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悪夢と与えられた仕事

 その晩、与えられた部屋で水姫(みひめ)は一人眠りについた。

 夜従(よしょう)は水姫に独りで過ごす自由を与え、あっさりと部屋を去っていった。

 自分が選択した道を思うと恐ろしく眠気などはやってきようもなかったが、それでも明け方には身も心も疲れ切ってうつらうつらと夢と現実の狭間をさまよった。

 夢の中では水姫は最初住み慣れた屋敷の中にいた。恰幅のいい父が満足げに手紙をひらつかせて誰にだか言う。


「東の領主がついに水姫をご所望だ。見ろ、あの子はやはり私が持つ中で最高の財産だった。このまま手元に置いても良いが、力が無くならないとも限らんのだ。価値のあるうちに金品と取り替えたのは悪くない。いや、ここまで高く売れたのならば手放すのもなんら惜しくはない!」


 父の高笑いが室内に響く。

 扉の隙間から覗いていた水姫に気づくと、父は気の良い笑顔を浮かべて戸惑いなく言った。


「おや、水姫。そんなところにいたのかい? 今日はお前にお客様はいないよ。駄目じゃないか、一人でいてなにか身に傷のつくことがあったらどうする」


 顔を歪めて水姫がその場を走って逃げると、いつの間にか長い花嫁行列の中にいた。中央には輿が。荷物を運ぶ砂漠馬や人の列に紛れて離れることもできずに歩く。


「あの輿の中には高価な玉が収められているらしいぞ。とんでもない値がついているそうだから、万が一傷をつけたら俺たちみんな殺されちまう」

「なにを言う。あの中には花嫁様が乗っているのさ。たいそう美しい娘らしい。東の領主が花嫁が届くのを首を長くして待ってるんだとよ」

「どちらでもいい。しかしこんなに派手な道中。一度その玉だか花嫁だかを見てみたいものだなぁ。あんたはどう思う?」


 水姫は乾いた砂の道に足を取られながら答えた。


「こんなきらびやかに目立つ花嫁行列などいけないわ。盗賊に目をつけられてしまう。みんな殺されてしまうのよ……」

「確かに派手だ。しかし護衛がたんまりついてちゃ盗賊だって手が出せねぇや!」


 同意するようにわっと男たちの間で笑いが起こる。

 その笑い声を蹴散らすように砂漠馬の群れがこちらへ向かって駆け込んでくる。まるで砂嵐が突如吹き荒れたようだった。

 視認できたと思った時には馬は隊列を細切れに引き裂き、水姫の前を歩いていた男は血を撒き散らして地面に倒れた。

 血ににごった目が水姫を物言わずに見つめる。

 現実にはあげられなかった悲鳴が水姫の喉からもれた。


「やめて、やめて。殺さないで!」


 盗賊たちは水姫の声には耳を貸さず、布を引き裂くように人々を血に染めてまわった。


「私にそんな価値はないわ。その人達を殺さないで、殺すなら、私だけを殺してちょうだい!」


 水姫は泣いて懇願した。

 その水姫の腕を誰かが強引に掴み取る。取り乱して暴れる水姫をやすやすと抑え込んで、腕を掴んだ誰かが無情に言い放った。


「いや、生き残るのはお前だけだ。そんなことは昼間に見て知ってるはずだろう、水姫?」


 見上げると盗賊たちの王、夜従が優しく微笑んでいた。

 気づけばあたりは様変わりし、岩肌がむき出しの部屋の中だった。

 夜従が水姫の髪を撫でる。その手が無遠慮にうなじに触れ、胸元へと下りてくる。まるで人形の服を剥ぎ取るように血に濡れた花嫁衣装を裂かれ、水姫は悲鳴を上げた。


「やめて、私は人形じゃない。物なんかじゃないわ!」


 夜従はおかしそうに笑う。


「そう? けれど僕が攫わなかったら東の老いぼれ領主が、きっとお前に同じことをする。誰にとってもお前は味の良い人形だ」


 水姫は首を振った。


「違う、違う。物であるのはもう嫌なの。私は人でありたいの!」


 夜従が水姫の顎を掴む。


「では、そのように」


 花嫁衣装を剥ぎ取られ、悲鳴を上げた水姫の胸に肌触りの悪い衣服が押し付けられる。


「まずは形から変えてやろう」


 呆然とする水姫に向けて、夜従は彼女にとっては毒のように甘い笑顔で微笑んだ。


「僕の前で着て見せてごらん」


 そこで水姫は目を醒ました。

 

