第五幕
【31】
翌日、綾は志の様子がどうにもこうにもぎこちない事に気が付いた。ゲームに参加せずだったり、エルとエアロバイクで不毛な争いを繰り広げているし、コレは京子には内緒だけど一昨日のゲーム中に過剰なスキンシップを要求してきたし、この頃、知らないところで志はコソコソと何か企んでいることには、綾も京子も気付いていたけれど、特に今日はそれらがただの気のせいだと切って捨てたくなるほどに、志は無理に強情な表情でそわそわしている。昼休みも二人を置いてどこかへ行っていたし……。
「つわりかしら?」
「京ちゃん、冗談でもそういうこと言わないで!」
京子と綾は例によって百合の花、ではなくコスモスが咲き乱れる花壇の横の枯葉を集めていた。いわゆる、放課後前のお掃除の時間だった。
「知らない? 志様には仲のよろしい幼馴染の男子がいるのよ」
「……ソレ、本当?」
「本当と言ったら嘘になるわね、コレは嘘よ」
「京ちゃん、私の不安を煽って楽しんでる?」
「そんなことないわよ。ただ思ったことを口にしただけ」
「なるべく私の耳に入れないで下さい」
「名前は確か、リュウ、だったかな」
「きこえなーい、きこえなーい」
綾は人差し指を耳栓にして、京子に背を向け、遠くにいる志に視線を注いだ。
京子は五十メートルほど離れた花壇に腰掛け座っていた。箒を抱くようにして、思わせぶりに地面を見つめていたり、誰かが側を通るたびに怯えるようにビクついていて、らしくなくて、まるでそういう悩みを抱えている十四歳に見えないことも……、
「って、そんなわけあるわけない!」
綾はナイトメアを振り払うようにかぶりを振った。
志様は、将来、私と同棲婚を遂げる予定だ。この国では日本よりもひと足早く、同棲婚が認められていた。政府公認、つまり、誰も後ろ指差す権利なんてない。志様との距離はまだまだ遠いけれど、高等部に上がる頃には、大学に進学する頃には、社会人になる頃には、きっと……。
そんな風に悶々としている綾の肩に、京子の手がポンと置かれた。「そんな風に気に病まないの」
「京ちゃんってば、全てを知った風に言うのね」
「まあね、綾ちゃんよりは志様との付き合いは長いし、同室だし、そんなことはないと検討がつくし、志様はそんな思い切ったことが出来る性格の持ち主ではないし」
「じゃあ、京ちゃんは今日の志様のふわふわとした雰囲気をどう思っているの?」
「それは、」京子はもったいぶるようにタメを作って言った。「正直言って分からない」
「結局、私と同じじゃない。幼馴染の男子との不純な関係を妄想してしまった私と同じじゃん」
「情動に理性を乱されている綾ちゃんとは違うわよ」
「はいはい、私は冷静沈着で、理論武装でフルアーマーな京ちゃんとは違って、ヒステリックでパラノイアですよぉーだ」
「綾ちゃんのそういうところは好感が持てるわ。好きよ。もし志様との恋が上手くいかなかったら私たち、付き合わない?」
意表をつかれたプロポーズ紛いの京子の言葉に綾の顔は一気に真っ赤だった。
「そういうことさらっと言わないで!」
確かに志様がいなくなってしまったら、綾は京子しか本当のことを話せる人はいなくなる、っていうか、今だってその状態には変わりない。そう思うと、京子の存在が大きく見えてくるのは事実だった。
「あら、振られちゃったかしら?」
「そそそそそそういうことじゃなくて、」
綾はきょどっていた。まさか振る振られるの関係を、京子の方から誘ってくるなんて思わなかったから。それに、それに、もし付き合うとしたら、京子は彼女として申し分はないから、もしを考えてしまう。
京ちゃんがレズなのは周知の事実だし、ハードルは確かに志様より低いと思われるし、京ちゃんってばこんな風に私が喜ぶようなことをサラッと言うし、鈍感な志様と違って、私の気持ちに気付いてくれたのは京ちゃんだし、ともかく京ちゃんは美人さんだし……、
「って、それは、それは、ほんとっーに、最後の手段だからね!」
「嫌われていないようでよかったわ」
その笑顔に傾きかけたなんて絶対言わないけどね!
