60勝手目 君に伝えるピクトグラム(2)
他のメンバーに知られると面倒になるかもしれない。
沖田じゃないが、「やってしまったものはしょうがない」と言わせるために、少人数で決行する。
禁忌を冒したのもバレていない。これも、沖田が真面目に樺恋の送り迎えをしているおかげだろう。
決行日の朝から緊張している樺恋が心配だが、気張る必要はないと背中を押す。
扉越しに話すだけでも樺恋にとっては大仕事。緊張しているというのに、よく宇吉にも黙っていられるもんだ。
夕方までは各々普通に過ごす。俺も神霊庁の仕事をし、沖田は畑の枯葉を拾い、学は年末に控えた岩手支部への応援の準備をする。
沖田が樺恋を迎えに行くと言ったら、俺は当たり前について行き、学はコンビニ行こうかなとぼやいて自然に屯所を後にする。
「めっちゃ自然に出てこれたんじゃね?」
「気を張っても仕方ないだろ」
学は思わず言ってしまいそうになったらしく、用事もないのにトイレに行ったという。要らない情報だ。
小学校の門の前で樺恋を待つ。消耗口から手足が同時に出てくる子供がこちらに向かってくるんだ、アレだろ。
「た、ただいまッ」
「おかえり。随分変な歩き方だな」
「緊張ずるのッ」
顔も強張るあたり、随分本気なんだな。話すだけでしょ、余裕よ! とでも言いそうだと思ったが。
しかし、樺恋のメンタルケアばかりしている余裕はない。ここからは時間勝負だ。沖田も学も目付きが変わる。まさに討ち入り前のような鋭い目だ。
だがそのペースはすぐに崩される。樺恋の同級生に呼び止められたら、振り返らないわけにいかないだろ。
樺恋は油のささっていない機械のように振り返った。
「永倉さんのお兄ちゃん、イケメンだね」
「洋ちゃんバイバイ」
同級生は樺恋と沖田に手を振る。沖田は気をつけてなと右手をブンブン振るが、樺恋はそれどころじゃない。
「ンッ……ざっ、じゃっ、ばっ……バイ!」
いくらなんでも緊張しすぎだろ。ぎこちないを通り越して、挙動不審だ。
◇
いよいよアパートが近づく。普段と同じなら、そろそろ母親がコンビニへ行く時間だ。
「出てきた」
巨体が錆だらけの階段を軋ませながら降りてくる。全員が息を顰め、物音を立てぬように押し黙った。
遠く遠く、足音が聞こえなくなるくらいまで。やがて姿が見えなくなれば、全員が動く。
「樺恋」
「わかった。行ってくるわ」
さっきまであんなに堅かった表情が、決意に満ちたものに変わっている。引き下がったり、怖気づいたりもしない。
錆びた階段を希望の道かのように駆け上がる。
成人した俺でも"間違えてないだろうか"と不安になるのにな。樺恋の勇敢さを見習わねば。
樺恋の声が聞こえる位置に移動し、様子を伺う。コンコンとノックする音が聞こえれば、もう後には引けない。
「ごめんください! 誰か、居ますか」
声がけには応じない。寝ている、怖くて出て来れないなら良いが、最悪な自体があっても不思議じゃない。
緊張に緊張が重なる。慎重にと肝に銘じても、脅かされる命を救い出すチャンスが手の届く場所にあると、足が前に出そうになる。
「あたし、あなたにずっと手を振ってた人なの。永倉樺恋っていうの。ちょっとでいいから話したい」
樺恋は声がけをやめない。応じるまで「あなたと話したい」を繰り返す。
「あ!」
その想いが伝わったんだ。古く、そして歪んだ金具がドアを開いたことを知らせる。
大人がいればまた中へ入ってしまうかもしれん。沖田も学も中腰になりながら、全神経を耳に集中させているようだ。
「出てきてくれたのね」
「……」
「ありがとう! いつも手を振るのに話したことがないから、今日は、勇気出してみたの!」
「……」
「嫌だった?」
「……」
子供は黙るばかりで、樺恋の質問にもだんまりだ。これは想定内。樺恋にも事前に話してある。
だけど責めるな、急がせるな、まずは樺恋を知ってもらうんだと口酸っぱく伝えておいた。
沖田や学の質問攻めでイライラしないよう訓練をしたおかげで、樺恋は穏やかに話している。
いくらか小学生らしい質問をした後、樺恋は声のトーンを落として本題へ入った。
「……ねぇ、外に出たいと思わないの?」
「……思う」
喋った! か細いが確かに聞こえた。樺恋も初めて言葉を交わしたことが自信となり、さらに踏み込んでいく。
「どうして外に出られないの? ずっと窓から見てるだけじゃつまんないわ。もしかして、外に出ちゃダメって言われてるの?」
「……麻依が、ダメって言う……」
「麻依って誰?」
「誰……? 麻依」
母親を名前で呼ばされているのか。お母さん、という言葉を知らない。友達感覚でいたい親はいるが、この場合は親としての責任を背負いたくないだけだろう。
「どうしてダメって言われるの?」
「……わかんない」
「でも、外には出たいのよね」
「うん」
「じゃあ、麻依と離れてもいい?」
「離れる?」
「離れる……えっと、会えないってこと。麻依とご飯を食べたり出来なくなるの」
「……ご飯……病気だから、あんまり、食べちゃダメって言われるから……」
言葉の拙さは幼いからではない。教育を受けていないからだ。
自分がどんな状況なのか。自分が普通でないとわからない。窓から見える景色を一体どんな気持ちで見ていたのか。
「ばかねぇ。ご飯食べない方が病気なんだから! 外に出たら美味しいものがたくさんあるのよ。遊ぶところもあるしね、いっぱい人がいるの! あたし、いっぱい知ってるんだから!」
「……でも」
子供が言葉を詰まらせる。母親のいる世界しか知らないのなら、樺恋の誘いや力説は未知のもの。
そろそろいいだろう。無言で立ち上がり、階段を登る。後から沖田と学も着いてきた。
子供は俺を見るなり一拍声を出すが、部屋の中へ戻ろうとはしない。地道に続けてきたピクトグラムと手振りが功を奏したか。
「窓からじゃ、俺がこんなに身長が高いと思わなかったろ」
「……」
子供が嫌いなわけじゃない。扱いが下手すぎるのか? 目を逸らされた。しかもなんか、ちょっと怯えてないか!?