 

 


 目を開くとそこには岩肌がむき出しの天井があった。

 呆然と天井を見上げる水姫の耳に扉の開く音が滑り込んでくる。

 ぎくりとして身を起こすと、見知らぬ女が入ってくるところだった。


「起きた? はっ、呆れた。あんたそんな血だらけの服を着たまま眠ったのかい?」


 つりがちな目を見開いた女は手に籠を持っている。胡乱げに水姫を見つめて皮肉っぽく口元を歪めた。


「あぁ、なるほど。あたしらの着る衣がお気に召さないんだろう。死んだ人間の血に染まっていても、高価な絹の服が良いというわけ?」


 悪意のある物言いに、水姫は戸惑って口を開けなかった。夜従には取れた反抗的な態度が、一夜明けてみれば今目の前にいる女には向けられない。

 水姫は改めて自分の姿を見下ろした。純白だった衣装はいまや黒ずんで醜悪な臭いを放ちひどい有様だった。けれど昨夜は水姫もまともな状態ではなかったのだ。疲れ果ててなにもする気が起きずに、渡された服に着替えもせず横になってしまった。

 女は籠を水姫に押し付けるとさっさと扉の外へと出てしまう。


「食いもんだよ。与えてやるんだ、それまで残したら承知しないからね」


 ふんと水姫を睨みおろして扉の向こうに消えようとする女に慌てて水姫は声をかけた。


「待ってください、あの……夜従はどこに?」

「王と呼びな。あの方は今次の仕事の話し合い中さ。よけいなことは考えずに大人しくしてるんだ」


 扉がぴしゃりと閉められる。

 取り付く島もなく去っていく足音を呆然と聞いて、水姫はため息を殺した。


「私は本当に盗賊に攫われたのね。夢なんかじゃないのだわ」


 寝床の上に投げられたままのかたい手触りの衣服を見る。

 夢の中の夜従の言葉がふいに耳の奥に反響した。


 『まずは形から変えてやろう』

 『僕の前で着て見せてごらん』


 ぞくっと収まりの悪い何かがうなじを背へと駆け抜ける。その感触にかぶりを振って、水姫は血で汚れた花嫁衣装を脱ぎ捨てた。

 どちらにしても、この服のままでいることはできない。

 

 


 

 服を改めるともう水姫にはなにもすることがなかった。

 扉には鍵がかけられ外に出ることも叶わない。

 仕方なく食欲はなかったが籠の中の食べ物、固いパンと干し肉を無理やり口に押し込んだ。特に干し肉は昨日の出来事の後では口にするのが辛かったが、残して女に睨まれるのが恐ろしく、吐き戻しそうになるのを必死で抑えて胃の中へと流し入れた。

 食事ですっかり気分が悪くなってしまい、寝床に倒れてじっとしていると鍵の開けられる音がした。

 水姫は扉を見、ぐらつく身体をなんとかして起こす。

 寝床に水姫が座ったところで扉が押し開けられた。姿を見せたのはつり目の女ではない。昨夜ぶりに見る夜従が、たった一人で立っていた。


「やぁ、水姫。気分はどう?」

「普通よ」


 ひどく気持ちが悪かったが、弱みを見せないよう勝手に口は動いた。


「そう、普通?」


 くっくと笑って夜従は扉を閉める。


「お前の普通の顔色は土気色なんだな。お気の毒」


 からかうように言って、水姫の隣に少し間を空けて腰掛ける。この部屋には椅子がない。だから仕方がないのだが、昨夜の夜従が撫でたうなじの感触を思い出して水姫は身体を竦ませた。

 夜従はまじまじと水姫を見る。その視線からして彼は水姫の不安に気づいているはずだが何も触れずに話を始めた。


「で、どうする?」


 出し抜けに尋ねられる。


「どう?」

「お前は僕の物から外れて人になりたいんだろう? 今日から何がしたい?」


 漠然とした問いに水姫は言葉を返せなかった。

 本当に夜従は水姫がこの村(一応村で良いはずだ)で暮らす権利を与えるつもりなのだろうか?

