悪役令嬢の異世界ライフ
「...このままでは、死んでしまいますわね...」
知らぬ世界で目覚めたわたくしは、強烈な喉の渇きとダルいからだを動かして肉体の情報から階下のリビングに降りて冷蔵庫から冷えた経口補水液を口にした。はしたない、と言われる事ももうないだろうと、ペットボトルを一気に飲み干した後―――意識が飛んで、病院にいましたわ。
医師からの説明ですと、わたくしは熱中症で倒れたみたいですわ。
普段の食生活についても指摘を受けました。
この肉体の記憶から、フードデリバリーやカップヌードル、ペットボトル飲料等で生活をしていた事は理解しましたのでそれを伝えたところ改善した方が良いと仰ったのです。
鏡には、吹出物だらけの顔とぶくぶくと肥え太った成人女性の姿が映っていました。
「花香ちゃんが久しぶりに部屋から出て来たと思ったら倒れて、お母さんビックリしちゃったわ」
嗚呼、この名札フローラと読みますの?確か、東方の国で当て字と呼ばれるものですわね。出産ハイで命名したのかもしれませんが、どう見ても東方出身の顔立ちで花香は無いと思いますわ。
「心配かけてごめんなさい、お母さん」
少しでもこの世界の情報が欲しいので、わたくしは当たり障りなく返答します。
肉体の記憶から新社会人時代の出来事で引きこもりになった花香は乙女ゲーム、と言う所謂恋愛小説の様な物に没頭し、禄に両親とも会話しなくなった事を理解します。
...花香、会社で仕事もせずスマホを開いて噂話に興じていては誰でも指摘しますわよ...
「会社の先輩に虐められたの...」
と、両親には言っていますのね。
そして一人娘の可愛い両親は花香が引きこもりになっても止めずに好き放題させていたのですね?
血縁だからこそ、そこはしっかり指摘するべきではありませんの?
わたくしは、この世界で目覚める前の厳しくも優しく育ててくれた自分の両親に感謝します。
―――リリアナ・ディーテハルト侯爵令嬢。
王太子の妃候補として、学問、歌、ダンス、ピアノ、馬術、外交に必須な言語を5カ国のみならず15ヶ国の言語を修得し、魔法学校においても優秀な成績を修めていたわたくし。
魔法学校の卒業式の後の妃の選定で間違いなく王太子妃に選ばれるだろう、と言われていたわたくしは、外交で陛下が国にいないあの日、会った事も無い男爵令嬢への虐めを理由に候補から降ろされて首を落とされた。
転生して、新しい肉体を得た訳ですが断頭台の刃が落ちて来る瞬間を、
「罪を自覚しろ」
と、仰向けに寝かされて見たのは恐怖以外の何物でもありませんわ。
「花香ちゃん、なにか欲しいものはある?」
「ビーズが欲しいな。アクセサリーを作りたいの」
わたくしの作るアクセサリーには強い加護が宿ると評判だった。勿論、ムチムチのこの肉塊の様な肉体で細かい作業が出来るとは思わないので、大きめのビーズを使ったブレスレットくらいから始めるのが良いだろう。
―――その日、わたくしは夢を見るのでした。
◇◆◇
「嘘、アタシ、転生してる??」
鏡に映るのはふわふわのピンクブロンドの髪と青い目をした女の子だった。
「この顔、知ってるわ!最近やった乙女ゲームの主人公じゃん!!」
キャッキャと飛び跳ねて喜ぶ男爵令嬢は乙女ゲームのシナリオをひとつひとつ口に出して、「やっぱり、王太子ルートが安牌よね!」とグッと拳を握っていた。
「えーと、今が王国歴365年だから、...まだ父親の男爵に会う前か。確か、本編は5年後で、本編の始まる3年前に稀代の癒しの力を持つ男爵令嬢として男爵家に入るのよね!そして!!癒しの力と言う特異な魔術を持っている、って事で魔法学校に入学して、攻略対象達と恋を育むのよ!!」
「この世界では喪女とは呼ばせないわ!」と男爵令嬢は楽しそうにクルクルと回る。
「これ、母親が男爵から真実の愛の証として貰った魔法石のブローチ!!って事は母親死んだのね!!」
部屋を開けると、ベッドから起き上がって「騒がしいけれど、なにかあったの?」と言う母親の姿を見て男爵令嬢は首を傾げる。
「おかしいわね、この時期なら母親は病気で...」
「シシィが採ってきてくれた薬草のお陰で、最近はこうして起きていられる時間が増えたわ。ありがとう、シシィ」
母親の笑顔を見て男爵令嬢は凍りつく。
「母親が元気になったら困るわ...!!母親が病気で死んで、ひとりになったと言う庶子の噂話を耳にした男爵がアタシを探してくれないと、本編に入れないじゃない!!」
その日から、男爵令嬢は「良く効く薬だ」と偽って母親に毒を盛る様になった。表向きには母親想いの良い娘を演じ、母親が亡くなるとにんまりと厭らしい笑みを浮かべていた。
◇◆◇
2年生で魔法学校に編入した男爵令嬢は、噂の癒しの魔法を扱う事は無かった。―――正確には、出来なかった。
魔法の力は魂由来のもので、転生した男爵令嬢にはかすり傷を癒す程度の力しか残っていなかった。彼女はそれを、「アタシが元平民だと陰口を言う人がいるから、うまく力が発揮できない」と教師や王太子殿下に泣き付いた。
そして、「手料理」と偽って、市民街のパティスリーで購入したケーキを殿下に振舞った。禄に裏を取らない殿下はその「手料理」を信じ、その頃からわたくしに「良く分からない加護より目に見える手料理」と言って手料理を作る様に言った。
わたくしは、侯爵家と王宮の料理長に頼み込んで一通りの料理を修得したと言うのに、殿下は
「どうせ、使用人に作らせたのだろう?」
と1口も口にしてはくれなかった。
「なんでリリアナは学校にいないのかしら?」
「本編が始まったのに、これでは楽しめない」と男爵令嬢は口にした。
殿下に聞けば、婚約者候補は魔法学校の敷地内にある別棟で授業を受けている事くらいは分かったでしょうに。
「まあいっか。スチルはどんどん集まってるし、王太子様からアタシへの評価も良いしね!!」
殿下、どうしてあの様な脳内お花畑に心を惹かれたのかしら?
