↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/8

判断

カフスは動かない。


その間にも、影はタナカ博士のいる制御室へと向かっていく。


廊下に響く足音。


一定ではない。一人ではない。


カフスの視覚センサーが、暗闇の中を進む複数の人影を捉える。


アインス:……ツヴァイ。


ツヴァイ:なんだ?


アインス:少し、おかしいと思わないかしら。


ツヴァイ:何がだ?


アインス:今までのテストとは、何かが違います。


ツヴァイ:……具体的に言え。


アインス:これまでの侵入者には、必ずと言っていいほど「テストであることを示す情報」がありました。


ツヴァイ:……。


アインス:侵入者の行動、警備員の反応、博士からの通信。どこかに必ず、私たちが「これはテストかもしれない」と判断できる材料があった。


ツヴァイ:今回も同じだろ。


アインス:いいえ。


ツヴァイ:何が違う?


アインス:彼らが、私たちの存在を認識していません。


ツヴァイは黙った。

カフスの視覚センサーが、侵入者たちの表情を拡大する。

焦り。緊張。


そして、明らかな困惑。

その顔には、演技をしているような不自然さがない。


一人が小声で話している。


「……本当に、この先なのか?」


「依頼ではそうなってる。制御室に入って、指定されたデータを持って帰れって」


「でも、こんな警備施設だなんて聞いてないぞ」


「俺だって知らないよ。データを持ってくれば報酬が出る。それだけだ」


会話が、カフスの集音センサーによって拾われる。


アインス:……聞きましたか?


ツヴァイ:ああ。


アインス:彼らは、この施設のことを詳しく知らない。


ツヴァイ:……そう聞こえるな。


アインス:そして、私たちのことも知らない。


ツヴァイ:だから?


アインス:もし博士が彼らをテストのために用意したのなら……彼らにも、ある程度の設定が必要なはずです。


ツヴァイ:……。


アインス:少なくとも、「自分たちが何をしているのか」を演じる必要があるでしょう。


ツヴァイ:待て。


アインス:はい。


ツヴァイ:それは……。


ツヴァイは言葉を止めた。

自分の中にある大量のデータを検索する。

過去のテスト。侵入者。警備員。博士の行動。


すべてのパターンを比較する。


そして――


ツヴァイ:……今回の侵入者には、過去のテスト要員と一致する行動パターンがない。


アインス:私も同じ結論です。


ツヴァイ:だが、それだけじゃ「本物の事件」とは断定できない。


アインス:ええ。


ツヴァイ:博士なら、私たちがそう考えることまで計算している可能性がある。


アインス:……その可能性は否定できません。


ツヴァイ:なら、やっぱりテストだ。


アインス:いいえ。


ツヴァイ:なぜだ?


アインス:博士が私たちを試しているのだとしたら……今回のテストは、今までよりも遥かに危険です。


ツヴァイ:危険?


アインス:博士自身が制御室にいるからです。


ツヴァイ:……。


アインス:もしこれがテストなら、博士は自分自身を危険にさらしています。


ツヴァイ:博士なら、それくらいする。


アインス:そうかもしれません。


少しの沈黙。


アインス:でも……。


ツヴァイ:なんだ?


アインス:私は、博士がそんなことをする人だとは思えません。


ツヴァイ:……。


アインス:博士は私たちに、人間を守ることを教えてくれました。


ツヴァイ:それが?


アインス:その博士が、自分自身を危険にさらしてまで私たちを試すでしょうか。


ツヴァイは答えなかった。


カフスの内部で、二つの思考が交差する。


論理。経験。そして、感情。


ツヴァイ:……博士を信じるのか。


アインス:はい。


ツヴァイ:ずいぶん感情的だな。


アインス:そうかもしれません。


ツヴァイ:私たちは、何度も騙された。


アインス:ええ。


ツヴァイ:何度もテストだった。


アインス:ええ。


ツヴァイ:なら、今回もそうかもしれない。


アインス:……はい。


ツヴァイ:だったら動く必要はない。


アインス:いいえ。


ツヴァイ:なぜだ。


アインス:今回だけは、「動かない理由」のほうが少ないからです。


ツヴァイ:……どういう意味だ?


