1勝手目 沖田洋という厄災(2)
この日は午後からの講義もなかったので、沖田と一緒に帰ることにした。
星と別れ大学を後にする途中、同じ文学部の同級生から飲み会の誘いを受けた。
が、沖田はその度にどうもと小さく言って、ツンとそっぽを向く。周囲から学生の姿が消えるまで一言も話さない。人見知り、ということにしておこう。
沖田の機嫌は悪いが、今日はすこぶる天気が良いな。新緑香る木々がざわざわと風に揺られ、爽やかな空気が心地よい。
あと1か月もすれば夏が来るような蒸し暑さだ。着ていた紺色の薄手のカーディガンを脱ぎ、七分袖のシャツ一枚になる。それだけで、かなり涼しく感じた。
沖田は生足を出しているおかげで暑くないのか、パーカーの袖も捲らず、下を向きつま先を見つめるように歩いている。
沖田のことだから、「ブーツの塗装が剥がれてきたから買え」などと言ってきてもおかしくないぞ。
すると「あの、さぁ」と、沖田は含みのある言い方をする。
「ブーツは買わんぞ」
「まだ何も言ってないだろ！」
沖田は心外だと顔を赤くした。
「まるでアタシがいつもたかってるみたいだろ！」
「ああ」
まさにその通りである。今回は勘が外れたようだが、そう思われるのは完全に日頃の行いだ。
しかし今回は、不満の中に不安の表情も垣間見えた。
0歳児から一緒にいるので、彼女の表情はすぐに読み取れる。普段はあまり見せない顔だな。
「何かあったのか？」
問いかけに、沖田は足を止め、近くのガードパイプに寄りかかり、ブーツをせっせと脱ぎ始めた。
「アタシの爪先に痣があるじゃん。ずっとあるやつ」
「ああ」
沖田の両足の爪先には青紫色の痣があった。沖田の母親曰く、生まれた時からあるものらしい。
これまでそのことで悩んでいる様子も見せず、一回聞いたきりで、沖田が痣の話をしたのはほぼ初めてだった。
「痣が広がってきてる気がするんだよ。ほら、見て」
右足を上げて爪先を見せられた。
以前は親指の付け根から小指の付け根まで広がっていたマーブル模様が、足首の方まで侵食されるかのように広がっていたのだ。
しかも片足だけではなく、両足とも青紫に染まっている。これは、普段は細かいことを気にしない沖田でも不安になるはずだ。
「聡さんと葵さんには言ったのか？ 病院は？」
聡さんは沖田の父親、葵さんは母親だ。
「言ってないし、行ってない。小言言われそうだもん。お父さんがハロワに行けってうるさいし」
「体に異変が起きてるんだぞ？ ニートであることを怒られても、体調のことで小言は言わんだろ。今から病院行くか？ 金なら立て替えて出してやるから」
打撲で痣ができることはあるが、さすがに今回は様子がおかしい。
携帯で検索しても原因が出てこず、さらに不安を煽った。
沖田は少し考えたのか、下唇を噛んで視線を上にそらした後、もう少し様子を見ると言って病院行きを拒んだ。
痛みはないというし、しつこく言っても彼女は頑固なので、早めに両親へ伝えるよう促すにとどめた。
その後、沖田はすぐに調子を取り戻す。ゲーセンに行きたいというのでついて行けば、二千円近く使わされた。唐揚げのクッションだ。センスがないにも程がある。
「全く、ゲーセンに行くとろくでもないな」
「土方だってムキになってたじゃん」
「取れると思ったんだよ」
「じゃあアタシのせいじゃないもん。土方が勝手に取った。でも、クッションはもらう！」
俺を財布か何かだと思っているのだろうか。
金がないなら働かなければならない。
俺は語学が得意なので、翻訳家を目指している。
在宅で出来る翻訳アルバイトをしているため、極限に金に困っているわけではないものの、使った金を計算すると殆ど沖田に吸い取られているのだ。
「明日は街中の唐揚げ専門店に行きたい！ 新しい味あるから食いたい！」
「奢らんぞ。職安行け」
「ケチ！」
「なら、行ったら買ってやる」
「ヤダ！」
頬を膨らまして家に入るのを見届ける。
いつものタカリ屋の沖田だった。
だからこそ、昼間に見せた不安な表情が脳裏にこびりついて離れない。
