55勝手目 背徳の香り(2)
洋が姿を見せる。
「せばだばまいねびょん」と書かれた方言Tシャツをじズボンの中に入れ、アザを隠すための靴下を履いている。いつもの寝巻き姿だ。
「あ……よかった。ちゃんと服着てた……」
「何言ってんの?」
本当に僕は何を言ってんだろうね。変な事を考えていたのモロばれだよ。さすがにこんなダサい服装なら、伊東さんも変な気は起こさないか。
「で、こんな夜中に何の御用ですか。忙しいんですよ」
伊東さんの苛立ちは隠しきれていなかった。忙しいって、こんな夜中に何が忙しいんですか?
って返してやろうかと思ったけど。
深夜にインターホン鳴らしてしまったのは事実だから、そんなこと言えない。
何してたの? なんて聞くのも怖いし。
「話し声がしたのと……なんか、いい匂いがして」
「……」
僕の答えに、2人は顔を見合わせた。視線を交えて、言葉に出さずに意思疎通出来ているのも嫌だ。
守なら諦めがつくのに、伊東さんだとムカつく。僕だけが洋と何も無いみたいじゃん。
嫉妬をこぼさないように鼻で息を大きく吸い込む。そうしたら、やっぱりいい匂いがするんだよ。
ご飯の炊けるような匂いと、ハイカロリーな揚げ物の匂い。
思わず、ごくりと喉が鳴る。
「晴太くん。この中でしたこと、全部内緒に出来る?」
「うん?」
「3人の秘密だからね」
何、その言い方。内容によるけど――なんて言ったら、終わっちゃうかな。洋は悪戯に笑って、伊東さんの部屋へと手を引いてくれる。
何されちゃうんだろう。この匂いはなんなんだろう。期待しかなくって、心臓がうるさい。
でも僕がしてる期待って、もしかしてそういうことで。それってつまり、3人でってこと?
「洋、待って! 最初から特殊なのはちょっと……心の準備も出来てないし、その、えっ……え?」
テーブルの上に置かれた"炊飯器"。ちょうど良く、ご飯が炊けたと音楽が鳴る。
「なんで、ご飯……!?」
「変なことばかり考えて、ムッツリ通り越してガッツリですね。オレ達が何してると思ってたんでしょう」
「しっ! 晴太くんが気づいたってことは、他の誰にも聞こえるかもしれないぞ!」
洋は扉に耳を貼り付け、廊下には誰もいない事を確かめた。そして手のひらを擦りながら、炊飯器の前に滑り込むように正座する。
「23時30分……この時間じゃないと美味く感じられないモンってのがありましてねぇ……」
まるで悪徳商人みたいな悪い顔。そして蓋を開けると、いい匂いが部屋に充満する。
脳を焼き、涎が溢れるような背徳の香り。この時間に食べていいものじゃないと、匂いだけでわかる。
「こ、これッ……」
洋が手際よく、使い捨てのお椀にご飯を盛る。この時間に、こんなの食べちゃダメだ。わかっているのに、どんな味か知りた過ぎる。
「ご飯にコンソメと醤油、コンビニチキンを入れて炊いた混ぜご飯だ。もうこれだけで美味いのは知ってんだ。だけどそれで終わるな! 罪は重ねろ!」
今度は何かと思えば、コンソメ味のポテトチップスを粉々に砕く。それをふりかけのようにしてご飯にまぶすんだ。
「そんなことしたら!」
「終わらせないよ?」
追い討ちにチーズまで振りかけて、その上にマヨネーズを惜しげもなくかける。
「で、これを……」
慣れた手つきでチーズとマヨネーズをバーナーで炙る。こんがりとチーズの焼ける匂いが、頭をクラクラと回すんだ。
もう重罪だよ。逮捕。ど深夜にダメ。でも……
「食べてみなよ。食べちゃダメだっていう、背徳感を最後の調味料にしてさ……」
我慢できない。箸を持った記憶もない。口に入れた瞬間から染み渡る、体に悪い心の栄養。
美味しい? いや、そんなもんじゃないよ。飛ぶってこういうこと? あんまり美味しくて、体がビリビリ痺れちゃう。
あまりご飯を食べているイメージのない伊東さんだって、見たことがない蕩けるような表情で夢中で頬張ってる。
ポテトチップスのザクザク感、ご飯に沁みたチキンの味、チーズとマヨネーズなんて言わずもがな。
「ダメだってわかってるのに、食べちゃうよ……止まんないよ……」
「そう。だから皆には内緒なの。ネリーには食い尽くされる、学さんは太りやすい、宇吉と樺恋は寝てるし、お兄ちゃんもうるさそう。土方は大学の事で血を吐いてるし。祈に食べてることを知られたら殺される。その点伊東は黙ってるし、一緒に食べてくれるし、ゲームしながらだから適任なんだよ」
確かに。だから伊東さんなんだ。彼からしても、洋と居られるから好都合。
炊飯器が部屋にあるのも多分ここだけだろうし、部屋は隣で壁に扉があるから行き来しやすいよね。
――って、何で?
