81勝手目 過去戻りの禁忌:東京都文京区(3)
谷が幸才に会って、泣くとは思わんかった。
えらい感覚の通った夢なんやないかと思うような、非日常を歩いていたもんなぁ。
空襲が終わった後だからよかったものの、板のように積み上げられた遺体を目の前にしたら現実なのだと突きつけられる。
幸才も大火傷を負っていた。初めて会った時は殺気立っていたのに、火傷で痛むであろう手で谷の背中を慈愛を込めて撫でるんや。
顔のせいであの兄妹がチラつく。下唇を噛み締めんと、ボクもくるものがあるわ。
「ここで、何しとるん?」
もうあまり時間もないやろし、と理由をつけて声をかけた。
「拝んでるのさ。死後、物みたいに扱われては人生を否定されたようだろう。名も知らない人達だがね」
驚いた。人の不幸こそ自分の幸だと言っとったんに、一族の呪いごと覆すようなこと言いはるんやもん。
ボクは用心深いから、その言葉が真心か問う。
「……この戦争、アンタが仕組んだんとちゃうよね」
「さすがにしない。戦争中に感謝されたことはほとんどないしな。大きな声では言えないが、お国はつまらないことをすると呆れてるくらいだ。説得力はないが、非国民だと石を投げられる生活をしている。見てくれ」
焦げた上着をさらりと脱ぎ、栄養不足で痩せて背骨が浮き出た背には、染みのような傷やアザが無数にあった。
「アンタにとって、戦争って好都合やと思って……その……疑っとったわ」
「至極当然。室戸台風のことがある」
「質問ばっかで申し訳ないんやけど……なんで京都から東京に来とるん?」
「あぁ、それは……子供が産まれたからね」
「アンタの?」
「あぁ」
幸才は空を仰ぐ。ふわっと3月の冷たい風が頬を切るように吹いた。
「私はね、子供が居たからって死にたくなくてね。離れて暮らせば影響がないのではないかと安易な考えで東京に来た。君達と話し、未来に自分の名がないと知ったら、ますます運命とやらに抗いたくなったんだ」
足掻いて、踠く。沖田はんと一緒。
幸才は自分の人生を語り始めた。今から死ぬとわかっているかのように、切なく、そして嬉しそうに。
幸才家の呪いに抗うため、夢中になれるものを探したこと。
自分とは無縁の災害や人災にも駆けつけ、人を助けるとは何たるかを考え抜いたこと。
愛とは何か。人情とは、人徳とは、幸せとは。
話は長い。けど、遺言だと思って一語一句丁寧に聞いたらな。
東京まで来て手に入れようとしたのは、生きた証を残すことだった。
記録に残るよと言ってやりたいけど、それは死を宣告してるのとおんなじや。
ボクと谷は幸才が「亡くなった人をきちんと弔いたい」と言うので、その望みに付き合うことにした。
いつ、その時が来るのだろう。その時が来たとしてボクは安全やろうか。心配と不安が交差する。
けれど、日が落ちかけてもその時は訪れない。
「今日はやめよう。暗くては私達も危険だ。しっかり休息を取らねば、明日を生きられない」
「あ、あぁ……たしかに、疲れたな」
「文人は力があるから助かる。志蓮は"人"を見つけるのが上手いな」
幸才はボクらを褒めてくれる。頑張ってくれたのに、何もやれなくて申し訳ないとまで言ってくれた。
この人、このまま生きるんちゃうか。
ボクらが来たことで過去が変わったんかもしれん。自殺や他殺やなくて、寿命で死んだらええんや。
ボクは傷ついた手を揉みながら、そわそわと落ち着かない心を鎮めた。
いた場所から少し歩いた。風景はガラリと変わり、家や人が生活を営む街並みに入り込む。
「さっきと全然ちゃうやん……」
「ここらは焼夷弾の被害はあれど、わずかだ。私達がいたところよりはいい」
「ちょっと住んでるところが違うだけで天国と地獄か」
幸才の後をついて行くと、とあるボロ屋の前で立ち止まった。
「そうだな。配給のあまりがないか聞いてこよう。ここが私の家だ。上がって待っていなさい」
「え、えぇの? 手伝いはしたけど、アンタの味方とは言っとらんのに」
「子孫の友人だ。情が湧いている」
