどないのだ。いろいろと悪名を付与されて、ピアンネ娘の間に吹聴される可能性も無きにしも非ずだし、その噂が教職員の耳に入る可能性も無きにしも非ずだ。
藤原は引きつった真顔で嘯いた。「一体なんのことだかさっぱりだ?」
「とぼけるならもっと上手くとぼけてください!」
マグナムリボルバーを藤原の顎の骨にぐりぐりとやりながら、コレが結構痛い、志はミサイルが弾けたように怒鳴り散らした。「とぼけたって無駄ですよ、もう全てお見通し、藤原せんせぇ、あんたがロリコン野郎だったんですね、そうでしょ!?」
藤原は額から下を一瞬で青くし、観念したように目を伏せた。が、往生際悪く、また呟いた。「一体、なんのことだか、さっぱりだな」
藤原はB級映画の主演俳優のように首をすくめた。
つまり、クロだ。
藤原=ロリコン野郎(正しくはホモ野郎だ)。志はどうしてソレに気付くことができたか? いやいや、気付かない方がおかしい。志のカラーコンタクトは視界の端々にヒントを見つけていた。『媚薬の研究』とトリュフ捜査に長けたピエールと以前志が回収したトリュフ入りの皮袋だ。
子豚でも解ることだ。志は最近起こった出来事にロリコン野郎の藤原を加えて整理してみた。
多分きっと、藤原が必要としていた『媚薬の研究』がひょんなことで図書館に紛れ込んでしまったんだ。ソレを私が偶然にも見つけて借りた。藤原がソレを知ったのは、……ああ、あのときだ。階段の踊り場で追突したときだ。そういえば若干藤原の挙動がおかしかったような気がする。そして、ロリコンの藤原は、きっとロリータなピアンネ娘をたぶらかすために媚薬が必要になったから、私に脅迫状を送りつけたんだ。理由はなんとなく分かる。まさか直接私に頼み込むわけにもいかない。なにせロリコンの教師というねじれたプライドがあるから。つまり藤原はロリコンであると発覚するのを恐れたんだ。ともかく、藤原は私の下駄箱に脅迫状を送りつけて、『媚薬の研究』を手放させるように仕向けた。しかし、何らかの事情があって藤原は指定の時間、指定のテレフォンボックスに現われなかった。その事情がある種のアリバイになって、藤原がロリコン野郎と特定されるのを防ぐためか、藤原は再度、また脅迫状を送ってきた。けれど、根がロリコン野郎だから啖呵を切ったが行動を出せずにいたのだろう。私たちが動き出すのを待っていたんだ。私は一向に図書館の返却期限を守らなかったし。そういえば、そろそろ督促状が届く頃合かな……。
志の推測はざっとこんな感じだ。再度断っておくと、藤原はロリコンではない。ホモで、ゲイで、同性愛者だ。その決定的な事実を露程も考えずに、志は藤原がどうして現在の『媚薬の研究』の所有者であるのかを……考えるまでもなかった。
すり替えられたのは、あのときしか考えられない。
『三国さんには縛られただけですよ。私と綾ちゃんが不発弾のように眠っていたのは、睡眠薬のせいです。でも、誰に何のために眠らされたのは分からないですね。化学部の悪戯かもしれません。あの部には顧問の森川を筆頭に、奇人変人が多いですからね』
と、京子が言っていたことを思い出しながら、志は下唇を噛んだ。つまり、藤原はあの時、エルとママチャリで追いかけっこしている間に、草笛寮二〇一号室に睡眠薬(森川が作った)を投げ入れ、『媚薬の研究』と呪いの書をすり替えたのだ。どうして草笛寮に『媚薬の研究』があることに気付いたのかと言えば、志たちが新聞部に掲載してもらった《遺失物拾得欄》によってだ。完全な漁夫の利をくらったわけだ。どうしてバルチャーたちがやってきたのかは謎だけれど……、もしかして藤原が仕向けたのだろうか、ロリコンは悪知恵が働くというし。ともかく藤原にしてやられた。そのことに今の今まで気付いてなかった。敵はエルの他にもいたのに、私は見えていなかった。目の前の敵に没頭するあまりに視野が狭くなっていた。悔しくて堪らない。
