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水姫の力

 怒鳴り合う男たちの間をすり抜けて水姫は夜従の部屋へと急いだ。

 通路を進む間にも嫌な想像を掻き立てる声が耳に飛び込んでくる。


「傷が深い。助からないんじゃないか」

「あの王が手傷を負うなど!」

「なんだって精霊の力があって、こんな事態になったんだ!」


 言葉に急き立てられながらたどり着いた夜従の部屋の前にも厳しい男たちがひしめいていた。


「王はどうしたんだ、王に会わせろ」

「傷は深いのか、どうなってんだ」


 男たちの剣幕にも動じず、扉の前に立っている男の姿が見えた。いつも扉の前に控えている、水姫も見慣れた夜従の側近の男だ。


「王は部屋で休まれている。誰も入れるなとの命令だ。王が問題はないと仰っているのだ、喚き立てて王の休息の邪魔をするな」


 低くドスの利いた声で側近の男が言うのが聞こえる。周りの男たちは納得のいっていない風情で喚き立てているが、側近の男は動じる気配なく男たちを散らしている。


「いいな、王本人が明言している。怪我は問題ない。ここで喚き立てれば後々王の不興を買うぞ!」


 抜きん出て背が高く堂々とした体躯の側近の男が吠え立てると、集っていた男たちもさすがにひるんだ。


「本当に大丈夫なんだろうな」

「王の言葉を信用しないつもりか」

「そうじゃないが……」

「詳しい話は王自らなさるだろう、私室の前で喚き立てて王の手を煩わせるな」


 まだ不満の露わな男たちだったが、王の私室の前だと言われると正気に返って強く言われなくなったらしい。物言いたげな表情で通路を引き返す者が水姫の横を何人も通り抜けていった。水姫の部屋の前にいた男たちもまさかここで同じやり取りをした後だったのだろうか?

 人の流れに逆行して水姫は扉を守る男の元へと走った。


「よしょ、王は本当に大丈夫なのですか?」


 たった今男たちを追い返したばかりの男は険しい顔で水姫を睨みおろした。


「問題ないと言っている、部屋へ戻れ」

「深手を負ったと耳にしました。傷口が塞がらないという声も。魔術師がどうとか。手当は無事に済んでいますか? 誰かそばについている?」


 弱っている時に夜従は人をそばに寄せたがらないのではないか、と水姫にはそんな気がした。

 怪我を負ったのが事実なら本当に人の手を借りて手当はされているのだろうか。


「お前には関係がない。部屋へ戻れ、何度も言わせるな」

「せめて傷の状態だけでも教えてくださいな、必要なら私、手当を手伝えるわ」

「自分の世話すらまともにできぬお前に怪我人の手当だと? ばかばかしいことを」


 男は煩わしげに水姫を追い払おうとしたが、水姫はその腕を掴んで渾身の力で引き寄せた。男は当然びくともしなかったが水姫はまっすぐに男を見つめて訴えた。


「できます。もしも王の負った傷が酷いものなら、一人での手当には限界があるはず。私には傷を治療するすべがあるわ。事実を言ってくださいな」


 男は厳しい顔で睨み下ろしてくる。水姫は視線をそらさず男を同じ強さで見つめ続けた。


「治療のすべがあるというのは事実か? 虚言ならその首へし折ってやるが」

「本当だわ。会わせてくれるのなら必ず治してみせるのだから」


 男は水姫を睨んでいたが、しばらくして渋い声を漏らした。


「……ついて来い」


 背を向けて夜従の部屋の扉を開いた男に、自分で言いだしたことながら水姫は目を見開いた。


「勝手に入ってもいいの? 誰も入れるなとの命令だったのでしょう?」

「そうだ、王が他者の手は必要ないと言った。……しかし、止血をしても血が止まらん。傷の具合を見てもかなりまずい。あの状態で城まで持ったのが奇跡と言える。治療のできる者がいるなら見せたい。王は不要だと言うが、俺には必要にしか見えぬ」


