冷静と正気から程遠いところにいる奴〜婚約者の頭に身体強化の魔法をかけたら溺愛されました
うららかな昼下がり。私の事を嫌う婚約者と交わす一杯の紅茶は、まるで搾りたての雑巾の汁のように吐き気を催す味だ。
婚約者のアランが紅茶をひと口飲み始まるのは、私の人格否定。
「お前が婚約者じゃなければよかった」
こいつ、今、私の事を「お前」呼ばわりしたな。ヒクリと頭の血管が浮き出てくるのを感じた。
罵倒の語彙力もないこのアホ野郎にキレるなんて時間の無駄だ。
けれど、しかし。
「この貧乳!」
アランは私に絶対に言ってはいけないワードを口に出した。
その瞬間、私は札束で頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。
100枚ほど被っていた猫は剥がれ落ちていく。
「誰が貧乳だ!この野郎!オラ、オメーぶっ殺すぞ!」
自分を抑える事は秒コンマで出来なかった。
怒りに任せてアランに暴言を吐く。
私は一般的な女性よりも胸が少しだけ。ほんの少しだけささやかだ。
喩えるなら、一般的な女性の胸がチューリップなら、私の胸はカスミソウといえばわかりやすいかもしれない。
「お前!今、僕のことをオメーと言ったな!不敬だぞ!」
ぶっ殺すはいいんかい!
と、思わず心の中でツッコミを入れるけれど、このアホに言ったところで「不敬だ!」とアホの一つ覚えのように叫び出すような気がした。
「オメーだって、オラの事お前って言ったじゃねぇか!」
胸ぐらを掴むとアランは、塩を振った青菜のようにしおしおになり勢いをなくした。
なぜだ。さっきの勢いは何だったんだ。そもそも、自分はお前呼ばわりはよくて私はダメだという理由はなんなんだ。
「ケツの穴の小せぇ野郎だな」
「何だと!僕のお尻の穴は大きい!」
「じゃあ、見せてみろよ!」
私はアランのズボンに手をかける。
「センシティブに関わる場所だから絶対に見せない!それに、意味が違う!」
アランは青ざめながら「やめろ!」と暴れ出す。
なんて奴だこの野郎。じゃあなんで、尻の穴が大きいなんて言ったんだよ!
「オメー!期待だけさせといて嫌がるって最低だな!エロ本の袋とじがガッカリだった時並の詐欺だぞ!」
アランの胸ぐらを掴むと、対抗するように奴も私の胸ぐらを掴む。
「そんなもん読むな!」
「オラなりの乙女の嗜みだ!」
「お前が乙女なら、山姥は聖女だな!」
「なんだと!?オメーふざけんな!」
苛立ち混じりにアランの顔をビンタすると、勢いよく吹っ飛んでいった。
貧弱すぎるから吹っ飛んでいったのだろう。
しかし、こんなにも貧弱だと不敬でそろそろしょっぴかれそうな気がする。
「お前、いつも思うが、なんでそんなに強いんだよ!」
「オッス!オラ、ビクトリア。普通の令嬢だ!婚約者に貧乳って言われて、ちと、本性が出ちまった!」
ヤバいと思った私は慌てて言い訳を言い募る。けれどアランの反応は冷たい。
「いつもと同じだ!」
そんなはずない。私はかすみ草のようにパーフェクトなモブ令嬢だ。
きっと、私がおかしく見えるのはアランに認識障害があるからなのだろう。
私はアランの頭に手を重ねる。
「まさか、リンゴを握りつぶした。と自慢でもするつもりか?」
アランは私をゴリラと認知しているのだろう。酷い。酷すぎる。片手でリンゴなんて潰したことなんてないのに。
「オラ、リンゴなんて潰した事なんてない!潰したのはスイカだ!」
ギリギリとアランの頭に乗せた手に力を入れる。けれど、ただ頭を潰しただけなら、暴行でしょっ引かれてしまう事に気がつく。
後からでもいいので合意が必要だ。
「ふぐっ」
アランは口から泡を吹いて白目になっている。
このまま帰ろうかしら。そんな考えが頭をよぎる。
しかし、中途半端で放置したらあまりにもアランに失礼だ。何かしてあげないと。
持ち前の優しさを発揮した私はアランの頭に身体強化の魔法をかける事にした。
「オラ、思うんだ。鬱病の奴に筋トレしたらいい。って言うやつ。そいつの頭って筋肉でできてんじゃねぇのかって」
私の呟きにアランは反応しない。きっと無視してるのだろう。ど失礼なやつだ。
「マッスルドーピング!頭、筋肉の方が夢詰め込める!」
「ブゴっ!」
アランは豚のように喘いで、その場に崩れ落ちた。
「今日はこの辺で勘弁してやらぁ!」
私は捨て台詞を吐いて急いで屋敷に帰った。
その日の夜。
私は夢を見た。
「びーたん!」
「びーたん!」
「びーたん!」
まるで、大きめなゴムを咥えたまま、咥えていない方のゴムを引っ張り顔面にぶち当たるような音を擬音で言っているようにも聞こえる。
なんなんだいったい。○ったいないおばけか?
私が薄目を開けると、目の前に迫り来るのはアランの顔のドアップだ。
目は焦点があっておらず。口はアランの尻のように締まりが悪く涎がとめどなく溢れ出ている。
「びーたん。あいちてりゅうぅぅ」
その瞬間、ブチュウっつと熱いベーゼをされた。涎のせいで濡れた顔。
「ぎゃぁあぁあぁ!!」
ヌルヌルになった顔は時間が経つと、スライムのようにとけてしまいそうだ。
「やめんかい!」
私はアランの頬を勢いよく殴る。
「マッスルドーピング解除!」
その瞬間、アランの顔が正気にもどった。
「ここはどこ?私は誰?」
アランが不思議そうに首を傾ける。
「貴方はアラン。私の奴隷よ」
私が適当な説明をすると、まだ、記憶があやふやなアランは「ご主人様ぁ」とニヤリと笑った。
毎日のようにこんなやりとりをしているのに、アランはいつまで経っても婚約破棄をしてくれない。
彼は多分、頭がおかしいのだろう。