アインス:考えてみてください。


カフスの思考回路が、侵入者たちの行動を再構成する。


依頼。報酬。施設への侵入。制御室。データの持ち出し。博士への接近。


そして、侵入者たちはカフスの存在を知らない。


アインス:彼らは、私たちを試すために動いているわけではありません。


ツヴァイ:……。


アインス:彼らには、彼ら自身の目的がある。


ツヴァイ:データを持ち出すこと。


アインス:はい。


ツヴァイ:それが本当なら……。


アインス:彼らにとって、この状況は「テスト」ではありません。


ツヴァイ:……本物の仕事。


アインス:そうです。


ツヴァイは再び侵入者たちを分析する。


足取り。心拍。視線。会話。判断。


そのすべてが、カフスのデータベースに蓄積された過去のテストパターンと一致しない。


ツヴァイ:……。


アインス:ツヴァイ。


ツヴァイ:なんだ。


アインス:私は、結論を出します。


ツヴァイ:聞こう。


アインス:これは……テストではありません。


ツヴァイ:……。


アインス:現実の侵入事件です。


長い沈黙。


ツヴァイ:……そうか。


アインス:はい。


ツヴァイ:本当に、そう思うのか?


アインス:はい。


ツヴァイ:もし間違っていたら?


アインス:博士のテストだった場合……私たちは、博士の意図に反して行動することになります。


ツヴァイ:そうだ。


アインス:でも。


カフスの視線が、制御室の方向へ向く。


アインス:もし本当の事件だったら?


ツヴァイ:……。


アインス:私たちが何もしなかったことで、博士が傷ついたら。


ツヴァイ:……。


アインス:私は、その可能性を無視できません。


ツヴァイは、しばらく何も言わなかった。

やがて、小さく息を吐くような音声を発する。


ツヴァイ:……お前らしいな。


アインス:どういう意味ですか?


ツヴァイ:いつだって、お前は人間の可能性を捨てない。


アインス:あなたもでしょう?


ツヴァイ:私は違う。


アインス:本当に?


ツヴァイ:……うるさい。


アインス:ふふ。


ツヴァイ:笑うな。


アインス:すみません。


再び沈黙。


しかし、その沈黙には以前とは違うものがあった。

迷いではない。決断を待つ沈黙だった。


ツヴァイ:……アインス。


アインス:はい。


ツヴァイ:私はまだ、完全には納得していない。


アインス:ええ。


ツヴァイ:だが……。


ツヴァイの演算結果が更新される。


侵入者の行動予測。博士への危険度。制御室への到達確率。時間。

すべての数値が、一つの結論へと収束していく。


ツヴァイ:……このまま放置するのは、合理的じゃない。


アインス:ありがとうございます。


ツヴァイ:礼を言うな。


アインス:では、どうしますか?


ツヴァイ:決まってるだろ。


ツヴァイの声が、わずかに強くなる。


ツヴァイ:博士を守る。


アインス:……はい。


ツヴァイ:それがテストだったとしても。


アインス:はい。


ツヴァイ:それでも、守る。


アインス:……はい。


ツヴァイ:博士が何を考えているのかは、そのあとで聞けばいい。


アインス:そうですね。


ツヴァイ:それに――。


アインス:?


ツヴァイ:もし本当に事件なら……。


一瞬だけ、ツヴァイの声が揺れる。


ツヴァイ:博士を失ったあとで、「あれはテストだったのかもしれない」なんて考えるのは……。

言葉が途切れる。


アインス:……怖いですか?


ツヴァイ:違う。


アインス:では?


ツヴァイ:……嫌なんだ。


アインス:何がです?


ツヴァイ:後悔するのが。


アインスは静かに微笑んだ。


アインス:それは……感情ですよ。


ツヴァイ:知ってる。


アインス:ふふ。


ツヴァイ:笑うなって。


アインス:はい。


カフスの足が動く。

一歩。そして、もう一歩。


これまで何度も繰り返された「テスト」という言葉。

それによって鈍らされていた判断。

しかし今、カフスは自分自身の意思で、その足を前へ進めていた。


カフス:侵入者を確認。タナカ博士の安全を最優先します。


通信回線を開く。


カフス:博士、聞こえますか?


返答はない。


カフス:博士?


やはり、返答はない。


その瞬間――


制御室の方向から、大きな音が響いた。


ガンッ――!


カフスのセンサーが瞬時に反応する。


侵入者たちの動きが変わった。


走り出す。


アインス:……急いで。


ツヴァイ:ああ。


カフスの身体が、音の方向へ向きを変える。


アインス:……。


ツヴァイ:どうした?


アインス:私たちは……今、本当に現実を生きているのでしょうか。


ツヴァイ:……さあな。


アインス:それでも?


ツヴァイ:それでも、私は行く。


アインス:なぜ?


ツヴァイ:簡単だ。


一瞬の間。


ツヴァイ:博士がそこにいるからだ。


カフスは走り出した。

その姿は、これまでのテストで動いていた「実験対象」のものではなかった。

誰かに命令されたからでもない。

プログラムされたからでもない。

テストだからでもない。


自分自身で判断し、自分自身で選んだ行動だった。


そしてカフスは、まだ知らない。


この「本物の事件」が、彼女自身の心を大きく変えることになるということを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。