けれど藤原の手の平で転がされていたという事実より、やっぱりセンセーショナルに心臓を抉った事実は、
「藤原せんせーがまさか《ロリコン野郎》だとは思いませんでしたよ!」この勘違いに他ならない。「小さい女の子があんなことやこんなことしたいって意味で好きだったんですね! 信じられない! 私のこともそういう目で見ていたのね、そう考えるとぞっとする! ロリコンキモ過ぎ!」
そして何より陵が不敏だった。陵はこのロリコン野郎と結婚したのだ。確かに藤原はドラマで考古学者の役を当てられそうな渋めのちょっぴりイイ顔をしていたし、山岳用のリュックサックが似合う髭も中々素敵だったし、人当たりのよさは志と普通に会話が成立している時点で証明されているし、体の芯まで優しくて、ピアンネ娘たちからも適度な人気がある。あるかもしれないが、藤原はロリコンなのだ。ロリコンでは駄目だ。ロリコンでは駄目なんだ。
「陵せんせーのことを考えて心が痛まないんですか!? ロリコンの分際で陵せんせーみたいな綺麗な人と結婚しやがって!」
志のマグナムリボルバーは暴発寸前だった。
「いやいや、アメ、ともかく落ち着いてくれ、落ち着いて聞いてくれ、俺はロリコンなんかじゃない、いいか、もう一度言う、俺はロリコンじゃない」くどいようだが、藤原はロリコンではなくホモだ。「今までのことをちゃんと話す、話すからどうか話を聞いてくれ」
油汗を顔中に浮かせながら、必死に宥めようとしても、志はすでにコッテコテのロリコンが書いたような脅迫状を読んでしまっているから、今さら藤原の言うことに聞く耳持てなかった。さすがの志も、ロリコンは怖いようで、怖いからこそコレだけ好き放題悪態をついているのだが、マグナムリボルバーで威嚇しながらじりじりと後ずさり距離を置いた。ロリコンされないためにだ。もう、藤原の言うことは全てロリコンするための戯言にしか聞えない。
つまり、
「ロリコンの話なんて聞いても分からないわよ!」という分かりやすい拒絶反応を見せている。志は藤原に銃殺を試みた。「しねぇええええええ、ロリコぉおおン!」
が、しかし、志は過ちを犯さずにすんだ。森川が志のマグナムリボルバーをストンと蹴り上げたのだ。鈍く光る銀色が宙に舞う。
志はペテンをくらったような呆けた顔でただの理科の先生とは思えない森川を見ていた。翻った白衣で一瞬だが目の前が白に包まれた。
その隙をついて、森川は半ば放心状態の藤原の手首をぐっと掴み、志の足元に転がっていた『媚薬の研究』(?)を掴み、トリュフの皮袋を抱えて逃げた。
「あっ、」虚を突かれた志は三テンポ反応が遅れた。「待て、ロリコン野郎っ!」
叫びながら志は地面に落ちる寸前のマグナムリボルバーを、身を沈めキャッチして、萎んだままだった胸に地面に転がっていた『媚薬の研究』(?)を胸にあせあせと仕舞い直し、低い姿勢から、クラウチングスタートの要領で、素晴らしいスタートダッシュを見せた。
そしてそのまま加速……、出来なかった。
そういえば、
『ホールドアップ!』
もろ手を挙げて降参しろ、そんな意味合いの重なった文句が何回か耳に入ってきていた。しかし、ロリコンを追うことで高ぶった志の神経はソレがなんなのか、即座に処理出来ていなった。出来ないまま、
ガツン!
