67勝手目 守れる人、守れない人(6)
親になるというのは、簡単じゃなかった。それは洋が成人してからも、ずっとずっと胸に秘めていた吐き出せぬ感情だった。
土方家の両親が守くんに与える愛情は、無償で一途で、優しさに満ち溢れている。
私達は「他人の子を育てている」というのが頭から離れず、葵に至っては虐待まがいの行動をし始めてしまった。
洋が言葉を話し、自分の足で歩き、なんでも触りたがるようになった頃。
夜中に話があると言われる日が続いた。内容もいつも似たようなものばかり。
「今日も似てないって言われたの」
「それはそうだろう。私達は仕事であの子を育ててるんだ。血の繋がりがないのだから――」
「そうじゃなくて!」
拳を作り、ダイニングテーブルを思い切り叩く。洋が起きるからと止めても、一度始まったヒステリックは止まらない。
「洋は将来美人さんになるね、お父さん似なのかな、って。それ、私が良くないってことだよね? あの子といると惨めな気持ちになるの! もう出て行きたい!」
「考え過ぎだ! まだ3歳の子供に嫉妬してどうする? 人は顔じゃない、葵には洋を育てようとした、心がある」
「容姿と心を同じ土俵に並べたね? 女っ気がないと言いたいの? 毎日、毎日毎日毎日、あの子とずっと2人なの! 女として着飾る暇もないの!」
世間的には専業主婦という立場に見られるが、実際は神霊庁の職員として洋の面倒をつきっきりでみる保護員。
一日中、会話の出来ない子供といると気がおかしくなると毎晩泣き喚いた。人生を無駄にした、これでは死んでいるのと同じだ――と。
彼女の気持ちは理解した。色々思うことがあるが、葵が居なくなれば、洋は2度と母親を失うことになる。
私も他の仕事をしながら洋の面倒は見れないし、かといって家に居るばかりじゃ世間体が悪い。
居てもらわなければ困る。
そういう時は、一応肩書き上は夫婦だと割り切って、葵を女として扱って事なきを得た。
そうすれば機嫌が良くて、洋に対してツンケンすることもなくなる。果たして、人生を失っているのはどちらだろうか。
その頃から少し後。 葵は自身の虐待を恐れ、勝手に正規の神霊庁業務に戻ると決めて来た。
働きに出るなら、洋の育児はどうするかと話し合っても、何もする気を起こさない。
保育園もいっぱいで、洋を1人で家に置くしかなかった。
「ヤァだぁ!」
「洋、夜には帰ってくるから。1人で待てたらおりこうさんなんだ」
幼い洋が1人で留守番なんて、すぐに飲み込める訳がない。葵は冷凍食品などを朝に温め、あとは好きにしてと言い放って仕事へ行く。
洋は葵の背中を追って泣き叫び、冷たく突き放されてまた泣いてしまう。
「洋、大人しくしててくれ」
これ以上は構ってあげられない。洋を置いて家を出て行く毎日が始まってしまった。
洋は一度寝たら長く眠る子だから、泣かせておけば疲れ果てるだろうと無責任に信頼していた。
だが、そんな扱いをしていると気付く人は気付く。ある時、夕方に帰宅した。葵はまだ帰っていなかったが、家からは幼い話し声がする。
「洋はゲームしないの?」
「買ってもらえないもん」
「俺のでやればいいじゃん」
半身を隠し、リビングを覗くと、守くんが携帯ゲーム機を洋に渡してやり方を教えている。
その他にも自宅から持って来たであろう玩具が床に散らばって、洋の横には赤ん坊の時から持っているものしかない。
何かねだれば葵に怒られるから、買ってと言えないでいるのだとその時にわかった。
守くんは洋と同い年なのに落ち着いていて、洋をいつも気にかけてくれる。朝、幼稚園に行く彼に挨拶を交わした二言目には「洋は?」と家を覗きたがる。
幼馴染を仕組んだのは私だ。まだ葵が洋を気に入っていたころに「洋をよろしくね」とくどいほど言っていたからかもしれない。
けれど守くんは、何かにつけて「洋、洋」と家を訪れる。土方家の両親もそれが当たり前になり、守くんを好きにさせていたのかもしれない。
家にひとりぼっちなのを知って、毎日来てくれていたのだろう。
「ただいま」
「おかえり……なさい」
2人で肩を跳ねさせ、顔がこわばる。勝手に家に上がり込んでいたのを怒られると怯えているのだろう。
