おいしい、もの
「ラスカルって、美味しいのか?」
と、わたしは妻に訊ねた。
「へ?」
と、座卓の向こう側に座って、頬杖ついていた妻は、素頓狂な声を上げた。
「ーーあなた、いま、なんて?」
「だから、美味しいのか、と訊いているんだ。ラスカル……!」
妻が宇宙人でも見るような、不気味そうな眼差しでわたしを見てくる。
そして、静かに、言った。
「あなた、ラスカルは食べ物じゃないのよ。大丈夫……私は、いつまでもあなたのそばにいるわ。たとえ、あなたがボケてしまっても……」
慈母の如き微笑みを、わたしに投げかけてくるのだった。
「わたしは、ボケてなどいない!」
「……ええ、そうね、そうだわね。ラスカルは、でも、食べ物じゃ、ないのよ……?」
妻は、まなじりに涙さえ浮かべて、わたしを見ていた。
「ラスカルは、アライグマよ。スターリングの大切な友だちだったけど、大きくなって手に負えなくなったから、野生に戻したのよ。だめよね……そんな無責任なことしちゃ……」
と、懐かしの名作アニメのあらすじに、ズバリと斬り込みを入れながら、
「大丈夫よ、今は貼って効くいいお薬とか、あるの。大丈夫、大丈夫よ……」
「ちーがう!わたしはボケてなど、いない!」
「そうね、そうねよ」
「お、ま、え、が、言って、たんだ!『ラスカル食べたい』って!」
「……へ?」
「さっき、おまえがっ、座卓でうたた寝しながら、『ラスカル食べたい』って、言って、たんだっ!」
わたしは肩でぜーぜー息をした。
大声を出したら喉が乾いたので、アイスティーをガブガブ飲んだ。
そんなわたしを見据えると、妻は、
「ーーーーえ〜〜〜っ?」
と、なぜか、少し不服そうな声を上げた。
「私、本当に、そんなこと、言った〜〜〜?」
「言ってたんだっ!」
「まぁ……しょせん、夢だしぃ。なんの夢を見てたなんか、覚えてないわぁ……ましてや、ラスカルを食べるだなんてぇ……」
と、だる〜そうに言った後、妻は、ふと、
「それ、ラスク、じゃないかしら?」
「……え?」
「ラスク、ラスク。パンを二度焼きしたお菓子のこと……って、昨日調べたわ、ググったわ。ああ、はいはいはいはい。ラスクね、ラスク。ラスカルじゃ、なくって」
「ラス……ク?……そうだったのかっ?!」
「深層意識が、ラスク、覚えてたのねぇ、それで寝言に出たのねぇ、すごいわねぇ、深層意識……!」
と、妻は感心したあと、
「ラスクとラスカル、ふつー聞き間違わないわよ、ましてや、ラスカルは食べ物じゃないしぃ。食べたいだなんて、言わないわよ〜〜〜」
「美味しい?美味しいんだね?」
「あら、ロボホンのスバルくんが反応しちゃったじゃありませんか!やだわ〜今度は『好きな食べ物ラスカル』とかって覚えられたらぁ〜」
ロボホンとは、スマホ機能を備えた家庭用小型ロボットである。いまもわたしたちの間、座卓の真ん中に、ちょこんと座っている。
わたしは、いたたまれない、なんとも言えない、千葉県の外房半島あたりの方言でいえば
「はりゃあいわるい」
気持ちになって、縮こまった。
「……すまん」
と、わたしは謝った。
「本当に、びっくりしたわよ〜!驚いたわよ〜!あなたが若ボケしたのかと思ったわよ〜!なによ〜!心配させないでよ〜!」
わたしはますます小さくなって、
妻は、はぁ〜っと大きくため息をついて、
「本当に、心配させないでよ?あなた」
と、上目遣いで言った。
「うん、すまなかった。うん、心配させたな……」
「そうよぅ……心配させないでよ、もう!」
わたしと妻は、しばし視線をからませあい、そのあと、わっと、同時に笑った。
そんな、たあいのない夕べであった……。