「まあ、そんな冗談はこのくらいにして、」
「冗談だったら言わないでよ!」
「あら、本気だった?」
「もういい!」ぷいっと綾は可愛い子ぶった。少しでも意識し始めてしまったから、もう戻れないじゃないか。情愛を引っ込めることなんてできないじゃないか。
「冗談でも綾ちゃんが最後の手段でも認めてくれたことは嬉しいわよ」
「……そう」そっけなく言ったけれど、愛されるって素晴らしいとポッカポカしていることは内緒だ。「ともかく、もう冗談って言葉は禁止! 紛らわしいから」
「そうね。なるべく平易な文体を心掛けるわ」
「それがもう分かりづらいもの」
「そういえば、何を話してたんだっけ?」
「京ちゃんが、私のことを冗談でも好きだなんていうから跳んじゃいましたっ」
「冗談禁止、でしょ?」
「京ちゃんが冗談言うのが禁止なのっ!」
綾の悶々とした苛立ちを「まあまあ」と宥めながら、「あっ、思い出した」と京子は思い出したようだ。「私と綾ちゃんは持っているカードが違うっていう話をしてたんだよ」
「そんなこと言ってた?」少なくとも、カードなんていうメタファーは聞いた覚えはなかった。というか、「それ、メタファー?」
「メタファー?」
「比喩表現って意味だよ」今日の国語の時間に教師が自慢げに言っていたから覚えている。そういえば、京子はその時間、綾の背中を影にして少女マンガを読書していた。
「へぇ、綾ちゃんってば哲学者みたいな言葉を使うのね」
「常識でしょ」
綾はここぞとばかりにえっへんと胸を張る。少し高尚な気分に浸る。
「でもカードっていう言葉自体に私が綾ちゃんに伝えたい意味がすでに含まれている可能性も無きにしも非ずだから、その辺りは金田一先生の辞書に当たらないと分からないけれど、メタファーって言う単語はココで使う場合は少しズレてるかも、と思いますな。まあ、そんなつまらない議論は高給取りの大学教授たちに任せて、ともかくもっと有意義な議論をしましょう」
綾はメタファーの本質を一瞬で看取した雰囲気の京子におよよとたじたじである。
「さて、さっそく私のカードを綾ちゃんにさらけ出しましょう」
綾はメモでも取りそうな按配で京子の声に耳を傾ける。
「朝、志様は普通に、むしろ今まで経験してきたどんな朝よりも志様は気分良く起床され、朝食もいつもより大目に取られた。つまり、志様の本日の不穏さは、朝以降のことに起こったなんらかの事象によることと思われます」
「ふむふむ」
「そこで綾ちゃんに聞きたい。綾ちゃんは昇降口で私たちを待っていた。そして合流したとき、志様から違和感を感じた?」
「う~ん、感じなかったに八十パーセントかなぁ。普通にお美しかったもの」
「それでは昇降口からホームルームの間は?」
「う~ん、半々くらい? いや、もう六十パーセントはおかしかった気がする。手汗が凄かった」
お手々を繋いで歩くことは友達なら普通のこと。そのときに感じた手汗の量は、メタファーするなら、紅茶から引き上げたばかりのティーパックを握り締めた感じのあのひたひた感。まあ、普段から志の手は湿っていたから、そんなには気にならなかったのだが、ともかく今朝の汗の量は半端ではなかった。
「そうなの。昇降口を経てから、志様は明らかに態度を豹変なされた。つまり、そこで何かあったのよ。私たちと一旦分かれたときに何かあったのよ」
ピアンネでは下駄箱は学年ごとの番号順で決められている。つまり、アで始まる志と、ひとぺで始まる京子と綾の下駄箱の位置は、扉五つ分離れていた。ゆえに、その間に、志の身に何かあり、京子と志が気付かなくても不思議ではない。
「どう思う?」
綾に振る。京子はすでに推測をし終わった表情で、一応聞いてみるという感じに綾に目を向けている。綾は「う~ん」と考えた。遠くの志の佇まいを注視してみる。アレは、あの雰囲気は……、きっと下駄箱で起こったメタファーだ。
下駄箱で起こること、まあ、考えたら、ソレくらいしか思いつかない。
「ラブレター?」
「そうよ」京子は頷いた。「あるいは、ラブレターに近しい何かね」
「でも、」と綾は反論した。「ラブレター的な手紙なら、志様はファンレターとか、一杯もらっているでしょ? 私もことあるごとに気持ちを綴ったお手紙を書いているし、」
今さら、あんな風になるのかしら。
「ファンレターとラブレターは違うわよ。それに綾ちゃんのはラブレターじゃなくて、ポエムじゃないの。超個人的な愛を無理矢理メタファーで着飾った抒情詩。私は綾ちゃんの気持ちを知っているからなんとなくは読めるけれど、志様はいつもポカンとして『あーやのポエムはノストラダムスの予言書みたいね』なんて言ってるわ。アレじゃ慈悲深いマリア様でもお手上げよ」
「だって率直な気持ちを書いたら恥ずかしすぎて死んじゃうもの!」
「ヘタレねぇ」
「京ちゃんだって、」
「ええ、綾ちゃんが言いたいことは分かっています。私もヘタレだってことは自認しておりますよ」
そうニンマリと開き直られると、追い討ちを掛けられなくて、惨めな気持ちになる。だって、京ちゃんはヘタレなんかじゃないから。志様という壁が高すぎるだけなんだ。その気になれば、京ちゃんは彼女の二人や三人作ってしまえる度胸の持ち主だってことは、私が一番分かっている。
京ちゃんはいつだって、私みたいにうじうじせずに、アクティブだ。
「もし、もしラブレター的な何かだとしたら、誰かな? 相手は?」なんて風にしどろもどろになる綾とは対照的だ。
「少なくとも志様があんな風になっちゃうほどのお相手であることは間違いないということは言えるわね」京子はそう言ってのけた。焦りみたいなものはないのかしら?