志の脳天は空間転移してきたばかりのように突如目の前に現われたエルの硬い胸に派手にぶつかった。
【53】
バルチャーズの包囲は完了していた。志の前方の十メートル離れた木の幹の陰にはエル、左方には三国、右方には弥恵が潜んでいた。磐石な布陣だった。どこへ行っているのやら、ココにはうざったいガトリングガンもまるでストーカーのスナイパーもいなかったし、あとはバカで無能で隙だらけの志のバイザーをライトグリーンにしてやるだけだ。
けれど、問題が一つ。いや、二人。
志の周囲にいる二人の男が問題だった。ピアンネに幼稚舎から通っているエルには当然見覚えがある。初等部の社会の教員の藤原と、同じく理科の教員の森川だ。一体こんな場所で何をしているのだろうか? まさか、サバゲーを取り締まりに来たわけでもあるまいし。私立ピアンネ女学園の放任主義はこの国の常識だったし。
けれど、ピアンネもいわゆる学校であることには変わりない。理事長の思いつきで急に学園の校風がきっちりとした方向に転換することも充分にありえる。二十世紀中頃の極端なファシズムを持ち出すまでもなく、長い歴史の中でそういう急激な出来事は繰返されてきた。もし、そうだったら、ピアンネ娘たちはどうするだろうか?
抵抗する以外に何があろうか。
ともあれ、さささっと忍者、もといくノ一のように徐々に距離を詰めていったエルは、
《ロリコン》
という一見可愛げがあるが、とても卑猥な一語を聞いた。
ん? ロリコン? なんでこんな場所でロリコンなんていう場違いな用語が出てくるんだ?
エルは不思議がった。様子を窺う。どうやら《ロリコン》が元で口論に発展したらしい。さらに神経を敏感に尖らせて、志の言葉を聴く限り、藤原はロリコン、だということがなんとなく分かった。「……えっ、マジで!?」
エルは小さく呻いた。だったら、とエルは過去の藤原との接点をざあっと点検していった。すれば思い当たるふしがあった。臨海学校のときのアレ、初等部の修学旅行のときのアレ、体育祭のときのアレ、藤原がロリコンであるとすると、全ての事柄に上手く説明が付いた。つまり、藤原は真性のロリコンなんだ!
だったら、この状況はなんだ?
なんだかんだで美少女の志と二人のロリコン、それに口論を足した状況ってなんだ?
思いつくことはコレだけだ。
ロリコンだ! 藤原と森川は志を拉致って、監禁して、ロリコンする気に違いない。
「……作戦変更」
作戦は電撃戦、つまりあってないようなものなのだが、エルはマイクに向って小さく、そして若干カッコつけた風に言った。「藤原と森川の二人を叩くぞ」
『はいっ』と弥恵は了解した。『にゅーふぁんぐ、了解!』
けれど、
『えっ!?』と三国は戸惑った声を上げた。『エル、いきなり何を言うの? 絶好のチャンスを逃す気?』
「志を倒すのは、ロリコンの二人をやってからでも遅くないだろ。ロリコンは女の敵だ。生かしておくわけにはいかないだろ。べ、別に志がロリコンにロリコンされるのが心配だからって言ってるんじゃないんだからな! 志を倒すのはこの私なんだ、ロリコンじゃないんだ。むざむざとロリコンにロリコンされてもらっちゃ困るからな、そこんところ、勘違いするなよな」
『了解です!』
血が沸騰したような返事をする弥恵の一方で、イヤホンから届くエルのツンデレのようなそうでないような早口を聞きながら、三国は「ん?」と思わざるをえなかった。三国のアングルからだと、志が高慢ちきに「ロリコン野郎!」と藤原を罵っているのが良く見えた。藤原のたじたじな表情も良く視認出来た。だから、むしろいっそうの事、志を早く黄緑色に濡れさせてあげないといけないように、弥恵と三国には思われたのだ。ロリコン野郎も、なんだかいいがかりっぽいし。
けれど三国の反対側からのアングルから同じような光景を見ていた弥恵にはそうは見えなかった。志が『ロリコン野郎!』と罵っていることに対しては何の疑問も起こさなかったし、むしろ加勢したいくらいだった。この頃、比呂巳と仲良くしやがって! てめぇ、ロリコンだろ、ロリコンだったからロリな比呂巳と仲良くしていたんだな、ロリコンは比呂巳に近づくんじゃねぇ、ってな悪い言葉で藤原を討伐してやりたかった。ちょいと私事の怨念のほうが強いようである。これじゃあ、正常な判断を下すことなんて出来やしない。
つまり藤原をロリコン野郎と断定しているのは、この時点で志とエルと弥恵だった。そしてこの状況を冷静に判断していたのは森川と三国だった。
そして、不意に森川が動いた。これ以上、志に向って説得を続けても拉致が明かないとクールミントに判断した森川は、さささっと志の側に近づくと、志の手のマグナムリボルバーをすとんと上空に蹴り上げたのだった。
それが合図になった。
大変、志がロリコンにロリコンされちまうかもしれない、そんなの嫌だ!