「何か食べたのか」
「お昼ごはん……あと、守が持って来てくれたお菓子……」
洋はぷるぷると震えて、体を硬くさせている。私は葵のようには怒らないのに。
「俺が入れてって言った。洋は悪くない」
「あぁ……そういうことか。別に家に入ったことは怒っちゃいないよ。何か食べようか、って意味で聞いたんだ」
「……あ」
守くんは洋を庇おうとした。誰に教わったのかはわからない。
それは小学生になっても変わらないどころか、年を重ねるにつれて「この子は洋のことが好き過ぎるんじゃないか」と思うようになった。
葵に怒られしょげた洋が庭でうずくまっていれば、夜遅くても駆けつける。
夜遅くに私達が帰ってくる時には、洋は土方家で夕食を済ませていた。箸の持ち方を教えていなかったのに、いつのまにか持てるようになっていたのもそのおかげ。
「お仕事、大変なんですね」
土方家の母親からの言葉は嫌味なのかもしれないが、私達に躾をされるよりマシだと、図々しく甘えた。
そして学校では守くんも暴走した。学年が上がる時のクラス替えは、「洋は自分しか面倒見れない」と言って、直談判。
実際、外に出た洋は我儘で横暴なようで、私も何度か学校から呼び出されていた。
あまりの我儘っぷりに先生方も手を焼いていると。だけど家ではオドオドして、あまり話さない子。実感が湧かない。
原因は家庭環境にあるとわかっていたが、私達に状況を変えられるような絆はない。
不安定の反動が外に向けられ、葵のように凶暴さを曝け出せば皆が自分に従うと思ったのかもしれないと、うすうすわかっていた。 家に帰れば縮こまる。窮屈に違いない。
そう思うのは、自分がそうだから。怖くて、葵には言い返せないからだ。
そんな洋のことを受け入れられるのは自分だけだと、守くんは恥ずかしげもなく言いきる。本人の前では言わないみたいだが、隣にいるのだから言葉にしなくてもわかる。
実際、高校は洋と同じ学校に通うためにランクを大幅に下げて受験し、長期休みも部活以外は常に一緒に居てくれた。
大人になっても、洋にとってそれが1番の心の支えだったろう。
このまま2人が一緒になって、新たな家族を作ってくれたらいい。
その未来を信じ始めたのは、早くも洋が小学校に上がる前からだった。
私も葵と同じように、家に帰らなくなるきっかけにもなる出来事があったからだ。
◇
――ある月、三陸沖で大きな地震があった。日本史上最大の地震で、出会いと別れの季節である3月の昼下がりを襲ったのだ。
その日は小学校が早上がり。洋が自宅にいるのがわかっていた。
仕事をしていた私はさすがに焦り、慌てて自宅に帰った。雪が降り、道路は渋滞し、ぶつぶつと電波が切れるラジオからは津波が来ると騒いでいる。
幸い津波とは関係のない地域だったから、家が潰れていないかだけが気がかりだった。
地震発生から数時間後、もはや夜の入り口だという時間に到着した。あたりは真っ暗で、人の気配も数人感じるだけ。土方家も人がいる様子はない。
もちろん、沖田家も同じ。葵は帰宅していなかった。
いつ乾電池を変えたかもわからない懐中電灯の明かりを照らしながら、住みなれた自宅を恐る恐る歩く。
「洋! どこだ!」
呼びかけても、返事はない。倒れた家具の下、クローゼットの中。姿も気配もない。頼る人がいないから、小学校へ行ったのかもしれない。
私は自室へ入り、貴重品を持って外に出る事にした。すると、床に落ちていた何かに滑り、前に倒れた。
床を照らすと、本が開いた状態で落ちている。
「これは……澪が持っていた……」
あの、古い本だ。だけど、なぜ? 引き出しにしまっていたはず。その引き出しは閉まったままだし、出した記憶もない。
やはり、呪物なのか?
恐る恐る手に取ると、本には油染みで出来た指の跡が残る。
暗がりで見ても新しくできた汚れだとわかった。
鼓動が早まった。呪われた家系に生まれた子に付き纏うよう残る古本が、この地震に関係あるのではと、根拠のない不安が過ぎったのだ。
「洋が……触れた、のか?」
まだ余震はやまない。私はそれが、洋の心の訴えなのではないかと、現実離れした仮説を立ててしまった。