「綾ちゃんと一緒で焦ってるわよ」
本当かなぁ。
「それにさ、綾ちゃんがいるからなんとか冷静だけどね。私、かなり怒ってるよ。どうして志様は私たちに相談もしてくれないのかしらって。ああ、水臭い。私たちの気持ちに気付いていないのなら、せめて相談くらいしてくれてもいいと思わない? もしラブレターをもらったのが本当だとして、あまつさえ志様が傾いているのだとしたら、私はきっと怒りくるって綾ちゃんをめちゃくちゃにしちゃうかもしれないわ」
「……あはは」汗が出た。京子の瞳は静かに煮えたぎっていた。「お手柔らかにお願いします」
「まあ、考えても予想できるのはそれくらいよね。勝手に怒っていても仕方はないし。結局、志様から事情を聞きだすしか、私たちがスッキリとする方法はないということ」
「うん。でも、志様が素直に話してくれるとは」
二人は、志の方向を向いた。志は相変わらず、数学の問題を何回も読み返しているような思案顔だ。唇は施錠されたようにきっと結ばれている。
「これはもう、」
京子は何か企む目をした。「クーデターしかないわね」
【32】
時は本日の昼休みにまで遡る。陵は窓際の白百合を突っつきながら、気持ちの整理がついていなかった。
藤原は一体何を考えているのだろうか?
陵の横顔は、物思いに耽っていると、まさにそんな感じだった。
何気ない会話は出来る。その何気ない会話がせわしいことも、レズでも、女だから分かってしまう。
でも、『媚薬の研究』のことは聞けなかった。陵の推測はこうだ。『媚薬の研究』はもともと、彼のもので、それがどうしてか分からないけれど図書館に置いてあって、姉妹百合をしたくなった志が偶然それを手にしてしまった。藤原は図書カードを調べるか、志が『媚薬の研究』を小脇に抱えているのを目撃して、あんな節操の無い文面を送りつけて回収に及んだ。
しかし、藤原の手元には『媚薬の研究』が渡っていない。それは確かだ。彼の態度から、仕事をやり終えたようなほっという安堵感を見出すことは出来なかったし、どちらかというと、原発のプロジェクトが暗礁に乗り上げたような深刻さが窺えた。
陵は昨夜の自分の眼を疑っていた。どう記憶を引き出してみても、藤原が陵の目の前を走り去ったときに抱えていたものは『媚薬の研究』の装丁をしていた気がするが、突然のことで神経回路に齟齬が発生したのかもしれない。藤原はきっと慌てて手帳の上のタウンページを持って逃げたのだ。テレフォンボックスに現われた少女に、藤原は出鼻を挫かれたに違いない。陵は、無理矢理そう解釈をつけた。
それはそれでいい。それはそれでいいのだ。
陵の問題は、藤原がどうして《媚薬》を作ろうとしているのか?