エルは癇癪を起こしそうなほど、理屈とかどうでもよくて、志がロリコンされてしまうのは嫌だった。間髪いれずにエルはマイクに向って短くがなった。「行くぞ!」
エルは木の幹から躍り出て、銃を構え全力疾走。弥恵も合図に従って飛び出した。
『了解!』了解もしていない三国も、仕方がないから全力疾走。ああ、もう! という心境だった。話が折られてしまったような台無しな気分だった。けれど、三国は二秒後にはこの状況を楽しみ始めていた。さすが、クラスメイトからミス・ポジティブシンキングと呼ばれているだけのことはある。先生を狙うことなんで、なかなか出来ないもんね! そうよ、あのせんせーはロリコンなんだ。勘違いってよくあるからね、撃ってもよし。問題ナッシング!
三国はアドレナリンを大量に分泌しながら、思わず叫んでいた。
「ホールドアップ!」
弥恵も真似て「ほーるどあっぷ!」と意味は分からないながら一生懸命に怒鳴った。
それに続き、最後は、エルの番、……にはならなかった。
三国と弥恵の二人の《ホールドアップ》を障害物と判断した森川が、スピードを緩めず、藤原の手を引いて体当たりせんばかりにエルの方向に走ってきたからだった。サブマシンガンを構え、「ホールドアッ、」と言い掛けてエルは慌てて二人のロリコンをかわした。うわっ、よるな、ロリコン! という風なゲテモノを払うような按配で、寸でのところでかわしたのだ。と、そんなときだ。
エルはフルアクセルの軽自動車に跳ねられた、というのは冗談で、志の脳天がエルの心臓を襲った。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉおお」
エルは志の強烈な頭突きを浴びた胸を両手でぐっと押さえ、溜まらず膝を付き、うずくまり、呻いた。膨らむはずだった胸のつぼみをつぶされたような、センチメンタルな痛みだった。暗号文のポエムを胸に仕込んでいなかったら、被害はもっと深刻なものになっていたかもしれない。例えば、陥没するとか。エルは目尻に涙の粒を溜めながら、理解不能だがポエムだと分かるポエム集に陳謝したい気分だった。が、鈍痛がなかなか引かない。
だから立てなかった。
傍らの弥恵の顔は、ペンキでも塗ったかのように群青色に変色していた。「しっかりしてください、エルお姉さまぁ! エルお姉さまってばぁ!」
弥恵は淡々とエルの顔を覗き込んでいる。
そんなに心配そうな顔するなって……、でも、エルはなんだか幸せな気分だった。
「ああ、エルお姉さまのおっぱいが、エルお姉さまのなかなか膨らんで来ないおっぱいがぁ」
弥恵は泣きじゃくり始めてしまった。……エルの気分は複雑だった。
「弥恵ちゃん、大丈夫だよ」三国が弥恵の頭をポンポンと叩いて、いとも簡単に言ってのける。「おっぱいはそんなに簡単にやられたりはしないよ。もしかしたら、さっきの強力な刺戟が、エルのおっぱいを開花させるかもしれないし、」
強い刺戟を与えるだけでおっぱいが大きくなったら苦労しないって。
「まあ、逆に引っ込んだかもしれないけどね。でも私はエルの貧乳が大好きだよ!」
……人が苦しんでいるときくらい、Gカップ級の楽天的な話をしてくれてもいいのに。変なところで冗談を言うんだから、この人は。そうだ、きっと冗談だ、冗談だ、冗談だ。
胸の将来のことを考えないためにも、エルは目の前で両の瞳をばってんマークにして気絶している志を見やる。
思えば、互いに助け合おうとするとろくなことがなかった。
初等部六年の体育祭の二人三脚。最高のタイムを目指し練習しすぎたせいで、翌日、足首を結んだ紐が千切れて失格になったり、テニスでダブルスを組めばセンターライン辺りでぶち当たるし、シンクロの授業でシンクロし過ぎて周りのピアンネ娘に気持ち悪がられたし、思い出せば次から次へと出てくる。
