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第四話 三年前の涙

「ヘルミーネの話とは何ですか? 妹の身に何かあったのですか!? まさか誘拐されたんじゃないでしょうねッ!」


 興奮して取り乱すマッドリーを少しもて余しながらも、グロリエンは気にしない様子で話を続けた。


「どうして誘拐なんて話になるんだよ」

「可愛いからに決まっているでしょ! ヘルミーネほど可愛い女性はこの世に存在しませんからなッ!」

「はぁ、お前は本当にシ……」


 その後に続く言葉を危うく飲み込み自制したグロリエンであったが、マッドリーは紛うことなきシスコンである。それも極度のシスコンなのだ。

 仕事も私生活も全ての面において冷静沈着で有能なこの男は、妹のヘルミーネの事となるとその全てが溺愛馬鹿兄へと変貌する。


「とにかく誘拐ではない。ヘルミーネの婚約についての話だ」

「婚約? また婚約者が身の程を弁えて婚約の破棄を願い出てきましたか? 無論そうでしょうとも、奴らごときがヘルミーネの夫になるなどおこがましいにも程がある!」

「おいおい理不尽すぎるだろ。そもそもヘルミーネの婚約を決めて来るのはお前だという事ではないか」

「そうですが、それが何か?」

「何かって、お前大丈夫か……」


 まったくもって筋の通らぬ理不尽な話である。しかしマッドリー本人にはその自覚は当然ない。むしろ束の間でもヘルミーネの婚約者となれる彼らは、きっと喜んでいるに違いないとさえ思っていた。

 そんな狂った男をグロリエンは自分の側近にしているのだ。何だか本気で大丈夫じゃない様な気がしてきて、思わず頭を抱え込んでしまった。


「いや、まあいい……」


 色々と言いたい事はあったが、しかし肝心な話はまだしていないのだ。マッドリーがヘルミーネの婚約を決めてくる理由に、自分と何の関係があるのかを知らねばならない。

 グロリエンは彼の狂いっぷりは無視する事にして、一番知りたかった事をとにかく尋ねることにした。


「ヘルミーネの婚約に関する殿下との因果関係ですか? もちろんありますとも。やれやれ、殿下があの日の事をお忘れになっていたとは怪しからんですな!」


 超記憶力の加護を持つマッドリーは己の記憶に忠実である。ゆえに話の捏造はあり得ない。

 彼はグロリエンだけが忘れている過去の出来事を、不必要なほどに詳しく話して聞かせ始めたのである。


「あれは三年前の九月二十日、よく晴れた日の昼下がりの事です。殿下と私、それにヘルミーネの三人で城の練兵所にて剣術の稽古をしておりました」

「ほう、そんなこともあったかな」

「ありました。ヘルミーネはポニーテールにした髪を黄色のリボンで結び、蔓草模様の刺繍のある白のシャツを可愛いく着こなして、まるで少女とも淑女ともつかない妖精の様な神秘的さで──ああ、なんて可憐な十四歳の時の我が妹!」

「おいっ、その辺は割愛してさっさと理由とやらを教えてくれ!」


 ヘルミーネの姿を思い出しながらウットリと話していたマッドリーは、グロリエンに話の腰を折られ不満気に鼻を鳴らした。


「フン、まったく我が儘なお人だ。要するにですな、その時に殿下がヘルミーネに言った無慈悲な言葉で、私は婚約者を探す事に決めたのですよ」


 聞いてみればグロリエンの他愛のない負け惜しみが原因であった。

 その日もいつものごとく試合で一度もヘルミーネに勝てなかったグロリエンが、『お前のような筋肉女は一生結婚なんか出来るものか!』とからかったのである。


 普段そういう暴言を吐かないグロリエンであったが、その日はよっぽど悔しかったのであろう。ついそんな負け惜しみを言ってしまったのだ。

 いつものヘルミーネなら怒って間違いなく喧嘩になる出来事であった。しかしこの時に限ってはそうはならなかったらしい。


「ヘルミーネはその無慈悲な殿下の言葉を聞いて顔を真っ赤にすると、ぽろりと真珠の様な涙を一粒溢したのです」

「えっ! あのヘルミーネが泣いた?」


 どうやらその時の感情が蘇ってきたマッドリーは、殺意さえも感じるような冷たい目をしてグロリエンを睨みつける。


「ええ本当ですとも。もしそう言ったのが殿下でなければ、私はヘルミーネを泣かした者を社会的に抹殺していたでしょう」

「そうか……それはゴメン、なさい」

「許すつもりはないので謝罪は結構です」

「え? あ、うん……」

「しかし妹の名誉だけは守らねばなりませんからな。あの世界一可愛いヘルミーネなら結婚相手などいくらでも居る事を、私は証明せねばなりません。ですから婚約者を調達しているのです」


