逆転夫婦②
「言ったわね〜
言ったわね〜
ついに言ったわね〜
イッヒッヒッ!」
「おまえは魔女か!イヒヒと笑うな、怖い!」
わたしはマジで怯えていた。
「言質は取ったわ〜。これであなたは私の小説に挿し絵を描くしか無くなったのよ〜」
妻は今度はホホホッと笑った。
「漢に二言はないわね?!私の小説に挿し絵を描いてくれるのねっ?!」
疑問形だか命令形なんだか、よくわからない口調で、妻はわたしに迫ってきた。
「いや、二言も三言もあるぞ!だいたい一昨日、あれぼど断ったじゃないか!ーーすっかりあきらめたと思ってたのにーーだいたい、わたしに挿し絵なんか、無理だ!無茶だ!!」
妻は、抱きとめていたわたしの腕の中からするんと出ると、膝で立ち上がって、
「ふっふーん♪」
と、わたしを見下ろし、
「無理?無茶?あなた、それ本気で思ってるぅ?思ってないでしょう?」
妻はわたしに顔を寄せて、
「ねーえ?岬町子さ〜ん?」
わたしは一気に血圧が上がるのを感じた。
「みさきまちこさ〜ん。小説のイメージイラストをハガキ投稿するのが趣味だった岬町子さ〜ん」
「ひぃい!わたしの、わたしの黒歴史に触れるなぁっ!」
「知ってるのよぅ?あなた投稿したイラストのコピー、大事に取ってあるでしょ?ダメよぅ?大事なものをあんな目立つ場所に置いちゃあ…」
「おっ、おまえっ!わたしの『終活ノート・the・裏版』を見たな?!ひ…ひどいぞ!お互いの終活ノートは、お互いに見ない約束なのにっ、ましてやそのthe・裏版を見るなんて……」
妻はわたしの訴えを無視した。
「懐かしかったわぁ〜。読者掲示板のイラストコーナーで見覚えのあるイラストを見つけたときは……」
ヒドイヒドイ、リコンしてやるリコンしてやる、と、叫んでいた、心の中のわたしが、ハッとした真顔になった。
「おまえ…おまえ…あれが岬町子のものだとわかったのか?!見ただけで、三十五年も昔に小さく載っただけのわたしのイラストを、思い出したというのか?」
妻はさっきまでの般若はどこへやら、慈母のごとき笑みを浮かべ、
「私にはすぐにわかりましたよ。ああ、この絵だ、この絵をたしかに三十五年前に見たことがあるって……!」
「おまえっ!!」
わたしはブワッと涙が出て来るのを押さえきれなかった。
「きっと、これが愛のなせるワザね!」
妻は言った。
わたしはウンウン頷きながら、泣いた。
さきほどとは逆に、妻の胸で、わたしはひとしきりワンワン泣いた。
「よーしよしよし、泣かないの」
泣き終えると、妻はニッコリ笑った。ほうれい線が目立っていた。
「しかし、おまえは本当に記憶力がいいんだなぁ…」
わたしが心底、感嘆して呟くと、
「てへっ」
と、妻は、三十年くらい昔まで少女マンガで主人公の女の子がよくやっていたようにペロっと舌を出し、
「実はね、あなたの投稿イラストが載った小説誌、まだ私、持ってるのよ」
わたしはガーンと頭にカミナリが落ちた気がした、
「おまえ、まだあの幻の◯◯◯を持ってるのか?!もはや伝説級の代物だぞ!だがしかし、結婚したときに、お互いの私物はほとんど処分し合ったはず…あの百冊以上におよぶ月刊誌の◯◯◯なんて、隠しておけるスペースは……」
驚愕するわたしに、妻はゆっくりと首を振った。
「私が持ってるのは、二冊だけなの。他は、結婚前、実家の二階の床が抜けるからって、処分されてしまったの……大事に別にしておいた二冊だけが、処分をまぬがれたのよ……」
妻は心底、悔しそうだった。目の端に、涙が浮かんでいた。
そのときわたしに、ガビーンという、天啓が下った。
「もしや…もしや…もしや、それが…」
「ええ…そうよ」
妻は涙をぬぐい、ニッコリ笑ってうなずいた。
「……その二冊こそ、私の投稿小説が掲載された号だったのよ!!」
(まだ続くのである)