気になるのはそればかりだった。
あの真面目な藤原のことだ。浮気なんて考えられないし、まあ、同僚の森川とよろしくやっていたことは知っているが、もう深い関係ではないと藤原は言っていた、多分、好みの男の子をたぶらかす目的での《媚薬》ではない気がする。それは希望だろうか? 嫁としての希望であることは間違いない。でも、そうだと思う。嫁としてそう信じなければならない。彼が私に真摯に向き合ってくれようとしていると信じたい。そのための《媚薬》であると、陵は信じたかった。
ふと、陵は完成間際の媚薬のことを思い出した。昨日のごたごたで、トリュフどころではなかったが、まだ志から受け取っていないことに気が付いた。
そして、………………媚薬になんて頼らなくたって、と当たり前のことを思うのだった。私たち、二人の関係は二人で何とかできるはずでしょう? 志ちゃんと玉ちゃんみたく子供で、姉妹でもないじゃない。私たち、大人で夫婦じゃない。
でも、…………人間だもの、おクスリに頼りたくもなるさ。
そんな、みつを、みたいなリズムで考え込んでいると、カラカラと扉が開き、例によって志が入ってきた。「せんせーっ!」
赤い顔をしていた。もちろん、ラブレターをもらって恥らっているという感じでは決してなくて、カッカと義憤顔。志がココに来るようといったら、エアロバイクと媚薬と……、もしかしたらラブレターを貰っても陵に相談しに来るかもしれない。ともあれ、志は陵の眼前に逮捕状よろしく、広げて見せた。
――脅迫状だ。志の怒りは脅迫状へ向けられていた。
『昨日の愚行は頂けないなあ。下手なポエムなんて渡して、僕に楯突く気かい? 僕は怒っているんだ。君には制裁が必要だよ。賽は投げられた。君が僕に投げさせてしまったんだ。ロリコンを甘く見るな。ソレを手放さない限り、僕は君にロリコンし続けてやるからな』
陵は、やっぱりと顔をしかめた。案の定、藤原はまた脅迫状を送りつけてきたのだ。《ポエム》の意味は良く分からないけれど、ともかく藤原はまだ諦めていない。
そんなに《媚薬》が欲しいの?
陵はなんだか泣きたくなって、志にしつこく脅迫状を送りつける藤原が分からなくなった。でも、陵は藤原がロリコンではないと知っている。
脅迫状の主が藤原と知った今、志の身に危険は、………………多分、ない。
この文面から藤原が苦心しているのが良く分かったから。
しかし、もちろん、志にそのことが分かるはずもないだろう。
「せんせーっ、協力してこのロリコンをとっちめましょうっ!」
好戦的に眉は釣り上り、ブルーのカラーコンタクトレンズはギラギラと真っ赤に染まりそうな按配だった。
そして、『せんせーならきっと協力してくれる』という視線が居た堪れなかった。
志ちゃん、ごめん。この件ばかりは、無理なんだ。
【33】
クーデターの気配。それを志は感じ取ることが出来なかった。
京子と綾が嫌にニヤニヤと、文句も言わずに掃除を執り行い、さっさと志を置いて先にどこかへ向ってしまったのにも関わらず、その不遜な気配に気付くことはなかった。
なぜなら、志はロリコンのおぞましい欲望でたぎった雰囲気にアンテナを張っていたからだ。
京子と綾の欲望は、限りなくロリコンに近いが、犯人は女ではない、というフィルターが志の判断を鈍らせた。
だから足元に注意が及ばなかった。
志は今、顎に指を当てて、背後に神経を集中させ、草笛寮を歩いていた。自分の部屋二〇一号室に辿り着く。手はすでに伸びていた。ドアノブを回す手は伸びていた。緊張は緩み出す。
部屋に志の足が伸びる。ロングスカートが張り付いた、細い足だ。肩が部屋のゆったりとした空気に触れる。鼻腔をつくのは、志の匂い。それに混じって京子の匂い。長い間で染み付いた、濃厚な匂いだ。志の五感は人よりも鋭く敏感だった。鼻が利いた。トリュフの匂いに一瞬で惑わされてしまったのには、そういう理由がある。その鼻は一瞬、何か新しい濃い匂いを捕らえていた。その場にいなければ発生しない、息の生な匂いだ。その匂いに覚えがある。
あーやだ。
志は京子の吐息も察知した。二人は先に部屋に来ていたのだろうか?