 なるほど聞いてみれば確かにヘルミーネの婚約に関して、その原因はグロリエンにあったようである。


「当然ですが婚約者どもにヘルミーネと結婚させるつもりはありませんがね。私は妹の名誉を守りたいのであって、夫を探したい訳ではありませんから!」


 常軌を逸したマッドリーの行動であったが、理解できないこともない。しかも自分が不用意に言った残酷な言葉が原因である以上、グロリエンとしては迷惑をかけてしまっているヘルミーネに謝罪せねばと思っている。

 それに三年前の事であるとはいえ、彼女を悲しませ涙を溢させたという事実がグロリエンの胸を締めつけた。


(ヘルミーネ──すまぬ)


「なあマッドリー。ヘルミーネを茶会に招待して俺のした無礼を謝罪したいのだが、公務の予定を調整することは可能か?」


 いつのまにか仕事に戻って書類を書いていたマッドリーは、ペンを走らせていた手を止めて尋ねる。


「それはヘルミーネの名誉を回復したいと言う事ですかな?」

「うん、そうだ」

「ふむ、分かりました、そのように調整し手配しておきましょう」


 ありがとうと感謝を述べたグロリエンの表情がいつになく真剣であったのを見たマッドリーは、僅かに頬を緩めながら「よい心掛けです」と独りごちるのであった。


 ◇*◇*◇


 王宮から王都にあるロックス公爵家の別邸へと戻っていたヘルミーネは、相変わらずモヤモヤとした気持ちのままでいたようだ。

 私室のベッドで枕を抱えて寝転びながら、じっと天井を見つめて深く息をついた。


(結局のところ私の八つ当たりよね。あの日グロリエン様が言った負け惜しみなんて、いつもなら聞き流すか軽くぶん殴ってお仕舞いにしてきたような事なのだもの)


──そう、タイミングが悪かったのだ。


 男女の機微に奥手だったヘルミーネは、十四歳になってようやく異性を意識しだした。言うまでもないが社交界デビュー前の公爵家の令嬢に、異性の友人など滅多に出来るものではない。

 しかもヘルミーネの場合、グロリエンの従者となった兄のマッドリーと共に宮廷での教育を受けている。それは特別な計らいによることゆえ、学友などは一人もいなかった。


 以上のような事情からも男女の別なく友人を作る機会自体が少なかったワケだが、実は他にも友人が出来なかった理由がある。

 ヘルミーネの筋力強化の加護を恐れた子供たちが、彼女を除け者にしたのだ。その結果、幼心にも悲しみを覚えたヘルミーネは人見知りとなり、自らも子供たちから遠ざかるようになった。


 しかしそんなヘルミーネに対して、グロリエンだけは彼女を好んで連れまわしたのである。ヘルミーネが迷惑そうにしてもお構い無しにだ。

 かなり強引なグロリエンであったが、やがてヘルミーネは彼にだけは少しずつ心を開いてゆく。


 一人ぼっちだったヘルミーネが明るさを取り戻すにつれ、彼女はグロリエンの事が特別な存在に思えてきた。悲しみや寂しさから救いだしてくれるヒーローのような人だと。

 そんな特別な気持ちが恋心へと変っていったのは、ごく自然な成り行きであろう。むしろ十四歳まで気づかなかったのが不思議なくらいである。


 一度その恋心に気づいてしまうと、ヘルミーネは寝ても覚めてもグロリエンの事を考えるようになった。

 乙女らしい妄想は二人の結婚にまで広がってゆき、眠れない夜を過ごしたりもした。そんな日々の中での出来事であったのだ、『お前のような筋肉女は一生結婚なんか出来るものか!』とグロリエンに言われたのは。


 正直それが失恋だと考えるのは大袈裟だ。しかしヘルミーネにとってはそれにも似たショックを受けたのは間違いない。

 現に今でもその時の事を思い出すと、胸が痛くなって仕方がないのだ。それなのにグロリエンはあの日の事をまったく覚えている様子が無かった。


(はぁ。グロリエン様は私の事なんか何とも思ってないのかな……)


 悲しい気持ちでそう思うと同時に、ヘルミーネの心には激しい怒りも湧いてくる。

 まったく情緒不安定もいいところだが、いましばらくは彼女の心のモヤモヤは消えそうにない。


(ああムカつく! 絶対に素敵な令嬢になって、グロリエン様をぎゃふんと言わせてやるんだから!)


 そんな気持ちを抱えたまま数日過ごしていたヘルミーネの元に、茶会の招待状が届けられた。むろん差出人はグロリエンである。

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