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79勝手目 自分が欲しくて(2)

「薩日内さん。このリボン、刀につけちゃいけませんか」


 寺に張り込んで数日。稽古に励む勝殿は薩日内殿に白いリボンを手渡した。

 どこかで見覚えがある……と思いきや、洋殿の髪飾り。

 薩日内殿は眉を顰めて「なぜ?」と問うのですが、勝殿は続ける。


「これ、祈さんが毎月洋さんのためにお祈りしてるやつなんです。もし刀が持って行ったとしても、このリボンを見て、洋さんが帰って来たくなるかもしれないから」

「……なるほど。いいですよ。少しでも可能性があるなら試すべきですからね」

「ありがとう」


 リボンが手渡されると展示ケースを開け、鞘の下緒に括り付けられる。まるで洋殿の所有物になったようですが、持って行かれても祈殿の気持ちに気づくやもしれませんな。


 樺恋様もそうですが、勝殿の成長には心が救われる。何食わぬ顔で着いて来たものの、やはり心は苦しいものでしてな。皆で飯を囲い、慌ただしくて休む間もない日々が恋しい。


 洋殿、早く戻って来てくだされ。畑の野菜の収穫を楽しみにしていたではございませんか。

 夏休みだから海水浴や花火大会に行こうと言って、樺恋様を期待させたままですぞ。

 浴衣も仕立ててあるというのに、無責任ですぞ。


 悶々と洋殿に対する想いを巡らせていると、秀喜殿が静かに呟く。


「……来た」


 コツン、コツン。階段を降りてくる音は、洋殿のブーツでしょう。

 一気に緊張が走る。離れていた全員が四方から大脇差を囲む。


 同じ釜の飯を食った友は、やつれ、誰かと話をするかのような独り言を吐き続ける。

 きっと、宇吉らに気付いていないのでしょう。


「洋!」


 秀喜殿がフラフラと立ち上がり、洋殿に駆け寄って倒れるように抱きついた。洋殿もバランスを崩すものの、持ち前の体幹が力を見せる。


 少し間を置いて「伊東……?」と小さく発したのを、宇吉は聞き逃しませんでした。


「洋、もう絶望しなくていいです。独りにしない、ずっとずっと一緒に居れます!」

「は……?」

「オレも不老不死の呪いをかけてもらったんですよ。洋の感情も全部わかります。寂しい思いなんてさせないから、だから、そばにいてください」


 目の前で愛の告白なんてやめていただけませんかね。見ていられませぬぞ。

 これでなんとかなるなら良いですが、秀喜殿が一方的に抱擁しているだけでしかあらず。


 しかし、曲がっていた秀喜殿の背中が真っ直ぐになっていく。


「洋、嬉しいんですか?」


 声にもハリが戻っている。洋殿の感情が陽に傾いたから?

 隣で刀片手に構える守殿を突き、言葉を発することができる最小限の声で尋ねるのです。


「行かなくて良いのですか」

「今は伊東に任せよう。本当に沖田が喜んでいるなら、うまく行くかもしれん」


 解呪が出来ないとして、秀喜殿が居てくれたら洋殿は孤独を避けられる。それは心強いかもしれませぬが、危険を孕んだ愛なのではと。


 しかし今は安定が優先される。洋殿の手が秀喜殿の背中に伸びる。受け入れれば一先ずは解決。

 ごくりと喉が鳴る。無駄な戦いはしたくない。どうか、どうか――!


 願うと、閉ざされる。人生とはそんなもの。


「洋?」


 秀喜殿をそっと突き放し、洋殿は左手で頭を抑えながら大和守安定に向かってくる。


「そう……そうだ……アタシは……わかってる……やるよ……」


 早歩きから走りになる。焦っているんでしょうか。手から伸びる長くきらりと光るのは、刀ではなくバール。恐らく展示品ケースを壊すためのものでしょう。


「ゔっ……」

「ボス!? 大丈夫!?」


 秀喜殿が自身の体を抱くように崩れた。洋殿の感情がまた負に傾いたということですかな?