でも、部屋には誰もいないのに…………。
志は左右をゆっくりと見回しながら、匂いの女を捜した。もちろん、志は無意識的に匂いを処理して、生活を送る上でかかせない二人、ブラジャーのような京子とパンツのような綾がいなくなったことに今さら気がついて、少し裸な気分でキョロ目をしたのである。
しかし、二人の姿は志の視界になかなか入ってこなかった。
そんなことよりも、志の視線はふっと一気に降下した。
「わっ!?」
足元に何かが引っかかった。ロープの感触だ。そして、志の倒れかけた体はそのままふわっと浮き上がった。エレベーターが高層ビルの最上階に着いたときのような血流が滞るような感覚。天井に頭が近い。
志はどういうわけか、アスレチック広場の頑丈なロープに包まれてしまっていた。
そして、きょとんとしてから、一言。
「ココから出せっ!」がなり、瞳が狂ったような形になり、ジタバタと暴れる。咄嗟に思ったのはロリコンのこと。ロリコンの罠に引っかかってしまったのだということ。自分の失態を悔やんでいた。そうだ、狙われるなら、真っ先に自分の部屋じゃないか!
しかし、志のがなり声に反応したのは、京子と綾だった。
『コレから言う質問に全て、正直に答えてくれたら解放してあげますよ。志様』
完璧に口調を合わせて、言葉の主の二人は志の前にすべり出てきた。京子と綾はどうやら今の今まで扉の影に隠れていたようだ。あまり見せない高圧的な視線が注がれ、志は捕虜になった気分だった。
いや、この状況はどこからどう見ても、すでに捕虜だ。
けれど、ロリコンでなくて安心した。自分に罠を掛けたのがロリコンではなく、優しい親友二人であることに安心した。
でも、どうしてこんなことするの? 質問って……何さ?
「志様はただ、答えるだけでいいんです」綾が申し訳なさそうに、スカートの前で手を重ねながら言う。「いいですか?」
「コレ、なんの遊び? あーや、早く放してってば」
どうやら、志は自分が置かれている状態が良く分かっていないようだ、と二人はアホな子を見るような目で志を見て宣言した。
『志様、コレはクーデターですよ』
「はあ?」クーデターって、王政復古に、テルミドールに、三越事件の、あのクーデター?
「志様、私たちに何か、隠し事をしていませんか?」
ギクッ。志はあからさまにギクッとした。
あっ、あからさまにギクッとした、と京子と綾は確信を強めた。
このクーデターは正義であることを。
「かかかかかかかか隠し事なんてしてないんだからねっ!」
志は少しツンデレっぽく慌てた。金髪をツインテールに仕上げれば完璧なツンデレの出来上がりだ。
「つまり、してるんですね。水臭いですよ。隠し事なんて」
「志様のお見苦しい姿は見たくないんです。どうか、正直に私たちに話してください。発狂したり、発熱しませんから、……自信ないですけど」
京子と綾、二人の脳裏にはラブレターの五文字がピッカピカに点灯していた。すっかりお見通しですよ、とばかりの目をしている。まあ、それは勘違いであるし、志にはどうして綾が発狂したり、発熱したりするのか良く分からなかったが、ともかくすっかりとバレてしまっているらしい。志の下着のような二人は、分かっているらしい。
何を? きっと全てだ。志はそう思った。でも、洗いざらい話してしまうなんて出来ない。
だって、今朝のロリコンの手紙のことを話してしまっては、媚薬のことも話さなければならなくなる。テルミンが嫌で、実の姉に媚薬を盛って、修羅場を掻い潜ろうとしたことを話さなければならなくなる。軽蔑されてしまうだろう。事実、陵は一瞬軽蔑した。どういうことだか、すぐに協力体制を強いてくれたが、陵に媚薬を盛ることを話したとき、一瞬だが蔑まれたのは確かだった。二人の親友にそれをされるのはどうしても避けたかった。「………………………………………………………………嫌」
志は仏頂面でそっぽを向いた。「京子と綾には関係の無いことだもの」
『ほほう』
二人は志の仏頂面で反抗的な返答に顔を見合わせ、『言わないのなら実力行使です』の顔を向けた。
何よ、その好戦的な顔は!