そして今回、志を助けようと思った矢先の頭突きである。エルはもうムカついて仕方がなくなっていた。いつの間にか胸の痛みは気にならなくなるほどに落ち着いていた。
エルはおもむろにスタッとたった。志は気絶している、というより快眠しているようだったから、さらに腹が立った。三国と弥恵が「?」と見つめる横で、エルは志の腹にペイント弾を打ち込んだ。コレで、バルチャーズの勝利は確定した。実にあっけない。けれど、今回は賞品がある。それがせめてもの救い、かな。
「え、エルお姉さま、い、い、一体ななな何をぉ!?」
突然、エルお姉さまは大胆にも志姉ちゃんの胸をまさぐり始めたのだった。もちろん件の弥恵の日記帳のことに関連してのことである。志の胸は形の正確な長方形でいびつだったから、すぐに分かった。そして志も同じことを考えていたのかとエルはさらに腹が立った。
……だから、何の脈絡もない、だからだけど、《志のおっぱいの成長を確かめるくらい》、どうってことないよな? 私たちは女同士だしな。
触診の間、弥恵は顔を真っ赤にしながら、エルの積極的な行為を一部始終つぶさに見学していた。まるでオペを見学する医学部生のように熱心に。そして二人を見て、ニコニコと面白がっているのは三国だった。
そんなに乳首の大きさまで調べんでもいいのに。
そんなに熱心に見ていないフリをしなくてもいのに。
もう、面白いなぁ、こいつら。
「……むぅ、やっぱり一緒かぁ」
エルは指を卑猥に動かしながら、やっと胸の大きさが寸分違わずドローであったことをしぶしぶと認めた。しかし、認めたが、将来のために、頭突きのお返しにエルは志の胸のサポーターをきつく縛っておくことを忘れなかった。まるで種が撒かれた畑にコンクリートを流し込んだような気分で、まあ、多少、うん、清々とした。
そしてエルは弥恵に志の胸から引っ張り出したものを差し出した。
「ほら、お前のだろ」
【54】
「むぅ、凄い哲学ですなぁ」
神代峠の東側の秘密基地の二階のとある一室では、比呂巳は熱心にある意味での哲学書を読み、その計り知れない哲学に感嘆していた。
暗い六畳半の室内では、机の上のスタンドライトの明かりが眩しい。肉欲的なオレンジ色のライトは哲学書のページを強調していた。
男と男の絡み合いが強調されていた。つまり、ただの哲学書ではない。
それはボーイズラブ、またはBLと世間一般で認知されているところのものではある。が、比呂巳はBLを《哲学》とかしこまって呼んでいた。BLについて月並みの十歳は読んだこともないどころか、存在を知りもしないだろうし、BLを読んでいる、なんてやっぱり恥ずかしい気持ちもあるから、親友とおしゃべりしたりするときなど、どうしてもBLのことが口をついてしまう場合などは、もっぱら『哲学ではね、』と前置きしてから話すようにしていた。
ともかく、BLは比呂巳の哲学である。少なくとも比呂巳が比呂巳であるために存在する、重要な要素の一つであることには間違いない。比呂巳は男が男にあんなことやこんなことをする場面を様々な角度から分析しながら、十歳が持つ疾風怒濤の好奇心を満たし、同時にそこから哲学を引き出して体得していく。その苛烈な好奇心と探求心は彼女の専売特許であった。
比呂巳は先天的に最強である。だから何をしても常に一番は約束されていた。それは楽しくて幸せなことかもしれないが、本人からすれば、退屈なことだった。唯一面白いと思えたことは親友との競争だけだった。そのときだけ、比呂巳は本気で笑うことが出来た。
けれど、その親友は年を追うごとに、特に十歳になってからどことなく冷たくなった。同じクラスだからおしゃべりはもちろんするけれど、いつも比呂巳の頭上を見ているというか、親友はどこかうわの空だった。からかってもそっけないし、つまらない。もっと楽しませてよ! 私たち、親友だろ?
