67勝手目 守れる人、守れない人(4)
その日から彼女は島に居座った。
名前は「幸才澪」と言った。黙っていれば名に相応しい、清らかで美しい女性。けれど私は、彼女の本性を知っている。
先輩方は夜の事件も忘れたのか、澪とにかく厚遇して丁重に扱う。
彼女は島内の神社を日が暮れるまで周り、どうか殺してくれと神に頼み込む。呆れて止めても無駄。
その光景は異様で、他の参拝客からも不気味がられた。止めたって聞いてくれない。やがて彼女の監視を任されるようになり、有意義な島での生活はストレスへと変化した。
あげくに先輩方の好意を嫌悪するから、自然と私を頼るようになり、さらに居心地は悪くなる。
それから1ヶ月、2ヶ月と過ぎた。
島の緑が紅く染まり始めても、彼女の家族は誰も来ない。旦那は、と問いかけても「まだ会えないの」と寂しそうに水平線を見つめるだけ。
「洋斗にはね、もう会えないわ。あの子はね、幸才家と関わりのない子になるの。それでね、この子が居なくなればあの人とは一緒に居られる。でも、もしあの人が死んだら、洋斗と暮らすの」
「何も腹の子を産んだら養子に出せば良いのでは? そうすれば誰も死ななくていいでしょう」
「何を言ってるの」
静かだが、声に怒りを乗せる。澪の顔を見ると、歯を食いしばり、額と眉間に深い皺を作っていた。
「作ってしまったのは私達だけど、これはもう人間じゃないでしょ。見たじゃん。刺しても死なない怪物、誰が引き取りたい?」
「ならどうやって居なくならせるんです。殺せない、引き取り手もないならどうにも出来ないでしょう。親なんだから呪いがどうよりも、命に責任を持つべきです」
とにかく澪が恐ろしかったし、無責任で、悪い意味で自由に見えた。
本人が自慢の顔と体で不自由なく生きてこれたと言うんだから、この妊娠が初めての壁なのだろう。
母親なんだ、産んでしまえば気が変わる。私には呪ってくれと祈る彼女自体が呪いに見えたが、口には出さないまま時は流れる。
そして11月11日――。
澪は激しい腹の痛みを訴えた。陣痛だ。しかも日付の変わった深夜で、天気も大荒れ。医者にもかかれない。
駐在している職員も、男しかいない。
インターネットで出産時の対応を調べて可能な限りを尽くす。何時間も痛みに苦しみながら、母は子を産んだ。
「あ……」
新しい命に最初に触れたのは私だった。目も開いていなくて、肌は赤く、ぎゃあぎゃあ泣く。
生まれつき、足の爪先にうっすらとしたあざがあるくらいで、普通の赤ん坊と変わらない。やはり呪いなんてないんだ。
子供に興味はなかったが、無事に産まれ来てくれたことが嬉しかった。
――だが、それは私だけ。
お産したばかりの体を起こして、ぬるま湯の入った木桶を赤ん坊目がけて投げた。咄嗟に避ける。が、両足にあたってしまい、火がついたように泣いてしまった。
産まれて数分しか経っていない赤子に感情という呪いをぶつけるなんて、常軌を逸している。
「なんてことを……!」
「早く殺して! この子が残ったら、洋斗と旦那が消えちゃうかもしれないでしょ!」
これがお産直後の母親の姿?
化け物はどっちだ。両手に抱えた、まだ名もなき赤ん坊を庇うように背を向けた。
「聡、その」
先輩方はどう考えているんだろう。神職でありながら、赤ん坊を手放せと言いたげな戸惑う声を出しちゃいないだろうか。
興奮冷めやらぬ澪に従えば、法を犯してしまう。罪人になるのはごめんだ。
「本庁に相談しませんか。ここでこの子を殺して、必ず解決するとは思いません」
「相談して、どうする?」
「どうすると言われても……協力してくれるかもしれませんよ、としか」
なんて頼りない先輩達だろうか。美しさは人の知力すら狂わせる。仕事も疎かになるし、挙げ句の果てには自分が面倒を見ようと言い始めるほどだ。
澪は納得せず、しつこく暴れた。いくら頼まれたって、法は犯せない。
その日中に本庁へ連絡すると、年明けにこちらまで出向いてくれることとなった。
その間は赤ん坊の面倒を押し付けられたのは言うまでもない。そもそも子供が嫌いで、近所の子にも挨拶を返さないのに、他人の子の下の世話をしている。
仕事と割り切った。だが、それ以上に死なれては困るという思考が付き纏う。一生引きずる傷になる気がしたからだ。これも自衛なのだと、目を瞑る。
――年が明け、もはや1月も終わると言う時に本庁の重鎮が数名やって来た。
赤ん坊を呪う事に懸命でやつれた澪では話にならず、かわりに事の顛末を説明する。
「……ふむ。信じ難い話だな」
神霊庁のトップである長官は椅子に腰を掛け、落ちいた声色と共に息を吐いた。
日本全国の除霊師などに声をかけて、なんとかならないかと話し合う。案が尽きかけた時、長官がまた口を開いた。
「沖田……といったかな。」
「はい。沖田聡です」
「年齢は」
「今年、24になります」
「……沖田以外、退室しなさい」
トップの言葉だ。誰も逆らわない。澪も大人しく退室していき、長官、私、そして赤ん坊の3人になる。
「沖田。君が育てるというのはどうだろう」
「は……!? 私が!?」
突拍子もない提案だ。どうにかしてくれと相談しているのに、私にどうにかしろと言うのか?
「道徳、法……あらゆる面で見ればその子は殺せない。しかし、神霊庁としてはどうだろう。今後その子が成長した時、脅威になるとしたら? 何もなければ良いが、どうにも堕ろせなかったのが気になる。ならば、さっさと海にでも投げてしまいたい。出生届も名前もない子だろう」
「……え、あ……はい……」
そういえばそうだと、すでに法を犯していることに気がつく。
「手放すことで多くの人間が救われる存在なら、今すぐそうするべきだと思う。トロッコ問題のような話だ。1人の犠牲によって複数が助かる」
「……」
腕の中で何も知らずに眠る、否定された命。
「出来ぬなら私がやろう。情があると投げれまい」
長官はすくと立ち上がり、私の手から赤ん坊を取り上げようとした。
反射的に体を背けてしまい、冗長に逆らってしまったと汗をかく。
「殺していい理由に、なりません!」
「なら、それを育てるのは誰だ?」
呼吸が荒くなった。胸から肩、まるで過呼吸のように体で息をする。
「私……しか、いない……?」
そう口にした瞬間、心がフッと軽くなった。
情が湧いたんだ。失いたくない。はっきり自覚した。自分が殺すような気分になるのが嫌、というのもあるかもしれない。
私を親だと思い込み、無垢な目がコロコロと回る。あまり泣かず、たくさん眠り、好きなだけミルクを飲むいい子なんだ。
「名前は」
長官は私の心の内がわかったのだろう。ふんわりと、優しく尋ねる。
兄は洋斗といったかな。せめて血の繋がった家族の証を残してあげよう。けれど、それだけでは名前に祈りが込められていない。
名前は、幸せな贈り物であるべきだ。
「……洋、と名付けます。何にも縛られず、自由に生きられる子になるように」
沖田洋。
私の娘になる子。呪いとは無縁にする子。親になる覚悟など持ってはいなかった。
だが、私の手の中にいれば、生かしてあげられるのだと思うと、これ以上なく嬉しかったのだ。