志が捕らえられた白鳥のように身をふるふるとさせている前で、綾と京子はおもむろに指の体操を開始した。手首を回し、入念に、突き指しないようにぐぐっと伸ばす。
『よし』
京子と綾は初めての共同作業を執り行うように、頷きあった。
そして、
「な、何をするの、って、きゃははははははははははははっ」天使のソプラノの笑い声が、寮中に聞えるようなボリュームで、志の口から放出され始めた。京子と綾は志の体を弄び始めた、のではなくてくすぐり始めたのだった。脇の下、背中、ミリタリーブーツを脱がせて足の裏、いろんなところをくすぐる、くすぐる。「きゃははははははははははははははははははっ」
「どうです? 苦しいでしょう、死にそうでしょう」
京子の指使いは、まるでヤモリのような爬虫類の動きで志の弱いところを集中して攻撃している。
「白状するまで止めませんからね」
綾はどさくさに紛れていろんなところをくすぐっている。もちろん、志にはやましい気持ちを悟られないように。
「きゃははははははは、やめっ、やめっ、やめっれ! きゃはははははははっ」
志は半ば呼吸困難である。
しかし、志は笑うばかりでなかなか白状しない。
京子と綾は攻撃を一時、停止した。むぅ、コレは手ごわい。志が玉になった涙を手の甲で拭いながら、そんなものに屈するものですか、という横柄な態度を見せつける。
「甘いわね、二人とも。くすぐり程度で、私の口が開くと思ったら、大間違い」
確かに京子と綾は志の我慢強さを見くびっていたようである。
「志様って、意外と我慢強いんですね」
「すぐに観念すると思ってましたよ」
その発言に、志は二人がもろ手を挙げたのだと、ふっと息を吐く。助かったと、油断した。が、こんなこともあろうかと、と二人は余念が無かった。コレはクーデターである。綿密な計画は練られていた。
「じゃあ最終兵器を、綾ちゃん」
「はいっ」綾の手にはどこでくすんできたのか、ふわっふわの猫じゃらしが一本。
敏感な志の肌は、ソレに震え上がった。鳥肌になる。想像して、もうくすぐったい。
「きゃははははははははははははははははははっ」
綾の絶妙な猫じゃらしのうねりは、志のいろんな部分を襲った。綾は志の悲鳴に似た笑い声に脳髄をきゅんきゅんさせていた。でろんとした恍惚の表情だ。京子はソレを見ながら、おいおい、と思っている。
しかし、猫じゃらしを使っても、志が話し出す様子は一向にない。なかったのだが、…………身をくねくねさせている志のポケットからパサリと一枚の便箋が床の上に落ちた。
『あっ!』
三人は同時に声を上げた。『あっ、ラブレター!』、結果オーライの京子と綾の声。志は「あっ、しまった!」の取り返しのつかないことをしてしまったときに上がる声。
志が必死で手を伸ばし、「読むな、読むな、読むな!」と叫んでいる目の前で、京子と綾はその制止を無視して、文面に目をやり始めた。
おねしょで描かれたオーストラリア大陸をガン見されているような気分だった。志は両手で顔を覆って、呻いている。
ああ、コレで私は二人に愛想をつかされてしまうかもしれない。
でも、でもね。全部玉姉のせいなんだよっ!
テルミンなんだよっ!
そんな風に言い訳をこねくり回している志に構いもせずに、二人は真剣に読んでいた。
はじめ、嫉妬心をギラギラと背負っていた二人だった。どうやって破談させてやろうか、その気持ちもなきにしもあらず、だった。が、読み進めるうちに、二人は次第にポカンという顔になり、むむむっと眉間に皺を寄せたりしながら、最終的になんだか怒った風にキッという顔を志に向けて言い放った。
志の杞憂と裏腹に、二人は志が大好きだった。
『どうして黙っていたんですかっ!』
「へっ?」志は要領の得ない顔で、なにやら獅子奮迅の勢いの京子と綾を見つめる。
「志様がロリコンに付け狙われていたなんてっ!」
「許せない! 絶対に許せないですっ! 殺すべきです、ロリコンなんてっ!」
メラメラと戦闘的な二人は志を解放しながら、俄然ヤル気であった。
ロリコンを抹殺する気だった。
ベッドに座り、ロープでついた足の痕を擦る志に二人は聞いた。
『そもそも、どうして、ロリコンにロリコンされそうになってるんですかっ!』
「えええっと、」
志はもう隠し通すことは出来ないと、全てを二人に話した。《媚薬》のことも洗いざらい話した。案の定、姉に媚薬を盛ると言ったら、二人はジト目を向けてきたが、そのジト目の意味は、『もう、志様ってば、』という、もうしょうがないんだから、の眼だった。二人は志の性格を熟知していたから、今さら志が《媚薬》という怪しげなツールに手を出したところで驚かない。
ココで、三人は結託した。ロリコンを捕らえるために結託したのだった。
志はなんだか嬉しくなって、二人を両手で抱きしめて、そのままベッドに押し倒した。
京子と綾はなんだか幸せになって、優しく笑った。
さて、じゃあ、どうやってロリコンを捕まえようか。
三人はキャッキャウフフしながら、話し合った。その結果、
『ここに誘い出して、縛り上げる?』
そのために、《遺失物拾得欄》を利用しよう。そういうことになった。




