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おかしな感覚と戸惑い

 仕事二日目も夜従を着替え終わらせる頃には息も絶え絶えになっていた。

 ただ一つ発見したことはあった。夜従と他愛のない会話をしていると羞恥心は少し紛らわせられるということだ。

 それで三日目には水姫の方から夜従に物を尋ねるようになった。

 夜従は時々水姫を困らせる言葉を選ぶ時があるが、普通に会話をしている分にはむしろ話しやすい。水姫が話を振れば、煩わしそうなそぶりも見せずに会話に応じる。

 そうして四日目には少し身仕度の時間が縮まるようになってきた。


「昼間は気温が上がるでしょう? 黒い服ばかりでは暑いのじゃない?」


 寝台の上に選んだ衣服を並べながら水姫は尋ねる。


「そう? 涼しいものだよ」


 本気かどうかわからない口調で夜従が言う。それに呆れながら水姫は夜従の腰に手をかける。

 ズボンを脱がせる時はどうしても一番緊張する。二度と下着にまで手をかけないよう最新の注意を払って脱がせると、急いで着替えを履かせかけた。なにも考えず、とにかく早く。と水姫はいつも言葉を唱える。

 奮闘する水姫を夜従は面白そうに見つめている。


「夜従はずっとこの地で盗賊……をしているの?」


 夜従の醸し出す雰囲気に悔しさを覚えて、水姫は少し踏み込んだ質問をぶつける。


「いや、ここの者達とは三年程だ」


 水姫の問いに夜従は頓着なく答えた。

 夜従の答えは水姫を意外な気持ちにさせた。盗賊達は夜従を慕っているようだし、もっと付き合いは長いと思っていたのだ。

 けれど考えてみれば夜従自身がまだ若い。そんなものなのかもしれなかった。


「そうなの。でもあなたは若いのに、盗賊達の王様なのね」

「力で勝っているからね」


 戸惑いもなく答えられる。


「ここに来る前はどうしていた?」


 水姫は更に質問を重ねた。

 夜従は黙った。静かな眼差しが水姫を見る。踏み込み過ぎただろうか?

 けれど夜従は口の端を持ち上げて言った。


「ここに来る前も同じような連中と同じようなことをしていたよ」

「そう……」


 ずっと夜従はそうして生きてきたのだ。少し憂鬱な気持ちになる。水姫は頭を振って気を取り直した。

 背に回って夜色の衣を着せかける。袖を通した夜従の前に戻り、唯一見つけた釦式の服の前を留めていく。

 留める段になって気づいたが羽織らせた後胸元がはだけた状態になるこの服は、他の服と着替えさせる恥ずかしさではそう大差はないということだった。

 いちいち赤く染まる頬を俯けながら水姫は会話を続ける。


「長いのね、この暮らしが」


 水姫とそう歳の変わらない、少年の面影さえ残したこの彼が何年も前から略奪を続けているという事実。どうして盗賊だったのだろう? 彼はその道を自分で選んだのだろうか。それとも両親がそうだったから夜従もその道をたどったのか。

 夜従と話すにつれ水姫は夜従を嫌っていない自分に気づいた。夜従が最初の日に言ったように、どうしても本来抱くべき憎しみを抱けない。

 怖い人だと思う。けれど同時に夜従は水姫に対して基本的に穏やかで優しい。結果的に水姫が欲しかった物を与えてもいる。

 釦を一つ一つ留め合わせながら水姫は考えてしまう。

 もし東の領主のもとにあのまま嫁いでいたら。

 水姫は領主が望む通りに水姫が唯一人の役にたつことができる力を領主に捧げて生きただろう。

 夜従には話していない『できること』が水姫にはある。けれど夜従との関係を思うとそれを口に出すことはできなかった。

 その力こそを父は望み、領主は望んでいた。

 もし水姫がその力を夜従に明かせば夜従もまた水姫の力を望むだろうか?

