第2話「春アニメ感想会」(2019年5月)
ゴールデンウィークが終わり、大学のキャンパスには初夏の日差しが差し込んでいた。サブカル部の部室では、窓を全開にしても充満する熱気と、積み上げられたお菓子の山。テーブルを囲んだ七人の視線は、一斉に壁に映し出された映像に注がれていた。
「はーい、では令和最初のサブカル部・春アニメ感想会を始めまーす!」
佐伯がリモコンを高々と掲げて宣言すると、小野寺と藤井が小さく拍手した。
「気が早いぞ、佐伯」高橋が眼鏡を上げながら指摘する。「厳密には令和になってまだ五日しか経ってないんだからな」
「まあまあ、そこは細けぇこたぁいいじゃねぇか」佐伯が肩をすくめる。「それより、みんな今期は何観てる?」
藤井が勢いよく手を挙げた。「私!『フルーツバスケット』リメイク版!原作全巻持ってて、前のアニメも観たけど、今回の方が原作に忠実で、作画も綺麗だし、もう尊すぎて…」
「おー、そんなに熱いんだ」佐伯が笑った。「俺はいろいろ観てるけど、やっぱり『鬼滅の刃』だな。あの19話の作画はマジで歴史に残るレベル」
「えっ?」山田が首を傾げた。「まだ5月ですよね?19話ってのは未来の話では?」
佐伯が慌てて手を振る。「あ、ごめん!言い間違えた!1話だ、1話!気が早すぎた!」
高橋が冷静に言った。「佐伯はときどきそういう発言をするんだ。未来からタイムスリップしてきたんじゃないかと疑ってる」
「そんなわけないだろ!」佐伯が笑う。「ただの言い間違いだって」
「ところで、物理的にタイムスリップが可能かという議論は面白いテーマでして」高橋が急に真面目な顔になる。「特殊相対性理論によれば…」
「ストップ!」小野寺が両手で制止する。「また始まった。高橋くんのマニアックトーク」
松田が珍しく口を開いた。「俺は『ワンパンマン』2期。1期の方が作画良かったけど」
皆が驚いたように松田を見た。彼はそれだけ言うと、また黙り込んだ。
「それは確かに」中村が静かに同意した。「1期のマダハウスから2期はJ.C.STAFFに制作会社が変わって、作画の質が…あ、すみません」突然自分の発言に気づいたように中村は口を閉じた。
「いや、全然大丈夫だよ!」佐伯が嬉しそうに言う。「中村くん、アニメの制作事情にも詳しいんだね!」
「いえ…マンガ読むついでに調べる程度です」中村は少し頬を赤らめた。
「私は『賢者の孫』かな」小野寺が言った。「なろう系だけど、ラブコメ要素もあって楽しいよ」
「なろう系ね…」山田が眉をひそめた。「あのジャンルはいつも同じような展開になりがちで…」
「論理的には効率的な手法ですよね」高橋が口を挟む。「定型的な願望充足パターンを用いることで、読者の期待を裏切らず、かつ執筆リソースを最小限に抑えられる」
「でも、文学的価値という観点からすると」山田が静かに反論する。「革新性や創造性が犠牲になっているとも言えます」
「おっと、文学論争の予感」佐伯が手を叩いた。「それも面白いけど、今日は春アニメ感想会だからね!他には?」
中村がおずおずと手を挙げた。「昨シーズンからの継続ですが、『ドロヘドロ』は独特の世界観が…」
「おお!」佐伯の目が輝いた。「あの不条理さがいいよな!林田球の原作も最高だよ」
「実は私も観てます」山田が意外そうに言った。「文学的な解釈も可能な深い作品だと思います」
「へえ、意外な共通点」藤井がクスクス笑う。「私はアイドルアニメ派だから、『アイドルマスター シンデレラガールズ劇場』とか『キラッとプリ☆チャン』とか」
「へぇ〜」小野寺がニヤリとした。「さくらちゃんって、そっち系なんだ〜」
「だって可愛いじゃん!」藤井が反論する。「それに、『ラブライブ!』とかの影響でアイドルアニメのクオリティ上がってるし」
「まあ、どのジャンルもそれぞれ魅力があるから」佐伯が仲裁するように言った。「多様性こそサブカルの醍醐味だよ」
「佐伯さんは何でも観るんですか?」山田が質問した。
「大体ね」佐伯が笑う。「でも、特に90年代後半から2000年代のアニメが好きだな。『エヴァンゲリオン』とか『カウボーイビバップ』とか…あれは文化だからね」
「あー、また始まった」高橋が溜息をついた。「佐伯の『文化だから』理論」
「だって文化じゃん!」佐伯が真剣な顔で言い返す。「あの時代のアニメがなかったら、今のアニメ文化は存在しないんだぞ。中村くんも山田さんも、ぜひ古典に触れてほしいな」
「私、『攻殻機動隊』は読みましたよ」山田が言った。
「おー、素晴らしい!」佐伯が拍手する。「『GHOST IN THE SHELL』こそ日本の誇るSFの傑作だ!世界的に…」
「ちょっと」藤井が割り込んだ。「感想会なのに、語りになってない?それに、お菓子減ってきたよ」
松田がいつの間にか大きなポテトチップスの袋を独占していることに皆が気付いた。
「松田、それ皆のだぞ」高橋が指摘する。
「あ…」松田は無言でポテトチップスを差し出した。
「ところで」小野寺が話題を変えた。「今期アニメの中で、みんなが萌えたキャラは誰?私は『文豪ストレイドッグス』の太宰治!」
「わかる!」藤井が頷いた。「でも私は『鬼滅の刃』の炭治郎かな。あの優しさに惹かれるっていうか…」
「炭治郎は主人公の鑑だな」高橋が真面目な顔で言った。「日本の少年漫画主人公の系譜を考えると、彼の位置づけは…」
「あ、また始まった」佐伯が笑った。「高橋の考察モード」
部室のドアが突然開いた。サブカル部の顧問である村上教授が顔を出した。「おや、賑やかだね。新入部員も入ったようで何より」
「村上先生!」佐伯が立ち上がる。「いらっしゃい!今、春アニメの感想会をやってるんです」
「そうか」村上教授は優しく微笑んだ。「邪魔はしないよ。部費の申請書類を持ってきただけだから」
「あっ、すみません、忘れてました」佐伯が慌てて書類を受け取る。
「楽しそうで何より」村上教授は部室を見回した。「若いっていいねぇ」
教授が去った後、佐伯は書類をため息とともに眺めた。「あー、部費申請忘れてた。小野寺、会計として手伝ってくれ」
「はーい」小野寺が気軽に答えた。「でも、使い道は考えておいてよね」
「そうだな」佐伯が考え込む。「今年はどうする?去年みたいに同人誌作る?それともDVD買う?」
「同人誌いいですね」山田が少し興味を示した。「私、小説書いてますし…」
「おお!」小野寺の目が輝いた。「山田ちゃん、文章書けるの?私、絵担当だから文章書ける人欲しかったんだ〜!」
「まあ、それは後で相談な」佐伯が笑った。「とりあえず、感想会続行!次は『進撃の巨人』3期Part.2について語ろうか!」
窓の外では、キャンパスの新緑が風に揺れていた。部室では七人のヲタクたちが、思い思いの言葉で好きな作品を語り合い、時には議論し、時には共感し合う。二時間後、彼らはそれぞれの寮やアパートへと帰っていくが、心の中では次の部会を静かに楽しみにしていた。
そして、部室に最後まで残った佐伯は、書類に向かいながら呟いた。
「これも文化だからな」