そんなときに比呂巳は藤原と森川の、ヒメゴトを目撃してしまった。レバーをガッコンと引かれたような気分だった。激しく、鮮烈で、濁流だった。すぐにネットで男×男の関係を検索した。膨大な情報量がヒットした。それらを長い時間をかけて見ていった。『哲学だ』という感想が思わず比呂巳の口から漏れた。そして、BLは比呂巳に初めて『難解だ』と言わせたのである。それから比呂巳はBLにのめり込み、あくなき好奇心を注ぎ込んでいた。
それは両親にも、もちろん親友にも、親友の親友が大好きな兄貴にも言っていない、最強で、純粋無垢で、天真爛漫な比呂巳の唯一のドロドロとした、ブラックな部分だった。そしてBLの研究室は主に秘密基地の二階のこの部屋である。罠だらけの秘密基地はまさしくヒメゴトを行うにはもってこいの場所だった。
比呂巳は今日も時間を忘れ、BLに没頭していた。瞬きの回数は極端に少ない。逆に呼吸は荒かった。比呂巳のお凸にはヒエピタが張ってあった。知恵熱が出てどうしようもないのだ。鼻にはティッシュが詰められていた。鼻の穴の血管が老朽化した水道管が破裂したように勢い良く破裂したのだ。
男×男からは何も産まない。けれど、この興奮はなんなのだろう?
もしかしたら人間の新しい有り方、なのではないか?
同じ性別での掛け算、それは比呂巳の妄想を掻き立てる。
ふと、考えが横道に逸れた。女×女ってどうなんだろう、って。
想像してみる。こういうときに簡単に、自然に思い浮かんでしまうのは、自分と親しい誰かのカップリングだ。
脳内では、比呂巳×親友の妄想が稲妻のように駆け巡った。
『比呂巳ってば、可愛い』
『ああっ、そこはぁ、ら、らめぇ! らめだってばぁ!』
途端、比呂巳の上気した頬はさらに紅く染まり、叫ぶしかなくなった。「どうして私が受けなんだよ!」
妄想は吹き飛んだ。はっとして、首を横に振りながら、比呂巳は「あ、危なかった」とげんなりとした。確かに興奮するけれど、なんというか、ベクトルというか、ともかくBLとは感じ方が全く違った。どうしてだろう? 私が女だからかな、全然分からない、難しい、難解だ、GL,コレも熟考の余地ありだ、なんて比呂巳が思索を巡らせたときだった。
ピぃン、ポーン。
秘密基地にインターフォンが鳴り響くとは、これ如何に。まあ、秘密基地と言っても外見は小ぶりな文化住宅だから、それは建設当初からついていた。コレからも外す気はなかった。外してしまったら、BL本を手に入れる術がなくなる。比呂巳は年齢を偽り、ネット通販で非合法にそられ、いかがわしい本を入手していたのである。よい子はまねしちゃダメだよ!
比呂巳は鼻のティッシュとヒエピタを剥がし、玄関へと向った。鍵を開け、ドアを開く。無警戒にもほどがある。美少女はちゃんと来客の身分を確認してからドアをあけなきゃダメだよ!
と、そこにいたのは藤原と森川だった。比呂巳は思いもよらぬ来訪者に一瞬キョトンとしてしまった。この場所を藤原にも、当然接点の薄い森川にも教えたことはない。なんで?