 父や領主のように、夜従の水姫に向ける目が変わる瞬間を想像するとすっと胸に冷たい隙間が空く。

 道具を見るように自分を見下ろす夜従の姿を思い描き、水姫はその問題について考えを閉ざした。

 婚前に一度だけ顔を会わせた東の領主は水姫を人とは捉えていない男だった。後添えにと水姫を娶ろうとした老人が欲しているものが、水姫自身ではないことはその視線ではっきりと知れた。あの冷たく、浅ましくぎらついた目。忘れたくても忘れることができない。

 ……それでも花嫁として領主のもとへと嫁ぐ以上、力を使うだけでは終わらないことも明白だった。

 釦を留める自分の手を見つめて水姫は想像する。

 東の領主の服に手をかけ、脱がせていく自分を。

 皺の刻まれた領主の手が、水姫のものとはまるで違うそれが、水姫の身体をまさぐり嬲る瞬間を。

 想像するとぞっと背中が寒くなった。水姫は夜従という男の身体を見ている。自分との違いを目で、指で、感じて知ってしまった今、それはひどく生々しく水姫の身に迫る。

 理屈ではなく心が拒絶する。せめて優しい人となりであれば、と思うが父の言葉を信じた領主は水姫を大金で買ったのだ。一度顔を合わせた老人の値踏みする視線が忘れられない。

 領主は水姫の心を見はしない。ただ望むとおりに身体と力を貪って、時間いっぱい生きながらえながら、きっと父と同じように水姫に言うのだ。――お前は自分でなにも考えるな。私の言うことだけを聞いていれば良いと。


「何を考えてる?」


 夜従が静かに問いかけてきた。気がつけば釦はすべて留め終わっている。


「……なんでもないわ」


 服から手を離して水姫は首を振った。夜従は水姫をじっと見つめていたが食い下がって聞いては来なかった。


「そう。まだ他の仕事をする余裕はあるか」


 初めてかけられた言葉に、ぱっと水姫は顔を上げた。


「寝具が乱れたままだ。それに少し床が埃っぽくなってきたな。寝台を整えて、床を掃き清める。できる?」


 水姫は部屋を振り返った。

 一日目以降は水姫が訪ねると夜従は起きて寝台に腰掛けていた。布団の乱れも整えられた後だったのだが、今日は起き上がった形のまま乱れている。床も確かに少し埃っぽい。


「やってみたいわ、いい?」


 夜従を仰いで水姫は言った。夜従が頷く。


「どうぞ。――ああ、なるほど? お前は元来素直で好奇心の強い質なのだね」


 夜従はまじまじと水姫を見つめた。妙に興味深そうに見られて水姫は困惑する。


「なにか私、変かしら」

「いや、歪みのない者はすごいなと思っただけだよ」


 水姫が首を傾げると彼は馴染んだ笑顔を浮かべて寝台を指差し水姫を促した。

 きっとこういうところだろうと思う。水姫が夜従に抗えない一番の理由は。

 夜従は約束通り水姫を人として扱う。生活をするということに対して水姫は相当物を知らないと自分でも思っているが、夜従はそれをばかにしない。水姫にできることを見つけて試す機会を与える。

 自分を攫った相手に抱く感情ではないはずだが、人として尊重されているという気が水姫にはどうしてもする。

 父のそばより、東の領主のそばより、夜従のそばにいる今の方が水姫の意識の幅を広げていく。

 それがやはり少し怖く、けれど心をそわそわと落ち着きなくさせるのだった。





 翌日、着替えを終わらせると夜従に声をかけられた。


「村を歩いてみた?」


 火照った頬を抑えながら水姫は首を振る。


「いいえ……みだりに出歩くのは少し怖くて」

「それでいい、慣れないうちは警戒心が強くて悪いことはない。けれど自室で過ごすのはいい加減飽きたろう?」

「それは」


 夜従の着替えを手伝った後水姫はほとんどの時間を与えられた自室で過ごしている。夜従に触れずに手早く着替えさせる練習をしたり、昨日夜従に習ってからはあちこち部屋の掃除をしてみたり、とにかく目の前にあるできることをこなし続けて一日を終えてきた。

 夜従の周りにいた男たちもここで出会った女も一人で顔を会わせるにはやはり少し怖く、ときどき廊下に出て人がいないのを見計らっては陽の光を浴びられる場所を探すくらいしかできなかった。


「着いておいで、少し外を案内してあげる。ああ、今脱がせた僕の衣も持っておいで」


 促されるまま水姫は夜従の後をついていった。

 久しぶりに出た外は目に眩しいくらいに晴れていた。これから気温はどんどん上がっていくだろう。朝の陽光に目を瞬かせながら水姫は夜従の背中を追った。村には幾人か人の姿が見えたが夜従に気づくとそのすべてが挨拶をして腰を折った。