 学殿が勝殿を抱えて避け、守殿が後退する。そしてケースに近づいた洋殿がバールを頭上に振り上げた。意思を持って振り下ろされた腕。ケースを目がけてバールが牙となる。


「洋殿!」

「窃盗はさせません!」


 触れる寸前、薩日内殿の刀と宇吉の鍛錬刀がクロスしてバールを止めた。いやはや、洋殿が速くてギリギリでしたがな。


「これはあなたが求める沖田総司の大和守安定とは違う! 宮城県指定有形文化財、県民の宝です!」

「洋殿! 洋殿が握るのは凶器ではなく、スコップでは!? 畑が泣いておりますぞ!」

「やる、とる、わかってる、絶対取らなきゃだめなんでしょ……」

「洋殿……!?」


 宇吉らの声が届いていない? 目も虚ろ、誰と話しているのですか? 近くで見る表情は酷く怯えている。一体何が怖いのです。


 また腕を振り、防ぐ。その繰り返し。


 時折、薩日内殿目がけてバールが落ちそうになる。洋殿が意識していないとしても、彼女は短い悲鳴を出した。


 そして洋殿が振り上げた時、離れたところでバツンと音がして宇吉と薩日内殿の間にバールが落ちた。鈍器が床にぶつかる音が展示室に響く。


「何……」


 洋殿の手には一本の矢が刺さった。痛がる様子はござらぬが、見ているだけで目を背けたくなる。


「衛宗、お前! 洋に怪我させんなよ!」


 学殿の怒号から察するに、衛宗殿が放った矢。それが命中したと。こんな暗がりで狂いなく射つことが出来るとは、さすが伊達家の血筋とでもいいましょうか。


「黙ってないって言ったはずです。薩日内さんが怪我するのも違うよね!?」

「衛宗さん……」


 薩日内殿も不老不死と言えど人間。身の安全を優先し、衛宗殿のところへと駆けていく。

 きっとガイドのお二人には、目的のためなら殺しも辞さない狂人に見えているはず。


 誤解なのですと弁明したくとも、今の洋殿では説得力がない。


 洋殿がそっとバールを拾い上げた。またケースを壊そうとする。


「なぜそんなにコレを求めるのです!」

「ならなきゃ、ならなきゃ……」

「何に!?」


 止めても止めても埒が明かない。学殿が洋殿の背後から体を捉えて、静止しても迷いなく腕を振るのです。


 男二人がかりでも止めきれない。あとは体力比べの問題。しかし宇吉ら、しっかり体を休ませられていないもので、緊張と疲弊で息はすぐに上がってしまうのです。


「洋さん、ぼくが見えますか」


 ケースの反対側。勝殿が優しい眼差しで洋殿を見つめた。そして手を伸ばす。危ないと言っても、離れるはずもなく。


「洋さん、それ貸してください」

「……貸す? いいの? 怒らない?」

「大丈夫」


 勝殿と洋殿の会話は噛み合っていない。まるで、見えない誰かに指示されているかのよう。

 洋殿はそっと勝殿にバールを手渡した。


「洋さん、ぼくの声は聞こえますか。あなたが助けてくれた子供です。毎日毎日、樺恋ちゃんを学校に送った後、樺恋ちゃんと帰る夕方までぼくを見続けてくれた。手を振ってくれる、ぼくをちゃんと見てくれる初めての大人。文字も人も知らないぼくに、世界を見せてくれたのは洋さんです」