「何この扉!? ほぼ同じ部屋じゃんか!」
「今更? 別に2人で住んでた事あるんだから気にしてないよ。土方も学さんもちょいちょい来るし。樺恋も寝に来るぞ。なんなら晴太くんの部屋も貫通させたら?」
「オレが嫌なんですけど」
大した事じゃないって、洋は言うけどさ。守は幼馴染だから洋の事は家族全員が受け入れている。
伊東さんのお父さんも洋を気に入って、僕らの活動に惜しみなくお金を援助してくれる。
だからこそ部屋の間に扉があっても気にしないし、守が洋を気にして部屋に出入りするのもわかる。学さんはゲームだろうけどさ、彼の両親も洋の事は受け入れてるみたいだし。
なのに僕の家は違う。おばあちゃんは洋を敵扱いして、嫌いだと罵倒している。だから洋も、僕にはどこか一線引いているのかな。
だとしたら、おばあちゃんに呼ばれたのってチャンスじゃない? もっと気を使わず、僕も呼び捨てにされるくらいの距離になりたい。
言うなら今だ。言っちゃえ!
「本当は昼間に言おうと思ってたんだけどね。洋、寝てたから……」
「急に改まって何?」
「僕のおばあちゃんに会って欲しいんだ。めちゃくちゃ怒ってて、洋が青森に来ないなら、僕の事を辞めさせるって言うんだよ! いいの!? 僕が新撰組から居なくなっても!」
言いたいことを詰め込みすぎた。洋はポカンとしているし、僕の言葉を理解したかと思いきや、顔を歪ませていく。
「怒ってるって、アタシに!? やだよ! 行かない!」
「嘘でいいから! 僕に世話になってるってニコニコしてくれるだけでいいから! お願い! 僕のおばあちゃん怖く…………ないから!」
「間ァ!」
怖くないは嘘だ。忘れもしない15歳の冬。極寒の外での修行が嫌すぎて、「ババア!」なんて口走ったことがあった。
真顔でナタを持ちながら日暮まで追いかけて来た事があるから、怖くないわけないや。お年寄りとは思えないくらい足が速いしね。
というか、洋はあっさり「いいよ」って言ってくれると思ってた。樺恋ちゃんも宇吉さんも受け入れて、あの新見さんも許したじゃん。
なのに僕は受け入れてくれないって、何。
「えぇ……怒られたくないよぉ……」
「そうかい。じゃ、僕が居なくなってもいいんだね。それなら、この夜食の事もバラすし、車の修繕費も全額洋の口座から引かれちゃう。あと、禁忌も一緒に行ってあげないし、守や祈に怒られた時も庇ってあげられないね」
それじゃあ話は終わりだと立ち上がったら、足首をがっしり掴まれる。思わず前に倒れそうになる。けど、身体能力でカバーだ。
掴んだ手の主は勿論、洋。怒られたくないけど怒られなきゃ自分が困るから、目を回しながら足を止めてくる。
「わかった! 行ってあげるから、居なくならないで! 全部困る!」
そうだよね、そうこなくっちゃ。僕が居ないだけで、洋は穏やかに過ごせなくなるんだから。
僕の中でゾクゾクと、優越感と支配欲が芽生える。
「行ってあげる? じゃなくて、"行かせてください"でしょ?」
「行かせてください! お願いします!」
洋はどっちに転んでも嫌な思いをする。
けど、僕に居なくなってほしくなくて、感情が掻き乱されているのを見ると、どうしようもなく意地悪したくなるや。
「嫌がっているのでは?」
伊東さんが腕を組んで口を挟んでくるけれど、もう決まったんだ。
絶対に君に予定がある日に青森に行ってやる。そのお金に物を言わせてストーカー機能マシマシのスマートウォッチだって置いてかせるんだから。
「合意の上、だけど?」
ありがとう、おばあちゃん。洋には悪いけど、おばあちゃんのおかげでいい思いが出来そうです。