 案内すると言った夜従だがどうやら目的があるようで、城を出るとわき目も振らずに家々の間を縫って進んでいく。やがてどこからか女達の笑い声が聞こえてきた。

 建てられた小屋の裏手に回ると女達が洗濯をしている最中だった。

 夜従と水姫が姿を現すと姦しく声を立てていた女達が一斉に立ち上がって夜従に頭を下げた。


「王! まぁ、なんだってこんなところに」

「洗濯道具を借りたいんだが、あるか」


 夜従が短く尋ねると集団の中で一番恰幅のいい女が進み出てきた。女は見たところ五十歳ほどで、右目が大きく潰れている。夜従の背に控えて水姫はひっそりと息を呑んだ。


「まさか、ご自分で洗濯するんですか? いつものように私らがしますのに」

「いい。たまには自分でやらないと忘れてしまう。道具の用意だけしてくれ」


 女は一瞬水姫の方へ視線を移したがすぐに大きく頷いた。


「もちろん、すぐに」


 あっという間に必要なものを夜従に差し出して愛想よく女は頭を下げる。


「それでは、私らはこれで失礼しますんで。どうぞ、ご遠慮無く」


 後ろにいた女達も年長の女が用意を整えているうちに洗いかけの衣服を引き上げて下がる支度を済ませている。みな笑顔で丁寧に頭を下げると水姫と夜従を残して立ち去ってしまった。


「よかったの?……邪魔をしてしまったように感じたわ」

「いいんだよ」


 洗い場の縁に腰を下ろして夜従が水姫に手を差し出す。逡巡したが結局夜従の手を取り隣にしゃがみこんだ。

 夜従の行動の意図がわかった。水姫に洗濯の仕方を覚えさせたいのだろう。


「このためにわざわざ外へ連れてきてくれたの?」

「ここは誰でも使えるからね」

「服を洗うのよね」

「生活するには必要だろう?」

「そうね」


 夜従に教わりながら水姫は初めて洗濯板を扱う。この辺りではこれが定番の道具らしかった。

 たらいに水を貯めて洗い粉と呼ばれる特殊な石を砕いた粉を水に溶かし衣服を沈める。夜従は一つ一つ言葉で示して水姫に手を動かさせた。

 支持されるままに洗うものの本当にこれで汚れが落ちているのだろうかと不安になってくる。


「水姫、あまり板に服を擦りつけては生地が傷む。衣同士で擦り合わせて」

「こうね」

「いや」


 隣から夜従の腕が伸びてきて水姫の手を掴む。覆うように手を重ねられて水姫はひどくうろたえた。


「強くしすぎても弱くしすぎても駄目だよ。今、覚えて」


 両の手を夜従の思う通りに取られて、直接力加減を教えられる。距離があまりにも近い。身体の片側、衣服越しにはっきりと夜従の熱を感じて水姫は焦った。

 夜従の顔をちらりと窺うが彼は珍しく笑みもなく真面目な顔をして水姫の手元に注力している。

 その目がふいに水姫の方を向いたので別の意味で水姫は慌てた。


「上の空?」

「ご、ごめんなさい」


 与えられた仕事を疎かにすることを夜従は嫌う。

 新しく物を覚えることを水姫は意外にも楽しく感じていた。洗濯もまだ勝手がわからないが覚えられればいいと思う。

 それなのにふいに夜従に距離を詰めてこられると、どうしようもなく気が気でなくなってしまった。

 ここ数日夜従の着替えを手伝っていたのに距離の近さに慣れることができない。それどころか今に至っては胸がことことと嫌な音をたてて早打ち、心が制御できないような高揚感と緊張感を感じてしまっている。

 人慣れしていないせいでおかしなふうに意識して、勝手に気を取られているのだ。そう思うといたたまれず水姫は身を縮こめた。


「水姫は物怖じせず口をきくくせ、僕が近寄ると身を硬くするね。僕が怖いか?」

「あなたは盗賊の王なのだもの。恐れてもおかしくはないでしょう?」


 正しいが少し本心とずれた答えを水姫はした。

 夜従はどこかからかうような笑みを浮かべて頷く。


「ああ。けれど恐れている相手に尋ねられてそう応える莫迦はいないだろうね」


 水姫はかっと顔を赤らめた。夜従はきっと水姫の戸惑いなどわかっているのだ。わかっていてこういう物言いをするのが夜従らしい。


「さあ、続けて」


 促されて洗濯に熱中する。手を離した夜従はけれど寄せた身体を離そうとせず、水姫を試すようにその手元を見つめてくる。

 負けたくない一心で水姫は夜従を無視して衣服を洗い続けた。


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