「あ、身長が高いって、でっかいってことな。でも大丈夫! 兄ちゃん達は怖いことしねぇよ? ほら、手を振ってた人しかいねぇだろ?」
「……あ……」
学が目の前で手を振ると、小さく手を振りかえす。悔しいが、学の方がわかりやすくて優しいらしい。
そしてどうしていいかわからなさそうに戸惑い、ドアノブを握る。
しまった、困惑させたか。中に入られたらどうにもならんと焦ったが、沖田がすかさず、子供をぎゅうっと抱きしめた。
「捕まえた!」
沖田の無邪気な声。深刻ではない、やっと会えたという意味を含んだもの。
「こうされたことあるか? アタシはなかった」
「ない……」
「こんな大きくなってからね、ぎゅうってしてもらえるようになったんだ。でも君は――アタシはね、君くらいの時にこうしてほしかった」
ゆっくり、亀の歩み寄りより遅く。子供の手が沖田の背中に回る。
「外に、出てみたい」
はっきりと、確かな声を聞く。
意思を確認したら、すぐに次のステップだ。
里親や養子縁組など調べたが、どうやら俺達がなるには難しそうなのだ。だが頼りになる機関を通さなければ、子供をここから救い出せない。
とりあえず連絡して指示を仰ごう。本人の意思だって尊重されるはずだと信じて。
「待って、土方。児相に連絡するのか?」
「あぁ……取り合ってもらなければ警察に……」
沖田は右で子供を自分の体に寄せながら、左手首についたスマートウォッチを見せつけてきた。なんだよ、戦隊モノの変身前みたいな決めポーズは。
「聞いてた? 来て!」
「誰に言ってるの?」
子供2人が沖田を見上げる。階段を登る音、そして姿を見せたのは伊東だ。
「秀喜じゃん。なんで?」
「アタシが相談したんだ。児相に相談しても取り合ってもらえなかったり、この子がどこに行くかわかんないのが嫌だって。そしたら更生施設があるから、そこに母親を入れればいいんじゃないかって伊東が」
子供嫌いの伊東が協力するのなんて沖田が絡んでいるからだろうが、まさか更生施設に出向いて手続きまでこぎつけていたとは。
さすがとしか言えない。いつも一歩先を行かれ、いつも沖田に頼られて悔しい気持ちも嘘ではないが。
「民間のですが……母親の説得はプロに任せましょう。すでに話し始めてますけどね。本人も負のループに落ちていることは理解してるようですし、やり直したいという言葉も聞こえてきました。ただ……」
「ただ?」
「その子だけは、離したくないと言ってましたけどね」
子供はきょとんとしていたが、樺恋が「よかったね」と笑いかけると、こくんと頷いた。
酷い扱いを受けていても、「要らない」と言われないだけで良かったと思う。
沖田を見ると、嬉しそうな……でも寂しそうにまつ毛を伏せる。少しでも、羨ましいと思ったのだろうか。
「さ、帰ろう。今からうんと怒られるかもな」
「えぇ!? 誰にぃ!?」
「晴太か祈か? いや、洋斗も怒りそうだな」
「あたし頑張ったのに怒られるのイヤ! 帰りたくなぁい! ヤダヤダヤダ!」
樺恋は9歳らしく駄々をこねて喚く。学が無理矢理抱き抱えると、樺恋はひしっと捕まって駄々をこねながら肩に顔を埋めた。
伊東は手続きが終わってから帰るというので、有り難く全てを任せることにする。
「そういえば、名前は?」
「名前……おい……かな……」
「それは名前じゃないだろ」
伊東づてに聞けば、やはり出生届も出ていない。名前も付けていない。名前をつけたら、責任が出てしまうからという身勝手な理由からだ。
「あとちなみにその子、男ですからね」
「え」
モサモサの長い茶髪とくりくりとした大きな目。大きくなれば胸の膨らみでパッと判断できるものだが、樺恋と同じくらいの歳の子ならばそれもない。
もちろん、声変わりもしていない。
「見間違えて当然か」
「んー……」
沖田が人差し指を顎にトントンとリズム良く叩きながら、空を見上げていた。
「何だ?」
「……決めた! お前は今日から勝だ! 井上勝!」
「まさ、る?」
名前がないから与える。皆で相談するとか、普通はそうするだろ。
だけど「勝」はもらった名前を嬉しそうに呟く。ボロボロで大きいサイズの長袖Tシャツをくしゃくしゃと摘み、初めて経験する"照れ"に困惑しているようだ。
名前の意味は後で発表すると言うもんだから、もう決まったも同然。
沖田が勝の手を握るから、俺ももう片方を握る。
「さて、今日の夕飯はなんだろうな」
「勝は腹はち切れるまで食わないとだぞ」
昨日まで振っていた手を、"握る"。樺恋にとっても重大な日だったし、沖田にとっても、過去の自分を救うような日だったかもしれない。
その証拠に勝は決して離すまいと、手を力強く握ってくれているのだから。