 だとして、わざわざ花嫁行列を襲わせておいてあっさりとそれを許すのはなぜだろう?


「私が望めば本当にただの民としてここへ置くの?」

「置くよ」

「そうでなければあなたの物?」

「そうさ」

「他の道はない……?」


 昨日自分で民の道を選ぶと言ったものの、水姫はつい尋ねてしまった。水姫の望む道がどこにもないことはわかっている。それは夜従のもとにいても父のもとにいても東の領主のもとへ行ったとしても同じなのだと。

 夜従は真顔で水姫を見た。柔和な笑顔が鳴りを潜めるとどこか冷酷な眼差しが目立つ。夜従の瞳は漆黒だ。着ている衣服や髪色と相まって、闇に見つめられている心地になる。


「弱気になった? 父のもとへ、ひいては東の領主のもとへと行きたいか?」


 水姫は答えられない。ここにいるのは恐ろしく思える。少年の線の細さを残した夜従はけれど見た目ほどに優しい存在ではなく、その下につく者たちも水姫には頑強で恐ろしく映る。今朝の女も屋敷にいた使用人達とは喋り方も雰囲気もまるで違っていた。

 ならば、水姫は父のもとへ帰りたいのだろうか? 東の領主に嫁いで、老いた領主の欲望のために力を捧げ続けるか?


「下の者達には取り分を与えてある。けれどお前を今から足してもいい。昨夜の意見を変える? それとも僕の物になるか?」


 夜従は脚の上に肘を置き、その手に顎を乗せて水姫を見つめた。

 寝具の上に残した腕が動き、水姫に伸ばされる。


「いいえ」


 水姫はとっさに身を引き返事をした。ぴたりと夜従の腕が止まる。

 伸ばしかけた腕は引っ込めずに、夜従は手に顎を乗せたままゆっくりと首を傾げる。


「いいえ。私はここで。……ここで暮らしてみたいわ」


 声は憔悴した調子になった。

 夜従は眦を下げて、唇を持ち上げる。伸ばしかけた手も降ろされた。それで冷たい雰囲気は消えて、優しげな表情に変わった。


「いいよ。お前に権利をあげる。それでお前はここでの義務に応えるんだ。できるね?」


 水姫は頷いた。


「……やるわ」


 満足した様子で夜従は身を起こすと、にこりと穏やかに笑みかけて水姫に聞いた。


「ではもう一度聞く。今日から何がしたい?」


 水姫は戸惑って視線を彷徨わせた。


「わからない……思いつかないの。ここで暮らす人達は何をしているの?」

「略奪を。或いは人としての暮らしを。時には獣を狩りもするし、わずかだけれど作物を育てたりもする。まずお前は何を望む?」


 略奪、とはっきり口にされて水姫はひるんだ。

 それでも自分の思うことを口にしてみる。


「私は私にできることがしたい。それが何かはわからないけれど」

「要領を得ないな」

「今まで、自分で何かを考えて行動を起こしてはいけないときつく言われてきたの……決して自分で物を考えないようにって。今日何を着るか決めるのも、衣服の着替えも使用人の仕事だった。我が家は裕福ですべて人に任せば事足りるのに、自分で何かを考えるなんてお前の立場にはふさわしくないのだって。……だから人として私にできることを思いつかないの」