一方の藤原もどうして比呂巳がこんなところに、とキョトンとしていた。その横の森川がいかにも追っ手から逃げています、という風に、
「ともかく家のなかに入れてくれ」と短く言った。比呂巳は顎を少し引いて、藤原と森川を秘密基地に招き入れた。
「どうぞ」
比呂巳は二人を和室の八畳間に案内し、なんだかどっとお疲れのご様子の藤原にお茶を勧めた。「粗茶ですが」
「悪いな」
藤原はお茶を一口啜ってから、罪を告白するように話し始めた。もう洗いざらい全てだ。比呂巳になら最高裁の判事よりも、比呂巳はいい言葉を投げかけてくれそうだったから。比呂巳は言った。
「そんなことよりも、今、材料は全部揃ってるの?」
その一言と好奇心で出来た瞳で藤原の心は大分軽くなり、横の森川に視線をやる。
「ああ、」と森川はトリュフと、それ以外の材料、粉とか、粒とか、粘土質の灰色のものとかを白衣のうちポケットから取り出し、比呂巳に差し出した。
「よし、じゃあ、今から作ろうよ、この媚薬の効能、ずっと確かめたかったんだぁ、トリュフは簡単に手に入れることが出来るけど、他の材料までは手に入りにくかったから、今まで作ったことなかったんだよ」
ということで、キッチンに移動して、藤原と森川と比呂巳は手分けして媚薬の調合を開始した。まるでカレーでも作っている雰囲気で。子一時間ほどでソレっぽいものは完成した。「でけた」
鍋の中には一リットルほどのラブ・ポーション。
比呂巳はお玉にすくい、クンクンと匂いをかいだ。すぐにお玉を鼻から遠ざける。むせ返りそうなほどの濃厚な匂いだった。比呂巳はそれを青色のガラスのコップに注いで、「じゃあ」と藤原に差し出した。「味見願います」
藤原は首を振った。「いや、ココは理科教師の森川に」
森川もいかにも嫌そうに視線を遠くの方に逸らした。「いや、俺、媚薬には興味ないんで」
二人とも、その毒々しさに完全に及び腰だった。見た目、完全に毒だった。確かに効き目は凄まじそうだけれど。
「もう、しょうがないな。じゃあ、私が飲むよ」と二人を見かねて比呂巳は奮迅とコップを手にした。「もし、私がせんせーたちに積極的に迫りだしたら、必死で逃げてよね。二人とも、ゲイで、ホモで、同性愛者なんだからさ」
比呂巳は《媚薬》をゴクゴクゴクゴクと栄養ドリンクを摂取するように一気に飲みほした。藤原と森川は少し心配そうに見守る。その気遣いを他所に、比呂巳は一言、
「意外と上手しいんだね」と呟いた。
それ、上手いのか? って味のことよりも、藤原が欲しいのは《媚薬》の効能の方だった。本当に効くのかどうか、興味関心はソコにしかなかった。で、どうなんだ?
「んー、少し体がポカポカしてきたような気がしないでもないけど、んー、まだかなぁ、良く分かんないけど」
「そうか、」と藤原は少し諦めかけた。古いタイプの人間だから、《媚薬》と聞くと漫画のような即効性のあるものだと勘違いしていたが、そうではないらしい。「あっ、そういえば、忘れないうちにコレを返しておかないとな」
と藤原は『媚薬の研究』を比呂巳に手渡した。と、そのときだ。
ピぃン、ポーン。
またもや、インターフォンが鳴った。来客がこうも続くなんて、秘密基地として失格だ。比呂巳はそんなことを考えながら、『媚薬の研究』を手に持ったまま、ドアを開き、客人を迎えた。
親友の弥恵だった。比呂巳はいきなりだったから、キョトンとしてしまった。そしてなんだか体がポカポカ、いや、ムラムラとしてきた。さっき想像した比呂巳×弥恵が発熱するように思い返される。なんだか変だ、おかしい、いやこれが《媚薬》の効果か、だったら正しい、でも正しくない、だって相手は親友で、女の子の弥恵なんだよ?
