賢者は旅の終わりを見届ける
レムルス王国の首都、レムルス。魔王が討伐され、その討伐を成し遂げた勇者が王となり立て直した国。
その最上階、英雄の部屋で眠る男がいた。
初代国王、英雄レムルス。彼の部屋だった。
先程までは孫達がいて少しこの部屋も賑やかだったがそれもすっかり落ち着いていった。去っていく子供達に手を振り返す体力も失われていく自分に驚きと諦めが混じる。しわくちゃになった手を見つめながら目を閉じて懐かしい日々を思い出す。
賑やかで、苦難に満ちていて、それでいて満たされた旅路の数々を。
魔王討伐を終え、この国に帰ってきてからも僕は忙しかった。魔王討伐の旅をずっと支えてくれていた妻と小さい頃からの悪友だった親友と共に、この国を立て直すことに必死だったのだ。
そしてあの二人は数年も前に逝った。そうして次は僕が二人元に向かうことになるのだろう。
あの二人はなんというだろうか。お疲れ様というだろうか。早い、と怒るだろうか。昔のようにあの二人と笑えるだろうか。
そして同時に、残されたあの子のことを考えてしまう。僕らが逝った後も何処でずっと生きているであろうあの子のことを。
そんなことを考えていると閉まっていたカーテンがいつの間にか開き、満月が僕を照らしていた。
「……久しぶりだね」
「…起きていたのか」
一瞬で僕の前まであの子はやってくる。見つめようとすると不思議と周囲がぼやけてしまい、それを捉えることを決して許さない。だがそんなことなど気にせずに話し続ける。
「ふふっ、これでも勇者だからね」
「ふんっ、死にかけの身で何をいう」
そう言って目の前にいるそれはこちらを恐らく見つめている。
僕らの旅を見守り、支え、導いてきた始まりの賢者。そして、誰の目にも映らない不可視の賢者。
自らの魔力の多さを制御しながらもかすかに漏れ出る魔力が姿を覆い隠し、そこにいるのに誰もその姿を、素顔を見ることはできなかった。
そんなこの子は旅を終え、国に戻った時には忽然と姿を消していた。
それからは短い時は数ヶ月、長い時は数年単位でしか姿を見せない僕らの仲間。
「今日はどうしたんだい?」
「……もう会うこともないだろう友に、別れを告げに来ただけだ」
この子の表情を見ることはできないけども、声には感情が乗りやすい子だった。
「悲しんでくれるんだね」
「……別れはいつだって寂しいものだ。人は脆く簡単に壊れ、簡単に死んでいく。それは凶器となり、我の心と記憶に深く決して癒えぬ傷を付けていく」
「…そうだね」
「貴様らはいつだってそうだ。我は一人でいたかったのに、人の暖かさを知った。我が姿を消しても貴様らはいつも我を見つけ出す。旅が終わればここが我の家だと、いつでも帰ってこいと笑い、暖かく出迎える」
「……なのに…なのに…貴様らは我を置いて逝く。あの二人も、我を置いて逝った。そして貴様もそう遠くないうちに逝くのだろう」
「……こんなことならっ!こんなことならっ!人など、愛など知りたくなかった!!こんな苦しい思いをするくらいならば、貴様らになんぞ会いたくなかった!」
「……そう思えたならば、そう言えたのであれば…どれだけよかったのだろう…。だが言いたくない、我は、我の心に嘘などつきたくない…」
「どうしてだ…?何故貴様らは我を置いてくのだ…?本当は我のことが嫌いなのか…?」
…この子のこんなところを見たのは初めてだった。シーツに水滴がポタポタと落ちていく。
「そんな姿のキミを見たのは初めてかもしれないね」
「…っ!うるさい!」
「ふふっ、ごめんね。僕はね、ううん。僕らはね、君のことが大好きだよ。君は猫みたいに気紛れで気分屋だけど戻ってくる時も急だから大変だったけど、その分君は平和になった世界をあまり外に出れない僕らの代わりに見て教えてくれた。そんな時間は僕らにとってかけがえのないものだった。次はいつ君が帰ってきてくれるだろうか。と僕らはずっと待っていたんだよ」
「……ふっ、そうか。その言葉が聞けただけでわざわざ来た甲斐があった」
そう言ってほんのり笑い声を発したと同時に靄がゆらりと動き移動し始めた。
「……行くのかい?」
「あぁ。あまり長居してもいいことなどないからな」
「……そっか…最後にいいかな?」
「…我にできることならな」
「君の顔を、見せてくれないかな?」
僕らはずっと知っていたのだ。魔力が靄となりあの子を覆っていることを。それと同時にあの子はその靄をも制御し、姿を見せることもできたのだ。それをしなかった理由は今となっては知る由もないが。
「…貴様もあの二人と同じことを願うのだな」
手で埃を払うように振ると靄が霧散していく。そしてそこに現れた月明かりに照らされた腰まで伸びた白い髪をした幼い少女。
「これが我の姿だ。がっかりしたか?」
「…いいや。大満足さ」
「ふっ、そうか。それじゃぁ……さよならだ」
そう言って窓へと向かう彼女はできるならば止めたかった。だがもう僕の身体は満足に動かすこともできなさそうだ。ならせめて、何か一言だけでも伝えたい。僕の生涯に感謝を込めて。
君がいたから魔王を倒せたのだと。
君が見守ってくれていたから頑張れたのだと。
伝えたい、せめて、精一杯の感謝を。
「ーー!」
まだ僕にこんな声が出せたのかと思う程な声を張り上げ、彼女を呼び止め、振り向く彼女に言葉を投げ放つ。
「また、会おう、絶対に」
そんな一言に彼女はクスリ、と笑うとあぁ、またな。といって部屋を出た。
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「…今夜はいい満月だ」
夜風がパタパタと髪を煽り乱していく。王城の屋根の上から見るこの国は初めて見た時よりもずっと発展し、ずっと豊かだった。
「………貴様らと過ごしたあの時間は我にとって宝物だった。その礼を我は貴様らと民に魔術によって返そう」
片手でゆるり持ち上げた自分の体よりも大きな杖、そこから空へ放たれた一筋の光、空で波紋し、術式を空へと描き出す。
「………最後に、貴様らにも見えるように最高の景色を見せてやろう。いつの日か、感想を聞かせてくれたらそれでいい」
ざわざわと街が少しざわつき始める。それと同時に空より光が降り注ぐ。
歓声が下から聞こえてくる。
「…さようなら。我が友達よ。またいつの日か、会える日を楽しみに待っている」