「……」


 洋殿は瞬きすらしない。声が届いているのかもわからない。キラキラしていた黄色い目が、濁って見えるのはフィルターがかかっているからでしょうか。


「名前をくれたのもあなた。ぼくのお母さんだ」


 一瞬だけ、唇が動いた。宇吉は洋殿の横顔から目を離さず、少しの変化も見逃さぬように目玉を向ける。


「ぼくはお母さんを失いたくない。その気持ち、洋さんならわかってくれますよね。でもきっと、洋さんはやらなきゃいけないことがあるのかもしれない。だから」


 勝殿の隣に、影が一つ増えた。守殿でしょう。そして手から手へ、バールが渡る。


 そしてガラスの割れる音がして、破片が飛沫のように舞った。すかさず目を瞑る。

 幸いにも怪我はせず、バラバラと破片が床に落ちた。

 ケースは割られ、刀が取り出せる状態になっているではありませんか。


「沖田、持っていけ。お前が何をしたって、俺は待ってるから。これも見下しに聞こえていたとしても、本心だとしか言えない」


 洋殿がケースの中に手を入れ、大脇差を握る。ここで剣を抜かれては困る。宇吉とてももう体力がない。


 だけど期待は裏切られてしまうもんですなぁ。洋殿は大脇差を鞘から抜いて、ギラリと光る刃を見つめるのです。

 そして持ち直し、守殿に向ける。ご冗談を! と言っても下げやしない。


「いいよ。斬って」

「……」

「俺が憎いんだもんな。斬って満足するなら、それでいい。ここで沖田に殺されてもいい。そしたら眠るためで構わないから、過去戻りの禁忌を使って俺を救いに来てくれるか?」

「……」


 なんて穏やかな声色。死を覚悟していたとは。


「嫌いでも憎くてもいい。殺されたら怨霊になって、沖田を呪うから。でも憎悪じゃない。愛してるから呪うんだ」

「そんな嘘みたいな言葉聞きたくない!」

「信じなくていい。でも言葉しか使えない」

「嘘ついてたくせに、黙ってたくせに!」

「うん。そうだな。ごめんな」

「謝ってほしくなんかない!」

「でも謝らなきゃ納得しないだろ?」

「お前なんか大嫌いだ! どうせそう言うようにって、洗脳されてるんだ!」

「俺は大好きだよ。沖田に感化されてるんだ」


 言葉にできない感情があるのでしょう。洋殿は刀を空中に向けて迷いなく払った。そして守殿も持っていた刀を抜き、わざと刃を当てに行く。


「え……」


 洋殿は驚いている。恐らく、守殿が刀を持っていると思わなかったのでしょうな。


「沖田が刀を持つなら、俺も持つ。これで対等だな」

「……」


 守殿が嬉しそうに笑うのを見てから、洋殿を見ると、目に光が戻っていた。あぁ、やはり守殿にしかこの人は救えない。


「待って……!」


 しかしそれも数秒。


 また目が濁り、洋殿は独り言を呟いた。守殿の言葉と誰かに言われている言葉の間で迷い、戸惑っている様子。

 嫌だ嫌だ、ごめんなさいと繰り返す。


「洋さん。たまにでいいから、ぼくらの事、思い出して、くださいね」


 勝殿がぐじゃっと顔を皺くちゃにして涙を溢す。このまま連れて帰りたい。ここにいる皆が思っているでしょう。


「どうなるの、アタシはどこ行くの」

「洋……?」


 当人は頭を触りながら「泣かないよ。わかんないよ」と涙声で連呼し、大脇差を抱えて展示室を去ろうとする。

 衛宗殿がありったけの矢を放っても、洋殿には当たらなかった。


 階段に差し掛かる時、洋殿はぴたりと立ち止まった。そして髪を解く。


 ぐったりとした様子の秀喜殿と、その体を支える洋斗殿に歩み寄るのです。そっと秀喜殿の顔に触れる。


「あなたは負わなくていい」


 洋殿の声であるはずなのに、別人のような語り口調。そもそも秀喜殿のことは“あなた”と呼びませんからな。


 そしてその違和感は決定的なものであると見せつけられるのです。


「洋斗。洋斗だけは、絶対に守るからね」


 陽だまりが声になったような母性に満ちた慈愛の言葉。

 姿は洋殿でも、人格は違う。


 洋斗殿も呆気に取られ、何も言えない。そして洋殿は展示室を出て行ってしまった。

 誰も追わないのではなく、洋殿ではない誰かを追えなかった。


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