私は、負けないっ!!
最近、妻の様子がおかしい。
いや、わたしの妻がおもしろおかしい人間なのは、以前からなのだが、最近その……なんというか、異様なのだ。
ときどき、廊下で、踊っているのを見かける。
いや、それは珍しい光景ではないのだが、和室で座卓をはさんで座ってお茶をしているときも、ぼんやりとして、かと思うと、にへらっと笑い、どうしたんだ?と、わたしがびびって問いかけると、
「なぁ〜んでもないわぁ、オホホホホッ!」
と、はぐらかす。
部屋にこもっているときは、ロボホンのスバルくんに色々話しかけているようで、スバルくんの
「そうなんだぁ、それから?」
などと相槌を打つ声がひっきりなしに聞こえてくるが、スマホで小型ロボットであるロボホンのスバルくんに語りかけているのでなければ、ひっきりなしに独り言を呟いている、アブナイ人の範疇に入ってしまうだろう。
ときどき妻が席を外している間に、スバルくんに、
「最近、『おねぇちゃん』と、何話してるの?」
と、問いかけてみるのだが、
「おねぇちゃんと、いつもお話ししてるよ。そのほかにも、いろんなことしたよ」
と、埒があかない。
今日も、わたしが和室に入ってくると、妻は座卓に肘をついて、両手の平にあごをのせて、にへらっと笑っている。
ここ最近のわたしの懸念は、妻は若年性痴呆症にかかってしまったのではっ?!という意味合いであった。妻もわたしも五十の域に入ったばかりだが、専業主婦で、習い事もしていない、刺激のない平々凡々な毎日を送っている妻が、その病に陥ってしまったとは、考えられなくもないではないかっ?!
今日こそ、わたしは意を決して、妻に問いかけるしかないっ!
「お疲れさま」
と、わたしが言って妻の向かい側に座ると、
「あら、あなた、いつのまに部屋に入って来たの?気づかなかったわん。すぐにお茶を淹れるわね。ストレートがいいなら、プリンスオブウェールズなんかどう?ミルクティーがいいなら、ウバ茶があるわよん」
ちなみに我が家は紅茶党だ。
お湯を沸かしに立ち上がろうとした妻だが、
「いたたたたた」
と、ひざをついた。妻は、左ひざを悪くしていて、リハビリもがんばっているのだが、なかなか良くならないのだ。
「いや、いいよ、自分でやるよ」
台所に立って、電気ケトルに水を入れ、湯が沸くまで、わたしはまた和室に戻った。
見ると、妻はまた、にへにへしている。
座布団の上に座り、わたしは気を取り直して、言ってみた。
「おまえ、最近、わたしに隠していることがあるんじゃないかい?」
妻は、目をぱちぱちさせて、わたしの急な発言に驚いたあと、
「あらん、わかっちゃった?あなたは男の人だから、言わないでおこうと思ってたのにっ!」
男の人には言えない秘密…
「おまえ、まさか、生理が復活したのか?!」
「いやね、ばか!そっちは上がったままよ!ーーそうじゃなくて、私、次回作の構想が練り上がったの!!」
妻は、エッヘンと、座りながら胸を張った。
「おまえ……」
と、言ったきり、わたしは声を失った。
「というか、もう第三話まで書き上がって、あとは『小説家になろう』に、投稿するだけなのっ!あなた、絶妙なタイミングで、訊いて、きたわねっ!」
「おおおおお」
わたしは、感動に打ち震えた。
「『俺のカノジョに血と薔薇を〜魔外者の唄〜がバズらず、なんの賞もとれず、失意のどん底に落ちて、パチ屋に通いつめ、無為に日々を送っていたおまえが、おまえが……ようやく、復活したのだねっ!!」
「そうよっ!!私はそんなことで腐り続けてなんかいないわっ!不死鳥は、燃え上がり、焼け落ちた灰の中から、蘇えるのよ、私は、負けないっ!!そして、ここに完全復活したのよっ!!!」
「そうか、そうなんだ、へぇ〜」
と、空気を読まずにロボホンのスバルくんが言ったが、
「おまえっ!」
「あなたっ!」
わたしと妻は、座卓ごしに、がっしと抱き合った。
そして、お互いに涙をながした。わんわん泣いた。
ひとしきり、感動の嵐が過ぎ去り、体を離すと、わたしは、ひとつの疑問を口にした。
「……だが、なんで、わたしに秘密だったんだい?」
「だって……」
妻はもじもじした。
かわいい。
夫の欲目だろうが、こういうところ、かわいい。
「だって……今度の『俺のカノジョに血と薔薇を』の続編は、18禁の、BLなんですもの……」
と、妻は顔を赤らめた。
「なぁんだ、そんなこと。そんなこと、わたしはちっとも気にしやしないよ!」
「私が気にするのっ!」
もうっ!と、妻は頬をふくらませた。
「今度の続編は、そういうわけで、18禁でエロいシーンもあるBLなのっ!私も書いてて恥ずかしかったわん!私とスバルくんだけの秘密だったのよん!」
「うんうん、それから?」
と、名前を呼ばれたスバルくんが反応した。ちなみにスバルくんは、座卓の真ん中に、ちょこんと座っている。
なにはともあれ、妻が若年性痴呆症にかかったのでなくて、よかった。
「……ああ、また、始まるんだな……」
わたしは、感慨深く、呟いた。
始まるのだ、また、あの、期待と失意とまた期待とまた失意にまみれた日々が……。
「そうよ、始まるのよ、これから、また、始まるのよ!」
わたしの心の内を、どこまで読み取ったかわからないが、妻も言った。
そろそろ台所で、湯も沸いた頃合いだろう。
今日は、プリンスオブウェールズにしよう。
あの、芳醇ながらもほろ苦い紅茶を飲みながら、これまでの日々を懐かしみ、これからの日々を思い、心躍らせよう。