沖田はんみたいな顔立ちで、洋斗はんみたいに、目尻を下げて微笑む。
それだけで安心して家に上がり込み、幸才の帰りを待った。
家の中は質素で、体の痛くなりそうな布団と大量の本くらいしか印象がない。一冊どんな本かとパラパラと捲ると、心理学を学んでいるのがうかがえる。
他人を理解し、幸せとは何かを追い求めてるんやな。
書きかけの手紙があって、ダメと思いながら覗く。内容は京都の家族に宛てたもの。
“人の不幸を願ってしまった時、同時に自分がどうありたいかを考えなさい”
この一文に、あの人の人生が詰まっとるやん。いつか呪いを引き受けてしまう我が子への、精一杯の警告にも見えるわ。
「人のためにってのは、嘘やないんやね……」
「京都の禁忌の時とは人がちげぇよ。おっさんになったのかもあんだろぉけど、話してるとあの2人が頭ん中チラチラする」
「ほんまな。血を感じるわ……」
この先祖にして、あの子孫あり。化け物だと思っていた狂人が、ボクらの友達の優しさを作る糧を持っていた。
ここで、こう繋がるんやな。
“想う”を呪いに混ぜたんや。沖田はんが樺恋ちゃんや勝くんを助けたのも、新見を見捨てなかったのも、誰も独りにしないっていうのも。
全部、この人から始まってるんや。
いけんわぁ。また涙が出てきそう。弱いんよな、最近。まだ20代やのに、涙腺ゆるゆるよ。
「なぁ谷。ボク、やっぱり死んでほしくないわ」
「激しく同意」
幸才と別れてからそれほど時間は経っていない。体感で言えば10分くらいや。
谷と2人、靴を履いて幸才を追いかけた。
通り魔になんか殺させんて。ボクらが守って、それで、あわよくば沖田はんを救えるような研究をして欲しいんよ。アンタが変われたんや。難しいことやないやろ?
疲労の溜まった体に鞭を打ち、走る。
すると遠くから悲鳴が聞こえた。
「なんだ?」
「行ってみよ」
声の方へ足を向ける。すると、視界が捉えられる後ろギリギリ。
ちらりと、水色を纏う長い茶髪が見えた気がした。この時代ではその装いが違和感となり、闇夜の中でも浮いて見えたんや。
「あっ」
ドクンと心臓に大きな鼓動が打たれる。少し戻って水色の見えた場所を見ると、何もない。
「相馬!」
「なんでもないわ」
言葉ではそうでも、あの水色を見て「見つけた!」と、探し物が出てきたような嬉しさが心に湧いた。そう思うってことは……いやいや。なんでも疑うのは良くないって。
けど――角を曲がってすぐに希望や期待なんて、全部ぶっ壊れたんやけど。
靴が滑った。靴底越しの感触が、ドロッとして気持ちが悪い。何を踏んだん。止まっとる場合やないのにと苛立ちながら下を見たら、見慣れた後頭部が倒れている。
首からとめどなく血を流して、ぴくりとも動かない。
「幸才?」
谷が体を揺さぶった。返事はない。
「おい」
何度揺らしても同じ。
「幸才! 飯は!?」
谷の喉を焼くような叫びを浴びせても起きない。首元を見ると、ざっくりと肉が斬られ、そこから血が出ていた。
手には小さな高野豆腐が2つ。1つを半分に割ったものやった。
もう息はない。この世から離れてしまった。
「間に合わなかった……!」
谷が幸才に覆い被さるようにして泣く。ほんまに今日がその日やったんや。
ボクは目を逸らした。すると、あたりには腕や肩を斬られた人が数人。ぶるぶると震えとる。
するとそのうちの1人が声を掠れさせながら、ボクらの来た道を指差すんや。
「と、突然、お、女が……刀持った女が、切ったんだよ! ただすれ違っただけなのに!」
「どんな女だよ! オレが捕まえてくる!」
「髪が長くて、薄い青の服! 気のせいかもしんないけど、目の色が、猫みたいに黄色かった!」
「え……」
さっき見た水色――長髪と、目が黄色くて、刀を持った女。
導き出される答えは1人しかいない。
「沖田……はん、なん……か?」
彼女は禁忌に1番縁のある人間。過去戻りの禁忌を犯したならはま、ここに居たって、全然おかしくない。