「比呂巳?」
弥恵の心配そうな顔が水晶体で屈折したところで比呂巳の意識は、ソコでめがね橋の向こう側まで飛んでいってしまった。そこから先は覚えていない。一生、その後何が起こったか思い出すことも出来ないだろう。高野家秘伝の《媚薬》とは、つまり、そういう過激なものだった。
【55】
京子と綾はもうすっかり戦闘体制を解き、夕日が差し込む雑木林の中をまるでデートしているみたいに肩を並べ、ゆっくりと歩きながら、志を探していた。
「京ちゃん、この前の話だけど、」
「この前?」
「その、私たち、付き合うとか、付き合わないとかの話」
「……そんな話したっけ?」
「そんなぁ、覚えてないの? 京ちゃんが言ってきたんだよ。私たち付き合わない的なこと」
「ああ、そういえばしたねぇ」
「私、考えたんだけど、」
「何を?」
「別に女同士だったら、ハーレムを許されるんじゃないかなってこと。先日、ギャルゲーを思い切って購入いたしまして、そう思った次第で」
「何よ、藪から房に」
「つまり、京ちゃんと志様と同時に付き合っちゃってもいいんじゃないかなって」
「つまり何?」
「だから今晩京ちゃんと志様の部屋に、」
「駄目」
「なんで!? 京ちゃん、私のこと好きって言ったじゃん!」
「私、中途半端は嫌なの。付き合うんなら、志様の召使を解任してからね」
「そんなぁ、私の性格知ってるでしょ? 惚れっぽくて、好きになったらストーカーになっちゃう、情緒不安定で危ない女なんだよ!」
「綾ちゃんは、大丈夫よ」
「駄目だもん!」
「大丈夫、綾ちゃんは大丈夫。一途でしょ? 浮気性だけど、一途でしょ?」
なんだか誉められているような気がして頷いた。「うん」
「私はそういうところを好きでいてあげる。こんな風に手も握ってあげるし、腕も組んであげるし、ほっぺにキスくらいならしてあげる」サービス精神旺盛な京子はいちいちそれらを実践していった。「それでも駄目?」
「…………全然、大丈夫」
真顔で見つめられ、綾は顔を真っ赤にして俯いた。と、その視線の先に志を見つけた。思いもよらないアヘ顔で眠っていた。
『志様?』
綾と京子は顔を見合わせ、志のいびつな胸の膨らみがなくなってペイント弾が打ち込まれているのを確認して、このとき初めて負けてしまったのだと理解した。まあ、通信が途絶えていたから、予想は付いていたけれど、アヘ顔は予想外だった。一体何の夢を見ているのやら。
ともかく、こんな場所で寝かせておくわけにはいかない。かなり気持ち良さそうなので起こすのは躊躇われたが、そういえばどうして寝ているんだろう? まあ、それは後で志から聞くとして、京子と綾はわしゃわしゃという手つきで揺すり起こした。
『志様、起きて下さい。風邪を引きますよ。大切な喉をやられますよ。志様ってば、お姉さまに怒られますよ』
すると、
「はっ」と跳ね起きた。「あいたたた」と脳天の辺りを擦って、京子と綾に視線をくれて、そして何かを思い出したように叫んだ。「ロリコンは!? ロリコンはどこに行ったの!?」
『ロリコン?』
京子と綾は仲良く小首を傾げた。「ロリコンって、小さい女の子が大好きな犯罪者予備軍のことですか?」
「うん」
でも、ロリコンどころか、ここにはイーグルスの他には誰もいない。志様はまだ夢の中なのでしょうか? それとも頭を打って幻覚でも見ているのでしょうか? コレはホスピタルで検査をしたほうがよろしいかしら?
ともかくなるべく安静に、と二人の手が志に伸びた。それを振り払うように、
「保健室行ってくる!」と志は唐突に立ち上がり言った。
でも、保健室にはMRIはないですよ。
「せんせーに言って来る!」
せんせーに言ってもしょうがないような、そんな顔をした京子と綾を置き去りに、志は駆け出した。