 身分で言えば恵まれていたのは間違いない。しかし父の言葉思い出すにつけ、水姫の心は石のように無機質になる。人形の姿(からだ)に魂を押し込められたような、触れ手のいない寄る辺なさを感じてしまうのだ。

そして屋敷を離れ夜従のもとへと攫われた今、水姫ができると口に出せることは何もない。それが今の水姫のすべてだった。

 夜従はなにも言わずに水姫を見つめる。

 居心地悪く、水姫も夜従を見返した。


「その服は自分で着た?」


 言われて水姫はどきりとした。

 夢の中の夜従の言葉が甦る。


「そうよ」


 少し緊張して答える。

 夜従は蜜を溶かしたような表情で微笑んだ。

 甘ったるい笑みに水姫は目を奪われる。


「そう。少なくともお前はその手で服を着る能力があるわけ。自分で身仕度するのは嫌な気分がした?」

「いいえ」


 これには戸惑わずに答えられた。

 むしろ、一人で着替え終えると気が落ち着いてすっきりしたくらいだ。


「むしろ、一人の方がよかった。ずっとこうがいいと思ったわ」

「いいね。では他の者の身仕度を整えるのはどうだ? 使用人の真似事は気分が悪い?」


 水姫は考えた。自分がされる側でなく、する側にまわる。

 今まで想像したことがない立場だった。けれど、される側を体験しているのならする側にまわることもできるのかもしれない。どう動けばいいか、手順を水姫は知っている。


「……できると思うわ。私がしてもらったように、誰かにすればいいのね」


 夜従は頷く。


「よろしい。では明日から僕の着替えをさせてやろう。あぁ、僕は着替えの自由を手放すことになるな? まぁいい。お前にその権利を譲ろう。まずは一つ、それがお前の仕事だよ」


 夜従はあっさりと言った。

 水姫は目を見開く。


「あなたの着替えを手伝うの?」

「そうだ。僕じゃご不満? けれどここには僕くらいしかそれを許す立場の者はいないよ」


 水姫は二の句が継げない。男性の着替えを手伝う。考えたこともない話だ。それを水姫がする。


「それは、それは良くないのじゃないかしら。あなたは夫じゃないのだし。そんな」


 夜従はきょとんとして、次いで笑い声をあげた。


「お前は僕を襲うつもりがあるの? 莫迦な心配をするものだな。仕事中にくだらない気を起こすなら、僕がその喉の風通しをよくしてやるよ」


 くっくとしつこく笑って夜従は言う。

 水姫は顔が燃えるのではないかと思うほどの羞恥を感じた。


「それとも他にしてみたいことがある? 水姫?」


 からかうように夜従は言う。

 水姫がなんと答えるか、明らかに楽しんでいるそぶりだった。


「……いいえ。いいえ、ないわ! 明日から私、使用人になってみせるのだから。みせるのだから……あなたも私を物とは扱わないわね、夜従……?」


 昨夜のように、先ほどのように。夜従に手を伸ばされるのは嫌だ。それは恐ろしく、また水姫の心を不安にさせる。男性に触れられるのが嫌だというだけではない。夜従に触れるのは、なにか未知の者に身を預けるような、自分の中の何かがぞろりと身じろぎするような、得体のしれない不安も抱かせる。


「もちろん、そうだ。それはお前の権利だよ、水姫」


 躊躇いもせずに請け負って、夜従は腰をあげる。


「部屋の鍵はかけないでおく。外には自由に出てかまわない。ただ村の外に出たらどうなるかは、わかるね?」


 顔を強ばらせて水姫は頷いた。

 それを満足げに見やって夜従は部屋を出て行く。

 扉に手をかけ、ふと思い出したように水姫を振り返った。


「ああ、そうだ。これを聞こうと思っていた。――自分で着た服に抱かれる心地はどう? 水姫」


 水姫の頬がまたかっと熱くなる。どういう聞き方をするのだろう、この男は。


「昨日の血で汚れた衣装よりずっといいわ!」


 強く言うと夜従がまた声をあげて笑った。その笑い声は、いつまでも水姫の耳に残り続けた。

 

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