 水姫は息を飲んだ。男は戦い慣れているように見える。その男が険しい顔をして苦々と言いきるのだから夜従の状態はかなり悪いのだ。

 最悪の可能性を予感して心がざわめく。


「どうして人を入れて手当をしようとしなかったの?」

「ここに医者はいない。まして魔術師が放った術による負傷とあっては通常の治療ではおさまらん可能性がある。村は王の力によってまとまっている。弱みを見せてはたやすく崩れる。どちらにせよ、王が人を寄せ付けようとせんのでは話にならん」

「でもあなたはどうにかしたいと思っているのでしょう?」

「無論。王の命令に背くことになるが、それで叱責され首を飛ばされても俺は受け入れる。いいな、王を必ず治せ」

「……治します」


 男に連れられて夜従の寝室へと足を踏み入れる。室内は明かりもなく漆黒の闇がひしめいていた。見慣れた部屋が輪郭を失い、どこに夜従が横たわっているのかもわからない。視界が闇に慣れることはなく、なにも見通すことはできなかった。先行した男が慎重に声を出す。


「王の傷の治療がしたい。決して傷つける真似はしないと誓う」


 よく状況がわからず男の後ろに控えていた水姫は空気が蠢いたのを感じて息を詰めた。部屋を黒く塗り込めていた闇が引いていく。徐々に室内が輪郭を取り戻し、人の視覚に馴染んだ暗さが戻ってきた。ふいに夜従の寝台脇で先程まで見えなかった蝋燭の炎が揺れた。

 水姫が呆然としていると開いたままだった窓から夜気を乗せた風がゆったりと吹き込んできた。それは室内をぐるりと回って水姫と男の背を押した。――精霊だ、と水姫は遅れて気づいた。


「行け。俺は扉を守らねばならん」


 風に逆らって立つ男が水姫を促す。頷いて水姫は夜従が横たわる寝台へと足を進めた。背後で扉の閉まる音がする。


「夜従……? 起きている?」


 声をかけるが返事はない。

 水姫は慎重に寝台に近づくと横たわった夜従を覗き込だ。意識を失っているようだ。しかし確かに生きている。眉をしかめ時折苦しげに息をもらす姿に水姫は血の気が引いていくのを感じた。出会ってから滅多に表情を崩すことがなかった夜従が、意識を落としているとはいえこうも苦しげな表情を晒している。蝋燭が照らす薄明かりの下でも顔色が白い。傷は――と急いで視線をずらして水姫は小さく悲鳴を上げた。

 水姫が着せた衣は腹部が大きく破れ、その下の肉を晒している。巻かれていたのだろう止血の布はなぜか剥がれて寝台の上に散らばり、染み込んだ血で寝台を紅く染めていた。自分で手当をしようとして途中で力尽き、意識を失ってしまったのだろうか? 寝台に染みた血のおびただしさに緊張が高まった。

 傷口は水姫が見たこともなかった体の内側の肉が生々しく顕になり、砕けて鋭利に尖った白い骨すら覗いている有様だった。抉られた肉の縁は暖炉にくべられた薪のように炎がくすぶり続けている。時々青い火花が爆ぜた。武器で攻撃を受けたためにできた傷でないことはそれで容易に理解できた。

 穿った穴の口から今も血が流れ落ち続けている。人の肉の焦げる臭いに水姫は鼻を手で覆い、よろめくまま寝台の端に身体を落とした。


「なんてこと……」


 頭が真っ白になっていく。思えば水姫は生々しく血を流す怪我人をじっくりと見たことがない。夜従に突き殺された護衛は深く意識する前に視界の外へと引きずり出されていった。夜従の傷口から流れ落ちる血の粘り気と抉られた肉のぬらついた照りが視界に焼き付いて、眼の前がちかちかと白く点滅する。たまらず気が遠くなりかけて、水姫はとっさに頬を自分の手で打った。


「何をしに来たの、水姫。気を失っている暇はないのよ」


 ぶれる視界を頭を振って揺り戻し、夜従の顔を見た。いつになく白い顔色。先程よりも呼気が弱い。当然意識が戻るそぶりはなかった。もういくらも時間がないのは明らかだ。水姫は夜従の頬に手を伸ばすと囁きかけた。


