バグ⑪山口と小田
土曜日の午後一番。
小田の病院に、過去一番緊張して行ったのは山口だった。
あの日以来、初めて会う。昨日は体調が悪くなり、小林ともう一人女子が会えなかったと聞いたので、自分もダメかもしれないと半ばあきらめていた。遠藤とコガワさんが行った時は急に顔色が悪くなったらしい。そういう時はさっさと帰るように小林に言われていた。彼女も今日来る予定だったが、どうしても抜けられない用事があって、一人で行くように言われたのだった。
「あんまり人数が多いと負担がかかるし、女子が行くと気を使うかもしれないから、山口だけならいいと思う。いい?一人で行くのよ。あんまり安定してないから。」
やたら一人を強調されたが、とりあえず分かったと返事をした。
一人で病院に行くのは少し気まずかったが、到着して、病室を開けたとき、その気持ちは霧散した。
「失礼しまーす。」
「んが、おう、もぐもぐ、久しぶり、山口。」
頭と首にも包帯を巻いた小田が、昼食を口に運んでいた。いつも通りの穏やかな顔に、急に普段の調子に戻った気がした。
「ごめん…ごめんな!小田!」
「えっ!?どうした山口?」
ずっと引っかかっていた。あの時急に走り出してしまったのは、もしかしたら急ぎの用でもあったのかもしれない、と。山口がコガワと帰りたいがために小田をダシにした結果、走り出してしまったのではないか、と。もしかしたら小田がケガをしたのは自分のせいなのかもしれない。
「ちょっと待て山口、お前そんなことずっと心配してたのかよ?全然違うから安心しとけよ。」
苦笑いの小田は、食事の手を止めて山口を見ていた。
「コガワさんも、心配しているみたいだった。お見舞いに来ただろ?」
「えっと、来てた、みたい?だな。」
そう言いつつ、小田はあらぬ方向を向いてしまった。少し汗を搔いていた。
「来てた、みたいって、お前なあ。」
そういえば小田は、クラスの女子の名前はまだ半分も覚えていないと言っていた。それはそれで山口にとってはありがたいことだが、お見舞いに来てくれた女子のことはさすがに認知するだろう。これがきっかけでもしも小田が、彼女を好きになったとしたら。
そうなったら、応援したい。これは全く嘘偽りない気持ちだった。
だから。
「あのさ、小田、俺に、気とか使わなくていいからな。」
「気?」
何のことかさっぱり見当もつかないという顔で、小首を傾げた。
「気、なんて一ミリも使ってないけど。」
「いや、俺に気を使って、コガワさんに話しかけづらいとかだったら、嫌だし。」
「は。」
その時の小田は必死だった。
「ないないないない、それはない、一番ない。どう考えてもあり得ない。」
「コガワさんのことなんとも思ってないの?」
「あり得ないね。俺は、遠藤とお前のどっちが告るか、高みの見物してるわ、俺は。」
全く何もわかってないくせに、たぶん部外者という意味で使っているだろうに。確かに、お前は高みの見物だよ。山口は思わず脱力してしまった。
「第一俺は、コガワ、さんって苦手なんだよ。得体のしれない感じが怖い。」
「お前が苦手とかって珍しいな。」
「ああ、だから、頼みがあるんだけど、二人きりとかマジでやめてほしい。ホントに苦手だから、怖いから、マジでやめてくれ!」
思いっきり左手で腕を掴まれて、半泣きで言われてしまえば了承せざるを得ない。
「わっ。わかったって。あー、だからお前ってコガワさんに対してぎこちないの?なんだ、苦手だったのかよ。」
「うん、そう、まあ怖いし、気味が悪い。」
すっかり肩を落とした小田が、力なくぼそりと言ってから、何かに気が付いたようにはっと顔をあげた。
「あ、悪い、今のは忘れてくれ。ごめんな。」
「え?」
「好きなやつのことそんなふうに言われたら嫌だよな、ほんとごめん。俺考えなしだった。」
真剣な眼差しで、まじめに謝罪している小田を見ていて、ふと思ったことがあった。
『もし、小田がコガワさんのことを好きでも、あいつはお人よしだから、きっと誰にも言わずになかったことにしそうだな。』
遠藤と話したことがあった。それがもし、逆だったら?
「もしかしてお前があの時、走って行ったのって、コガワさんがいたから?」
「あ、いやその。」
しどろもどろでさ迷う視線に、上手い言い訳を考えているのが丸わかりだった。
「おい、小田。」
少し強い口調で小田を見た。彼の肩がびくりと跳ねた。
「苦手なら苦手でいいじゃないか。よけーな気、使わないでいいって。何かに悩んていたとか、コガワさんと何かあった、とか。相談するにしても気を使ってたらできないだろ?俺に気を使わなくていいから言ってみろよ!全く一人でため込みやがって」
「あはははは、山口、ありがとう。」
張りつめていた何かが無くなったのか、小田は今まで手一番穏やかな顔をしていた。
「おい笑うなよ、俺は大事な話をしてたんだからな。」
「うん、すっげー心が軽くなった。」
そう言いながら、んーと伸びをしてベッドに横になった。
「一人で悩むのってよくないな。俺って、本当にバカだよな。」
その時カーテンの隙間から小田の母親が顔を出した。
「天、ちょっといい?先生がお見えになったわ。」
「あ、すいません、俺、今帰ります。」
山口は立ち上がって、小田の顔を覗き込んだ。
「じゃあな小田、また来るから。」
「山口、ありがとな、決心ついた。」
決心?そう思ったがごめんなさいね、山口君、と母親に言われてしまったので、また来ます、とドアのほうへ向かって行った。途中で白衣を着た若い先生とすれ違った。