◇◆◇
「うーん...」
男爵令嬢は唸りながらブツブツと「イベント」について呟いている。
「リリアナに教科書やノートを破かれたり、頭から水をかけられたり、母親の形見のブローチを壊されたり、魔法で地下牢に閉じ込められるイベントがある筈なんだけどな...」
まだ校舎が別棟にある事も、わたくしに男爵令嬢を直接手に掛ける必要もないと知らないのでしょうね。
別棟にいるわたくしは男爵令嬢等眼中に無いし、仮に接点があったとて、侯爵令嬢が、「あの子、気に入らないわ」と言えば周りが勝手に動くものだ。
「そうだわ!王太子様は割と単純だし、自作自演したって気が付かないよね!」
わたくしの処刑に集められた「証拠」と「証言」が王太子やその婚約者候補の身の安全の為に配備されている王家の影に裏を取れば真実がハッキリする事だと少し考えれば分かる事をしなかった殿下に対する評価は、そこだけは男爵令嬢の発言に納得する。
嗚呼、こうしてわたくしは、冤罪を背負わされたのね。
◇◆◇
わたくしの罪の正当性を立てる為、男爵令嬢に対する虐めだけでは無く、当時国内の王太子派の上位貴族が手を染めていた事業の不正、人身売買、武器密輸、横領、殺人等の犯罪行為も全てわたくしひとりに擦り付けられた。
冷たい独房で、無実の証明の為に影と協力していたけれどまさか独房に入れられた翌日に裁判も無く断頭台に掛けられるとは思ってもいなかった。
「―――私を廃嫡するとは、正気ですか、父上!!」
憤慨している王太子に「黙れ、この愚息が!!」と怒鳴りつけているのは外交から戻って来たとみられる国王陛下だった。
陛下は影が総力を集めて手に入れた「無実の証明」を王太子に滔々と語り、殿下を廃嫡し北の幽閉塔に生涯監視付きで軟禁する事と、第2王子殿下を新たな王太子として立太子する事を告げた。
花香の持つ乙女ゲームには、わたくしが生まれた世界に似たものがあり、王太子を含めた5人の攻略対象も、隠しキャラである第2王子も、それぞれのルートの悪役令嬢も全て知っている。
「大好きな乙女ゲームに転生した」と喜んでいた男爵令嬢は男爵家から追放され、生殖機能を奪われた上で鉱山で労働刑に就いたそうだ。
この夢が、わたくしの願望等ではなく、事実であれば良いのに、と思いながらわたくしは眠りから目を覚ました。
◇◆◇
「香織さん、疲れていませんか?」
「いいえ?寧ろ次々とアクセサリーのデザインが湧いて来て、はやく形にしたくて堪らなくて仕方ないわ」
花香転生して3年。
今は、この世界で宝飾デザイナーとして仕事をしている。
退院後から始めた運動、食事制限、スキンケアの甲斐もあり、転生直後は重量100kg超えの花香の肉体は一般的な成人女性と同じ体格に落ち着いた。
太りやすい体質の様なので、今でも運動や食事制限は欠かさず行っている。
それから、花香と言うこの世界で言うところのキラキラネームから、「香織」と言う名前に改名した。
花香の両親、―――特に母親の方は
「親が愛情を持って付けた名前を、いったい何だと思っているのか!!」
と荒れていたけれど、荒ぶる母親を父親が諌めてくれた。
わたくしはこの世界で、普通の日本人として生きていくのだとわたくしの傍らで微笑む友人と共に強く決意を固めて行くのだった。
正ヒロインの肉体には花香が、日本に転生したリリアナの友人の肉体には本来の正ヒロインシシィがいます。