「治してみせるわ。だからお願い、また目を開けて」


 寝台に腰掛け、水姫は大きく息を吸って吐き出した。深呼吸を繰り返し気持ちを落ち着ける。腰掛けた水姫の隣りで横たわる夜従をもう一度見つめてから、水姫は静かに両の手を胸の前にかざした。

 こぼれ落ちる水を手で受けるように両手で杯の形を作ると、手首の内あたりからひんやりと冷たいものが湧き上がってくる感覚があった。それは水姫の血管の内側を通って杯型にした手のひらへと流れていく。

 かかげた両の手の中へまたたく間に澄んだ水が湧き上がってきた。太陽の光を浴びているようにきらめくそれは、当然ただの水ではなかった。

 水姫が生まれた時から持っている力、父が水姫を玉のように大切に扱った理由。

 水姫の手のひらから湧き出す水はあらゆる傷や病をたちどころに治す。生きてさえいれば死に瀕した重病人も、体の一部を失った者も、すべてを健康な状態へ回復させることができるのだ。


「お願い、治って」


 生まれて初めて水姫は自分の持つ力を、自分自身の意志で使おうとしている。緊張からくる震えを抑え込み、手のひらに生まれた軌跡の水を夜従の傷口に向けて慎重に落としていった。

 初めに零れ落ちた雫が夜従の身体を蝕む火花に当たり、鉱石の割れるような硬質な音をたててはじけた。はじけた水滴が小さな無数の火花を飲み込みまたさらに跳びはねる。

 水姫が傾けた手のひらから水はきらめきを放って流れ落ち、傷口へと染み渡った。

 くすぶりながら燃え続けていた傷穴の縁に緑が芽吹き、煤けた炎を飲んでは花を咲かせて散っていく。火花は木漏れ日のきらめきに変わり、砕かれた骨にも真白な花がいくつも咲く。花の咲く場所を伸ばそうと骨はぐんぐん伸び、ついに離れた骨とぴったりくっついて元通りになった。白花は祝福して散り舞い、顕わになっていた内腑も水のヴェールに包まれて、ふくよかに耕かされた大地のように抉れた部分が徐々にふさがり、青々とした芝に覆われ元通りにならされていく。

 芝が朽ちた部分から滑らかに再生した皮膚が顔を出し、水姫の手のひらから最後の一滴が零れ落ちる頃には、痛ましく抉れていた夜従の腹部はかすり傷さえ残らない健全な状態に戻っていた。

 最後の雫も夜従の中へと吸い込まれ、失われた血液を取り戻させる。雨がしとやかに降るように、夜従の体の内から血の巡る音がする。

水姫はほぅと溜め息をついて、夜従の頬に触れた。

 すでに血色の戻った頬は温かい。もう大丈夫だ、と思えた瞬間水姫の頬を涙が伝った。


「良かった」


 生まれて初めて父の指示ではなく、自分の意志で力を使った。

 初めて会う誰かでなく、身近にいる誰かにその力を向けた。

 身体から震えが立ち上ってくる。父に請われ、今まで何度も使ってきた力。慣れているはずの行いに、なぜだかひどく動揺している。恐ろしいのか嬉しいのか、自分でもわからない。

 傷ついた夜従。身近な人を失うかもしれない恐怖感、自らの意志で使うことを禁じられていた力を使った恐れと興奮。さまざまな感情が胸に去来して心の堰が決壊し、緊張状態にあった水姫は押し寄せてきた疲労感に思わず身を寝台へと倒した。


「良かった……」


 そう呟くだけで精いっぱいだった。

 そう、良かった。とにもかくにも自分は間に合ったのだし、やりとげられたのだ。部屋に閉じこもったまま朝を待たなくて良かった、そう思えた。

 目覚めた夜従がなんと言うか、自分をどういう目で見るか、それすら今は視野の外だった。

 ただただ目の前にある温もりに安堵して水姫はほんの一時瞼を閉じた。

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